エピローグ 冬・黒
その日、あたしは真夜中の公園にいた。
相変わらず寒いが、もう慣れた。貸してもらった居酒屋の屋根裏部屋は隙間風がひどくて、外にいるのとまるで変わらないから。
薄明るい街灯の下、ベンチに腰掛けてあたしは一人、ただただ座っていた。
そうしてぼんやりと、考える。
今頃、高校の皆は何をしているだろう。あたしのことをどう思っているだろう。
……親父は、どう思っているだろう。
はあ、と息を吐いた。白い。一瞬白く広がって、それから闇に溶ける。
「こんなとこにいたの?」
「!」
突然の声に驚いて、あたしは振り向いた。
「あ、えっと……ヒカリさん」
おとといあたしを拾ってくれたときも、ちょうどこんな感じだった。ヒカリさんは缶ビールを片手にあたしの隣に腰を下ろす。行儀の悪い人だと思う。
「こんな夜中に一人で外出はどうかと思うけど」
「……それならヒカリさんだって」
「あはは。そりゃそうだ」
けらけら笑って彼女は缶を傾けた。
「黙って出てくつもりだった、とか?」
ヒカリさんの言葉に、あたしは首を振る。
「そういうことじゃなくて……」
「……ん」
ぽんぽん、とあたしの頭の上に、ヒカリさんの手のひらが乗る。あたしは特に振り払うでもなく、そのままじっと座っていた。
沈黙が落ちる。二人分の白い息が、時折広がっては消えた。
「……帰らないの?」
「……」
あたしは何も答えない。どう答えるべきか、分からない。
「……帰っても同じ。したいことなんか、ない……」
今ならまだ帰ることは出来る。帰って、いろいろな選択肢を選び取ることができる。
けれど、あたしは。
「もう、わかんなくて……」
こうして一人、家を飛び出してきて。今更、改めて思う。
あたしはバカだ。バカで、あまりに短絡的で、考えなしで。
「何があったかなんて知らないけどさ」
ヒカリさんが言った。
「あんたの事情ならあたしは口を挟む気、ないよ。家の人が心配するだろ、とか、将来どうするつもりだ、とか。そんなこと、あたしの知ったこっちゃない」
「……」
それが、当たり前だ。全てはあたしが勝手にしたことなのだから。
「けどね」
夜空を見上げて、彼女は続ける。
「行く場所がない奴を放り出すほど、腐った奴でもないからね。あたしたち」
あたしはヒカリさんの横顔を見た。それから一緒に、空を見る。
透き通った冷たい空気に、星がよく見えた。
「意外と皆知らないことなんだけどさ。これからどうするかなんて、自分以外に決めてくれる奴なんかいないんだよ。したいことがないなら、なんでもいいからやってみる。そうやってるうちに、本当の気持ちってのは見えてくるもんだよ」
「……本当に?」
ヒカリさんの表情を覗き込む。彼女は一つ頷いてビールを飲み干した。
「おう。さ、帰ろ。酒なくなっちゃったし」
あたしは少し笑って、ベンチを立った。
店の玄関には、背の高い男の人と小さな女の子が揃ってあたし達二人を待っていた。確か、ミズキという名前のその女の子は、眠そうに目をこすりながらもあたしの姿を見て駆け寄ってくる。
「お帰りっ! どこ行っちゃったのかと思ったよ?」
「……うん、ゴメンね」
「ほら、寒いんだからさっさと入れ」
男の人――まだ、名前は覚えていなかったが――がぶっきらぼうに言ってドアを開ける。
「ううー、あったかい」
あたし達四人は店内に入るや、奥のほうで燃えている石油ストーブに近づいて手をかざす。あったかい。とてもあったかい。
あたしの横で、ヒカリさんがぼそりと言った。
「さっきはあんなこと言ったけど、『したいこと』が見つかったなら、家の人に連絡ぐらいしてあげなよ? 場所と仕事くらいなら、あげられるからさ」
あたしは手をかざしたまま、ぼーっとその横顔を見ていた。
それから皆は自分の部屋に戻っていく。続いて階段を上ろうとしたあたしは、ふと足を止めてヒカリさんを呼び止めた。
「……あの」
「ん?」
「明日から仕事、教えてくれませんか?」
「……おうっ」
この居酒屋の店長は、白い歯を見せてにかっと笑った。
あたしに何が出来るのか。
あたしは何がしたいのか。
今からでも悩むことができるなら、悩んでみよう。
ひとまずこれで、このお話は最終話となります。
読んでくださった方、ありがとうございます。なんてことはないお話。個人的には気に入っていますが、いかがだったでしょうか?
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