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第三話 野菜もちゃんと食べたほうがいい 春の中頃


「……こういうとき、いつも思うんだけどね」

 ヒカリさんが唐突に、そう切り出した。

「なんかさ、ふと気付くと茶碗から白米が消えてるのよ。そういうことない?」

「ねえな」

 にべもなくヒロさんが答えた。

 立ち上る煙と、うまそうな、うまそうな匂い。

 じゅうじゅうと音を立ててはじける脂。

「これカルビなんですか? これがカルビなんですか?」

「あーっ! ヒカリ姉ちゃん私のお肉取った!」

 わめく少女に、店主が大人特有のやらしい笑みを向けた。

「鉄板と鍋の上に法律なんてないんだよ。覚えときな」


 本日、火曜日。『ダイニングしらなみ』は定休日。

 ことは、そんな平和な一日の夕方に店を訪れた一人のおじさんから始まった。

「あれ、新田さん。今日は定休ですよ?」

 商店街にある新田精肉店のご主人、新田昌弘さんが店の裏口に顔を出したのである。店で使うお肉はいつもそこから仕入れているわけだが、定休日の今日に発注をかけることは普通ない。わざわざ鮮度を落とすこともないからだ。

 真っ先に対応に出たあたしが言うと、新田さんはおかしいなあ、と首をかしげた。

「確かに今日、豚バラの注文もらったよ? ヒロヤ君に」

「えー?」

 そういうことでヒロさんを捕まえて事情を訊くと、

「間違えた」

 というとてもシンプルな答えが返ってきた。こちらの手違いなので届いたお肉を突き返すことも出来ず、あたし達は新田さんから三パックの豚バラ肉を受け取った。

 問題はそのお肉より、それまで使っていた古いほうのお肉。まだまだ傷むほど古いわけでもないのだが、休日にお肉が届いてしまったことで余剰な分が出来てしまったわけだ。冷凍しておいてもいいのだが、せっかくなので焼肉にでもするか! というヒカリさんの意見が上がり、かくして。

 あたし達は店のテーブルにカセットコンロを設置して大焼肉大会を開催していた。


 換気扇が全力で稼動して、ぶんぶんと低い音を立てている。店の外にはさぞかしいい匂いが流れていることだろう。

「アルコールが足りない!」

 ヒカリさんはそう言うと席を立って、店の奥に向かった。冷蔵庫から缶ビールを取ってくるのだろう。基本的に休日は缶ビールを買って飲んでいるから。

「牛肉なんて食べるのいつぶりだろう。……ああそういえばこんな味だったっけ」

「そうなの?」

「うん」

 聞いてくるミズキにあたしは頷いた。基本的に毎日のご飯は店で使っているもので作っているのだが、その中に牛肉というものはないのだ。あるのは豚肉と鶏肉だけ。いや、別にそれが不満だったわけではないのですが。

 ちなみにこれらのお肉はもちろん新田さんの所でお買い上げしたものだ。せっかくの焼肉が豚バラだけでは物足りないだろうと、新田さんに交渉して卸値で譲ってもらった。

 あたしはいい具合に焼けたカルビを取って一口。

 ……おいしい。

「クロカ姉ちゃんそれあたしの!」

「誰が決めたのさー」

「ううううぅ」

 ミズキの潤んだ瞳など今日は気にならない。肉だ。肉なのだ。

「っていうか、ヒロさんはさっきから何食べてるんですか?」

「ホルモン」

淡々と答えて、ホルモンをまた一口。

「さっきからそれしか食べてないよね……」

 そういえばそうだ。コンロの上、焼肉用鉄板の四分の一がほとんどホルモンで埋まっていた。それが全てヒロさんの目の前。

「あたしは……そんなに好きじゃないな。脂っこいし」

 じゅうじゅうじりじり、音を立てる脂を見てあたしは言った。モツというやつはとにかく脂まみれなのだ。いくら美味しいとはいえ、ちょっと身を引いてしまう。

 ヒロさんは気にしていないようだけど。

「っていうか、ぼーっとしてる場合じゃない! 肉! ヒカリさんがいないうちに!」

あたしはすばやく、香ばしい匂いを立てるロースを取ってタレにつけ、口に運ぶ。ほどよいやわらかさと肉汁の風味。にんにく仕立てのヒロさん特製ダレがマッチしてこれまた美味しい! ……後でちゃんと歯磨きをしよう。入念に!

「はっ! わ、私も」

あたしの後に続こうと、ミズキは箸を伸ばしたが、

「お、ちょうど焼けてる」

 戻ってきたヒカリさんに、目の前で肉を奪い取られていた。

「あああーっ!?」

 食べてばっかりで誰も肉を乗せないので、鉄板の上から肉が消え去っていた。

 ……もとい、ホルモンだけが残っていた。

「うめー」

 言うヒロさんの口調は、心なしか幸せそうだ。


「ひどいよ……」

 伸ばした箸をそのまま、涙をにじませるミズキをよそにあたしは鉄板に肉を乗せていく。肉が熱々の鉄板に触れるたび、響くサウンドがとてもワンダフルだ!

「ああ、けど分かりますね、さっきの。焼肉のときってついつい、ご飯食べ過ぎちゃうんですよ」

「だよねえ。あ、でもビール飲んでるとあんまりご飯減らないわ」

 ヒカリさんは乗せたばかりで肉が焼けていないので、ちょうどいい焼け具合のホルモンに箸をつけようとしたが、ばしっと横から弾かれた。ヒロさんの手によって。もっと詳しく言えばヒロさんの箸によって。

「俺んだ」

「……やる気?」

 ヒカリさんが弟をにらみつける。ヒロさんも負けじと鋭い視線を送っていた。

「……はあっ!」

 店長の箸が再びホルモンに迫る。が、やはりヒロさんのすばやい箸捌きに弾かれる。

「甘い――何!?」

 弾かれたと見えたのは、フェイントだったのか。ヒカリさんの箸は空中で翻って、ヒロさんの死角からホルモンに襲い掛かっていた。

「甘いのはあんただ!」

香ばしいホルモンに、ヒカリさんの箸が触れようとした、その瞬間!

「まだだ!」

「なっ!」

 あたしが見たのは、ご飯の山に突き刺さった一膳の箸。

 まさに神速。ヒカリさんの攻撃を、あろうことかヒロさんは自らのご飯を盛った茶碗でガードしたのだ。

「ば、バカな……!」

 信じられない、という表情で恐るべき弟を見るヒカリさん。ヒロさんは相変わらず淡々と、しかしどこか自慢げに、ホルモンを口に運んだ。

「っていうか、行儀悪いよ! 二人とも!」

 ミズキががたんと椅子を蹴って立ち上がり、二人を叱り付けた。

『す、すいません』

「食べ物で遊んじゃダメでしょ! 仮にも飲食店やってるんだから!」

 ものすごい剣幕で声をあげるミズキをよそに、

「あ、焼けてる」

 あたしは鉄板の真ん中からカルビを一枚。これまたヒロさん特製の塩ダレにつけていただく。脂がさっぱりした塩気とレモンの酸味に溶けて、やっぱりとても、美味しい。

「うめー」

 幸せ。


 焼肉は続いていく。

 買ってきた肉も大体半分終わってしまった。が、まだ半分残っている。

 ちなみにホルモンもたくさん残っているが、これを食べられるのは一人だけだ。

「ご飯おかわりしてきますー」

「あ、あたしも!」

 席を立とうとしたあたしにミズキが続いた。あたしははたと足を止める。

「ど、どうしたの?」

 不安げなミズキ。あたしは真っ直ぐ彼女を見据えて、

「じゃんけん、ポン!」

「あ、わ、わ」

 あたしはグーを、あたかも右ストレートのように突き出した。あわてていたミズキは中途半端なチョキのかたち。

「あたしの勝ち! ご飯よろしくね」

「え、ええ! なんで!?」

「なんでって」

 ミズキも不思議なことを言うもんだ。

「勝ったから」

「……ううぅ」

 泣きながらミズキは炊飯器のある厨房へ入っていった。あたしは席に座り直し、再び鉄板の上の肉に向かい合う。

 一秒一刻もうかうかとはしていられないこの状況で、席を外すのは愚の骨頂。

 ちなみにヒカリさんもヒロさんも、ミズキのことは全く気にしていないようだ。

「さ、今のうちに肉焼こ、肉」

「賛成です!」

 そして鉄板の上にデビューしたのは、みんなのアイドル、焼肉界の星、牛タン! 

 ……言い過ぎかな。

「高いからあんまりないよー」

 ヒカリさんの言葉に、あたしはぴくりと固まった。

 これはすなわち、宣戦布告。じゅー、と肉の焼ける音だけが響いた。

 タンというのは焼けるのが早い。置いて数秒、既に戦闘の準備は整っていた。

 箸と箸との壮絶な攻防! 舞い踊る脂! 相変わらずホルモンしか食べないヒロさん!

「クロカ姉ちゃーん、お待たせ……あーっ!」

 ご飯を運んできたミズキが絶叫する前で、あたしは最後の牛タンに塩とレモン汁を振ってそのまま口に運んだ。

 心地よい歯ごたえとすっきりした後味。隠し切れないうまみ。

「……ああ、おいしい」

「ひどすぎる……」

 ミズキはがっくりとうなだれて涙する。そんなかわいそうな少女のご飯の上に、ヒロさんの箸がそっと焼けたホルモンを乗せた。

「ヒロ兄ちゃん……」

 それは優しさか、はたまた――

「こげた」

 ミズキがそのホルモンをひっくり返すと、裏側が真っ黒だった。

「……」

 実はドSか、ヒロさんは。

 

 大満足のうちに焼肉パーティーは終了した。こんなにたらふく肉ばかり食べたのはいつ以来だろう。まったく、焼肉というのは一種のアミューズメントと言っても過言ではないような気がする。

「……お肉……」

 ミズキはまだぐちぐちと恨み言を呟いていた。こんな仕打ちを受けて育ったら、今すぐにでも反抗期を迎えてタバコなんかに手を出してしまうかもしれない。いやしかし、今のうちから世の中の厳しさというものを教えておいていけないということはないだろう。

 よし、まあそういうことでいいだろう。

「あれ、ヒロさん何してるんですか?」

 片付けも終えて、店の電気を消そうと思ったらヒロさんがレジの所でなにやらかちゃかちゃとパソコンをいじっていた。

「発注」

「パソコンでですか?」

 あたしは少し意外に思った。基本的にこのお店はすぐそこの商店街に並ぶ八百屋や新田さんのような肉屋から食材を仕入れている。お得意様ということで多少優遇してくれたりもするからだ。

「知らなかったっけ? 魚だけはネットで港近くの卸から直接仕入れてんだ。そっちのほうが多少鮮度良いし、ぶっちゃけ魚屋通すより安い。ほら、いつも魚持ってきてくれるおっさんいるだろ。青い帽子かぶった」

「ああ、水原さんですか! ……けど、だったらほかの食材もそうなんじゃ?」

 あたしがそう言うとヒロさんはちょっと考えて、

「値段は……それほど変わんねえかな。付き合いもあるし。それに」

「それに?」

「うちの親父が、魚屋のおっさんと仲悪い」

「……さいですか。じゃあ後、お願いしますね」

 そのままあたしは自室へと上がっていったわけだが、このときヒロさんが再び失敗を犯していることは、知りようがなかった。

 

 翌日、開店一時間前。いつもより少し早めの食卓には、昨夜も活躍したカセットコンロとその上にでんと置かれた大きな土鍋があった。すでにぐつぐつといい音を立てている。

「今日は鍋なんですか?」

「ああ、それがさあ」

 椅子に座りながらあたしが言うと、ヒカリさんが顔をしかめながら答える。

「このバカが注文の数量間違えて。サーモンがいつもの二倍も届いちゃったわけ」

「はあ」

 またか、とあたしは素直に思った。向かいに座るヒロさんは特に悪びれるでもなくけろりとしてタバコをふかしていた。

「で、冷凍してもよかったんだけど前のサーモンもちょっと古くなってきてるってことで今日はこんなメニューとなりました」

 つまりは昨日と同じ動機か。あたしは湯気をほこほこと立てる鍋の中を覗き込んだ。

 銀杏切りの大根や人参、もやしに混じって顔を覗かせる鮮やかなピンク色のサーモン。

 そのダシはまるで白味噌汁のように見える。

「石狩鍋」

「あー、昨日テレビでやってましたね!」

 ヒカリさんに言われて思い出した。テレビはヒカリさんの部屋にある一台だけで、定休日の夜はだいたいそこで皆揃ってテレビを見ているのだが、昨夜旅番組で芸能人がこういう物を食べていた。

「北海道だかどっかの郷土料理でしたっけ?」

「そう。食材がいい感じに揃っちゃったもんで」

 昨日の焼肉に引き続き、今日もいいものを食べられるらしい。嬉しいな!

「じゃ、いただきまっす!」

 幸せなお食事の始まり。あたしは真っ先にサーモンをとんすいに取って口に運んだ。

「んー……うまい!」

 魚介のダシと白味噌の甘みがなんともたまらない。もともとはお刺身に使うサーモンなだけあって、もうたまらないくらい美味しい!

「幸せ……あれ、ミズキは?」

「まだ帰ってきてないよ。なんか、今日は遅くなるとか言ってたけど」

「へえ」

 あたしは頷いて、またまた鮭の身を口に放り込んだ。

「あ、肉も入ってる」

 ヒカリさんが言った。

「うん、うまい……あー、酒欲しい」


 結局ミズキが帰ってきたのは営業が始まって一時間ほど経ってから、午後六時ごろになった。なんでも委員会の仕事が長引いたそうだ。彼女は部活には入っていない。

「今日のご飯、白味噌汁だけ?」

 厨房に晩御飯をもらいに行ったミズキが、ヒロさんにそう尋ねるのが聞こえた。

「ああ。いいダシ使ったからこんだけ」

「ふーん」

 そして厨房から出てきたミズキは両手に茶碗を持っていた。片方には白いご飯、もう片方には――

「あ、クロカ姉ちゃん。いただきまーす」

 具が大根と人参だけの、ものすごくいいダシを使った実においしい白味噌汁。

 てくてくと控え室に入っていく彼女の背中に、あたしは心の中で両手を合わせた。

 鮭も肉も全部食っちゃったよ。あはは。


 またまた翌日。

 太陽が一日で最も高く昇るころ、あたしは商店街をふらふらしていた。

 もとい、別にふらふらしていたわけではなく、買い物に出ていたのだ。

「えーっと……」

 あたしは手にしたメモを見ながらアーケードの下に入る。電球にコピー用紙、ホッチキスにシャンプー、リンスなどなど。主に生活用品やホール関係で使うものが書かれている。

 近くにホームセンターという便利なものがないせいで、あちこちの店を梯子しなければならないのだ。正直めんどくさいが仕方ない。

 まずは電気屋に寄って、電球をゲットしよう。ひょっとしたら紙もそこにあるかもしれない。薬局は……どこだっけか。

 なんてことを考えながらふらふらしていると、突然横から大きな声が聞こえた。

「おーい! クロカちゃーん!」

 居並ぶ商店の一つから大声で叫ばれたのはあたしの名前だった。ちょっと恥ずかしい。振り向くと、ついこないだ見たばかりのおじさんが手を振っていた。

「こんちわっす。新田さん」

 あたしは新田精肉店に歩み寄って、おじさんに軽く頭を下げた。

「こないだは悪かったねえ。お休みなんじゃないのってヒロヤ君に確認取ればよかったんだけど」

「あ、いやいや。悪いのは全部ヒロさんなんですから。気にしないで」

 あたしは手をひらひらと振る。まあ、おかげで焼肉なんてすばらしいものが食べられたわけだし。

「あ、そうだ」

 おじさんは何か思い出したように、目の前の肉が並ぶケースから何かをごそごそと取り出した。

「これ、ちょっと古くなりかけちゃって。少ないけど良かったらもらってよ」

「え、いいんですか?」

「いいって。あ、うちの母ちゃんには内緒で頼むよ?」

 おじさんはあたしに包み紙を差し出して、にこりと笑った。


 かくしてあたしが手に入れたのは、最高級すき焼き用牛肉。見事な霜降りで鮮やかな色合い。きっとすごくやわらかくて美味しいに違いない!

 ただ、問題は。

「三枚……」

 厨房の中、まな板の上に置かれたお肉を見下ろして仕込みをしていたヒロさんは呟いた。

「どーします?」

「そりゃあ、すき焼きでしょう!」

 肉を見てテンションが上がってしまったのか、はしゃいだ様子でヒカリさんが言う。確かに気持はよーっく分かるのだが、

「あたしと、ヒカリさんと、ヒロさんと、ミズキ。四人、ですよね」

 肉は三枚。スタッフ全員分、ないのだ。今ここにミズキはいないが、こんなごちそうを自分がいない間に食べてしまったらきっとへこむ。少なくともあたしなら怒り狂うはずだ。

「帰ってくるまで待って、均等に切って……って、ヒカリさん何してんですか?」

 肉を前に考え込むあたしとヒロさんをよそに、店長はコンロの上に鉄鍋を設置して火にかけていた。じゅうじゅうと脂まで塗っている。

「今相談してるとこなんですけど!」

「なーに言ってんの。ずっと冷蔵庫に入れてたら肉が悪くなっちゃうよ」

「いや、もう悪くなりかけてるからもらったんですけど」

「だったらなおさら! ホラ!」

「ああっ!」

 ヒカリさんが横から肉を強奪してしまった。何を言う隙もなく、そのまま鍋の中にピットイン! じゅー、ととてもいい音を立てる。……たまんない。

「ひ、ヒカリさん!?」

 あたしが抗議の声を上げると、彼女はそこに割り下を注ぎ込んだ。香ばしい匂いがあたしの鼻腔を占拠する。

「うっ……」

「さあ、ガマンできるか!?」

 最高級。牛肉。すき焼き。

「ううっ……」

「さあさあ!」

 百グラム千円以上。霜降り。すき焼き!

 あたしが葛藤している間にお肉は良い感じになってしまった。まだちょっと赤みを残した、しかし食べごろの牛肉。最高級。最高級!

「頂きます! ……んーっ、うめえっ!」

 ヒカリさんの口に消えた牛肉を見届けて、あたしの喉がごくりと鳴った。

 

 結論から言えば、最高級すき焼き用牛肉はあたし達三人の胃の中に消えた。

 すごくやわらかくて、とてもおいしかった。

 ……ゴメンよ、ミズキ。


 それから一週間が過ぎた。

 営業前、あたしがいつものようにホールの掃除をしていたとき、裏口のほうから声が聞こえてきた。ヒカリさんは買い物があると言って外出中、ヒロさんはいつものように仕込みをしている。

「毎度ーっ、新田精肉店でーす」

「あ、はーい」

 あたしはパタパタとスリッパの音を立てながら裏口に向かう。新田さんが段ボール箱を抱えて待っていた。

「あ、どうもです」

「おう、こんにちは。今日はまた奮発したね」

「え?」

 おじさんがどさりと箱を下ろす。それはいつもよりちょっと大きな箱で、中身も重そうだった。

「あ、どうも」

 ヒロさんがあたしの後ろから顔を出した。財布からお金を出しておじさんに手渡し、よっこいせと箱を抱える。

「また今日も焼肉かい?」

 おじさんがそう言いながら笑うので、あたしもヒロさんの顔を覗いた。

「ん、ああ。まあ」

「そうなんですか?」

 あたしが尋ねると、

「……なんか、ミズキの奴に悪いかと思って」

 いつもと変わらないヒロさんのぶっきらぼうな口調に、あたしはなぜかくすりと笑ってしまった。なんだかんだで気にしていたのか、ヒロさんも。それにしたって考えが単純だ。

 新田さんが帰ってしばらくして、ヒカリさんが買い物から帰ってきた。

「お帰り……なんですか、それ?」

「肉」

 にかっと笑うヒカリさんの手には、スーパーの袋が提げられていた。

 姉弟、考えてることは同じらしい。

 

「さ、食べな」

「これ、ロースも焼けてるよ」

「ホルモン食うか?」

『ダイニングしらなみ』の店内には、一週間前と同じくいい音と匂いが響き渡り、立ち込めていた。

 ミズキの皿にはどんと詰め込まれた肉の山。良い具合に焼けていてとても美味しそうだ。

「こ、こんなに一気に食べらんないよ」

 一週間前とはまるで違う待遇に、ミズキもなんだか困惑気味だった。

「っていうか、なんでまた焼肉なの?」

『偶然』

 あたしたちは声を揃える。そんなことはいいから、とヒカリさんが言って、

「ほら食え! 食わないと成長しないよ」

「う、うん」

 のたくたとミズキが肉を食べ始める。鉄板の上には次々に肉がセットされ、ミズキが食べる間にどんどん焼けていく。カルビにロース、牛タンやトントロもある。

「ほら、カルビ焼けたよ」

「これうまいよー。塩タン。食べてみて!」

「ホルモン食うか?」

 そしてどんどん、ミズキの皿に乗せられていく。わんこ焼肉だ。

「お、お姉ちゃん達も食べてよ」

『いいから』

「う、うん」

 ミズキはなんかもう必死になって、次々にやってくる肉を頬張った。

 まるでハムスターがひまわりの種をカリカリとかじるように、せっせせっせと。


「……気持ち悪いよ」

 控え室に横になって転がるミズキが苦しそうにうめく。

 おもてなしと言えど、やっぱりほどほどにしといたほうがいいね、うん。

 ちなみに、当然ながら肉は大量に余ってしまった。これは料理に回したりもするので、さほど問題ではないだろうが。

 あたしはミズキにお茶を渡して、そのままホールに戻った。

 これから営業の時間なのだ。暖簾をくぐって出ようとしたところで、はっと気付く。

「く、臭い……」

 それは隠しようのない、焼肉をしたあとの、あのにおい。さっきまで肉を焼いていたのだから当然と言えば当然だが、これからお客さんの前に出るのだ。まずい。これはまずい!

「ファブリーズってあったっけ……?」

 あたしは呟きながら、二階への階段を上がった。


 後日談。

 売り上げなんかの計上は全てパソコンでやっている『ダイニングしらなみ』だが、その責任者は当然店長のヒカリさんだ。今月の収支を計算しているところにちょうどミズキが通りかかって、そして叫んでいた。

「ものっすごい赤字だよ!? なにこれ!?」

 考えるまでもないことだが、あれだけ余分に肉買ったり魚買ったりしたのだ。当たり前と言えば当たり前だ。

 そしてヒカリさんは、いやあ、とかニコニコ笑っていないでもうちょっと危機感を持ったほうがいいと思う。

 ……まあ、あたしとしては美味しいものたくさん食べられたからいいんだけれど。


 さらに後日談。

 ある日、一日の営業を終えたあたしがお風呂から上がって着替えていたときのこと。

 目の前には体重計。

「そういえば、ここんとこ計ってなかったな……」

 あたしは体重計をしばらくにらみつけてから、ぎしりと片足を乗せた。

「……!?」

 ……知らぬが仏、という言葉がありますね。

 世の中には、知らなかったほうが幸せなことだったあるのだ。あたしは恐る恐る、お腹に片手を当てて――


「あれ? クロカ姉ちゃん今日のご飯サラダだけなの?」

「あ、う、うん。ちょっと健康を気にしてみました……」

 力なく笑うあたし。もちろんドレッシングはノンオイル。海藻も入っています。

 ……全部ヒロさんが悪いんだ!



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