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善と悪  作者: 桜 希空
1/3

善と悪 上


時は二〇ХХ年――。

この時、日本では悪事を行う人々が急増していた。

原因は……数々におよぶ自然災害である。人々は、これまでも数々の大地震や津波等に襲われ、その度に恐怖を覚えた。やがて人々は自然を愛せなくなった。同時に、人々の心にも変化をもたらしてしまった。殺人、誘拐、ヤミ金……人々は様々な悪に手を染めるようになった……。

そんな悪に染まりかけている日本に、とある都市伝説が突如誕生した。


『ある日、悪事を行う人間達の前に“死神”と名乗る者が現れた。

死神は言った。


「これ以上悪事を働けば、“我々”がお前達を“裁き”にかけなければならない。今ならまだ間に合う。すぐに手をひけ」


しかし、悪者達は死神の警告を無視し、その後も悪事を行った。死神は何度も彼等の元に現れ、警告した。

そしてある日。


「これは最後の警告だ。今すぐにこんなことから手をひけ」


しかし、誰一人その言葉に耳を傾けなかった。それ以来、死神は彼等の前に姿を見せなくなった。

数日後、悪者達のバラバラ死体が発見された。』



一月十七日

都心の何処かの住宅地――。


「はぁ……」


伊藤修二いとうしゅうじはため息を吐きながら着替えていた。


「あなた?」


妻の沙代子さよこが夫の異変に気付いた。


「どうしたの? ため息なんかついて」


身体の調子が悪いのかと思い、心配そうに修二の顔を見つめた。


「なんでもない」


「本当に?」


「昨日……あまりよく眠れなかっただけだ」


修二は、妻を安心させようとした。


「あら、本当だわ。眼の下に膜が……」


「大したことじゃないから安心しろ」


「睡眠薬買ってくる?」


「いいよ。今日は帰りが遅くなる。疲れてすぐに寝ちゃうさ」


「あら、そうなの? 大丈夫?」


「大丈夫だと言ってるだろ。お前そこまで心配性だったか?」


「だって……あら、あなたネクタイ」


右にずれていることに気付き、沙代子はネクタイを締め直すことにした。久しぶりに、妻にやってもらえることを嬉しく思った修二は、何も言わずにじっと立った。

ネクタイを結びながら沙代子は続ける。


「だって……最近帰りが遅くなることが多いじゃない。あなたの元気な顔……全然見なくなったもん」


修二はどう言葉を返すか悩んだ。


(どう言うべきか……)


その時、よく耳にする明るい声が飛んできた。


「お母さん、もう私行くねー!」


娘の沙織さおりだ。


「沙織! お弁当は?」


「持った! 運動着も持ったから!」


沙織は、「運動着は?」と聞かれないように返事を足した。


「沙織。気を付けて行けよ」


偶然にも、助け船を出してくれた娘に感謝しながら修二は言った。


「はーい」


ドタバタと走りながら玄関に向かい、シューズを履くと勢いよくドアを開けた。


「行ってきまーす!」


「行ってらっしゃい」


娘の挨拶を二人が一緒に返すと、ドアがカチャンと静かに閉まった。


「――沙織はもうすぐ中学卒業か……」


「早いものねー。ほら、あなたも急がないと」


「おっと」


スーツを袖に通して鞄を持った修二は、急いで玄関に向かった。靴を履き、身だしなみや忘れ物のチェックを終えると、最後に妻の顔を見た。


「じゃ、行ってくる」


「行ってらっしゃい」


笑顔で見送られながら修二は家を出た。

いつもより五分程遅れてしまった。修二は途中まで走ることにした。交通手段が電車だからだ。

出来れば急ぎたくない。徐々に家から遠ざかって行くにつれ、表情が先程より深く曇った。


(今月も……“あれ”を運ばないといけないのか……)




企画部――。

仕事場に着くと、同僚達に挨拶しながら机に向かった。椅子に腰かけると、隣に座る大橋が話しかけてきた。


「おはようございます。伊藤さん」


大橋直人――修二が会社の中で、一番仲が良い同僚だ。


「あれ、寝不足ですか?」


大橋が修二の眼の下の膜に気付いた。


「えぇ。……少し嫌な夢を見ましてね」


「今日は早めに上がったらどうです?」


「やらなきゃならない仕事があるんですよ」


「全く。高校生になる娘さんのために頑張るのはいいですけど、身体を壊したら元も子もないですよ」


呆れるように大橋は言った。


「大丈夫ですよ。丁度明日は休みになってますから」


聞くと大橋は、どこか安心するような顔をした。

鞄の中を探り、一本の茶色い瓶を取り出した。それを、修二の机上に置く。大橋がよく飲む栄養ドリンクだ。


「ありがとうございます」


カチャッとフタを開け、その場でゴクゴクと飲み始めた。


(出来れば……やりきりたくないけど)


彼は知らないのだから仕方がない。修二はそんなことを思いながら、ドリンクを飲み干した。


「伊藤君」


その時、ついにある男に名前を呼ばれた。


「はい」


内心は嫌に思いながら、上司の元に行った。 大橋は黙ってそれを見送ると、思わず舌打ちしたくなった。


「たく。部長は彼をこき使いすぎだ」



標準体型の修二と違い、目の前の男はまるで豚のようにたっぷりとした腹をしていた。上着を、ボタンで止めることができない程出っ張っている。


「お呼びでしょうか」


理由は分かっていたが、周りに怪しまれないためにわざと聞いた。


「“例の件”だ」


上司――菅野泰造すげのたいぞうは逆に普段通りに返事をした。


「……はい」


力なく答えると、菅野が席から立ち上がった。


「さてと、私は取引先の訪問に行くとするかな」


修二の横を通り過ぎる時、菅野は耳元に警告を投げ入れる。


「分かっているだろうが、しっかりやらなきゃクビだ」


菅野はそのまま企画部を後にした。修二は思わず立ち尽くしそうになったが、気をしっかり持って席に戻って行った。

大橋は、先程よりも元気がない修二の顔を見て驚いた。


「アイツに一体何言われたんだ。言ってみろ」


「仕事のことで、少しプレッシャーをかけられただけですよ」


「たく。あのクソ部長が!」


大橋の豹変ぶりを見ても、修二は慌てなかった。彼が部長を嫌っていることは、企画部の社員全員が知ってることである。いや、企画部の社員全員が菅野を嫌っているのだ。


「大丈夫です。仕事は必ずやり遂げてみせる」


「伊藤! 何か困ったことがあったら遠慮なく聞けよ?」


「ありがとうございます。大丈夫です。……それにしても、今回はかなりキテますね?」


大橋はハッとなり、咳き込んだ。


「こ、これは失礼……」


恥ずかしそうにする姿に、修二は思わず笑ってしまった。


「大橋さん。普段から“それ”にした方がいいんじゃないですか?」


「そ、そんなことより、仕事です仕事!」


「はい」


二人は机上に置かれている資料に手を伸ばした。



夜――。

会社の仕事を終えた修二は、菅野が用意した車に乗ってある場所に向かっていた。

修二の手は、今から震えていた。

車の後部座席には、菅野が前もって置いた思われる二つの大きな黒バックがある。一つはパンパンに中身が入っており、もう一つは長い物が入っているようだ。

とある山の近くに停車すると、修二は車の中で着替えを始めた。スーツを脱ぎ、薄い灰色の作業着を着る。最後に、ライト付きのヘルメットを被って車を降りた。

後部座席の黒バックを両手に持つと、ヘッドライトをつけて修二は山を登り始めた。

山の中間まで登り、次に平らな地を探す。

到着すると、今度は“目印”を探し始めた。少し歩くとすぐに見つかった。バツ印の傷がついた木だ。

ここが、仕事場である。

木の下に荷物を置くと、細長いバックのチャックを開け、中身を取り出した。スコップだ。さび一つない、新品に近いものだった。

スコップを持った修二は、バツ印から五メートル程離れた場所にそれを突き刺した。次々と土を必死に掘っていく。地面に突き刺さる音と、修二の呼吸の音だけが響いていた。

二十分程掘り進めると、土の中から白い紙片が顔を出した。修二の動きがピタリと止まる。そして、嫌な罪悪感に襲われる。


「…………」


今更ながら、自分のやっていることに嫌気がさす。

しかし、家族のためと思い、再びスコップを動かした。見たくない物を、傷付けないようゆっくり掘っていった。

次にスコップの動きを止めた時には、白い紙片が一面の白い紙へと変わった。何か包んでいるようだ。

慎重に包み紙を開くと、そこには和紙に包まれた大量の現金があった。

菅野が修二にやらせている仕事は、“脱税”の協力だった。

現金を見て、修二の呼吸が急に荒くなった。

早く終わらせてしまおう。急いで、もう一つのバックを穴まで運び、チャックを開けた。中身はやはり、和紙に包まれた現金だった。

修二は穴にある現金の上に、今日運んだ現金をきれいに並べていった。

バックの中身がなくなると、修二は白い包み紙で再び和紙の現金達を包んだ。そして、掘った土を穴の中に戻していった。その時、誰かに見られているような感覚があったが、気にしなかった。それどころではなかったのだ。


「フー、フー……」

全ての作業を終えた修二は、乱れた呼吸を必死に落ち着かせようとした。家に帰れば、妻が待ち構えている可能性があるからだ。沙代子は修二から帰りが遅くなると聞いても、起きて待っていることがあるのだ。

十分程経つと、まだ完全ではないが、呼吸が元のリズムを刻むようになった。

後はここを離れれば大丈夫だ。後片付けを終え、修二は山を降りようとした。

その時。


『待て。伊藤修二』


突如、若い娘らしき声がこだました。

ゾクリッ、と、首筋が凍りそうになった。


「誰かいるのかッ」


裏返った声で修二は叫んだ。しかし、辺りを見渡しても、人影らしきものはなかった。それどころか、あの声が何処から聞こえてきたのかさえ分からなかったのだ。

戸惑っていると、再び感情のない声がこだました。


『私はお前の後ろにある木にいる』


振り返ると、確かに木があった。しかも、仕事場の目印の木だ。

しかし、木に近付いても、人の姿はなかった。


「ここだ」


木の上から、あの声がした。今度はこだましていない。

上を向くと、そこには声の主と思われる十七、八歳の娘がいた。木の幹に背中を預け、右に伸びる枝の上に、足を伸ばして座っている。腰の辺りまであると思われる長い黒髪が、風になびいてさらさらと泳いでいた。

少女は、まるで甚平のような着物を身に付けていた。上半身の袖に袂が付いているからだ。後は一般的な甚平の造りである。黒地に、桜の花と花びらの模様が施されている。帯も黒だったため、桜柄がやけに目立って見えた。

よく見ると、少女は左手に何か棒のような物を肩に担いでいる。肩から先は、頭と木の幹に隠れて見えなくなっていた。


「……君は……?」


修二は少女に話しかけた。

しばらくして、少女の口が開いた。


「私の名は“死神”――」


少女――死神は名乗ると枝から飛び降りた。同時に左手に持つものが露になる。その瞬間、修二の顔が一気に青ざめ、身体中が恐怖に支配された。

死神が持っていたのは……本人の背丈より大きい大鎌だった。大鎌の刃が月の光に照らされ、ギラリと光った。

その光景は、修二がイメージする死神に近かった。大鎌を持つ、黒に身を包んだドクロの姿に。

死神の足が地面についた。着地時のタッという音はしなかった。

思わず修二は後ずさる。


(殺される……!)


死神は言った。


「伊藤修二。お前は一年前、ロッカールームに置いてあった黒の鞄を開け、和紙に包まれた現金を目の当たりにした。しかも、運悪くそこに菅野泰造が来てしまい、彼の口から脱税のことを知った。お前は辞めるよう説得するが、まるでダメだった。それどころか、口止めされ、脅され、最終的には奴の下僕のようにこんなことをやるようになった」


「! 何故それを……」


修二は驚きを隠しきれなかった。今日初めてあった奴に、ことの始まりをさらりと言われた。


「でも俺は――」


修二は否定しようとするが、途中、死神の冷たい声に遮られた。


「最初の警告だ。このままではお前も“裁き”を受けることになる。すぐに菅野泰造から離れろ」


「……裁き?」


その意味を聞き出す前に、死神は闇夜にスゥッと姿を消してしまった。

修二が立ち尽くしていると、死神の声がこだました。


『私はこれからもお前を監視する。お前が正しい道を選ぶことを祈る』


ザワッ、と、夜の山奥に冷たすぎる風が吹いた。

修二の足が再び動くようになったのは、一時間後のことだった。




一ヶ月後――。

死神はあれから、一週間ごとに修二の前に姿を見せた。


「警告する――」


この言葉は、今では決まり文句のように聞こえる。度々会うにつれ、いつしか彼女から恐怖心抱かなくなっていた。

この日の夜。修二と死神は例の山にいた。

修二が黙々と作業する中、死神はそれを咎めようとはせず、ただじっと見ていた。前と同じように、目印の木の枝に座っている。

冷静に見れば、普通人間が丸太の半分の太さもない枝に座れる訳がない。

修二が作業を終えると、死神が口を開いた。


「終わったか」


警告する者が言う台詞ではない。


「あのさ」


修二がいきなり話しかけた。死神の眼が真剣になる。


「神出鬼没な奴にしては、随分気を遣ってくれるんだな」


この一ヶ月間、彼女を見てそう思った。

死神が修二の前に現れるタイミングはいつも決まっていた。夜に、修二が一人でいる所を狙って姿を見せるのだ。

修二から見てそれは、気を遣っているように見えた。

死神は期待して損をした。


「当然のことだ。私の“目標ターゲット”は“お前達”だけだからな。関係のない奴を巻き込む気はない」


そんなことかと言うように死神は答えた。珍しく、言葉に感情がこもっている。


「達? 俺だけじゃないのか」


修二は聞き返した。


「菅野泰造、及び奴と共に脱税をする者達だ」


今度は感情のない口振りに替わった。


「部長の前にも出たのか!?」


「当然だ。事の発端はあいつだからな」


「……部長はお前を見てどうした?」


着物娘は修二を視界から外し、顔を正面に向けると頭を木の幹にくっつけた。


「奴は私のことを、夢の中に出て来るだけの存在だと思っている。現実だと思ってもいない」


「警告は?」


「したさ。だが全く聞く耳を持たない。『馬鹿馬鹿しい』と言う一方だ」


「今も言っているのか?」


「もう辞めた。あんな奴、警告する価値もない」


(厳しいな)


ふと修二は思った。

すると、こだまが混じった冷たい声が飛んできた。


「呑気なことを言っている場合か」


感じ取ったのか、死神は頭を起こして冷たい視線を送っている。

死神は言った。


「警告する。いい加減、菅野泰造の元から離れろ。いずれ、手遅れになるぞ」


「待て! そう怒らないでくれ」


目の前の死神に困惑しながら訴えた。


「何度もあいつに言った! でも……その度に妻と娘のことを口に出す。『二人がどうなってもいいのか?』と! 結局抜け出せないんだ!」


「気持ちはわかる」


死神は落ち着いた声で言った。


「お前が嫌でもやるのは、愛する妻と娘のため。だが、今は自分のことだけ考えろ」


この言葉に、修二は黙っていられなかった。


「何言ってんだ! 俺に妻と娘を――」


死神は彼の怒りに動じなかった。


「誰も二人を見捨てろとは言ってない」


死神の姿が闇夜に消える。


『お前はまだ保留の身。菅野泰造達の裁きは確定している。そこをよく考えろ。まだ時はある』


山の仕事場には修二だけが残された。



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