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善と悪  作者: 桜 希空
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善と悪 下



「なあ伊藤」


「なんですか?」


修二は大橋に顔を向けた。


「昼飯食った後にこんな話するのは変だけどよ」


修二と大橋は会社で昼食をとった後、屋上へ行き、ベンチに座って缶コーヒーを飲んでいた。大橋が口を開いたのは、それから二、三分後のことだった。

大橋はあれから、修二と二人でいる時だけは本当の姿で振る舞うようになった。

修二からすれば、それは嬉しいことだった。

大橋は言った。


「伊藤。お前、“死神都市伝説”を知ってるか?」


“死神”という言葉に思わずドキリとする。


「死神……都市伝説?」


動揺を抑えながら大橋に聞く。


「言っとくがただの都市伝説じゃないぜ?」


意地が悪そうな笑みを浮かべた。


「と……言いますと?」


まさかと思いながら促す。


「これはな。実際に起こっている……つまり、“実在する伝説”なんだよ」


修二の予想が的中した。思わず大橋から眼をそらす。

大橋は続ける。


「ここ二、三年。罪を犯した奴が次々に死んでるのはお前も知ってるだろ?」


「はい。……確か、殺された手口が同じで、同一犯とみて警察が調べているんですよね?」


「あぁ。だが凶器が見つからず、指紋も出なくて捜査が進まないみたいだ。しかも、罪が重い奴は遺体がバラバラにされて見つかるって言うしな」


修二は再び大橋に顔を向けた。


「まさかそれが――」


「最初はただの噂だった」


遮って大橋は続ける。


「だがよ。実際使われたと思われる凶器は、“この世に存在しないもの”らしいんだ」


修二の脳裏に、ギラリと光る死神の大鎌が浮かぶ。


「なんでも刺し口が鎌みたいなんだが、かなり大きいものだそうだ。一番大きいと言われる鎌で検証しても、全然駄目なんだとよ。それに……」


「それに?」


「最近じゃあ、何故か遺体の周りに“桜の花”が落ちてるそうだぞ?」


修二は確信した。徐々に胸の鼓動が速くなるのを感じる。修二の知る、あの死神に違いなかった。急な吐き気が彼を襲う。


「伊藤?」


異変に気付くと、大橋は慌てながら背中をさすった。


「すまねぇ! やっぱこんな話するんじゃなかったな……」


「大丈夫です……。ちょっと失礼します」


「歩けるか?」


「はい……」


修二は急いで屋上を後にし、男子トイレに向かった。大橋はしばらく、彼が去った後も出口を見つめていた。



* * *



修二が洋式トイレから出た。すっかり胃の中が空っぽになってしまった。

手洗い場に向かい、鏡に映る自分の顔を見つめる。


「……」


その時。


「私が何者なのか、よく分かっただろ」


「!」


振り返ると、例の死神がいた。


「みんな……お前が殺ったのか?」


「違う。桜が落ちているものだけだ。死神は私だけではないからな」


「お前……いや、お前達は……」


「伊藤修二」


死神が修二の言葉を遮った。


「最後の警告だ。とにかく菅野泰造から逃げろ」


「えっ……?」


「もちろん家族も連れてだ。今夜だけ、この町から離れろ。今夜……裁きを始める」


スゥッと死神は姿を消した。


『お前の裁きをどうするかは最後に決める。今日のお前の行動で、全てが決まる』


振り返り、修二は再び鏡に映る自分を見つめた。






「沙織、遅いわね……」


沙代子は家の外で娘の帰りを待っていた。

現時刻は午後六時。そろそろ沙織が家に着いてもいい頃なのだが、一向にそれらしき影が見えない。


「全く。こんな時にどこを――」


言いかけた時、一つの人影が見えた。しかし、それは沙織ではない。夫の修二だった。


「あなた!」


駆け寄る妻に修二は一瞬驚いた。


「外で待ってたのか?」


「それもそうなんだけど、沙織がまだ帰ってこないのよ」


一瞬、嫌な予感が頭をよぎったが、冷静になって考えた。


「今日は金曜日だ。友達とどこか、寄り道でもしているんだろ」


「でも……。いつもなら連絡してくれるのに、今日はそれがないのよ?」


不安顔がさらに濃くなる。じっとしていられないのか、足とおろおろしている手が小刻みに動いている。

修二は呆れ顔を妻に向けた。


「沙織はまだ携帯を持っていないんだ。公衆電話がない所なんて、たくさんあるだろ?」


「でも……」


沙代子が惜しむような眼をする。


「折角あなたが、「久しぶりに家族揃って外食しよう」って言ったのよ? 沙織も絶対喜ぶはずよ」


修二が立てた計画は、隣町の洋風レストランに行き、家族と楽しみながら時間ときを過ごすことだった。妻にはあの後すぐに電話を入れ、隣町で美味しい店を探して貰ってある。電話口で子供のように喜んでいたことを思い出す。

後は沙織の帰りを待つだけだった。


「そうだといいけどな」


その時、修二の携帯電話がブルブルと鳴った。

開くと、非通知の画面が出ていた。

妻から少し離れ、通話ボタンを押す。


「もしもし?」


『私だ』


菅野泰造の声が耳に飛び込んだ。


「何か御用ですか?」


『君は今どこにいる?』


一目妻を見てから、修二は正直に答える。


「自宅の前にいます」


『奥さんと娘さんは?』


「妻は近くにいますが、娘はまだ家に戻ってません」


話した途端、菅野が悪魔のように笑う声が聞こえる。


『……だろうな』


一瞬で修二は悟った。


「まさか――」


大声を出しかけたが、沙代子がいることを思い出して修二は言葉を止める。

先を求めず、菅野は続けた。


『伊藤君』


「なんだ」


言葉から完全に敬語が消えた。

しかし、菅野は気にしない。


『今から言う場所にすぐに来い。話がある』


場所を聞くと修二は通話を切った。


「沙代子」


久しぶりに名前で妻を呼んだ。


「もしかして、会社から?」


心配するように夫に聞く。


「ああ。……大事な書類を忘れたから、これから取りに行く」


「あら、そう……」


沙代子が残念そうな顔をする。


「大丈夫だ。すぐに戻る。沙織が帰ってきたら、家で待っててくれ――あ、そうだ」


修二が鞄の中から四角い箱を取り出した。水色一色の紙に包まれており、花の形をした赤いリボンが中心に供えられていた。


「これ。沙織に渡しておいてくれ」


「……分かったわ。なるべく早く帰ってきて」


「ああ。……じゃあ、行ってくる」


修二は約束の場所へと駆け出した。



* * *



菅野と約束した場所は、脱税した金を隠す例の山だった。


「やっと来たかい」


「娘はここにはいませんよね?」


いきなり修二は切り出した。


「なんだ。分かっていたのかい?」


「最初からそうだと思ってましたよ。それに、本当に捕まえたのなら、あなたなら“声”を聴かせるでしょう? その方が確実に私が食い付くと思うはずです」


表情こそ崩さなかったが、菅野は自分の作戦を見破られて驚いた。

その気持ちをそのまま部下に伝えてみる。


「ほお……君ってまるで探偵みたいだね」


「――話とはなんですか?」


それについては何も返さず、修二は早く本題にいくよう促した。

すると、菅野は呆れたように笑い出す。


「ここまできてシラを切る気か?」


「どういうことです」


修二は首を傾げる。

菅野は言った。


「お前だろ? 警察に“密告”したのは」


「密告?」


上司の言っていることが理解できなかった。もちろん、修二にそんな覚えはない。


「まさか君が裏切るとは思わなかったよ」


スーツの内ポケット辺りに手を入れ、何かを探り始めた。


「密告とはどういうことですか。私は何も知りま――」


「言い訳はもういい!」


修二の否定を遮ると、内ポケットから拳銃を取り出した。銃口を修二の胴体に向ける。

銃を向けられた瞬間、修二の顔が一気に青くなる。後退りしようにも、足が思うように動かない。身体が恐怖に支配されていた。


「何故私と決めつけるんですか!?」


必死に目の前に上司に訴える。そもそも何故自分が犯人にされたのか、分からない。


「君しかあり得ないんだよ! これを“嫌がる”奴は、お前しかいないからだよ!?」


狂ったような大声で菅野は言い切った。

その声が金縛りとなり、修二は言い返す言葉が出なかった。


「……死ね」


銃の引き金を引こうとした。何も言わない修二を犯人と決めつけたようだ。

修二は死を覚悟して眼を閉じた。沙代子と沙織の顔が、脳裏に浮かぶ……。


(…………あれ?)


しかし、いつまで経っても銃声が聞こえない。身体にも、痛みというものがまるで伝わらない。

代わりに、菅野のうめき声らしきものが聞こえてきた。


「うっ……うあ……」


恐る恐る眼を開けると、上司の心臓がある辺りに鋭い刃が飛び出ていた。ポタリポタリと、刃先から血がたれている。

そのおかげか金縛りが解けて、修二の身体が地面に落ちた。しかし、呼吸の乱れが止まらない。呼吸を整えようとする思考さえもでなかった。

尻餅をついた姿勢で、身体を痙攣けいれんさせる上司を見た。


(あの刃……まさか……)


その時、飛び出ている刃が菅野の体内に戻るようにゆっくりと沈んでいった。まるで菅野自身が底無し沼になったようである。

刃が見えなくなると、肥満の身体がドサリと地面に転がった。同時に、後ろにいる、菅野を殺した犯人が露になった。


「死神……」


殺した犯人――死神は呼ばれても返事をしない。倒れている菅野のことしか見ていないようだ。

瞬殺した凶器――大鎌は右肩に担いでおり、刃先はまだ血で濡れている。


「お前……」


声をかけようとしたその時。

グサッ、と、死神は倒れている菅野の遺体に再び大鎌を降り下ろした。そして、腕、足、胴体を輪切りの容量でバラバラにしていく。

グサッ、グジュッ……肉の切れる音が山の中で響いた。

ホラー映画を明らかに超えたその光景に、修二はただ震え、口で激しく呼吸するしかなかった。



死神が手を止めた時には、遺体は原型をとどめない程にまでバラバラにされていた。

修二はいつの間にか、そこから眼を離すことができなくなっていた。人ではなくなったそれを、ただじっと意味がないまま見つめるのだった。

大鎌を定位置に戻すと、死神が座り込む修二に歩み寄る。修二がそれに気付いたのは、彼女が目の前に立った時だった。


「伊藤修二」


死神が彼の名を呼んだ。気のせいか、今までで一番声が冷たく感じる。

しかし、そのおかげでか修二が正気に戻った。落ち着くと、何故か恐怖心がどこかに飛んでいった。

口を開こうとした時、死神のとんでもない言葉が耳に飛び込んできた。


「これから、お前の裁きを始める」


すると修二は、これから殺されるにも関わらず、何故か納得するような顔をした。


「……やっぱりそうだよな。最初から助かるなんて思ってなかった」


「理由はそこではない」


誤解するなと死神が言った。


「え?」


修二は思わず顔を上げる。


「裁きが確定した理由は――お前が“最後の警告”を無視したからだ」


「…………あ……」


約束を守っていなかったことを思い出す。


「後十分待っていれば沙織は家に到着した。足を痛めた友を家まで運んだせいで遅くなっていたそうだ。お前が言った通り、公衆電話がない場所だ」


本当に沙織が無事だと知ると、修二は安堵の息を洩らす。


「よかった……」


「だが」


次の瞬間、空気が一気に重くなった。


「あの後、菅野の手下が家にいる二人を殺そうとした」


「!? まさか……」


「安心しろ。家に侵入する前に私の仲間が殺った。遺体も処分してくれたらしい」


「……すまない」


「礼なら仲間に言ってくれ」


「ああ……お前から伝えてくれ。……さあ、殺るなら殺ってくれ」


立ち上がると修二は両手を広げた。

それを見た死神は、帯の内側から赤い布らしきものを取り出して、鎌の刃についた菅野の血を拭き取り始めた。

血を拭い取ると、修二に言った。


「最後に一つ、“願い”を聞いてやる。できる限りは叶えてやる。ただし、命を助けて欲しいとかはなしだぞ」


分かったと返すと、腕を組んで願い事を考え始めた。

悩んでいる素振りもあったが、五分程で内容が決まった。

修二は言った。


「俺の願いは――……」


すると、常に無表情の死神が一瞬だけ驚きの表情を見せた。すぐに表情は戻るが、そこにはまだ動揺の色が僅かにあった。

再び修二の顔を見ると、頷いた。


「分かった。聞き入れた」


死神が大鎌を振り上げた。

修二は先程のポーズで眼を閉じている。そこに、死を恐れる気持ちは欠片もなかった。

修二の心臓目掛けて、大鎌は勢いよく降り下ろされた。

山から鈍い音がこだました。



一時間後――。

警察が見つけた時、そこに修二の遺体はなかった。あったのは菅野泰造のバラバラ死体と、その上に広がり落ちている桜の花びら。

そして、修二が最後に立っていた場所に落ちる、枝付きの桜だけだった。





三日後――。

ガチャッ、と、ある家の玄関のドアが開いた。


「行ってきます」


「行ってらっしゃい」


会社員の男性と中学生の少女が外に出ると、玄関前に立つ女性が手を振って見送った。


「お父さん」


少女は別れる前に父を呼び止めた。


「ん? なんだ沙織」


振り向くと、娘が制服の右腕を軽く引っ張り、隠していた手首に身に付ける腕時計を見せた。水色のベルトが可愛い、丸い形をした時計だった。


「これ、早速着けたの! 本当にありがと! スゴく可愛い!」


嬉しさがとても伝わる笑顔に、父親は満足した顔で、


「おー、それはよかったな!」


と笑って返した。


「お父さん、今日も頑張ってね。行ってきまーす」


大きく手を振ると、沙織は学校に向かって駆け出していった。


「気を付けろよー」


父親は笑顔でそれを見送った。


「――さて、俺も行くかあ」


姿が見えなくなると、男――大橋直人は沙織とは逆方向の道を歩き出した。



家の屋根から、その姿が見つめる一つの影があった。その右肩にある、光とは不似合いのものが朝日を浴びてギラギラと光輝いている。

同じく光とは相入れないはずのは影は、背中に浴びる朝日を全く気にせずにじっとその場に立っていた。


(自分の存在をなくし。大切なものを友である大橋直人に託すとは……こんな人間もいるのか……)


心密かにそう呟くと、その影は静かにスゥッと消えていった。




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