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二人は、駅付近のチェーンの喫茶店に入ることにした。
鈍行しか止まらない小さな駅なので、お茶をするには適した時間帯にも関わらず、店内はあまり混雑してはいなかった。幸いにも窓際の角の席に案内され、少しはリラックスしながら話せるかもしれないと、秀和は安堵した。
「良い結婚式だったね。二人で一生懸命考えて作り上げたんだろうなって、伝わってきたよ。二人とも本当に幸せそうだった」
「そうだな。良い式だった」
「いきなり誘ってごめんね。びっくりしたでしょう?」
湯川真子は、コーヒーにミルクと砂糖を混ぜながら、小さく苦笑いした。
「そんなことない。会場では、あんまり話せなかったし……」
秀和は、せめてこの場では、できる限り素直な気持ちを口に出すことに努めた。
「湯川、変わったな」
「え?」
「いや、悪い意味じゃない。明るくなったよ。前は誰かに話しかけたり、まして自分から人を誘ったりするようなタイプじゃなかった」
「そう……だね。今でも人見知りなのは変わらないよ。でも、以前よりは、対人関係のハードルは少し下がったような気がする」
秀和は、本当は何より、「綺麗になった」とまずは言いたかった。しかし、さすがにそこまでの度胸はない。
「信じてもらえるかわからないけど、私はもともと結構喋る方なんだよ」
彼女らしくない、冗談めいた言い方に、秀和は少し和んだ。
「うん、知ってる」
そうだ。本当は、ずいぶん前から気付いていた。湯川真子は大人しいのではなく、自分に自信が持てなくて、大人しくならざるを得なかっただけなのだ。彼女のもともとの気質が、決して陰気なものではないということは、彼女を見ていれば自ずと気付くことだった。だからこそ、秀和はずっと彼女が気になっていた。
「私、秋山君には、ずっとお礼が言いたかったんだ。でも、卒業するまで結局言えずじまいで。文化祭のとき、私を『イグアナの娘』の主人公に推薦してくれて、ありがとう。あのきっかけがあったから、少しだけ自信が持てるようになったの」
正直、こんな風に言われると思っていなかったので、心の準備ができずに面食らった。てっきり、今まで迷惑がられていると思っていた。
「いや、こっちこそ、主役がなかなか決まらなかったからって、湯川を槍玉に挙げたみたいになってしまって……」
「そんなことない。そりゃ、推薦されたときはびっくりしたよ。何で私? ってすごく焦ったし、クラスの皆も戸惑ってたし……」
秀和は、今思い返しても、湯川真子に申し訳ない気持ちになった。
考えなしに彼女を推薦したわけではなかったのだが。
文化祭の出し物が演劇に決まったときに、脚本にはクラス内でも文才家で通っている秀和が推薦された。そのときに、自分の好きな作品だった『イグアナの娘』を演目に提案した。
九十年代の作品ということもあり、クラスの大半は知らなかったが、たまたまその場の進行役の委員長が知っていて、ストーリーを一通り説明し、彼自身も大絶賛した。
大まかな話の流れを聞くと、クラスメイトも少しずつ納得し始め、演目は正式に『イグアナの娘』に決まったのだが、どうせ脚本を書くなら、自分の意見も少しは取り入れたいと、秀和は大胆にも、湯川真子を主人公の少女に推薦した。
主人公の青島リカは、普通の人間の女の子の容姿をしているが、自分自身の目にはイグアナの姿にしか映らず、コンプレックスを抱えている、内気で大人しい性格の少女だ。いわゆる醜形恐怖症を題材とした作品だが、周囲の人間に怯えながらも、ひたむきに一生懸命に生きていこうとする青島リカを、ぜひ湯川真子に演じてもらいたいと、秀和は思った。
キャスト会議で主役がなかなか決まらなかったせいもあるが、もともと秀和の中では、湯川真子以外には考えられないくらいイメージにぴったりだった。
しかし、まさか自分の名前が挙がるとは夢にも思っておらず、たいそう戸惑った湯川真子を、結果、その場で泣かせてしまうことになった。自分ではそれなりに考えて出した意見だっただけに、秀和自身もひどく狼狽した。湯川真子の気持ちを無視した形になってしまったことも、それに気付くのが遅い自分にも、嫌気がさした。
そんなときに、助け舟を出してくれたのが斉藤だった。
「俺が相手役の男やるよ! 台詞覚えるのはきついかもしれないけど、練習すれば大丈夫だって。一緒にやろうぜ、湯川」
あのときのことは、よく覚えている。
湯川真子は驚いていたが、斉藤に強引に押し切られて、あれよあれよと、結局彼女は主役に祭り上げられることになった。最初にそう仕向けたのは秀和自身だったが、斉藤があのように出ていなければ、おそらく湯川真子は、主役などやっていなかっただろう。
それからも、斉藤は何かと彼女を気にかけ、彼女とよく話すようになった。もちろん、劇の練習がメインだったが、それ以外でも接する機会は確実に増えていた。
初めはおどおどしていた湯川真子も、気さくな斉藤に、徐々に心を開いていった。
秀和も脚本担当として、二人と接する機会は増えたため、一番二人のことを間近で見ていたのも秀和だった。
だからこそ気付いた。湯川真子が変わるきっかけになったのは、紛れもなく斉藤だということに。
近くでそれを見ていて、妙に悔しい気持ちはずっと感じていた。彼女を自分はずっと見ていたくせに、そしてその上であえて何もしなかったくせに、斉藤の影響でだんだんと変わっていく彼女を見て、その役目が自分ではなかったことに、秀和は実に勝手な嫉妬をした。それが真実だったはずだ。
しかし、湯川真子は、秀和が自分が変わるきっかけになったと言う。それに全く納得がいかなかった。
彼女は、斉藤への想いを忘れるために、あくまできっかけは秀和だったと、思い込もうとしているのかもしれない。
湯川真子が行き場のない想いを斉藤に抱いているように、秀和もまた、湯川真子に対して特別な感情を抱いていた。
だからこそ、その苦しかった思いが、ふいに口を突いて出た。
「湯川を変えたのは、俺じゃなくて斉藤だよ。最初の些細なきっかけは俺かもしれないけど、それだけのことだ。斉藤がいなかったら、そもそも、湯川には主役を断られていたかもしれない」
湯川真子の顔をまともに見ることが出来ず、秀和は冷めていくばかりのコーヒーに目を落とした。
彼女がカチャリとティーカップをソーサーに戻す音が聞こえた。
「たしかに、斉藤君の力はすごく大きかったと思う。斉藤君のおかげで高校生活が楽しいと思えるようになったし、彼には感謝してもし足りない。斉藤君のおかげで、橋倉さんとも仲良くなれたの」
「今でこそお似合いだけど。正直、あの二人が付き合い始めたときは、みんな意外に思ってたよ」
「うん。あまりよく知らなかったけど、そうみたいだね……」
秀和は、やんわりと探りを入れるように、今日の新郎新婦の話題を持ち出した。
「あの二人が付き合いだしたのは、二年生のときだったけど、橋倉は今より全然地味で大人しかったし、斉藤の方はいつもクラスの中心にいるようなやつだったから、最初は何でこの二人が? って、みんな目を白黒させてた。まあ、当人たちからすれば、大きなお世話だけどさ」
「そうなんだ。たしか、斉藤君の入院がきっかけで、二人は仲良くなったって」
「ああ、そういえば、あいつ二年のときに入院したな。耳鼻科系のよく聞く病名―――難聴なんとか……あ、こういうのはあんまり言うもんじゃなかったかな。ごめん、今のナシ」
「大丈夫だよ。……って言うのもおかしな話だけど、私も聞いたから。突発性難聴、だよね。秋山君も知ってたんだ。そうか、二年のときも同じクラスだったし、斉藤君と仲良かったもんね」
「あいつは誰とでも仲は良かったよ。ただ、病名のことはあんまり言ってないみたいだった。俺は、あいつが入院してるとき、たまたま班が同じで、課題も一緒になる機会が多かったから、退院後に話してくれただけだと思う」
「そっか。でも、班が同じだからって理由だけではないと思うよ。病気のことって、自分が信じてる人じゃないと、あまり話したくないものだと思うし。だから、ここだけの話にするべきだと思うんだけど……。斉藤君が入院してるとき、たまたま、職業体験で病院に来てた橋倉さんと会ったんだって。それまで、二人は全然クラスでも話さなかったし、お見舞いとかもするような間柄じゃなかったみたいだけど。そこで話をしてから、橋倉さんがちょくちょくお見舞いするようになったって」
その話は、秀和も初めて聞くものだった。
「橋倉さんが言うには、入院中の斉藤君は、今では考えられないくらい荒れてて、橋倉さんがお見舞いに来ても辛く当たったりして。病気で不安定になってたのもあると思うけど。もしかしたら、このまま一生耳が聞こえないままかもしれないって、こぼしたこともあったみたい。初めは、お見舞いに来た橋倉さんのことも邪険にしてたけど、結果的には、橋倉さんが受け止めてくれたことが、すごく救いになったって、斉藤君は話してくれたよ。それで、退院してから、橋倉さんに付き合ってほしいって言ったんだって」
「そうか、あの二人にそんな経緯があったのか」
「私は、最初にちらっと橋倉さんから聞いて、その後に、斉藤君も詳しく話してくれたの。斉藤君は、普段仲の良い友達でも、入院中にはすごく薄っぺらい関係に思えたって言ってた。弱ったときに、本当にそばにいて、親身になってくれる人は、橋倉さんみたいな人なんだって気付いたって。橋倉さんは橋倉さんで、教室で見る明るい斉藤君とは全然違った彼の一面を見て、びっくりしたけどすごく気になって、それから、ほとんど毎日お見舞いに行ったみたい。斉藤君が退院したら、きっと、元の明るい彼に戻って、自分とこうして話すこともなくなるんだろうなって、そう思いながら病院に通ったって言ってた。二人の話は別々に聞いたけど、素敵なカップルだなって、素直に思ったよ。お互いのことが、本当にすごく大事なんだなって、羨ましくなっちゃった。私もそんな風に、大切に思える人と出会えたら良いなぁって」
湯川真子の声が、少し震えていた。話している中で何かを思い出して、感情的になってしまったのかもしれない。
本人は隠そうとしていたが、泣くのを堪えているのは明らかだった。
「湯川は、今でもまだ好きなんだな。斉藤のことが」
ほとんど躊躇わずにこんなことを口にして、秀和はむしろ自分で驚いていた。




