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3 領主が欲するもの

 

 

 

「余所者の魔術師など相手にするな」


 迎えの馬車に強引に乗せられて領主の城へと連れてこられたマニに、彼は開口一番こう言った。

 重厚な石造りの、古い城。小さな窓から差し込む陽光が、等間隔に闇を切り抜いている。光と影とがせめぎあう薄暗い部屋の中、奥の長椅子に腰掛けた領主は、機嫌の悪さを隠そうともせずに忌々しげに鼻を鳴らした。


「聞けば、まだ第三の位しかない、とんだ落ちこぼれだそうじゃないか」


 長椅子から五歩ほど下がったところに立ちながら、マニは知らずこぶしを握り締めていた。


「そもそも、なんだ、そのみすぼらしい服装は。お前の両親もだが、栄えあるルドス王の末裔が、そのような町人と変わらぬ身なりをするなど、正気の沙汰ではない」


 藍の瞳に浮かぶ、嘲りの色。金糸を束ねた麗しい髪すらも、今は影に沈んで冷たく見える。

 幼い頃よく一緒に遊んでくれた、五つ年上の優しい「兄さま」が、いつの間にこんなに遠くなってしまったのか。マニはそっと唇を噛んだ。


「私どもは、自らの身の丈にあった生活をしているだけです」

「服なら幾つもあつらえさせたであろう」

「あのような服をまとって、仕事などできません」

「だから、君が働く必要などない、と言っている」


 指で肘掛けを苛々と叩きながら、領主が吐き捨てた。

 高い天井にこだました声が、隅の暗がりに呑み込まれていく。

 マニは、胸いっぱいに息を吸い込んだ。


「何も知らず、何もできず、ただ着飾って、あなたの隣で愛想をふりまいておけばいいというのですか」

「それは違う」


 予想外の返答に、マニは目をしばたたかせた。もしや自分は何か誤解をしていたのだろうか、と。

 だが、彼の次の言葉に、マニは我が耳を疑った。


「君が微笑みかけるのは、私だけでいい。そんなことをせずとも、君の美しさは、万人を魅了する。勇猛な王に、美しい后、これ以上の組み合わせがあろうか」


 愛している。いつも別れ際にそう囁く、彼の言葉を疑うつもりはない。けれど、と、マニは唾を呑み込んだ。


 ――けれど、彼は一体何を愛しているのだろうか。


 室内が急に暗さを増したように、マニには感じられた。

 彼が求めているのは、何なのか。彼にとって、そもそもマニという存在は何なのか。

 領主が、ゆらりと立ち上がった。

 マニは身動き一つできずに、ただその場に立ち尽くす。


「マニ、我がもとに来い。そして、我が子を()せ。かつてこの地に栄えたルドス王国を、我らが血で再びこの世に甦らせよう」


 斜めに降り注ぐ日の光の中に、領主が歩みを進める。まばゆく照らされる足元に比して、上半身が闇に沈んだ。まるで、暗黒をその身にまとうがごとく。

 マニの胸の奥に、何か冷たいざらざらしたものがせり上がってきた。これが恐怖というものだ、と、その刹那彼女は理解した。

 闇に彩られた手が、マニに向かって伸ばされる。

 彼女は反射的にそれを払いのけた。


「し、仕事がありますゆえ、これで失礼いたします……!」


 無礼を承知で、マニは踵を返した。そのまま、後ろを見ることなく部屋を飛び出す。


「四年も待ったのだ。これ以上はもう待てぬ!」


 追いすがる声を振り払いながら、マニは暗い廊下を走り続けた。


 


 


 


 治療院の裏、教会の畑の柵にもたれながら、マニははなうたを口ずさんでいた。


 


 領主の城を辞して治療院へと戻ってきたマニは、自分が今日休暇扱いとなっていることを知った。今からでも、と仕事に戻ろうとしたマニを、同僚達は口々に「もう今日は休んでていいから」と押しとどめた。


「領主様を気にして言ってるんじゃないよ」同い年の同僚が、いつになく真剣な顔でマニに語りかけてきた。「今日のアンタ、本当に顔色悪いんだもの。折角休みになったんだから、ゆっくりしておきな」


 他の皆も、心からマニのことを心配してくれているようだった。

 半年前のマニならば、とてもこんなふうに考えることなどできなかっただろう。こうやって心安く同僚達と言葉を交わすことも、無かったに違いない。

 皆の気遣いに甘えて、マニは治療院を出た。風の気まぐれからいつもとは違う裏手の道を選び、菜園の脇を通る。

 ふと辺りを見渡せば、蔬菜達が瑞々しい葉を気持ち良さそうに秋風に揺らしていた。


 マニは足を止めると、目の前の柵に寄りかかった。

 まばゆいばかりに降りそそぐ日の光が、夏を名残惜しんでいる。

 鼻腔をくすぐる土のにおいに、草の香が混じる。

 さやさやとそよぐ緑をぼんやりと眺めるうち、いつしかマニは、風のまにまに心に思いつく旋律を口にしていた。


 


 


 そうやってどれぐらいの時が過ぎただろうか、土を踏みしめる音が聞こえて、マニは背後を振り返った。

 ヒューがそこに立っていた。

 栗色の髪が、陽を映して黄金色に輝く。乱雑に切りそろえられた前髪の下で、穏やかな瞳がそっと微笑んだ。

 マニの鼓動が、ほんの少しだけ、速まった。


「精霊使いなんだ?」

「え?」


 突拍子もないことを唐突に問いかけられて、マニはゆっくりとまばたきを繰り返した。


「その歌。魔術の波動を感じる」


 いつもと変わらぬ静かな口調で、ヒューはもう一度繰り返した。「精霊使い、じゃないの?」

 精霊使いとは、精霊と契約を結び、それを使役する技の持ち主のことをいう。ただ、その時にヒトの言語が使われることはない。もっと観念的な、いわゆる「(うた)」と呼ばれるもので彼らは精霊と意思を通わせるのだ。


「あなたが歌うと、ここらの草や花の気配が『揺れる』んだ。まるであなたに語りかけるかのように」


 そう言って、ヒューはにっこりと笑った。


「まさか……」

「意識せずに(うた)を交わしていたの? すごいや、愛されているんだね」


 ヒューの口から愛などという言葉が飛び出してきたことに、マニはつい狼狽して視線を伏せた。


「でも、精霊使いなんて、子供の頃に昔語りで聞いただけで……」

「確かに、精霊使いは圧倒的に数が少ないからね」


 知らなくて当たり前だよ、と優しい声が慰めかけてくれる。


「精霊使いの技には、魔術と違って、系統づけられた習得方法が存在しないんだ。それに、何よりも精霊に好かれなきゃいけない。こればっかりは、個人の努力だけではなんともならないんだよね」


 流石は魔術師、専門の分野だけに、その語りは流暢だ。自信に満ち溢れた声音にマニはじっと聞き入っていた。


(もっと)も、魔術の場合も、魔力を『練る』能力については、個人の努力なんて関係ないわけだけど」


 魔力を練るちから無くして、術師になることは不可能だった。その適性を量るのが「見極めの儀」であり、癒やし手、魔術師の別なく術師を志す者は皆、この儀式を通過する必要があった。


「たぶん、魔術も、精霊使いの技も、根っこは同じなんだと思うんだけど……」すっかり思索に夢中になってしまった様子で、ヒューは語り続ける。「精霊と契約しているという状態が、魔術における呪文を唱えている状態に等しい、とか。それなら、力場が互いに相克し合う可能性がある。精霊使いと他の魔術との親和性の低さも、説明できるかも……」

「親和性……?」


 つい聞き咎めたマニの呟きに、ヒューが、しまった、という表情になる。そのことが余計にマニの注意を引いた。


「どういう意味なんですか?」

「あ、いや……」

「他の魔術と、何がどう馴染まないというのですか?」


 マニは、まっすぐヒューを見つめた。

 ヒューは、大きく息を吐き出したのち、思い詰めたような眼差しをマニに向けた。


「精霊使いは、他の魔術との相性が悪い、という話を聞いたことがある」


 たっぷり一呼吸の間、マニは言葉の意味を理解することができなかった。

 まばたき一つ、少し遅れて、それは鋭い刃物のようにマニの胸に突き刺さる。


 


 魔術に対する適性は充分だ、そう「見極めの儀」で告げられた。にもかかわらず、いつまでたっても進まない修行。同じ時期に入門した者達はおろか、後輩ですら、次々と新しい術を習得しては、一人前の癒やし手として第一線で働いているというのに。

 努力が足りないのだろうか。マニはこの四年間、ずっと自問自答を続けてきた。足りないのなら、あとどれぐらい頑張ればいいのだろうか。寸暇を惜しんで修行に励んだ結果、身体を壊したこともあった。何度も何度も本を読み、教えを請い、ひたすら練習を繰り返した。

 そこまでしても、彼女が満足に使えるようになった術の数は、片手で足りる程度しかない……。


 


 マニは、唇を噛んだ。

 こめかみの脈動する音が、ごうごうと頭蓋に反響する。吹き荒ぶ嵐のごとき轟音に絶えかねて、マニは耳を塞いでその場に膝をついた。


「大丈夫!?」


 ヒューの声が、どこか遠くから聞こえてくる。


「ひどいわ……」


 嵐は一段と激しさを増し、逆巻く濁流がマニを呑み込む。空気を求めて荒い呼吸を繰り返しながら、マニは言葉を絞り出した。飲み込んだ水を吐き出すかのように。


「頑張って勉強して、練習して、どうしても上手くいかなくて、それでもいつかきっと私にもできるようになる、って信じていて」


 ――領主様をお待たせして、皆には迷惑をかけて。


「なのに、よく分からないちからのせいで、全部無駄になってしまうなんて……!」

「無駄になんてなってないよ」

「いいえ! どうせ私は何もできない、何も期待されない。家柄も、見た目も、ただ父母から受け継いだだけ。私が持っているものなど、何一つ無いのよ……!」


 これまで胸の奥底に封印していた澱が、荒れ狂う波にによって水面へ巻き上げられる。そうしてそれは涙となって、ぽたりぽたりと大地を濡らす。

 俯くマニの視界に、そっと影が差した。


「……ごめん」


 おそるおそる顔を上げれば、目の前にヒューの顔があった。

 見たこともないぐらいに真摯な瞳が、マニの姿を映していた。


「あなたを傷つけるつもりなんてなかった。あなたが精霊使いと知って、何か力になれないかと思って、つい……」


 苦渋の表情で、ほんの一瞬ヒューが目をつむる。それから彼は、もう一度まっすぐマニを見つめた。


「あなたには、あなたにしかできないことがある」


 マニは、呆然とヒューを見つめ返した。


「嘘」

「嘘なものか」


 ヒューらしからぬ力強さで、彼はきっぱりと言いきった。


「僕は、あなたに怪我を治してもらったよ。痛がっている子供をあやしたり、不安そうな人に声をかけたり、いつも皆のために働いているじゃない」

「そんなの、私でなくとも……」

「僕は、あの時怪我を治してくれたのがあなたで、本当によかったと思ってる。たぶん、他の人だって同じだよ。皆、あなたと出会えたことを喜んでいる」


 再びマニの胸に何かが突き立った。一際高く鼓動が跳ね上がり、みるみる息が上がってくる。

 だがそこに痛みはなかった。那辺から湧きあがる熱だけが、マニの胸の奥を満たしている。


「だいたい、僕なんてあなた以上に何も持っていないんだよ? 少しぐらいは僕にも自信を持たせてよ」


 朗らかに笑うヒューに支えられて、マニはふらふらと立ち上がった。


「ね、(うた)ってみて」

「え? でも、私、どうすればいいのか……」

「さっきみたいに歌えば、精霊のほうが合わせてくれるよ、きっと」


 だって、皆あなたのことが大好きなんだから。そう正面切って言われて、マニは思わず顔を伏せた。


「すごい。耳までまっ赤っかだ」

「意地悪」


 少しだけ唇を尖らせてみせて、それからマニは畑のほうを向いた。

 ゆっくり呼吸を整え、静かに息を吐き出してゆく。

 素朴な旋律が、ふうわりと辺りにたゆとうた。それは、土の香りと交じり合いながら、緑の葉をさやさやと揺らす。


 ふと、マニの視界の端で、何かが動いた。

 ヒューが、何か呪文を唱えていた。

 囁くような詠唱を、指が優雅な動きで大気に編み込んでいく。なにやら満足そうに彼が頷いた瞬間、マニを中心に風が周囲へ吹き渡っていった。


 (うた)が、風に乗った。


 世界が、広がる。そうマニは思った。自分の中から溢れ出る調べが、みるみるうちに菜園を、小路を、治療院の裏庭を、覆い尽くしていくのが分かった。

 それに呼応するようにして、なにか温かな気配がマニの中に流れ込んでくる。

 ああ、と、マニは目を閉じた。

 瞼の裏に、家の庭の景色が浮かび上がってきた。

 近所の人々が、街一番の美しさと誉めそやす庭。庭師を雇う余裕などないため、朝な夕な、丹精込めて母とマニの二人で世話をしている庭。心に浮かび上がるままに、はなうたを口ずさみながら水をやれば、緑なす木々が嬉しそうに枝を揺らす……。


「これ、本当は、声を届ける場所をいかに一点に集中させられるか、が勝負な術なんだけどね」


 ヒューの声に、マニはそっと瞼を開いた。


「でも、こういう使い方だって、いいと思わない?」


 ヘッポコ万歳、と嘯くヒューに、マニは心からの笑顔を向けた。


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