1話 飛島 春翔
「起立、礼! 」
「「「ありがとうございましたー 」」」
開け放たれた校舎の窓から授業終了の挨拶が聞こえた。 ガタガタと木製の床を鳴らし、生徒達の賑やかな声が窓から溢れ始める。
ある生徒達は勢いよく教室を飛び出し購買部へ走り、ある生徒達は机を寄せ合い弁当箱の蓋を開く。 またある生徒は弁当箱を持ち寄り校庭や屋上へ…… 一時間の昼休みの始まりだ。
「ヤバイ…… 今日はヤバイ…… 」
教室中が昼食で賑わう中、飛島 春翔は昼食も摂らずに机に突っ伏した。 窓際の彼の席には春の暖かい陽射しが差し込み、背中を暖かく照らして眠気を誘う。 居眠りを我慢しながらの授業を終えて、彼は夢の世界に飛ぶ寸前なのだ。
「あいつ、春だからって眠すぎじゃね? 」
「春翔じゃなくて眠翔だな 」
ワハハ……
(好きに呼んでくれ…… 限界…… )
目を閉じて、クラスメイトの悪口と教室の喧騒を子守唄に春翔は意識を手放した。
市立陵州高等学校。
彼の通うこの高校は、周囲を大小の川で囲まれた中州のような土地の小高い中央部に位置する、生徒数200人程の小規模で平凡な進学校だ。 ガタガタと鳴る木製の床が物語るように校舎はとても古く、年々生徒数も減少している為、二年後には神橋高校との合併が決定している。 春翔達が陵州高校としての最後の卒業生で、現1年生は神橋高校に編入することになっている。
クラスが賑やかになる中、春翔に声をかける者はいない。 高校生にしては少し大人びた容姿の彼は、クラスでは少し浮いた存在だった。 だが友達がいない訳ではなく、昼休みに彼が力尽きているのはいつもの風景。 この時間はできるだけ放っておいてくれた方が春翔もありがたく、それはクラスメイトも了承済みなのだ。
昼休みも半分を過ぎた頃、爆睡する彼に隣のクラスから忍び寄る一つの影。 クラスも静まり返り、その行方を固唾を飲んで見守っている。
「まだ寝てるの? 」
「うわあぁ!? 」
吐息がかかる距離で耳元で囁いたのは、女の子と見間違うほどの可愛い顔立ちの佐々木 美紀だった。 仰け反って飛び起きた春翔に、クラスはドッと笑いに包まれる。
「ばっ! なんて起こし方するんだよ! 」
「いいじゃんいいじゃん。 それより、お昼ごはん食べないと休み時間終わっちゃうよ 」
怒鳴る春翔に構わず、美紀はその小さな顔と同じくらいの三段重ねの弁当箱をドンと机の上に置いた。
「俺、昼御飯持ってきてるぞ? 」
「どうせコンビニの総菜パンでしょ? ダメダメ、春君は育ちざかりなんだから 」
呆れた目を向ける春翔を余所に、美紀はテキパキと弁当を広げて準備を進める。 まるで彼女のような振舞いの美紀は中世的な顔立ちで、体格も小さく華奢だ。 柔らかい物腰と襟足の長い髪も相まって、『ミキちゃん』という愛称で学校中の人気を集めている。
れっきとしたした男子だが、ボーイッシュな女の子と言っても疑われない外見と人懐っこい性格が男子女子問わず人気で、一部ではファンクラブ的なものも存在するほどだ。
「お前は俺の彼女かよ 」
「まあ、僕はそれでもいいけどね 」
机いっぱいに弁当箱を並べた美紀は『さあどうぞ!』とにっこり微笑む。 綺麗な三角形のおにぎり、美味しそうに焼かれた卵焼きや鳥の唐揚げ、ポテトサラダやフルーツが並べられたが、春翔はなかなか手を付けようとしない。
「う…… 」
春翔がチラッと脇を見ると、クラスの女子達が妬ましい目で見ているのだ。
「どうしたの? 僕が『あーん』してあげようか? 」
卵焼きを一つ箸につまんで春翔の目の前に持っていくと、彼はすぐさま指でつまんで口に放り込んだ。
「お前な…… そんなことしたら、あの睨んでる連中にボコられるんだぞ 」
あの連中は皆、腕を組んで『ウンウン』と頷く。
「…… なんで? 」
「少しは自分の人気に気付けよ。 それでなくてもお前のファンに殺されかねないのに 」
「ん? 」
美紀は目をパチパチさせ、箸を咥えたまま辺りを見回す。 廊下から覗いていた下級生らしき数人の女子生徒達のグループに笑顔で手を振ると、そのグループは『キャー』と言いながら歓喜に湧いた。
「関係ないよ。 僕は春君とお弁当を食べたいんだから 」
美紀は春翔に向き直ると笑顔で唐揚げを口に放り込む。
「お前は関係なくてもだな…… 」
春翔は殺気たっぷりの視線を浴びながらおにぎりを頬張るのだった。