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場内の証明が緩やかに落とされると、それまで騒々しかった会場が徐々に閑静な雰囲気に包まれていった。そして、若者向けにアレンジされたポップな曲調の結婚行進曲が流れ始める。
司会者のアナウンスとともに、階段から真っ白なタキシードとウェディングドレスに身を包んだ新郎新婦が、ゆっくりと降りてくるのが見えた。一度は静かになった場内の空気は、一斉にして歓声に飲み込まれた。
新郎と新婦を目にしたのは、実に卒業以来のことだ。
秀和が記憶していたよりも、二人とも今日は一段と輝いて見えた。
以前よりもずっと綺麗になったが、柔和な雰囲気はそのままの新婦の橋倉千里と、相変わらずノリが良く、底抜けに明るい新郎の斉藤直明の姿は、とても懐かしく、自然と安心することができた。
それと同時に、蓋をしていたはずの懐かしい気持ちを次々と思い出していた。
右隣の湯川真子を盗み見る。自分の思い違いでなければ、きっと彼女も似たような心境だろう。
湯川真子が一人を抜け出すきっかけを作ったのは、高校三年生のときに同じクラスだった斉藤直明だった。当時からクラスの中心にいて、どんな人間とも大抵仲良くなることのできる斉藤は、いつでもどこでも人気者だった。
そんな性格はちっとも変わっておらず、披露宴の最中も、終始みんなを笑わせた。
歓談時間に入ると、すぐに新郎新婦の高砂には、彼らの友人たちがどっと集まっていた。あっという間に写真待ちの列ができ、気軽に一声かけることもできそうにない。
同じテーブルの川下や中谷は意気込んで列に加わっていたが、湯川真子は、秀和と同じように、長蛇の列とその先にいる新郎新婦を、ぽかんと眺めているだけだった。
目が合った湯川真子は、一瞬苦笑いをした。
「あれじゃ、とても入っていけそうにないね」
「そうだな。今のうちに料理を食っておこう」
秀和は、もっと彼女に何か言いたいことがあるはずなのに、脳が勝手に思考停止してしまい、全く気の利いた言葉をかけられなかった。
「あそこで写真が撮れないのは残念だけど、大丈夫だよ。後で各卓写真があるって橋倉さんに聞いたから、そのときこのテーブルにも来てくれるし、一緒に写真も撮れるよ」
それから、「あ……」と思い出したように湯川真子は呟いた。
「もう橋倉さんって呼べないのかな」
些細な一言一言が、そのまま流れていかずに心に引っかかる。そんなつもりはなくても、全部拾い上げてしまう。
秀和は、簡単な相槌だけをうち、黙々と料理に手をつけた。味など全然わからなかった。
湯川真子の言うとおり、新郎新婦のヒストリームービーが流れた後に、各卓写真撮影が始まった。新郎新婦は各テーブルに赴き、そこに座っているゲストと軽く談笑しながら、カメラマンと写真撮影をして回った。
彼らは秀和たちのテーブルにも、間もなくして訪れた。
「今日はわざわざ来てくれてありがとう」
「とっても綺麗だよ。本当におめでとう」
新婦と湯川真子が言葉を交わした。
「秋山、久しぶり! 陰気そうなその顔、全然変わってないな」
「せっかく祝いに来た人間に対して、その言い草か」
斉藤は秀和を軽く受け流し、今度は湯川真子に明るく声をかけた。
「湯川も久しぶりだなぁ! 元気にしてたか?」
「元気だよ。斉藤君も、相変わらず元気そうだね。今日は本当におめでとう」
「ありがとな。ごめんな~、せっかく来てくれたのに、あんまりゆっくり話せなくて。近々同窓会開くからさ、また積もる話をしようや」
「うん、楽しみにしてる」
写真撮影はあっという間に終わり、その後にはガーデンに出て全員で集合写真の撮影もしたが、結局、披露宴中に新郎新婦と言葉を交わしたのは、そのときの一言二言のみだった。
秀和には、披露宴に参列した経験は、従姉のものしかまだなかったので、比較対象がほぼない状態であったが、なんとなく、披露宴とはそういう慌ただしいものなのだろうということは察した。とにかく、主役の新郎新婦は忙しいのである。
長いようで短かった披露宴はあっけなく終わりを迎え、まだ名残惜しく会場内のエントランス内で駄弁る者もいれば、ちらほらと会場を後にしていく者もいた。
秀和と同じテーブルだった者たちも、あっさりと開散し、みんな各々で退場の準備をし始めた。
秀和は、正直がっかりしていた。
もしかしたら、今日は何かが起こるのかもしれないと、何日も前からどこかで期待していた。だからこそ不安にもなったし、出欠自体をあんなに迷っていたのだ。
正確には、何の行動も起こせなかった自分に失望した、と言う方が正しい。今日こそは、何らかの形で自分の気持ちに決着をつけようと思っていたはずなのに、今までの自分の殻を破ることは、ついにできなかった。現状維持を選んだのは、紛れもなく自分自身だ。結局、自分にはその程度の覚悟しかなかったということだろう。
紙袋から引き出物を取り出してカバンに詰め、よれた紙袋もぞんざいにたたんで一緒にカバンに突っ込むと、行きよりも断然荷物の重量は増した。重くなったのは、きっとカバンだけではない。
秀和は、誰かと話すこともなく会場を後にし、とぼとぼと行きと同じ小道を歩いた。思ったよりも知り合いとすれ違わない。もしかすると、自分の知らないところで二次会などが行われることになっているのかもしれない。そう考えるのも憂鬱で、いろんなことから目を背けたくなった。
駅の階段をのぼりかけたときに、右手の袖口が何かに引っぱられて我に返った。
振り向くと、そこには湯川真子がいた。自分の目を疑った。
「あ、あの」
湯川真子は、慌ててすぐに袖口から手を離す。
「これ、秋山君のじゃない?」
そう言って、彼女はブルーのカバーのスマートフォンを手渡してきた。
「あ、俺の携帯……」
「良かった。違ったらどうしようかと思った」
ほっと胸を撫で下ろした湯川真子を見て、秀和はふいに恥ずかしくなった。完全に自分がやらかしただけの偶発の出来事とはいえ、これでは手口がいかにもという感じで、構って欲しいと言わんばかりで、とてもいたたまれなかった。
「あ、ありがとう。手間かけさせた。わざとじゃないんだ」
「え?」
「あ、いや、何でもない……」
言葉を発するほど墓穴を掘るようで、もう余計なことは何も言わない方が良い気がした。
湯川真子は、そんな秀和の心境など知るはずもない。
「あのね、秋山君。少し時間ある?」
「え」
「久しぶりに会えたから、せっかくだし、ちょっとお話でもどうかなって……」
言われた意味を理解するまでに時間がかかったので、秀和の反応が遅れた。それによって、湯川真子も尻込みする破目になる。
「む、無理ならいいよ、ごめんなさい」
「い、いやいや、無理じゃない!」
それだけ言うので精一杯だった。しかし、先ほど落ち込んでいたのが嘘のように、一気に気分が晴れてしまった。実に単純だと思った。
「えっと、それは、いいってことで、いいのかな……?」
「全然大丈夫! と、とりあえず立ち話もなんだし、どこかでお茶しないか」
本当は、この言葉を帰り際に彼女に言いたかったのだ。
湯川真子が、どんな意図で自分を誘ったのかはよくわからなかったが、とにかく自分は始めからこうしたかったのだと気付いて、無性に恥ずかしくなった。
「うん、お茶しよう。ありがとう、秋山君。断られるんじゃないかって、実は少し不安だったんだ」
勇気を振り絞って自分を誘ったらしい湯川真子と、受け身でしかなかった秀和。それが、対照的にはっきりと浮き彫りになって、嬉しい反面、つくづく自分は情けない人間だと打ちひしがれた。




