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湯川真子とは、高校三年生のときに初めて同じクラスになった。とても大人しい女子だった。
自己主張などまずすることのない、地味で目立たない女子生徒、というのが秀和を始めとするクラス内での共通認識だった。
秀和自身もどちらかといえば内向的な性格だが、クラスメイトと些細な日常会話くらいはする。湯川真子は、秀和よりさらに輪をかけた内向的な少女で、ほとんど友人もおらず、当時クラス内でも浮いた存在だった。影の薄い生徒ではあったが、ある意味ではそれが逆に悪目立ちしていたのかもしれない。
だからこそ、秀和は同じクラスになってすぐ、密かに彼女に注目していた。友達を作らない―――もしかしたら作ることが出来ないでいるのかもしれない彼女のことが気になった。
秀和には友人は普通にいたが、腹を割って本音を言い合えたり、心の底から笑って話ができるような、信頼し合える友人関係ではなかった。当たり障りのない会話だけを延々と交わす、いわゆる上辺だけの付き合いだった。少なくとも、秀和はそう認識していた。
だから、高校を卒業してしまえば、自然と関係が途切れる「友達」しかいなかったのだと思う。小学校でも中学校でも似たような経験をしてきた。
周りに合わせるだけの自分がなんとなく空しくなって、空虚な毎日の積み重ねに、どこかで息苦しさを感じていたのかもしれない。いっそのこと、一人になってしまった方が楽ではないか、と考えることもあった。
秀和は、湯川真子をときに哀れみ、ときに羨望の眼差しで見つめていた。
一人でいることが平気な人間などいないと思う。しかし、湯川真子は毎日一人で教室にいた。一日も休まずに、群れを作るクラスメイトの輪の外で、ずっと一人で過ごしていた。
秀和には、それがごく静かな彼女の強さのように見えた。
彼女は一人を選んだわけではなく、仕方なく一人になってしまったのかもしれない。
群れない人間というものは、よほど強い意思を持ったタイプでない限り、クラス内での地位は自然と低いものになる。高校生ともなれば、綺麗事だけでは生きていけない年齢だ。
だから、本人の人格や能力にはあまり関係なく、湯川真子のクラス内での立場は決して良いものではなかった。あからさまな攻撃対象ではなかったものの、小さなところで彼女が理由なく不利になる場面は山ほどあった。
しかし、秀和は思う。いつも群れている騒がしい連中のそれぞれが、もし湯川真子のように、一人にならざるを得ない状況に遭遇したらどうだろう。普段から孤独に耐性のない彼らには、きっと耐えられないのではないか。
秀和は、それは自分を含めて言えることだと思った。
一人が当たり前になっている湯川真子に、あえて誰も近づいたりしなかったし、彼女の見えない強さにも誰も気付かない。
だから、自分だけが知っていればいいと思った。湯川真子がどのように高校生活を送るのか、単純に興味があった。一人の彼女を、いつまでも見ていられると思っていた。
しかし、湯川真子は、高校三年生の秋の文化祭を機に、少しずつ変わり始めたのだ。
「湯川さん、私、今でも湯川さんが熱演した『イグアナの娘』が忘れられないんだよね」
「え?」
湯川真子は、突然話を振ってきた川下に驚いた。
「私もだよ。上手く言えないけど、なんか感動した。湯川さんの演技、すごく良かったよ」
「あ、ありがとう」
川下や中谷に褒められて、湯川真子は少し戸惑いながらも微笑んだ。
「相手役の斉藤君もなかなか様になってたし、なんだか二人、意外にも良い感じだなって思ったもん。―――と、斉藤君の結婚式で、こんなこと言っちゃいけないか」
「そうだぞ、川下不謹慎。っていうか、そもそもこれは結婚式じゃねーし。挙式はもう身内だけで済ませてるんだから、言うなれば結婚披露宴……」
「もう、細かい若宮。そういうのは、まとめて『結婚式』でいいんだよ。だいたいそれで通じるし!」
二人が言い争っているところを見て、湯川真子は笑っていた。いつの間に、彼女はこんなに自然に笑うようになったんだろう。
「うちのクラスじゃ、結婚するのは斉藤君が一番じゃない? まあ、高校時代から付き合ってたし、そのままいけば時間の問題かな~とは思ってたけど。それにしたって早いよねぇ」
「でも出来婚とかでもないみたいよ。それなのにこんなに早く結婚するなんて、よっぽど彼女さんのこと好きなんだろうね。だって、うちらまだ二十二、三だよ。もうちょっと遊びたいよねぇ。今の初婚年齢の平均って二十九、三十とかじゃん」
「あ~あ、女子ってこういう話題好きだよな。何かっていうと結婚、結婚って」
「そういうあんたこそ、のん気に構えてると、年とってから結婚出来ないって焦る羽目になるかもよ」
「男は女と違って多少遅くても大丈夫なんだよ。ってか、俺そもそも結婚とかする気ないし~。金も自由に使えなくなるし、自分の時間を他人に奪われるとか、絶対嫌だね」
およそ、この場でする話題としてはふさわしくない会話が飛び交っていた。
秀和が周囲に悟られないように小さなため息を吐くと、それに気付くことなく前園が話しかけてきた。
「『イグアナの娘』と言えばさ、秋山の脚本も大したもんだったよ。あれがあってこそ良い舞台になったと思う」
「そうかな。『イグアナの娘』は、そもそも原作が面白いからな。俺はちょっと尺を調整して、舞台でやれるようにアレンジしただけで……」
「でもお前、もともと小説でもなんかの賞取ってたじゃん」
「あれは、地元の小さい文芸コンクールの賞だから、そんなに大したものじゃない。それに、小説と脚本じゃ、全然分野も違うから、結構苦労した」
そもそも秀和は、最近その執筆活動の方も、満足にできてはいなかった。
就職して何かと忙しいせいもある。しかし、それよりも、自分の気持ちに整理がつかないままの状態がここ数年続いていて、何を書いてもすぐに筆を折ってしまいそうで、新しい創作に踏み出せなかった。秀和自身、このもやもやした状態を何より自覚していたので、やり場のないフラストレーションをずっと持て余していた。
正直、そんな状況はそろそろ終わりにしたい。だからこそ、今日はここに来たのだ。今日で浮ついた気持ちに決着をつけようと思っていた。




