傀儡と別れと
あれから3日間、私は冒険者となるための知識を徹底的に叩き込まれた。もちろんレベルあげも欠かさず、傀儡が見ている範囲でだが、ソロでモンスターを狩りまくった。その結果、私のレベルは10に達した。
この世界の能力は、10レベルごとに大幅にアップするらしい。私がレベル10になると、身体強化レベル2というパッシブスキルを得て、ステータスも大幅にアップした。職業は剣士のままだ。
これは結構珍しいケースらしい。まず最初の転職は大体の人がレベル10で勝手に行われるらしいが、私の場合はレベル7以下で剣士に転職している。「まあ、一回転職してるんだし、10レベルで転職しないのは通りかもな」とのことだ。
問題となるのは覚えたスキルの少なさだそうだ。「剣士ならば何かしらの技が、それがユニークだろうと共通だろうと覚えるはず……」と自信なさそうな声でファロは言っていた。まあでも私としては身体強化レベル2になってからさらに動きやすくなったのでそれで充分なのだが。
驚いたのは武器の強さだった。鍛冶屋のおっちゃんが3日かけて作った武器の名前はヴァルメス・ニヒト。攻撃力213というアホみたいなステータス。確か初期に買った剣の攻撃力は6だった。ゲームバランス崩壊させてるでしょと思わず突っ込みたくなってしまった。
これに関しては鍛冶屋のおっちゃんは「RPGだとよく武器にレベル制限付いてるけど、あっちの方がそもそもおかしいんだよね~。伝説の聖剣とかならまだ分からなくもないけど、鍛冶屋で作れるような普通の武器を装備するのにレベルを求められても困るよねえ。必要なのは武器製作する鍛冶屋のレベルだけだよ~」とのことだ。それにしたって限度というものがあるだろうに……。
それと、ファロのボサボサに伸びた髪は私が強制的に切った。散髪の経験などなかったため、結果的には前と同じボサボサのままだが、それでも前の肩甲骨あたりまでだらしなく伸びていた時とは比べるべくもない。ファロ自身は「なんか、左右対称じゃなくね?」とか「うわああああああもう外に出られねえよおおおおお!」とかふざけたことを言っていたが、普通にしてればかなり整った顔立ちなため似合わないこともなかった。ていうか元々ヒキニートなんだから外なんて出ないじゃないか。
「また、1ヶ月くらいしたら、髪切りにくるからね?」
「お、おう……」
そして、別れの日がやってきた。
「なによ、その微妙な顔は。毎月切ってればそのうちうまくなるわよ?」
「数カ月はこのままかぁ……」
始まりの町の、内と外。ほんの数メートルの距離が、とてつもなく遠い場所。ファロが私の戦闘を見るときは必ず傀儡越しで、決してこの境界線をまたごうとはしなかった。
「ま、それくらいは覚悟しといて。……じゃあ、またね?」
「……ああ」
私はファロに向かって大きく手を振り、始まりの町を離れていく。
私は王国レルーアへと向かうためにまっすぐ北に進む。振り返ることはできなかった。この3日間で必要なことはすべて教わった。そこまでお世話になって、不安そうな顔を見せることはできない。
森の中に入って見られる心配がなくなると、私はやっと泣くことができた。これでお別れじゃない。1ヵ月後には会えると分かっていても、涙を止めることはできない。しばらくの間地面にうずくまる。今だけだから、ここで涙は枯らしてしまおう。
だけどこの世界は私の事情なんてものを考えてくれるほど甘くはなかった。殺気を感じて振り向くと、目の前に2体のデスマンティスが迫ってくるのが見えた。
「まいったな……」
そう言って、少しだけ震えた足に力を入れようとするけど、うまくいかない。3日前、首元まで迫った鋭い鎌を思い出す。本当は走馬灯なんて見る暇すらなかった。頭と胴体が切り離されて、そのままの姿で現実世界へと送り返された自分だけが頭の中を覆い尽くしていた。
異世界には恐ろしいモンスターがたくさんいて、命を落とすこともある。この世界に入る前に何度も両親に聞かされたその言葉を思い出す。それは十分に理解していたはずだった。だけどそれは甘い考えで、目の前に死というものを突き付けられて、やっと理解することのできるものだった。
苦しい。辛い。寒い。悲しい。怖い。逃げたい。様々な負の感情が頭の中でぐちゃぐちゃに混ざり合って、全身を震わせる。
その感情を振り払うようにヴァルメスを力強く握りしめると、不思議と体の震えは収まっていた。この剣の攻撃力は前に使っていたものの何十倍もある。ステータスだって大幅にアップしたし、スキルだって強化された。でも、それだけで体の震えが収まったわけではない。
ヴァルメスから、ほんの少しだけど暖かさが伝わってくる。この剣は、ファロが貴重な素材とお金を惜しげもなく使って、私のためにくれたものだ。そう思うだけで、カチコチに凍っていた私の心も体も溶かしていく。
正直に言うと、ファロとあの部屋で一緒に暮らしてもいいんじゃないかなと、何度も思った。ファロは優しいから、私のことをずっと大切にしてくれるだろう。でもそれだと、私の両親がどうなるかわからない。
一つだけ、いい方法があった。両親に迷惑をかけずに、ファロと一緒にいる方法が。私がきちっと勇者をして、このゲームをクリアする。そうすれば、ファロだってあの暗い部屋の中から出ることができる。世界だって救える。一石二鳥の、我ながら素晴らしい考えだった。
大変だってことは分かってる。それは、ゲーム開始から3年も経つのに未だ誰もクリアできないことからも明らかだ。デスマンティスがかわいく見えるくらい恐ろしいモンスターとも戦わなくちゃいけない。もしかしたら、死ぬかもしれない。けど、それでもいい。どうしても手に入れたいものだから。
少しずつレベルを上げて、少しずつ仲間を増やして。
「私は、本当の勇者になってやる!」
振り下ろされたデスマンティスの鎌に、両手で力強く握ったヴァルメスを真正面からぶつける。そこで私は少し違和感を感じた。3日間振り込んだことで、この半ばチート武器の性能は大体分かっているつもりだ。弾き飛ばすか、少なくとも押し返すくらいは予想していたのだが、ほとんど互角の力を持っていた。明らかに前より強くなっている。
私は基本魔法であるサーチを使うことができない。それでも、いきなりデスマンティスが強くなった理由は理解できた。恐らくこのデスマンティスはレベル20を超えているのだろう。たった2レベル違うだけで、ここまでの差が出ていいものなのだろうかと疑問に思うほどだ。だけど、それはデスマンティスに限ったことではない。
身体強化を発動させ、STRとVITが一気に上がり、体が軽くなったように感じる。
「くっらっえええぇぇぇ!」
一瞬でデスマンティスとの間合いを詰め、さっきの倍以上の力で同じ鎌の部分にぶつける。今度こそ手ごたえがあった。ヴァルメスと当たった部分から粉々に砕けている。
身体強化はアクティブスキルだけど、消費魔力は0で特に使用制限はない。ならなぜアクティブなのかというと、ずっと使っていると疲れるのだ。能力が切れた後の激痛さえ無視すれば、何時間だろうと使えるらしい。実際にやりたくはないが。
そんなわけで身体強化が切れることはなく、そこから先は私の独壇場だった。同時に襲い掛かってくるデスマンティスを軽く避け、弱った方を集中的に攻撃していく。やがて一体のデスマンティスは全身に傷を負って力尽きたのか動かなくなった。
残りの一匹は休む間も与えず容赦なく切り裂いていく。攻撃こそ最大の防御を地で行く激しい攻撃に、デスマンティスはなすすべなく傷ついていく。とどめに心臓を貫き、ゆっくりとヴァルメスを抜くと、動かなくなったデスマンティスがどさっと音を立てて地面に倒れた。
私はゆっくりと鞘に剣を収めた。じわじわと感情が昂ぶっていくのを感じる。あれほどまで苦しまされたデスマンティスに私は勝ったのだ。しかも前より強化されていたし、二体同時にだ。
だから、私は気付くことができなかった。背後から音もなく忍び寄るその存在には。
「~~~っ!」
何か堅い物で頭を叩かれたみたいで、頭がジンジンする。
「はい、死亡1~」
後ろを振り向くと、剣を抜いた鞘を空中で回転させながらこちらを見てニヤニヤと笑うファロがいた。
「殺気がないからって周囲に気を配るのを忘れちゃダメだな」
「……何で、ここにいるのよ」
「ん? そりゃ、こんな隙だらけの弟子を一人旅に出すのはまだ不安なんでな」
ファロはおどけた調子で言う。
「だってファロは、戦いたくないんでしょ? それだけのために、ずっとあの暗い部屋に籠ってたんでしょ? 何で、何で出てきたのよ!」
私はどうしても耐えられなくなって、どうしても理解できなくてそう叫んだ。
「サニーはさ、俺が何で引きこもってるかも知らないのに、本気で怒ってくれたじゃないか」
「そんなの当たり前だよ! あんなこと言われて怒らないひとなんていないよ!」
「……俺の命はさ、ある人に助けてもらったんだよ。その人は俺の代わりに死んでさ、でもその場にいた全員が助けようとすれば助けられるはずだった。俺を含めて人間なんて全員居なくなっちゃえばいいって思ってた。でも、そういえばサニーみたいなやつもいたなって思い出したんだよ」
「私みたいな……?」
「ああ。他人のために本気で怒れて、自分のこととか後先考えずに行動できるやつ」
「他人なんかじゃない! 私たちは、もう仲間でしょ?」
「そうだな、仲間だ」
私はファロに抱き着き、泣き腫らした顔をファロの胸に押し付けて、涙を拭いて汚してやる。ざまあみろ。
「仲間なら、絶対に離さないでよ」
「……ああ」
「……ばかぁ、ばかぁ!」
「何でそこでばかってなるんだよ……」
「うるさい、そういうところが分からないからバカなの」
しばらく私たちは森の中で抱き合っていたが、突然ファロが私を引きはがす。文句を言おうとして顔をあげると、周囲から伝わってくるものすごい量の殺気に気圧されて何も言えなくなった。
「どうやら、休みはないみたいだな」
何十体ものデスマンティスに囲まれながら、ファロは楽しそうにそう言った。