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俺の新しい人生が始まる?

作者: 青木 航

 明るさを感じて目覚めた。

 自分の部屋ではない。白いロックウールの天井材。白い壁。アイボリーの硬質のカーテン。病院だ。蛍光灯の明かりが少しまぶしい。


 なぜ病院なんかに居るのだろうと思った。

 そうだ、今日は10月16日。水曜日。会社は定休日なのだが、これと言ってやることも無い。

 家族も居ない一人住まい。のんびりと過ごそうと決めていたのだ。

 どうせテレビもくだらない番組しかやっていないだろうと思って、TUKAYAに行って5本1000円で映画のDVDも借りて来ていた。それに飽きたら図書館にでも行ってみようと思った。安上がりな休日だ。


 朝は遅く起きた。10時過ぎだったろうか。洗顔・歯磨きを済ませて遅い朝食を取った。その辺までは記憶がある。コンビニに買い物に出た。確かにそうだ。


 ところが、その辺から記憶が無い。その後何かが起こったのだ。事故か? 何かの発作か? 事故に遭った記憶は無い。脳か心臓に何かの異常が起こり、瞬時に意識を失ってしまったのだろうか? 痛みを覚えたとか、苦しくなったという記憶すら無いのだ。


 体は至って丈夫なつもりだった。会社の定期健診でも特に異常が出たことは無い。年もまだぎりぎり20代。そんな俺に一体何が起こったのだろうか。


 体を起こしてみる。どこにも痛みは無いし、むしろ異様に軽快なのだ。頭に触れても包帯などは巻かれていない。傷は無いかと部屋着をめくって自分の腹を見た時の驚きと言ったら無かった。


「なんじゃ、こりゃ!」


 テレビの特番か何かで見た、昔のドラマ『太陽に吠えろ』のGパン刑事の有名な台詞をそのまま真似て言っていた。

 何と、腹筋が6段に割れているのだ。胸筋も触ってみると凄い。手を眺めてみるが、何か、自分の手とは思えない。自慢では無いが、ここ十何年、運動らしい運動はやっていない。これは夢だ。そうだ、夢に違いないと思った。


 夢なら、どんなに有り得ないことでも起こる。 

 会社の同僚の集まりの中に、十何年も会っていない幼馴染が混じっていたり、自分の部屋がいつの間にか昔同棲していた女の部屋になっていたりと、何でも有りだ。

 この快感にしばらく浸っていたい気もしたが、起きなければならないと思った。そう思って起きたら、それもまた夢の中だったということもあったなと思う。


 カシャっとドアノブを回す音がして、医者とひとりの女性看護師が入って来た。個室と気付いて、費用のことが気になった。そしてすぐ、夢で費用のことを気にする奴があるかと思い直し、可笑しくなった。


 だが、本当に夢なのかと思う。理屈から考えればそれ以外に有り得ないのだが、妙に連続性と整合性が有る。

 目が覚めるか、突然場面転換があっても良い頃なのだが、医者と看護師は自然な速度で近付いて来る。


「木村さん。目が覚めましたか」


 四十年配の、これと言って目を引くような特徴を持たない、中肉中背の医師だ。

 その顔が突然課長の顔に変わったりしないかなと思って凝視するが、変わらない。


「僕、どうしたんですか? 」


 取り敢えず聞いてみる。


「手短に説明するのは難しいが、何も心配するようなことは無いと言っておきましょう」 


 これって夢なんですか? と聞きたくなった。


「夢ではありません」


 俺は声を発していないのに、医師がそう答えたのだ。

 矢張り夢だ。そう思った。しかし、それなら何故、何もかも安定して継続的で変化が無いのか。それが分からなくなった。 


「そのカーテンの陰に姿見があります。ベッドから降りてその前に立ってみてください。…… 少し刺激が強いかもしれないけれど」


 何か、少し恐ろしいような気がした。


「先生、その前にひとつ伺いたいのですが、今日は何月何日です?」 


 その答、或いは医師の答え方が、夢か現実かを判断するための手掛かりになってくれればという想いで尋ねてみた。


「2019年の10月の26日です」


「えっ? 10日も経っているんですか? 僕の記憶は10月の16日までしか無いんです。…… やはり、これは現実なんですか? 僕は10日も意識が無かったんですか? だとすると僕は、精神に何らかの異常を起こしているのかも知れません。おかしいんです、自分が …… 自分が自分で無いような気がするんです」


 こちらが必死になって尋ねているのに、如何にも医者らしく、医師は余裕たっぷりの笑みを浮かべている。


「例えば、カフカの変身に出て来るセールスマンのように、ということですか? 」 

と医師が問い返して来た。


「いえ、毒虫なんかじゃなくて、反対です。なんか恰好良くなってしまったように思えて…… だから、最初夢かと思ったんです。

 スポーツジムのコマーシャル、えーと、ライアップでしたっけ。ありますよね。

 あれって結構インパクト強いから、それが意識に作用して、無意識の中にあった自分の願望が実現したような夢を見ているのではないかと思ったんです。

 でも、こうして先生と話していると、夢の中とも思えなくなって来た。とすれば、僕の精神に、何らかの異常が起こっているとしか思えない訳です。それとも、何か、薬の反作用とか…… 」


「ははは。私は精神科の医者ではないが、精神に異常をきたした人は、自分が異常だとは思わないものです。逆説的に言えば、自分が異常なのではないかと思っている木村さんは正常ということです」


「じゃ、先生、これはどう見えますか?」


 部屋着の前を広げ、俺は医師に腹を見せた。


「なかなか見事な腹筋ですね」


「えっ? 先生にもそう見えるんですか?」


「貴方にそう見えるなら、私にもそう見えて当然です」


「でも僕は、トレーニングジムになんか行ったことは無いし、十何年も運動らしい運動もやっていないんですよ。

 有り得ないじゃないですか。普通なら、10日もベッドに寝ていれば、むしろ筋肉は落ちるはずですよね」


「だから、姿見を見て下さいと言ったのです。もっと驚きますよ」


「ああ、やっぱりこれは夢だ。夢なんだ。いまだかつて、こんな継続的で一部を除いて整合性の取れた夢を見たことは無いけど、こういう夢も有るということなんだ。俺が経験していなかっただけ。夢であれば、自分が経験したことが無いような形の夢は存在しないと言い切ることはできない。

 10日もベッドに寝ていて、だらしない体が細マッチョになるなんて絶対に有り得ない。だとすれば、消去法で、これは夢ということになる」

 まるで舞台俳優の台詞ように、俺は声に出してそう言っていた。


 なぜ、独り言をわざわざ声に出して言っているんだ、俺は。この、存在しないはずの医師に聞かせたいのか。多分これは寝言になっているだろうが、一人暮らしの俺を起こしてくれる人はいない。そんな風に思いながら喋っていた。


「腹巻を巻いて歩くだけで腹筋が鍛えられるというテレビコマーシャルも有るじゃないですか」

と医師が言った。


「実は私は、ベッドの上に敷いて寝れば、わずか10日間で素晴らしい筋肉質の体になれるというマットを発明しましてね。

 貴方は第一号の体験者という訳です。以前の写真も撮ってあるので、これから写真を撮ってビフォア・アフターとしてカタログに載せ、テレビCMにも使うことにしましょう。

 きっと爆発的に売れて、貴方にも報酬が入ります。

 もしそう言ったら納得しますか?」


「する訳無いでしょう。僕はそんな契約を結んだ覚えは無いし、万が一これが現実というのなら、10日間も意識が無かったということは、とんでもないことですよ。

 良く分からないが多分、拉致・監禁、医師法違反、薬事法違反の人体実験です。これが夢で無いなら、僕は貴方を訴えなければなりません」


 もう、こんな面倒臭い夢、いい加減覚めてくれと思った。


「冗談ですよ。悪ふざけが過ぎたようですね。ま、何度も言いますが、一度姿見を見て下さい。説明はそれからです」


 それで納得の行く説明が出来るというなら、そうしてみるかと思った。

 90度体を回し、白いカバーの掛かった毛布の中から足を出し、下に降ろす。

 何だ、この長さは? 明らかに本来の自分の足より長い。もう驚きはしなかったが、気持ちが悪いし、現状が益々理解出来なくなった。床に足が付くまでの感覚も勿論違う。

 立つと視界の感覚さえ何か違うのだ。そう言えば、視線の高さを変えて、子供の視線とか犬や猫の視線で見るというような企画番組があったなと思う。

 何を検証しようとしたものだったかは覚えていない。


 ベッドの横のカーテンを少し押すと陰に姿見が有る。2メートほどの高さで幅は60センチほど。木目枠の何の変哲も無い姿見だ。


「誰だ? これは」


 前に立ってまた驚かざるを得なかった。着ている部屋着は同じだが、俺でないことは明らか。サニーズ事務所の、俺の知らない誰かだとしか思えない。だが、動きは俺とシンクロしている。


「先生。これはどういう装置なんですか? 一見普通の姿見のようだけど、例えば、僕の動きを捉えるセンサーとCGを映し出す装置が後ろに入っているとか、そういうものですか? 」


「いや、ただの鏡です」


「うお~凄げえ! これが俺かよ。先生。何だか分からないけど、全身整形でもしてくれたんですか? アリガトウ。これで、俺の人生変わるかも」

と大袈裟に喜んで見せてから、すっと素に戻って、

「とでも言わせたいんですか?」

と言った。


「整形で背を伸ばすことなんて出来ないでしょう」


 医師は言わば当たり前のことを当たり前に言う。俺は苛ついた。


「ですよね。もうギブアップですよ。俺の頭が狂ってしまったのか、夢なのか、それとも、それ以外の何なのか。はっきり説明してもらえませんか? 尤も、先生自体が幻覚なら、この質問は思いっきり間が抜けてるってことになりますけどね」


 医師は少し笑った。


「説明しよう。極簡単に言えば、我々は、君たちの言ういわゆる地球外生命体、或いは宇宙人。エイリアンという言い方もあったな、確か。

 しかし、それらはいずれも、ごく最近の呼び方だ。

 長い間、畏怖と尊敬の念を込めて、我々は神と呼ばれて来た。その一方で、鬼や悪魔と呼ばれたのも、我々に他ならない。

 たまたま我々の行いの一端に触れた者が、別々に作り上げたイメージだ。人間の持つ価値観によって区別されただけのこと。

 さて、現状についてだが、今君が見ているもののほとんどは、君たちの技術であるCGというものの究極に進化したものと思ってもらっていい。この部屋も私の姿もね。

 君たちのCGとは違い3次元+アルファではあるけれど。

 ただ、鏡に映っている君の姿は、間違い無く本物。それが、今の君の真実の姿だ。

 我々は君を拉致し改造した。

 特別なことではない。古代から繰り返し行われているミッションの一例に過ぎない。  

 君の外見はもとより、脳内の有害な蓄積物質をクリーニングしたり、脳内血管や脳細胞の微細な損傷を修復したりして、シナプスの通りを良くした。君にも理解し易く言えば、コンピュータのチューンアップを徹底してやったようなものだ。

 筋肉の質も改善し、特殊な負荷を掛けて増殖させる一方、余分な脂肪は燃焼させ取り除いた。その他、内臓全般もメンテナンスした。顔は流行りに合わせて変えた。

 切ったり何かを入れたりということではなく、不要な骨の一部の細胞を特殊な方法で破壊する一方、必要な部分は増殖させた。背を伸ばしたのは、骨、神経細胞、筋肉細胞などを連携させて同時に増殖させる方法を用いた。結構難しい技術ではあったが、成功した。そこまでやったのは、君が最初の症例だ。

 何故こんなことをしたかというと、外見、及び能力を改善することで、検体つまり君のことだ。検体の人生がどれほど変わるのかという観察を行うためだ。

 且つ、オス、いや男と言うんだったな。男に於いても、外見がどれほど人生に影響を与えるのかということも、観察のひとつのポイントだ。

 メスの観察結果は既に随分と集積されている。今はオスが対象だ。

 戸籍もマイナンバーも用意した。今まで君と関わりを持ったとすべき数千人の人間に、新しい君の記憶を刷り込むことも終わっている。

 さあ、まったく別の人間として、君の新しい人生のスタートだ」


 医師は、そう言って両の掌を上に向けて上げた。


「へへ、笑えるよ。つまり俺は宇宙人のモルモットになったって訳? 」


 途中で口を挟みたくなるのを堪えて、辛抱して聞いていた俺は、叫びたくなる衝動を抑えてそう言った。


「大分怒っているようだな。怒るということはこの話を信じたということだ。君が今後の人生をどう生きるか、興味深い。成功するか失敗するか、そんなことはどちらでも良い。条件が良ければ成功するというものでもないしな。

 いずれにしろ、その過程を観察することが、我々に取っては大事なのだ。

 最近、イケメンプームと言うのが起こったろう。我々がオスに対する実験にシフトした結果だ。

 イケメン俳優のうちの何人かは我々の検体だ。問題を起こして、華やかな舞台から消えてしまった者も居る。

 言って置くが、自傷行為だけはするなよ。余分な手間は掛けたくないからな。

 今までの記憶は消去される。我々が用意した記憶を、今後君は、本当の記憶だと思って生きることになる。君の家族や友人とされる者逹も、君に付いての作られた記憶を共有することになる。

 一方で、今持っている複雑な疑念や怒りは、もうじき消えて無くなるから安心したまえ」


『有り得ない』

 そう思った。

 試しに医師を殴ってみたが、拳が空しく空を切るだけだった。

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