壊れた夏
別れ話をしていた竜胆先輩の車の中で、花水木が包丁で死のうとした。
なんで。
花水木が竜胆先輩に包丁を奪い取られて追いかけられたから逃げた。
もう嫌だ。
水仙が楽しそうに鬼灯との思い出を話す。鬼灯が誘ってくれたのだと、優しい夜を過ごしたのだと幸せに笑う。
どうすればいい。
椿が学校をやめると言い出した。理由はわからない。県外に行くそうだ。内緒にしてほしいと頼まれた。
壊れていく。
椿が学校からいなくなった。花水木が学校に来ない椿のことを心配している。水仙がやっと出て行った、清々したと笑う。
みんな、私に椿の安否と行方を尋ねる。答えられないのに、何度も何度も。椿は確かに周りから愛されていた。
…ねえ、私はどうすればいい?
わからなくて、混乱して、鬼灯が浮気していることを話してしまった。花水木は激怒して、鬼灯と椿が別れるよう画策し始めた。
本当にこれでよかった?
そんな時期、水仙と花水木と一緒に山で夜景を見に行った。花水木の、竜胆先輩との思い出の場所だそうだ。
雨が降っていた。傘はささなかった。
語られる優しい思い出に色と毒が混じる。先輩と別れるくらいなら死ぬと堤防から身を投げ出した婚約者さんを案じて、先輩はひとりで生きていくことを決めたらしい。
それが許せないと花水木は語った。ひとりにはできない、と。
水仙も語った。鬼灯との思い出だ。楽しげな思い出には執着と独占欲が滲む。最後に吐き出されるのは、やっぱり椿への毒。売女、悪魔、淫乱…。もう慣れてしまったはずだけど。
話を聞きながら、椿からたまに送られるメッセージを思い出していた。そこに水仙に向けられた隠された毒を見つけてしまって以来、もう修復は諦めている。
かつて友だちだった人たちに向けられる毒。
何も悪くない人に向けられた理不尽な毒。
どちらもこの時の私には耐えきれなかった。それで、逃げた。
山の中を走って、逃げて。それが愚策だとわかったのは、後に水仙から見せられたつぶやき掲示板に『友だちが突然逃げ出した笑 意味わからん』と書かれていた時だった。
まあ、わからないよね。知ってた。
その後、竜胆先輩のお祖父様が亡くなった、竜胆先輩がショックを受けていると連絡を受けて花水木は竜胆先輩のところに行った。
その日から、花水木は竜胆先輩を優先するようになった。学祭実行委員長になる時、辛い時は補佐すると約束してたから、私も実行委員の女の子も花水木の行動を止めなかった。
それから花水木の代わりに学祭実行委員長の仕事をして、自治会長もして。お酒に酔った勢いで、鬼灯に水仙との関係を問い詰めたこともあったなぁ。
鬼灯は椿にだけは言わないでくれと、水仙とは関係を断つ、また浮気したらその時は全部話してもいいからチャンスが欲しいと言われた。
鬼灯への同情心なんてなかった。思いやりなんてもともとない。
花水木と修羅場を作り出した。
そこで鬼灯の浮気はあっさりばれて、椿は泣き崩れた。これには竜胆先輩も一躍買ってくれた。
これでもうふたりは別れるだろう。
椿を傷つける結果になったのは申し訳ないし、今になってはもっとやりようがあっただろうと過去の自分を問い詰めたくなるけど。
あの当時の私にしては最善だったと思う。
それから私が帰った後、椿が行方不明になる事件が発生したりとまた色々あったみたいだ。
それでも椿と鬼灯は別れなかった。竜胆先輩が何か言ってふたりをつなぎとめたらしい。
なんでだ。
まだ苦難の道は続きそうだった。
それからしばらくして、花水木の精神が崩壊した。もはや意味がわからん。
花水木の入院中、学祭実行委員長の仕事は私に任せると竜胆先輩から電話が来た。で、私も発狂した。
泣き喚いて、花水木が退院して戻ってからは自殺してやるとヤケになって。自殺の方法は考えていた。還るなら海がいい。それがダメなら薬で。どの薬で副作用が出るかは知っていた。
その時に花水木に言われた言葉は印象的だった。
自治会長も、バンドも、人間関係取り持つのも、学祭の仕事も、全部が辛かったと打ち明けたのに。花水木は、
『紫陽花がいなくなったら、自治会や学祭、バンドはどうするんだ。役目を他人に押し付けるな』
『紫陽花が死ぬなら後を追ってやる』
と言ったのだ。
動きを止めた私に、花水木は満足げに、
『その人にとって都合の悪いことを言えば、自殺はやめてくれる』
と呟いていた。
あはは、まったく恐れ入る。私の責任感となけなしの良心をつついたか。
ひねくれた私にはもっと働けって言葉にしか聞こえなかったけど。
まあいい、彼なりに私を思って言ってくれた言葉だから。花水木の優しさだと思って、この時の思い出は胸にしまっておくよ。
それから花水木は学祭の仕事の第一線から退いた。それ自体は構わない。もういい。ゆっくり休んで。
水仙も学祭の仕事をやめた。椿の味方ばかりのメンバーの中で耐えられなかったんだって。
そっか。じゃあいいよ。それで水仙が心安らかに過ごせるなら。
実行委員の女の子は、私の学部は仕事をしてくれないと怒ってた。ごめんね、みんな実習で忙しいんだ。私が代わりにやるから許して。
椿とはたまに会って遊んだ。顔色もいいし、鬼灯からプロポーズされたと嬉しそうだ。幸せそうでよかった。
胃が痛い。下腹部も痛い。目が見えなくなっていく。腫瘍マーカーが陽性だ、詳しい検査を…。
全部全部無視した。
みんなが幸せならそれでいい。