神様がくれた大当り
俺としたことが雨に濡れた駅の階段で見事にすっ転んじゃった。
で、その時に右手をヘンな風に付いちゃったもんだから、みるみるうちに右手首がパンパンに腫れあがっちゃって、(ありゃりゃ、これは捻挫どころじゃねーぞ)って焦っていたら、親切なおじさんが「折れてる、折れてる」って救急車を呼んでくれちゃった。
「そんな大げさな〜」と俺は恥かしそうに乗り込んだが、待てど暮らせどこの救急車、なかなか発車してくれない。
(あれ? 救急車ってサイレン鳴らして、赤信号も無視して、一目散に病院まで突っ走るんじゃないの?)
どうやら夜なので医者がいないらしい。
救急隊員はあっちこっちの病院に電話するんだけど、すべて受け入れを断られ、結局、形成外科の先生がいる遠い山奥の病院に俺が運ばれたのは、すっ転んでから1時間も経った夜の10時過ぎだった。
診察室に入った俺はまずレントゲンを撮られた。
その画像を見ながら医者は、「ほら、ここ、折れてるでしょ。かなり痛いけど、ちゃんとくっつくようにするから」と言うなり、俺の折れている右手をグイと引っ張った。
あまりの激痛に、俺は悲鳴をあげた。
再度レントゲンを撮ると、引っ張った結果がよかったのか、医者は「これで様子を見ましょう。うまくいけばギプスだけで治るかも。そうじゃない場合は手術も考えましょう」と言い、診察を終えた。
生まれてこのかた骨折なんか初体験で、(おーこれが骨折かあ)なんて内心、ちょっと感動しちゃってた俺だけど、やっぱ利き腕の右手が使えないっていうのは不自由。
食べるのも左手じゃ思うようにいかないし、トイレも着替えもイライラするほど時間がかかる。
いまの仕事なんか嫌々やっているようなもんだから、休めてうれしいぐらいだけど、生活が不自由なのと退屈なのがつらい。
でもまあ、若いんだし、1ヵ月もギプスしてれば簡単に治っちゃうだろう、なんてタカをくくっていたら、数日後、医者がレントゲン見て、「あーこれは、手術しようか」だって。
うまくくっつかなかったらしい。
手術は1時間くらいで終わった。
装外固定っていうらしいが、クギのような金具を折れている骨の双方に5本ネジ込んで、それを体の外でT字の金具で固定する手術だ。
だから、俺の右手首あたりには5本の金具がクシ差し状態になっていて、それを繋ぐT字型の安全カミソリのような金具がその上にくっ付いている。
なんか、俺の皮膚と金具が一体化しているようでサイボーグにでもなった気分だ。
医者が言うには、ギプスで治すよりも短時間でしっかり治り、ギプスよりも生活に支障が少ない点や、リハビリがすぐに行なえる点がこの装外固定のメリットなのだとか。
で、俺はそのまま入院となった。
なんでも入院しないでそのまま帰っちゃう人もいれば、この金具が取れる1ヶ月間ずっと入院する人もいるらしい。
でも、できれば2週間ほどは入院した方がいいというのが、医者の意見だった。
俺は迷った末、傷害保険に入っていて1日入院すると2万円下りるのと、たまっている有給を消化するためにも、この際できるだけ入院してやろうと決めた。
が、この判断を俺は1日目から後悔することになる。
この病院、一応は総合病院なんだけどそれほど大きくもなく、俺の部屋のあるフロアだけでも実に様々な患者が入院している。
なかには痴呆症が進んでいるおばあちゃんも数人いて、これが一晩中、奇声の大合唱。
「あ〜あ〜あ〜」
「うきゃあ〜うわあ〜おわ〜」
とても寝られたもんじゃない。
大体が長年独り暮らしでルーズな生活が染み込んでいる俺に、病院のような規則正しい生活が心地よいはずがない。
こりゃ2、3日して痛みが取れたら、さっさと退院するかな。
なんて思って2、3日すると、入院生活もこれが結構、快適になってくるから分からないもんだ。
かわいい看護婦さんがなにからなにまで世話を焼いてくれるし、食事は3食ベッドまで運ばれて来るし、こんな俺なんかにもちょこちょこ見舞い客は来てくれるし、山奥だから空気もうまいし。
痴呆症のおばあちゃんたちの奇声も、2日目からはそう驚かなくなった。
そんなこんなで1週間が過ぎ、俺はひとりのおじいちゃんと親しくなった。
もう5年も入退院を繰り返し、今度の入院も1年になるというそのおじいちゃんは、肝臓とか腎臓とか膵臓とかいろいろ悪いらしい。
小さな声でゆっくりと話すから、会話は遅々として進まないが、それでもこれまで何時間か話したところによると、真面目に真面目に生きて来たらしかった。
でも、奥さんを早くに交通事故で亡くし、男手ひとつで育てた最愛の娘も病気で先に逝っちゃったんだって。
酒も飲まなきゃタバコも吸わない。女遊びやギャンブルなんてもってのほかで、パチンコですら一度もしたことがないと笑うおじいちゃん。
「こんなことなら、若いうちにもっと遊んでおけばよかった」
その言葉が重過ぎて、俺は胸が張り裂けそうになったね。
病院って元々涙の集積場みたいなところだけど、俺いままでこういう世界と接点がなかったから、免疫がないんだよね。
ストレートに心に響いちゃって、どうにかしてこのおじいちゃんに、せめてパチンコぐらいさせてあげたいと思っちゃったわけだ。
おじいちゃん、脚も弱って車イスだし、ひとりじゃもうなにもできないんだ。
でも、俺がちょっと協力すれば、パチンコぐらいなら経験させてあげられるだろう。
可哀相なんて同情したら失礼だけど、でも真面目に生きたのに不幸ばっかりじゃ可哀相だよ。
そのことを看護婦さんに話したら、「あたし、今度の非番の日、パチンコしたくなっちゃった」って言ってくれた。
なかなか日本の医療の現場も捨てたもんじゃない。
俺とおじいちゃんもその日、外出許可を取って、予想外にあっさりとパチンコ行きが決定した。
おじいちゃん、喜んだねえ。
遠足前の小学生だってこんなに待ちわびないって言うくらい楽しみにして、着ていく服なんか何日も前から用意してさ。
で、当日もパチンコ店に向かう車の中から眼を輝かせて景色を追って――。
きっと、おじいちゃんは病院の外ならどこでもよかったんだろうね。
パチンコをする時間は、やっぱり店内はうるさいし、空気も悪いから1時間って決めていた。
おじいちゃん両手で精一杯、ハンドル握り締めて、生まれて初めてのパチンコを楽しんだ。
スタートに入って、液晶画面がまわり始めると「おお、入った」とはしゃいで。
3人とも最初から勝ち負けなんか関係ないから、その無欲さが大当たりを呼び込んだのか、いや、やっぱり神様っていうのはいて、おじいちゃんにプレゼントしてくれたんだろうなあ。
すぐにおじいちゃんに大当たりが揃って、後ろで見ていた俺と看護婦さんが「やった〜!」って騒ぐもんだから、おじいちゃんも「おおお〜」って興奮して……。
あんまり興奮させちゃマズイので途中から俺も看護婦さんも平静を装ったけど、玉がジャラジャラ出るもんだから、やっぱりおじいちゃん興奮しちゃって、そんな姿見てたら、俺はもう涙が止まらなくなっちゃって。
(神様ありがとう)って何度も何度も心の中でお礼を言ったよ。
大当たりは確変(確率変動・必ずもう1度大当りがくる)だったけど、おじいちゃんの体力では1回が限界。
確変中の台をそのままにして景品に替え、帰りにファミレスでランチを食べて、俺たちは病院に戻った。
2時間ちょっとの外出だったけど、おじいちゃん大満足で「また行こう。パチンコおもしろい」って、何度も何度も言ってた。
病院に戻ると看護婦さんやあちこちの患者さんに景品のお菓子をうれしそうに配ってまわって、おじいちゃんの笑顔、最高に輝いていた。
ほどなくして俺は退院し、リハビリのために通院するようになった。
おじいちゃんとの2回目のパチンコはかなわず、病院の庭が紫陽花でいっぱいになった頃、おじいちゃんは天国に行った。
俺は会社を辞め、いま介護福祉士になる勉強をしている。
やっと俺の道が見つかったんだ。
おじいちゃんのおかげだよ。