プロローグ
「……見つけた」
視界に巨大な大岩が映った瞬間、俺達はそれに慎重に近づいていった。
大岩の大きさは10mを軽く超えているが、全く動く気配はない。俺は相棒に合図を送り、残り300mほどの距離を一気に詰め、その岩より少し上空から飛び降りた。
風が切り裂くように全身を撫でる。俺はその風すべてを、両手に握った片手直剣に集めるイメージをした。その瞬間、剣の周りに鋭い風が吹き荒ぶ。
ウィンドブレイク。風属性の魔法を操り、なおかつ前衛職なら誰でも共通で覚える。射程は変わらないが、消費魔力も少ないその技は、高度からの落下でありえないほどの威力を含んでいた。
金属同士が激しくぶつかり合う音がし、わずかに欠けた鱗をしっかりと掴んで、崖から一気に飛び降りる。
下で待機していた相棒の背中に飛び降りた瞬間、大岩はゆっくりと体を起こし、赤く濁った瞳でこちらをギロリと睨むと、そいつは怒りの咆哮をあげた。
WillnicaRPG。それは、かつて様々なMMORPGで頂点に君臨していたWillnicaと呼ばれる集団が作ったゲームだ。色々とぶっ壊れているゲームだが、特徴をいくつか挙げるとすると……。
まず第一に、怪我をする。きちんと痛覚もある。そしてヘタすれば死ぬ。もちろん現実で。
専用の筐体を使って現実と見分けがつかないほどのリアルなヴァーチャルワールドを体験できます!
この売り文句に騙された哀れな初期プレイヤーの多くは、想像以上の、まるで本物のようなクオリティに歓喜し、ろくな準備もしないうちに町を出た。浮かれた彼らを待っていたのは、自分たちのレベルなど考慮に入れてくれるはずもない凶悪なモンスターと、今まで経験したことのないような鋭い痛覚だった。
生き残った人はまだ良かった。たとえ全身深い傷で覆われていようと、腕が取れてたとしても、高位の回復呪文さえ使えば治すことができた。しかし、死んでしまった人はゲームオーバーとなり、死んだ時のそのままの姿で筺体へと戻された。
この問題は世間を大いに騒がせたのだが、実を言うと俺はそこまで気にしていない。ゲームの中に入ってデスゲームをするのなんて、最近の流行りじゃないか。あくまでフィクション内ではあるが。
ちなみに専用の筐体とやらは異世界へ転移させるためのものであると考えられている。人が丸ごと入る棺桶みたいな箱に横たわり、ヘルメットのような何かをかぶり、蓋をきっちり閉めるだけ。そんな単純な構造なのだが、どのような方法を使っても、壊すことはおろか中に人がいるかどうかすら確認できないらしい。
プレイヤーの少なさも特筆すべき点だ。筺体の数はたったの千しかない。しかもそのうち1割はPKギルドで、さらに1割は非戦闘系ギルド。レベル上げをしながら真面目に冒険してる人は、全プレイヤーの半分にも満たないのではないだろうか? ありえないほどの少なさだ。
そして、このプレイヤーの少なさが大きな問題となっている。異世界で命を落とすこともあるこのゲームのプレイヤー数が、筺体数である千人をほぼ満たしている理由。それは、クリアするのに7年という時間制限があり、期限を破ると世界が滅ぶらしいということだ。
(まずいなあ……)
岩のような鱗に、短い尾、一対の翼をもつロックドラゴンは、想像以上の速さで俺達を追ってきた。
正直舐めていた。あのでかい図体では、俺の相棒を超える速度は出せないだろうとたかをくくっていた。確かに、瞬間的に出せる速度なら足元にも及ばなかっただろう。だけど……。
俺は後方から追ってくるロックドラゴンに向けた視線を、一瞬だけ相棒のシノへと移す。
全身を純白の鱗で覆われた、とても美しい飛龍。その全長は僅か5メートルほどしかない。そう、いくら飛龍といってもシノはまだ子供なのだ。長時間の飛行はかなりの負担となる。自身で風を操り飛行速度を上げることもできるが、それも長続きはしない。
どうしたものかと悩んでいると、眼下に見える景色が、一面の荒野から森林へと変わりつつあった。俺はこれを利用することにする。シノの首筋に触れると、それだけで俺の意図を察したようで、一気に急降下し始めた。
当然ロックドラゴンもついてくるだろうが、地面が近づいてきたら速度を弱め、森林へと姿を隠せばあきらめるしかないだろう。地面すれすれで90度向きを変え、木々の合間を縫うように進むシノに必死にしがみつきながら、俺は後ろを振り返った。するとどうでしょう。そこには森林をなぎ倒しながらもいまだに追ってくるロックドラゴンの姿が……。
「……なあシノォ」
「ガウッ?」
「俺、生きてここから帰れたら、結婚するんだ」
「ガウッ、ガウガウッ!?」
「突っ込むとこそこかよ!」
いつもと同じ調子で相棒と話し(これでよく危ない人扱いされる)、いくらか落ち着いた俺は、現状の打開策について考える。逃げられなければ、殺さなければならない。それはどこのRPGでも同じだろう。
あまり気は進まなかった。ロックドラゴンのレベルは21で、俺のレベルは23だ。自分のレベルより5低いまでが経験値の入るギリギリのラインだが、その量は圧倒的に少ない。同レベルの敵を倒したときの1/10も入らないのではないだろうか。さらに、飛龍は希少種だし、同レベル帯の他のモンスターよりはるかに強い。
(そうも言ってられないか……。シノもそろそろ限界みたいだしなぁ)
そう思って、シノに戦闘の準備をするように伝えようとして前を見た俺は、さっと血の気が引いていくのを感じた。前方のすぐ近くに人がいたのだ。
モンスターとの戦闘で命を落とすこともあるこのゲームでは、他人にタゲを移すのは最悪のルール違反となっている。
「シノ! 止まれ!」
「ガウッ!」
シノは大きく翼を広げて急停止する。俺は地面に飛び降り、剣を構える。
「ウィンドブレイク!」
普段は技名など声に出したりしないのだが、今は緊急事態だ。声に出すことで、剣の周りに風が吹いている状態をイメージする。最大出力のウィンドブレイクで迎え撃つ!
「ガウガウッ!」
シノも残り少ない魔力で、俺に加護を与えてくれた。今までに経験したことのないような、気を抜けばどこかに飛んで行ってしまいそうなくらいの暴風が俺を包みこむ! これなら、行ける!
「はあああああああああっ!」
次の瞬間、俺には理解しがたいことがいくつも起こった。
俺とロックドラゴンが衝突するまであと数秒というところで、俺の目の前に全身黒づくめの子供が現れ、右手を前につきだし、静かな声で「止まれ」と囁いた。
信じがたいのは、それで実際にロックドラゴンが止まったことだ。翼を地面に伏せ、首を垂れている。
子供はロックドラゴンに近づいていき、鱗を1枚剥ぎ取った。そうまでしても、ロックドラゴンは何も抵抗しないで去っていった。理不尽だ。
突然子供はこちらに振り向いた。整った顔立ちと大きな目で、一瞬女の子だと思った。しかし、次に浮かべた俺をバカにしたような、今にも「フッ」とか言いそうな表情を見た瞬間、こいつは男だと分かった。
「悪いな。こういうのは早いもん勝ちだろ?」
そういって少年はどこかへと走り去っていった。フッって言ってくれなかったのが何故か残念だった。
今起きたことが信じられず呆然と突っ立っていると、シノが何かを加えてすり寄ってきた。しばらくして俺は、それがロックドラゴンの鱗だと理解する。さっきの少年が言ってた言葉の意味も含めて。
「横取りされたあああああああああ……」
静かな森林の真っただ中で、しばらく俺の悲痛な声のみが響き渡った。