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4 祭りの夜

 

 

 

 とうとう収穫祭がやってきた。

 街中が浮かれ大騒ぎしているのをよそに、治療院にはいつもと変わらぬ空気が流れていた。(もっと)も、近隣の村々からもどんどん人が集まってくる分、忙しさは普段の比ではなく、癒やし手達は勿論のこと教会の職員も全員総出で、一年に一度のお祭に万全の体制で臨まんとしていた。

 マニも、自分にできる範囲で仕事をこなしていった。直接治療にあたる以外にも、やるべき事は山ほどある。患者の世話から掃除、洗濯。手を休める暇などない。

 そしてヒューも、朝から治療院にやってきて皆の手伝いをしてくれていた。若い男手はいつも以上に皆から重宝され、次はこっち、その次はあっち、と引っ張りだこであった。


 


 そろそろ日が暮れる、という頃になって、井戸端で包帯を洗っていたマニのもとに助祭がやってきた。

 助祭は、どことなく寂しそうな表情をしていた。


「マニ、今日はもういいから、上がりなさい」


 西日に染まる街並みに、太鼓の音が遠く近くこだましている。祭はまだまだたけなわ、つまり、マニ達の仕事もこれからだ。


「え、でも、まだ」


 戸惑うマニを優しく制しながら、助祭は背後を見やった。

 裏庭の向こう、イチイの木の下に、ヒューが佇んでいるのが見えた。


「せっかくの祭だ。彼を案内してやってくれないか。いつもいつもこき使ってばかりでは悪いからな」


 でも、と逡巡するマニに、助祭がぽつりと呟いた。


「もう、日も無いことだしな……」


 マニは何も言うことができず、包帯を手に握り締めたまま、静かに大きく頷いた。


 


 


 宵闇に沈む街は、どこもかしこも人でごった返していた。人々の歓声に、物売りの呼び声。山車が鳴らす鈴の音が建物の壁に反響して、賑やかなことこの上もない。


「もう少ししたら、向こうの広場で、豊穣の踊りが始まるんです」


 教会の敷地を出てひと角先、大通りの人混みの中で、マニはヒューを振り返った。と、すぐ後ろを歩いていた男にぶつかってしまい、彼女は大きくよろめいてしまった。

 慌てて体勢を立て直そうとするも、脇道から合流する人の流れが、どんどんマニを押し流していく。頭一つ向こうの栗色の髪が遠ざかっていくのを見て、マニは必死に人波をかき分けた。


「おい、押すな!」

「すみません」


 冷や汗をかきながら、つま先だって周りを見回す。ヒューの姿は、どこにも、無い。


 ――どうしよう。


 マニは冷たい手に心臓を鷲掴みにされたような気がした。僅かしか残されていない貴重な時間を、こんなことで無駄にしてしまうなんて。唇を噛み締めながら、目元に力を込め、なんとかして人垣の向こうを見通そうとする。

 だが、人混みは容赦なくマニを翻弄し続けた。今度は足先が何かに引っかかり、そのまま地面へ倒れ込む。


「危ない!」


 左腕が強く引かれ、すんでのところでマニは転倒を免れた。

 ヒューが、いつもの笑みを浮かべて目の前に立っていた。汗に濡れた額に髪が貼りついている。少し上がった息は彼がマニを探しまわっていた証だろう。無事でよかった、と笑って、ヒューはそっとマニの腕から手を離した。


「あ、ありがとうございます」


 自分の頬が熱くなるのを感じて、マニは思わず俯いた。その途端、また濁流に流されそうになる。


「一旦、端のほうに避難しよう」


 ヒューが、マニの手を取った。そうして、そのまま人の波を抜けていく。

 マニはおそるおそるヒューの手を握り返した。

 人ごみの中を、二人は手を繋いで歩き続けた。


 


 


 豊穣の踊りを見物したあとは、皆で感謝の歌を歌い、古都ルドスの祭りの夜は更けてゆく。

 迷子になってはいけないから、と、ヒューはマニの手を離さなかった。

 マニも、ヒューの手をずっと握り続けた。


 


 やがて、広場から少しずつ人々が散り始めるのに合わせて、マニ達も帰途についた。大通りに向かって、細い路地を通っていく。

 ふと、違和感を覚えて、マニは眉をひそめた。

 家々の庇に吊るされた提灯の灯りに、三々五々道を行く祭りの見物客がぼんやりと照らされている。それらに交じる、重苦しいマントを羽織った人影。祭の興奮冷めやらぬ様子で笑いさざめく者どもとは対照的に、マントの男達は、ひたすら無言でゆっくりと路地を進んでいる。

 マニは、ヒューの手を握り締めた。

 ヒューが、怪訝そうにマニを振り向いた。


 次の瞬間、マントの人影が、一斉に二人の周囲に押し寄せてきた。男達は無言のままに二人の間に割って入ると、二人を、いや、ヒューを取り囲んだ。

 繋いでいた手が、引き離される。

 声を上げる間もなく強い力で肩を引かれ、マニは人垣の外へとはじき出された。

 すぐ傍、マントの下で剣帯がガチャリと音を立てた。

 騎士だ。

 自分の肩を掴んでいる手を、マニは振り払おうとした。だが、即座に別な腕が彼女を羽交い絞めにする。

 また(つるぎ)の音が聞こえた。今度は、人垣の向こうから。鞘から剣を引き抜く音。

 次いで、押し殺したような呻き声が漏れ聞こえてきた。


「やめてください!」


 やっと、声が出た。夜のしじまに響き渡ったマニの悲鳴に、騎士達が一瞬怯む。

 マントの隙間から、沈みゆく栗色の髪が見えた。

 だがすぐに彼らは隊形を立て直し、ヒューの姿はマントの向こうに消えた。

 そうして、どさり、と何かが地に落ちる音。辺りに漂う、鉄錆の臭い。

 マニの意識はそこで暗闇に呑み込まれた。


 


 


 


 街一番の高台にそびえる領主の城。秀峰の斜面にしがみつくようにして建つ要塞は、西側を天衝く岩山に、東側を断崖絶壁に囲まれている、天然の要害だ。

 その中でもとりわけ人目を引くのが、北の塔と呼ばれる城壁塔だった。目も眩むばかりの崖に面した尖塔は、城壁の丈を加味すると、その高さは主塔すら凌駕する。


 その北の塔の最上階、窓から差し込む月明かりの中に、小さな机に無言で俯すマニの姿があった。

 他には簡素な寝台があるだけの殺風景な部屋は、普段は物見の番人の居室として使われていた。梯子を外せば出入りができなくなるこの塔を、領主はマニを留め置くのに使用したのだ。

 下のほうで錠があけられる音がした。階段を踏みしめる足音が近づくとともに、部屋の入口がぼんやりと明るくなる。

 大きな影が、揺らめきながら天井を覆い尽くす。ランプを手に、領主が姿を表した。


 


「まだ食べていないのか」


 脇机の上の食事が手つかずなのを見て、領主が眉をひそめた。「二日も眠り続けていたというのに。何か口にしなければ身体を壊すぞ」

 マニは、ゆっくりと身を起こした。やつれ果てた(おもて)を領主へ向け、一言一言噛み締めるように言葉を発す。


「彼は、無事なのですか」


 泣き喚きたい気持ちを必死ではね退け、マニはまっすぐ領主を見つめた。

 領主は、表情一つ変えず、ただ一言を言い放った。


「盗人は、裁かねばならぬ」

「彼は、何も盗んでなどいません」


 即座に言い返せば、領主が忌々しそうに口元を歪める。


「奴は君を――私の妻を盗もうとした」

「私は、まだあなたの妻ではありません」


 淡々とそう返してから、マニは、ふ、と寂しそうに微笑んだ。「それに、彼も私も、あなたを裏切るつもりなどありません……」

 穏やかな、月の光のような笑みに、領主が怯む。

 だが、彼はすぐにおのれを取り戻すと、鼻を鳴らした。


「口ではなんとでも言えるからな。まあいい。どうせ君は明日(みょうにち)我が妻となるのだから」


 あまりにも横柄な言いざまに、マニは思わず語気を荒くした。


「おたわむれを。このようなところに閉じ込めた挙げ句に婚礼とは、父や母も黙っていないでしょう」

「知ったことではない」


 全てを尊大に切り捨てる領主の言葉に、マニはきつく唇を引き結んだ。

 くずおれそうな心を叱咤しながら、ゆっくりと息を吸う。


「……お受けしたくありません」


 領主が息を呑んだ。ランプの灯りが、大きく揺らぐ。

 しばしの沈黙ののち、領主の口から深い溜め息が漏れた。


「奴は、死んだ」


 マニは、頭から冷水を浴びせかけられたような気がした。


「私もこの目で確かめた」


 領主の眼差しは、壁に映る影よりもずっと昏かった。


「亡骸は、街の外の荒地に捨てさせた。もうとっくに野獣の餌となっていることだろう」


 耳を塞ぐことはおろか指一本動かすこともできず、マニはただ目を見開いて、むごたらしい知らせをその身に受ける。

 領主が、嗤った。


何人(なんぴと)たりとも、私の邪魔はさせない」


 


 ランプの芯が燃える微かな音が、静寂を震わせる。

 彫像のように微動だにせぬまま、マニはやっとのことで「一人にしてください」と絞り出した。


 


 


 領主が退出し再び闇に落ちた部屋の中で、マニは身じろぎ一つせず立ち尽くしていた。


『あなたには、あなたにしかできないことがある』


 柔らかく微笑むヒューの顔が、瞼の裏に甦る。


 ――そう、あなたにも、あなたにしかできないことがあったのに。


 マニの目頭が、一気に熱くなった。

 ヒューは、マニに数え切れないほど多くのものを与えてくれた。彼と出会わなければ、マニの世界は今もって、酷く色褪せた、矮小なものでしかなかったろう。

 マニはバルコニーへ通じる扉をあけた。

 夜風がマニの髪を揺らした。


 


 きっと彼はこんなこと望んでやしない。

 分かっている。

 でも。


 


 マニはそっと目をつむり、虚空に身を投げた。


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