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第一話 通常営業日、だったはずの日

 三角形の窓に目をやると、既に日は傾いて世界がオレンジ色に染まっていくところだった。高い窓からは、少し離れたところにある駅から伸びる線路の先まで見渡せる。

 あたしはいつもの黒いTシャツに袖を通し、そして腰にサロンを巻いた。

 最後に鏡を見る。

 まあまあ整った――と、自分では思っている――顔のつくりに、肩にかからないくらいのショートヘア。ほっそりした体型と、微妙にコンプレックスを抱える低めの身長。

 あたしの名は、霧島クロカ。

 愛知のとある町、駅近くにある居酒屋にて住み込みで働いている十八歳。悩み多きこの年頃に、ひたむきに頑張っている、この店の看板娘。たくさんのお客さんが、あたしに会うため毎晩のようにこの店に足を運ぶ。

 それがあたしだ。自称だが。

 さて、これからこの店『ダイニングしらなみ』は営業時間に入る。個人経営の飲み屋ながら経営者のセンスが若いからか、外装も内装も一見おしゃれなカフェのような店構えでなかなかかっこいい。営業時間は午後5時から午前0時まで。各種焼酎やカクテルを店主の好みで取り揃え、料理も絶品。ぜひお越しください。

 ――そうじゃなくて。

 とにかくこれから開店なのだ。壁に掛けた時計を見ようとすると下から声が聞こえた。

「クロカ姉ちゃーん! ご飯だよーっ!」

 元気のいい女の子の声。彼女はあたしと同じくこの店に住み込んでいる少女、富乃ミズキちゃんだ。

「はーい、今行くーっ!」

 鏡の前を離れようとして、あたしはTシャツの左袖がほつれているのに気がついた。

「あれ?」

 気になるのでほつれた糸を引っ張ってみた。切れない。とれない。

「くっ……このっ」

 ぐい、と引くと、糸がきゅっとあたしの左腕を締め付ける。

「あう!?」

 びっくりしてしまった。糸は切れない。気になる。もう放っておこうかとも思ったが、やっぱり気になる。だがしかし、はさみというものはこの部屋にはない。

「くそおっ、こんなもの」

 引っ張る。引き絞られる。痛い。

「うー」

 そうやって一人で悪戦苦闘していると、下の階に続く階段からツインテールの少女が顔を出した。さっきの声の主、富乃ミズキ十四歳、中学二年生。まだまだ幼さを残した娘で、当然ながらあたしよりちっちゃい。当然ながら。あたしの部屋は店の三階、というか屋根裏部屋で、二階の倉庫から梯子のような階段で繋がっていた。

 ミズキはきょとんとした顔で、

「ご飯だよ……なにしてんの?」

 Tシャツと格闘するあたしを見て、首をかしげた。

 

「いただきますっ!」

 ぱちんと両手を合わせ、声高らかに宣言したあたしはでんと積まれた唐揚げに箸を伸ばす。食卓の上には唐揚げと野菜炒め、それにサラダ。左手にはライスが山盛りになった茶碗。これから過酷な労働に向かう者としては、しっかり食べておきたい。

 店のテーブル一つを占拠して、営業前にあたし達従業員一同は夕ご飯を揃って食べる。午後四時半、夕食の時間としてはいささか早いかもしれないが、あたし達の感覚としてはこれは夕食と言うか、昼食だ。

「はー、うまうま」

「太るよ? いいのかなー」

 ほくほくのご飯をかきこむあたしを見て、正面に座る女性が笑う。

 スタイルのいい、長身の美人さんだ。……とてもうらやましい。それでいていつも親しみやすいというか、人懐こい笑顔を浮かべている。

 彼女の名前は白波ヒカリさん。この店の主だ。二十六歳という若さで店ひとつを立派に経営している。……立派、に。

「大丈夫!」

 箸を掲げてあたしは答えた。おいしいものはちゃんと食べなければならない。法律でそう決まっているのだ。だいたい、とあたしは左側に座っている男性を箸で指す。

「あたしが太ったら、それはヒロさんのせいだから」

「なんで?」

 もくもくと箸を動かしていたヒロさんはあきれたように言った。白波ヒロヤ。二十四歳。ヒカリさんの実弟で厨房のチーフ。この姉弟は顔のつくりがとてもよく似ているが、性格も雰囲気も正反対だ。ヒカリさんはいつもニコニコでよくしゃべるが、ヒロさんはいつも無愛想で自分からはあんまりしゃべらない。

 ちなみにこのご飯も毎日ヒロさんが作っている。

「毎晩毎晩、うまいものばっかり作って! 出される方の身にもなってよ!」

 とても理不尽なあたしの言い分にも、ヒロさんは眉ひとつ動かさずに言う。

「わーった。じゃあ明日はゴーヤと青汁で一品仕上げてやる。やせるぞ」

「……ごめんなさい。いつもおいしいご飯をありがとうございます。はふ」

 ご飯を口に運んで、あたしは素直に謝った。おいしい。

「クロカねえちゃんはよく食べるね」

 おかしそうに言うミズキに、あたしは真剣な顔を向けた。

「いいこと教えてあげよう。ご飯ってね、腹いっぱい食べないと病気になるの。あたしのおじさんもビール腹気にしてご飯控えたら、たちまち病院直行だったよ」

「そうなの!」

 言うなりミズキはご飯をすごい勢いでかっ込んでいく。誰も止めない。

 ……ああ、無垢。

 

 午後5時、開店時間。玄関の看板に光が灯り、平日の営業が始まる。

 とはいえ、すぐにお客さんが入ることなんてそうそうない。うちの店はだいたい毎日まったりとマイペースにやっていた。

「ひまだ!」

 カウンターに腰掛けたヒカリさんが両足を投げ出してわめいた。フロアには四人がけのテーブルが四つと五人がけのバーカウンターが一つ。そのカウンターでヒカリさんがドリンクを作り、あたしが席まで運んでいく。

「そうですねー」

 あたしもその隣に座って両手を伸ばした。

 ヒマだ。まだ開いて間もないが、ヒマだ。平日はいつもだいたいこんな感じだが、それにしてもヒマだ。

「クロカー、なんかしよーよ」

「そーですねー」

 ヒカリさんに言われてあたしは考える。暇つぶし。暇つぶし。ひつまぶし……。

「オセロとか?」

「お、いいね」

 ぱっと明るくなったヒカリさんの表情はしかし、

「オセロ盤ってありましたっけ?」

「……ないなー。うあーっ……」

 あたしの一言で再び地に沈んでいった。

 

 暇にあかしてだらだらしゃべっていると、いつの間にか一時間も経過していた。今現在午後六時。秋の日は既に落ち、窓の外が深い藍色に包まれていく。

「そろそろ誰か来るかな?」

 ミズキが外に目をやって言う。彼女はご飯の後、二階の自室で宿題をやっていたのだ。

 まじめだなあ。

 ミズキはヒカリさんの親戚で、二人のいとこにあたる。ちょっと複雑な経緯でヒカリさんたち姉弟に預けられている。

 ちなみに彼女は店の手伝いもしていた。別に誰が強制したわけでもないが、気付けばこの店のマスコット、看板娘になりあがっていたらしい。

 まじめだなあ。

「んー。来たら来たでめんどくさいなあ」

 あくびまじりで、経営者にあるまじき言動を取るヒカリさん。そんな彼女を、ミズキはきっ、とにらみつけた。

「ヒカリねえちゃん! そんなんじゃダメだって何回言えば分かるの!」

「だってー」

 ヒカリさんは駄々っ子のように口を尖らせて、どこまでも気だるい雰囲気を発散する。ミズキがさらに激昂した。

「ダメ! おねえちゃん店長なんだからもっとしっかりしてよ!」

 しっかりした娘だ。まったく、中学生とは思えない。

 とはいえ両手を振り回してぷんすか怒鳴るミズキは、全体的にちっちゃいせいかハムスターが一生懸命ひまわりの種をかじるような様子を彷彿とさせるのだ。

 かわいい。すごいかわいい。

「じゃあミズキが中学卒業したら店長の座を譲るよ。大丈夫、君なら出来る!」

「おねーちゃん!」

 声を荒げるマスコットは、今度はあたしのほうに顔を向けてきた。怒っている。怒っているのに、やっぱりかわいい。

「クロカねえちゃんはあんな大人になったらダメだかんね!」

 びし! とヒカリさんに指を突きつけて言う。あたしはミズキの顔をじっ、と覗き込んで、おもむろに手をミズキの頭に伸ばした。

「かわいいなあ……」

「ちょ、クロカねえちゃんっ?」

 なでる。なでる。

 嫌がってあたしの手を振り払うミズキに、追い討ちで両手を回す。抱きすくめて、

「よーし、よぉーし。いい子いい子」

「やめてってば!」

 わしゃわしゃとミズキを撫で回すあたしを見て、ヒカリさんがけらけら笑っていた。

「おい」

 そんな幸せ一杯空間に、ヒロさんのぶっきらぼうな声が響く。

 ……なんだよ。人がせっかくいい気分になっているというのに。

「なんですか?」

 一同は厨房から顔を出したヒロさんに視線を向けて、

「お客さん来てるぞ」

 ばっ、と一斉に店の入り口を見た。

 

「いらっしゃいま――なんだ、あんたか」

 ヒカリさんは一瞬で作り上げた営業スマイルをニュートラルに戻してため息をついた。

「なんだはないでしょ」

 言いながら店のドアをくぐって来たのは一人の女性だった。綺麗な長い黒髪にしっとりした微笑みをたたえた、優しい大人のお姉さん、という感じの。

 蔵野千鶴さん。ヒカリさんの幼馴染で、駅前商店街にある喫茶店の一人娘および経営者。この店の常連の一人だ。

「せっかく来てやったっていうのに、それじゃお客さん来なくなるわよ?」

「でしょ! 言ってやって、千鶴さん!」

 ミズキがカウンターに腰掛けた千鶴さんに迫る。彼女はその剣幕に困惑してあたしとヒカリさんを見た。

「な、どうしたの?」

「あれよ。反抗期ってやつ」

「違うよ! ……もういい」

 はあ、とため息をつくマスコット。そのまま近くのテーブルに突っ伏してしまった。

 なんというか、反抗期を通り越しているような気もする。

「……かわいいなあ、ミズキちゃん」

 千鶴さんまでうっとりとして、そんなことを言いだした。

「それにしても、ヒマそうね」

 千鶴さんはそう言ってがらんとした店内を見回した。木造の、古い日本家屋のようなつくりをした内装に、あちこち張られたお勧めメニューの半紙。

「あんたいつも来るの平日じゃん。週末来てみ? すごい混んでるんだから」

「こないだ土曜行ったら、『忙しいときに来るな!』って怒ってたじゃない……」

「あれ、そだっけ? 何飲む?」

 彼女は少し考えて、

「じゃ、今日はシャンディちょうだい」

「あいよ」

 シャンディ・ガフはビールにジンジャーエールを加えたカクテルだ。ヒカリさんはカクテルグラスを一つ取り、手早くカクテルを仕上げて千鶴さんの前に置いた。

「お待たせ! ささ、乾杯乾杯」

 言いながらヒカリさんがキンキン冷え冷えのジョッキに生ビールを注ぎ入れ、千鶴さんの前に持っていく。自分の分だ。

「……あんたねー、店長でしょ」

「はいはーい、かんぱーい!」

 むりやりグラスをカチンと合わせ、ぐいぐいとビールをあおる。その飲みっぷりたるや酒豪そのものだ。問題は彼女が店の従業員というか、責任者だということなのだが。

「まったく……」

 千鶴さんはため息をついてシャンディを一口。

「あー、うまいなあ。ねー、ヒロヤーっ!」

 ヒカリさんは厨房に向かって声を張り上げた。すこししてヒロさんが顔を出す。

「あんだよ」

「なんか作ってよー。つまみで」

「……んなことだろうと思った」

 そう言ってヒロさんがカウンターにコトリと置いたのは枝豆の載った皿ふたつ。

「あとでレジに金入れとけよ」

「ありがと! 気が利くなあ、あたしの弟!」

「つか、仕事しろ」

 もっともなことを言うヒロさんに、ヒカリさんは堂々と答えた。

「あたし店長だから!」

「……」

 会話になっていないような気がする。

「あ、ヒロヤ君。あと揚げ出しもらえるかな」

「ん」

 千鶴さんにオーダーをもらって引っ込んでいくヒロさんが、あたしにひょいひょいと手招きした。

「ちょっと来い、クロカ」

「なんですか?」

 ひょこひょことついていくと、ヒロさんは財布を取り出してあたしに千円札を手渡した。

「これは……ひょっとして!」

 援交か! 

「だ、だめですよ! いくらヒロさんだからって、いくら恩人だからって!」

 ぶんぶんと両手を振り回して、あたしは後ずさる。だめだ! さすがにそれはだめ!

「何言ってんだ?」

 一歩、あたしに近づいてくるヒロさん。ああ、そりゃあ、ヒロさんは確かにどちらかと言えばとイケメンのにいちゃんではあるけども。お金欲しいのも確かなんだけども。

 けど、千円っていうのはどうだろう。あたしはそんなに安いのか。

「ちょっと買い物頼まれてくれ。キッチンペーパーと俺のタバコ。キッチンペーペーはでっかいやつな。ロールの。タバコはキャスター。赤いの」

「えーと……はい。了解です」

 ……まぎらわしいなあ、もう。

 あたしはお金を受け取ると、ヒロさんの背中をばしんとはたいた。怪訝そうな目に見送られて、サロンを外しながらホールに戻る。

「ヒカリさーん。ちょっと買い物行ってきますね」

「あいよー。気ぃつけてね」

 枝豆をふりふりしながら、頬を赤らめたヒカリさんが答える。その向かいで千鶴さんが苦笑していた。Tシャツの上にパーカーを羽織って入り口に向かうと、復活したミズキがちょこちょこと横についてきた。

「あたしも行く!」

「いいの?」

「いいの!」

 まあ、お店のほうはこの調子なら、ヒカリさんがいれば回るか。

「よし、好きなもの買ってやるぞっ!」

「わ、やった!」

 人のお金であることを忘れて、あたしはどんと胸を叩いた。……いい音がした。

 

 すっかり日は沈んで、あたりは電気の白い明かりがぽつぽつ灯っていた。

『ダイニングしらなみ』はこの街の中心、つまり駅前から少し離れたところに立っている。要するに駅が割と近くで、なかなかの好立地といえた。

 あたし達二人が向かっているのはその駅から少し行ったところにあるスーパーだ。結構夜遅くまでやっているので重宝している。

 街灯の下、二人肩を並べててくてくと歩く。公園の広場の横に差し掛かった。

 ぼんやりと、そこにあるベンチを眺めていると、

「クロカねえちゃん?」

「ん?」

「どうしたの? なんかぼーっとしちゃって」

「あ、ううん。なんでもない」

 緩んでいた歩調を元に戻す。

「なんか、涼しくなったよね」

 ミズキにそう言われてあたしは頷いた。もう十月になる。あと一ヶ月もすればもう冬だ。

 ――今年も、雪が降るのだろうか。

「冬になったら、また新しいメニュー考えるんだよね」

 ミズキはなんだか、やけに楽しそうだ。やっぱり、お店が好きなんだろう。

 あたしはあごに手を当てて、冬と言えば、というメニューに思いを馳せた。

「そうだねえ……鍋なんかいいな」

「あ、いいね。お鍋。豆腐に白菜にもやしにニラ。ほっくほくの」

 なんだかヘルシーな提案だ。

「あの、お肉は?」

「お肉より豆腐だよ! 豆腐! 湯豆腐って言えば美味しそうじゃない?」

「そうかな……?」

「そうだよ。豆腐なら安いし、肉より日持ちするし。儲かるよー」

 利率のことまで考えてる。まだ中学生なのに。

「安い材料でバリエーションもあるし。ああ、いいな。お鍋」

 ミズキの目がぎらぎら輝いていた。ぎらぎら。

 

 スーパーはキッチンペーパーだけ買って出た。他になにか買ってやろうかと思っていたのに、キッチンペーパーは意外と高かったのだ。おつりであとタバコを買えばもうあんまり手元に残らない。

「ヒロさんのけち……」

「まあまあ、経費なんだから。タバコは違うけど」

 携帯をいじりながらミズキが言う。帰り道を歩き出すと、しばらくしてその携帯から着信音が鳴った。なんだか渋い顔で、ミズキが画面をにらんでいる。

「どしたの?」

「な、なんでもない」

 ぱたんと携帯を閉じて笑うミズキ。

 りんりん、と虫が鳴いていた。鈴虫は見た目がなんとなく苦手だが声はいいと思う。

「鳴いてるね、クロカ姉ちゃん」

「うん。秋真っ盛りって感じ」

 涼やかで、綺麗で、とても静かだった。


 しばらく歩いて、あたし達は店に戻った。

 ドアを開けると、聞こえてきたのはさっきまではなかった喧騒。

「ただいま!」

「あ、おかえりー」

 テーブルに座ったお客さんにドリンクを出していたヒカリさんが手を振る。

 すこしの間に、それぞれ三人ずつ、二組のお客さんが入っていた。さすがにヒカリさんも飲むのを中断して仕事に戻っている。あたしも急いで仕事しないと。

 あたしとミズキはサロンを腰に巻いてホールに入る。さっそく一組のお客さんから声がかかった。

 そのお客さんも見知った顔だった。近くに住んでいる桜井さんとその会社の同僚。小さい店だから、常連さんの顔はすぐに覚えられた。

 桜井さんがお勧めメニューの紙を手にあたしに尋ねてくる。

「この、秋刀魚の南蛮漬けってどんなの?」

「あ、それはですね。秋刀魚の揚げたのをもろみ酢で作ったタレに漬けた料理です。さっぱりしてておいしいですよ」

「へえ。じゃ、それひとつ」

「はい、どうも! これね、あたしが提案したやつなんですよ」

「そうなの? じゃ、他のにしようかな……」

「なんでですかっ!」

「うそうそ。あ、だし巻きと角煮もちょうだい」

「……はーい」

 渋い顔でキッチンに入り、ヒロさんにオーダーを通す。ホールに戻ると、カウンターからヒカリさんに呼ばれた。

「クロカ、これ一番さんにお願い」

「あ、はい」

 中ジョッキとお通しが三つずつ載ったトレイを受け取って行こうとすると、

「あとさ、悪いんだけど倉庫から――あ、やっぱいいや」

「なんですか?」

「いいからいいから、さっさと持っていく!」

「はあ」

 なんとなく釈然としないまま、あたしはドリンクを運ぶのだった。


「ふう」

 料理も一通り出て皆まったりしてきたころ、あたしは休憩をもらって部屋に戻っていた。

 それにしても。今日はなんだか、みんな様子がおかしいような気がする。ミズキしかり、さっきのヒカリさんしかり。なにか自分に隠しているような。

 なんだろうか。

 あたしはサロンを外してベッドに腰掛けた。安いパイプベッドがぎしりと音を立てる。

 下でもらってきたウーロン茶を一口。なんとなく携帯を開こうとすると、こんこん、とノックの音が聞こえた。

「ん?」

 あたしの部屋はいわゆる屋根裏部屋で、下の倉庫から梯子のような粗末な階段で繋がっている。要するにドアの類はないのだが、いったいどこを叩いているのだろう。

「はーい?」

 一応返事を返すと、ヒカリさんの声がした。

「クロカー、ちょっと下来てもらえるかな」

「は、はーい。ただいまーっ」

 休憩に入ったばっかりだが、ひょっとしたらお客さんがたくさん入ったのかもしれない。

 手早くサロンを巻いて階段を下る。ヒカリさんの姿はない。さっさと行ってしまったらしい。あたしは足早に倉庫を抜けて、一階の店に続く階段を下った。

「……あれ?」

 お客さんが入ったにしては、妙に静かだ。

 首を捻りながらも、廊下からのれんをかき分けて店に出ようとしたそのとき、

「わ!?」

 突然、視界が真っ暗になった。

 停電だろうか。

「ヒ、ヒカリさん?」

 返事がない。それどころか、人の声ひとつない。どうしてしまったのだろう。

「ちょ、ちょっと? なんなんですか?」

 確かに人の気配はするのだが、やはり何も言わない。

「え……?」

 バーカウンターのあたりに、ぽっ、とオレンジ色の光が灯った。小さな明かり。

「あ……」 

 かすかな明かりに照らされた店内。すぐ近くに、ミズキの笑顔が見えた。

「お誕生日、おめでとーっ!」

 ミズキの元気な声が響いて、


 ぱーん! ぱぱーんっ!


 クラッカーの大きな音が鳴り響く。盛大な拍手の音も。同時に電気がついて、暗かった店内が姿を現す。

 いつものバーカウンターに置かれた、ろうそくの刺さった大きな大きなケーキ。

「ハッピーバースデー! クロカ!」

 みんな笑って、あたしのほうを見ていた。クラッカーを手にしたヒカリさんも、ヒロさんも、ミズキも、千鶴さんも、桜井さんも、その他のお客さんも。

「クロカねえちゃん、誕生日おめでとう! はいこれ、プレゼント!」

「あ……」

 ミズキが駆け寄ってきて、あたしにラッピングされた小さな箱をくれた。

 そうだ。

 九月二十七日。あたしの、十九歳の誕生日。

「どうしたの? ぼーっとしちゃって」

「あ、うん。……ありがと! 開けていい?」

「うん」

 かさこそ、と開いてみると、ガラスのイルカをあしらった置時計が入っていた。青と白、透き通った光がきらきら輝いている。見覚えがあった。

「これって」

「そ、前に買い物行ったとき、クロカ姉ちゃんがじーって見てたやつだよ」

「わ……嬉しい!」

「ホントは今日、買い物から帰ったらすぐにお祝いしようって決めてたんだけど。野暮な桜井さんのせいでこんなに遅くなっちゃって」

 ミズキに水を向けられて、苦笑しながら桜井さんがあたしに両手を合わせた。

 ちょっと、いや、ものすごく感動だ。思わずあたしはミズキをぎゅっとしてしまった。

「ちょ、おねえちゃん」

 そうこうしていると、ヒロさんがケーキを切って持ってきてくれた。

「太らねーように、低脂肪の生クリーム使ったから。手作りだぞ」

「う、ありがとうです」

 苺ののっかったケーキを一口。甘さ控えめで、とてもさっぱりしていて美味しい。

「幸せ……」

 営業中なのに、いいのかな。こんなこと。お客さんだっているのに。

 ……まあ、いいか。

「ん?」 

 ふと気になって、あたしはヒロさんに尋ねた。

「でもなんで、あたしの誕生日知ってたんですか? あたし、一度も言ってないのに」

 記憶にある限りでは教えた覚えはなかった。

「あー、それはね」

 答えてくれたのはヒロさんではなく、ヒカリさんだった。

「これよ、これ」

 ひらりと差し出されたのは一枚の手紙。

「あ……!」

 差出人の名前を読んで、あたしは思わず声を上げてしまった。

「あんたがコソコソ出してた手紙の住所から電話番号調べてさ、教えてもらったわけ」

 そこにあるのは、見間違えるはずもない名前。

 あたしの、親父の名前だった。

「あ、あの。ヒカリさん」

 彼女の顔を見上げると、ヒカリさんはふるふると首を振ってにかっと笑った。

「今日はそういうこと言う日じゃないでしょ?」

 中ジョッキを高々と掲げるヒカリさんに、あたしもくすりと笑った。

「さー、今日は飲もうじゃないですかね! クロカ、あんたも飲むよ!」

「だめ! クロカねえちゃんはまだ十九!」

 すかさずミズキはヒカリさんを叱ったのだった。


 ケーキをたらふく食べて、いっぱい飲んで、いっぱい笑って。

 今日は今までで最高な一日になったと思う。お客さんも一緒になって騒いで、でもミズキは当然きっちりお勘定を頂いていたが。

 営業が終わって店を閉め、あたし達はそれぞれ自分の部屋に戻っていた。

 あたしの手元には、ヒカリさんから受け取った親父の手紙がある。手紙なんて、今時なんとも古風なおっさんだ。いや、考えてみればあたしから先に手紙を書いたのだけれど。

「親父……」

 うすらハゲのおっさんの顔を思い出す。

 最後の最後まで、あたしに向かって怒鳴り声を上げていた親父。大学へは行かないと啖呵を切ったあたしをぶん殴った親父。

 仕事をするのはお前のためだと、すねて泣くあたしに背を向けて出て行った親父。

 ヒカリさんに電話をもらったとき、親父はどんな顔をしていただろうか。いや、その前にあたしからの手紙をどんな気持ちで読んだのだろう。

 後ろめたい気持ちは今でもまだ持っている。

 親父は、どうだったのだろう。

 あたしは封を切って、手紙を開いた。


 翌日の営業は、随分と忙しいものになった。貸切で宴会の予約が入ったのだ。お客さんはこの町の商工会のメンバーで、ご近所さん。顔見知りも多い。

 店にはすでに十五名ものお客さんが全員揃い、わいわいと騒がしい。

 あたしは厨房の隅で前菜をお盆に載せていた。貸切となると料理の量も半端ではないので、なかなか大変な作業だ。

「クロカ、お通し出したか?」

「あ! 忘れてました」

「バカ、早くしろ」

 ヒロさんに急かされてあたしは作業を一時中断した。せかせかと小皿に小エビの和え物を盛り付けていく。

「ったくよー、もっと前もって準備しとけばよかったのにね、ヒロさん」

「お前が言うなよ」

「ですね」

 既にドリンクは運ばれている。向こうでカンパーイ! と大きな声が聞こえた。

「ほら、急げ」

「へーい」

 厨房の暖簾をくぐってホールに出る。

 たくさんの笑顔がそこにあった。あたしがずっと、見たかったもの。

 そしてあたしは今日も、声を張り上げるのだ。

「はーい、お通しお待たせでーすっ!」




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