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2 落ちこぼれと呼ばれる魔術師

 

 

 

 それから毎日のように、彼は治療院に姿を見せるようになった。

 彼は、名をヒューといった。遥か東方から幾つもの国境(くにざかい)を越え、魔術の修行をしにルドスへとやってきたとのことだった。


 ルドスは、その名のとおり、かつてこの大陸を統べたルドス王国の都だったと謂われている。古代ルドス魔術の発祥の地でもあり、領主の城には呪文書の原本が保管されているとの噂だ。

 そんな聖地ともいえる街で本場の魔術を修業したい、そう考える者は決して少なくなく、要望に応えて何代か前の領主が城内に学び舎を設立していた。そこには単元別に細分化された短期講座が幾つも用意されており、より高みを目指す者は、自らの技能と懐具合に見合った講座を選んでは、路銀が尽きるまで修行に没頭するのだ。


 見たところヒューは相当慎ましい生活を送っているようだった。教会に出入りするようになったのも、治療代の代わりに労働力を提供するためだったらしい。

 畑仕事の合間などにマニの姿を見かける都度、ヒューは屈託なく声をかけてきた。少し離れた場所から大きな声で手を振ってくるヒューに、マニは慣れないながらも見よう見まねで挨拶を返すようになった。


「あんだけ元気じゃ、あいつ、また助祭様に追加で仕事ふっかけられるよ、きっと」


 同僚の癒やし手が、珍しくも楽しそうに笑いながらマニに話しかけてきた。「……ほーら、来た。見てな、『なんだ、まだまだ働き足らないようだな』」

 彼女の声真似と、助祭の声とがぴったりと重なって、マニは思わずふき出してしまった。

 それを見て、同僚がマニの背中をぽん、と叩く。


「さ、私らも、仕事、仕事」

「……あ、はい!」


 とても自然に言葉を交し合えたことに、マニは胸の奥が温かくなるのを感じた。


 


 


 


 その日は、朝から街中が大騒ぎだった。街の西側、山岳地帯で大きな崩落があり、巻き込まれた農夫や牧童の救出が自警団によって行われていたのだ。

 治療院の癒やし手達も、総出で怪我人の救護に向かっていた。そんな中、マニは自ら留守番を買って出た。一刻を争う現場において自分の存在は足手まといにしかならないということを、充分に自覚していたからだ。

 同僚達を見送るマニの胸中は、不思議なほどに穏やかだった。今は留守を守るのが私の仕事なのだ。そう素直に思うことができた。


 


 昼を過ぎた頃、ヒューが治療院にやってきた。職員の大半が出払っていることを聞きつけ、授業がひけるや否や駆けつけてくれたのだ。


「癒やしの術は使えないけれど、雑用ぐらいはできるからね」


 何を手伝ってもらおうか、とマニが思案していると、詰所の外から子供の激しい泣き声が聞こえてきた。

 尋常ならざる様子で泣きじゃくる声に、マニは驚いて戸口に向かった。と、彼女の目の前で扉が勢いよく開き、血相を変えた助祭が部屋に飛び込んできた。

 助祭は、七、八歳ぐらいの子供を抱きかかえていた。服を朱に染め、狂ったように泣き叫ぶ男の子を。


「助祭様!?」

「とにかく、止血だ」


 言うが早いか、助祭は傍らの長椅子に子供を横たえた。

 恐慌をきたしているのだろう、自由になった手足をばたつかせて子供は泣き続ける。その動きに合わせて、鮮やかな赤が辺りに点々と飛び散った。


「これは、一体」

「この馬鹿が、そこの物見櫓で遊んでいたのだ。子供が勝手にのぼるなと、あれほど言っておったのに。案の定上から落ちかけよってな、なんとか柱にしがみつき辛うじて落下せずにすんだが、建材に腕を挟んでこのとおりだ」


 そう言っている間も子供は一向に泣き止もうとしない。押さえ込もうとする助祭の手を振り払っては泣き喚き続ける。


「ヒュー、手を貸せ。足を押さえつけろ。マニはいつもの籠を」


 慌てて戸棚に向かうマニの背後、ヒューが子供をなだめる声が聞こえる。


「ほら、いい子だ、もう大丈夫だよ、落ち着いて、落ち着いて。……って、全然聞こえてないですね……」

「とにかく、こいつを大人しくさせなければ止血もできん。マニ、おぬしはまだ『昏睡』を使えないのだったな?」


 応急手当用具一式が入った籠を手に戻ってきたマニは、下唇をきつく噛みながら「はい」と一言を絞り出した。

 助祭の手元、痛い痛いと喚きながら、子供が何度も身をよじる。


「ある程度血が止まらんことには、『治癒』も効かんし……。そうだ、ヒュー、おぬし魔術師だったな。『睡眠』の術だ」


 その一瞬、ヒューの身体が強張ったのが見てとれた。彼は、滅多に見せない難しい顔で何事か考え込む。


「まさか……、『睡眠』は初級中の初級の術と聞いたが」

「いえ、勿論使えますよ」


 ふう、と大きな溜め息を吐き出したヒューは、泣き喚く子供の顔を覗き込んだ。


「この子の名は?」

「ガーランという」

「手を、離してやってください」


 助祭は一瞬不安そうな表情を浮かべたものの、静かに頷いてヒューの言葉に従った。

 戒めがなくなった途端、子供が再び四肢をばたつかせて暴れだした。

 マニは、思わず息を呑んだ。一体ヒューはどういうつもりで、助祭に手を離せなどと言ったのだろうか。このままでは、どんどん処置が遅れてしまうではないか。

 心配するマニをよそに、ヒューは至極落ち着いた様子で子供のほうへ身を乗り出した。

 そして、正面から彼を抱き締めた。そっと、優しく、そしてしっかりと。


「いい子だ、ガーラン。もう大丈夫だから」


 耳元に口を寄せ、ヒューは囁くように語りかける。頬に頬をすり寄せ、抱きかかえた頭を撫でながら、大丈夫、大丈夫、と繰り返す。

 ほんの僅か、子供の泣き声が小さくなった。

 辛抱強くヒューが頭を撫で続けるうち、やがて、泣き声にしゃくりあげる音が混じりだした。手足の動きも、少しずつ収まり始めている。

 息を詰めていたマニの口から、安堵の溜め息が漏れた。


「だが、このままでは治療を始めるとまた暴れだすぞ……」


 助祭の声に軽く頷き返してから、ヒューは子供を抱き締めたまま、なにやら両手の指を複雑に動かし始めた。穏やかな旋律が辺りにたゆとうたかと思えば、やがて子供はコトンと眠ってしまった。


「よくやった」


 間髪を入れず、助祭が動く。子供の左腕、ぱっくりと開いた傷口を閉じさせるようにしてガーゼを当て、その上から腕を握り締め、止血を行う。

 助祭に場を譲り身を起こしたヒューの服には、あちこちに血がついてしまっていた。


「どうしましょう、服が……」

「もともと襤褸みたいなものだったし、気にしないで」


 にっこりと微笑むヒューの眼差しがとても優しくて、マニは息が詰まりそうになった。辛うじて「ありがとうございました」と絞り出し、深々と頭を下げる。


「時に、おぬし、どうしてすぐに術を使わなんだ?」


 ならば服を汚さずにすんだだろうに。そうつけ加えて、助祭が怪訝そうに首をひねった。

 確かにそのとおり、とばかりにマニも大きく頷いてみせる。


「魔術師の術って、癒やしの術と違ってやたら攻撃的なんですよ。同じ眠らせるにしても、『昏睡』は、こう、すうっと眠りに落ちる感じだけど、『睡眠』ってのはかなり乱暴で、力任せにガツンと意識に蓋をさせる。だから、被術者が興奮状態にあると、術の衝撃がかなり大きくなってしまうんです」

「それで、術の前にこいつをまず落ち着かせようとしたのか」


 なるほどなるほどと頷いたのち、助祭が悪戯っぽく口の端を引き上げた。「ヘッポコのくせに、よく知っているな」


「色々条件を変えては自分でも試してみたんで」


 ヒューは少し照れたような表情で、だが誇らしげに胸を張った。


「そこまでせずとも良かろうに。そんなことをしているから、いつまでたっても位が上がらないんだろう? 収穫祭までもう日が無いぞ」


 呆れたように助祭が肩を落とす。

 ふと引っかかるものを感じて、マニはおずおずと口を開いた。


「収穫祭に何かあるんですか?」


 マニの言葉を聞いた瞬間、ヒューの瞳が僅かに揺れた。それから彼は、顔を窓の外へ向けた。まるでマニの視線を避けるかのように。


「そろそろ、手持ちが尽きるんでね。冬が来る前に故郷(くに)に帰ろうかと思って」


 そう言って口をつぐむヒューの横顔を、マニはただ黙って見つめ続けた。


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