暗い水溜りの底
人間のどす黒いところを前に出した、恋愛の短編です。
そのため、描写はなるべく色っぽくべたつくような書き方をしてます。
読みづらいかもしれませんが、仕様です。以上。
とある穏やかな昼下がり。
太陽は南中よりも少し西に傾き、T字道路の端を、色とりどりの春の草花が彩っていた。卒業シーズン真っ盛りな通学路を、しかし今は誰もいないこの場所で、二人の男女が向かい合っていた。
「好きです。付き合ってください」
「ごめんなさい。君みたいな未成年に興味はないわ」
コンマ1秒で終わった少年の春はむなしく、春風は力強くそれを押し流していった。そしてその場に少年だけが取り残される。
彼の目の前を、つかつかと忙しそうに長身の女性が去っていく。
僕の惚れたオンナ。
路上で告白した少年は、ほんの瞬く間に振られてしまった。けれど、振られる前よりも何故か体が熱くなって、なんだかあの女性を自分のものにしたいと強く思った。
清潔感を通り越して無機質さを露出させるベッドに、アヒル座りでぼんやりとしている女史がいる。
同じくその向いに位置するベッドには高校生くらいの少年、村雅 唯< むらまさ ゆい >
少年はのそりとトドのようにベッド上を動くと、女史を下から舐めるように見つめた。
女史は唾を飲み込むと、普段通りに余裕な構えを取ってベッドに腰掛けた。黒く短いタイトスカートを派手に捲らせ、悠然と足を組み少年を見下ろす。
「おはよう、村雅唯。目覚めはどう?」
少年は女史の太腿へ縫いとめられていた視線を無理に引き剥がし、頭をがりがり掻いて女史に背を向けた。
「悪くない。ただ……また誘ってるの? お医者さん。太腿が見えてるけど」
女史は一旦苦笑して、それから少年の首へと腕を回して耳たぶを噛んだ。つぶやく。
「二日前に貴方に犯されて、誘うわけないでしょう? しかもその翌日にあなたがうちの病院を来訪してくるなんて。異性嫌いになりそうよ。それに、なんで貴方が私の部屋にいるの?」
「あなたが誘ってきたからここにいる、それでいい?」
「馬鹿じゃない。君は有名校に通う優等生なんだから、もう少しマシな言い訳をしなさい」
少年は観念したように両手を挙げ、近くの棚に置いておいた眼鏡を掛けた。
「どうしてもあなたを諦めることができなくてね。そのために、二日前に理性を失ってあなたを犯してしまったことを謝りにきたんだ。それにしても、なぜ僕が優等生だって分かるの?」
「制服と雰囲気」
「あーなるほど。でも雰囲気なんて持った覚えはないですよ?」
「貴方にはなくても人は自然と持つものなの。……はぁ。質問させてもらうけど、なんでその私に謝りにきた貴方がここで寝転がってるの?」
一旦少年から離れて、女史は少年の隣に腰掛けた。困ったと心の底から溜息をついてるような顔だ。
「それは、貴女を追跡してみたら、貴女の部屋に不審人物が入ろうとしていたのでそれを僕が追い払った結果というか。ま、追い払った代償として好きな女性の寝顔くらい見てもいいだろうと判断したわけで」
「そう。それはありがとう。ストーカーに家を見つけられた挙句、寝顔を見られたこちらとしては機嫌が悪いからとっとと出てってもらえ……っ!」
女史の言葉は遮られ、かわりに少年が彼女を見下ろす体勢になっていた。先程から常に絶やさない笑みがこのときばかりは怖いと、女史は思った。髪の影が彼をより不気味に見せる。
「ねえ。僕をあなたの彼氏にしてよ。本当はキャリアもあってどこでも皆に冷たい態度取ってるから、誰にも声をかけてもらえなくて寂しいんでしょう?」
押し倒された女史は、掴まれた腕を動かしてもその拘束が解けないことを理解すると、諦めたように天井を仰いで呟いた。
時刻は昼過ぎ。
普段なら仕事があるが、今日は特別に休暇を貰った日だから一日中寝ていられる。本当は昨日の夜勤が祟ってかなりの疲れが溜まっているのだが、この状況ではそんな悠長なことは言ってられない。犯すか犯されるか、その瀬戸際。オール ・ オア ・ ナッシング。
やっぱり負けか……。
普段仕事場で常に勝ち抜いている彼女にとって、負けとは非常識であり、存在しない。しかし、心のどこかで負けに安堵している彼女がいる。負けることの心地の良さに、心の防備が解けていく。
天井を見上げたまま、そっと溜息をついて瞳を閉じた。
「そうかもね。……あんな出世欲にまみれたやつらの中にいて弱みを見せたら、いつどう扱われても仕方ない。だからといって弱みを見せず孤独でいるのも寂しい。あなたの言う通りね。……で、あなたはそんな無理に諭して、本当に私の心を得ることができると思っているのかしら?」
心の防備が一気に修復され始める。肝心な問題だ。
「思ってないよ。ただね。僕は今君を拘束していることで、何故か気分が高揚しているんだ」
「一種のサディスティックね」
「そう。だから本能のままの僕としては再びあなたを犯してしまいたいところだけど、あいにく今日は理性が働いているのでね。ただこのままあなたが弱みを見せるのを待っているのさ」
女史は溜息をついて、幼子に説いて教えるように言った。前言撤回だ。やっぱり子供。大人は子供に負けない。
「私の精神的状態をあれだけ見抜きながら、まだそんなことをいってるの? そんなようじゃ、貴方の望んだ通りにはならない。勝ちもしない賭けをするなんて。千切れかけの綱を渡るようなものじゃない」
心の壁は九十九パーセント修復完了。あと少し。
でも。
「ふふ……あなたって人は意外に間抜けだね。つまりあなたは本当に今、とても寂しいんだ? じゃ、これは勝ちもしない賭けではないよ。あなたの心の鎖が少しだけほころべば、僕にだって希望はある」
どきりとした。
あと一パーセントで完成の壁が、無残にもその一言で崩れだす。動揺が顔にも広がり、女史の体が一瞬硬直する。
可愛らしい人だ。たった今思いついた推測だけでこれだけ動揺してる。やっぱり僕は、貴女が好きだ。
少年は、適当に言った推測があながち間違っていなかったことと、それに対する女史の反応に微笑み、女史の首筋に口付けた。制止の言葉も興奮剤にしかならない。
少年は女史の言葉を無視し、柔らかな首筋から鎖骨へと口付けを繰り返す。女史の手首を拘束したまま、女史の、肋骨の一番下より指四本上、左胸寄りに自らの右耳をあてがった。規則的な鼓動が聞こえ、それが生命をもったものであることがわかる。
「生きてる……」
「……当たり前よ」
「死んだら、僕みたいなやつとこんな戯けたこともできなくなる」
「何を……」
「僕、あと三日で死ぬ予定なんです」
少年は唐突に話を飛ばした。女史は驚き、そして鼻で笑った。いきなり何を言い出すのかしら。
「何を言っているの? 話のつじつまがあっていないわ」
少年は女史の言葉を無視してまた、喋りだす。
「僕の両親は数ヶ月前になくなったんだ。家には妹がいてね。彼女は僕のためにいろいろと身の回りの世話をしてくれたよ。だけどね。その彼女も前々からあった持病で息を引き取り、生きているのは僕だけになった。僕は絶望して自宅に引きこもり、ずっと暗闇の中でじっとしていた。周りに家族の骨壷を置いてね。死んだはずの家族がまだ生きてるって思い込もうとした。行きたくなかったけど、学校の卒業式の日まで頑張って行ったんだ。でも駄目だった。帰り道で僕はずっと死のうと考えていた。寂しかったんだ、きっと。寂しくて苦しくて。だけどT字路ですれ違ったあなたは全
然違っていた。力強くて生き生きとしていて。だけど、その瞳だけは孤独の中で寂しさを堪えてることを訴えていた。僕も同じ瞳をしているというのに、僕とは違うあなたに僕は興味を持った。同属を好んでの興味じゃない。ただね、話してみたいと思っただけなんだ。でも、僕にはそんなとき、初対面の相手にどう声をかけていいか分からなかった」
「だから告白して、印象付けしようと?」
「ああ。そしてそのあとは僕の思う通りになった。あなたと最悪の形ではあったにしろ出会い、そして繋がってしまった。そして分かったんだ。こうして対面し、あなたを感じている今でも実感している。僕と貴女はまるで違う孤独に悩み苛まれていると。だから僕はやはり、死ぬことを決めたんだ。このままいてもお金が尽きれば僕は飢え、死に行くだけだし。……折角寂しさを分かち合えると思ったのに。――っと、そろそろ時間だ」
少年は今まで掴んでいた手を離し、女史の服を整えて立ち上がった。きちんと自分のいた痕跡を消して。
「僕は帰らないと。今まであなたの生活に土足で入りこんでごめんなさい。話を聴いてくれて、本当にありがとう。とても嬉しかった。それじゃ、最後に。本当に最後に、さよな」
「このまま黙って帰すと思ってるの?」
今まで天井を見つめていた女史が身を起こした。真っ直ぐ少年の瞳を見つめ、今までのように軽蔑を含んだ眼差しではない、真剣な眼差しで。
「何を……」
「私は医者よ。今までたくさんの人を見てきた。現世を離れていく人々を見てきたわ。だけどね。その中に孤独を知らない人なんていなかった。皆、その瞳に孤独を映して、これから続く、たった一人での常世の旅に挑もうとしていた。現世にいる人皆に、別れを惜しんでいたわ。……私はね。私の知っている孤独はそんな自分だけの孤独じゃないの。たくさんの人の、最もつらい孤独なの。あなたがこれからしようとしていることは、今よりももっとつらい孤独へと旅立つことなのよ? 私の知っている人を私は止めることはできなかったけど、今なら止める事ができる。お願い。さよならなんて言わないで。無碍に自分の命を消そうとなんてしないで。もう、そんな瞳で消えていく人を、しかも目の前で何もできずに見送るのは嫌なの」
彼女は瞳から澄んだ水玉を零した。少年は少しだけ呆然としていたが、やがて冷静な声で彼女に聞いた。
「ここで僕を止めたとして、あなたに何の利益があるの? 損ばかりだと思うけど。これまでの暮らしがきつくなるよ? それでもこの、伝も宛もない僕を止めるというの?」
「……ええ」
そう答えた女史の瞳にはもう、涙は無かった。何かを決心した、強い光が宿っていた。
少年は女史の目の前に座ると、ベッドの上で女史に土下座をした。頭を上げる。
「こんな僕を救ってくれてありがとうございます。これからは、よろしくお願いします。やっぱり、貴女は僕の希望だ」
少年はにこやかに微笑み、そしてもう、自殺はしないと言い切った。女史は頷き微笑み返す。
「これからは、私の孤独も幸福に変わるのね、死ぬそのときまで。そして死ぬときは、あなたを思って常世へと行けばいい。そうしたら、もしかしたらその後を追うあなたと出会えるかもしれない。そのときはまた、私の孤独を埋めてくれる?」
少年はまぶしそうな笑顔を作ると、女史に向けて言葉にならない肯定を送った。
その後。
少年は女史宅を出て、数分先の我が家へ帰ってきた。鍵を開け、一言。
「ただいま」
「お兄ちゃん、お帰りなさい! 今日も遅くなって……また女遊び? やめなよー? 相手の人に嘘ついたりしたら、悪いじゃない」
「いいんだよ。別に――ばれやしないんだから」
少年は、可愛い妹の頭を撫でながら、そう囁いた。
終
はい。すいません。やらかしました。
作者としてもどっちの方面に転がっていけばいいのやら迷走しています。
ハイ。