第8話 ~告白~
「やめて結衣!!!!!」
いつも、陵に護られてばかりだった。
今度は…今まで皆を護ってたみたいに、あたしが陵を護る番だ。
そう考えるより前に、あたしは、陵を突き飛ばしていた。
「…っ、いってぇ…」
あたしは、陵の手を掴んで、立ち上がろうとした。
「陵、だいじょ…」
その瞬間、あたしはもう1度、地面に吸い込まれるようにして、倒れた。
そして、陵の体にすっぽりと収まって、陵の腕でぎゅうっと抱きしめられた。
冷え切った陵の体からは、冷たい温度が感じられた。
「俺…人殺しなんだぞ?何で、俺なんかを助けたんだよ…」
強くなっていく腕の力に、あたしは締め付けられて、その分、陵の冷え切った心が強く、強く、あたしの心にまで届いた。
「…あの時…俺が死ねばよかったんだ!」
陵の悲痛の叫び。
聴いたことのないような、追い詰められた声で言った陵は、初めて…泣いた。
今まで…どれだけ辛い思いをしてきたんだろう。
汐音という女の子…仲良しだった、元樹という幼なじみを一気に失った。
…自分のせいで。
どんなに自分を責め、何度死のうと思ったことだろう?
陵の気持ちを考えるだけで、泣きたくなった。
「人は悲しいから泣くのではない。泣くから悲しいのだ。」
どこかで聴いたことのある、こんな感じのフレーズ。
…違うよ。
陵は、きっと、泣けなかったんだ。
哀しすぎて今まで泣けなかった。
…だから、陵が友の死を悲しんでも、泣いて、悔やんでも、神様は許してくれるよね?
泣くから悲しいんじゃない。
哀しいから、辛いから、人は泣くんだ。
「…そうよ…陵が死ねばよかったの。…有希、どうしてこんな奴を庇うの。」
結衣は、鉄パイプを握る手をブランと力なく下げて、呆然としていた。
あたしは…結衣が傷つくことを分かっていた。
だけど、あたしは今、誰よりも陵が大切で、護りたかった。
見た事のない陵の涙を、あたしは自分自身で体で拭うようにして、力一杯抱きしめた。
「それは…陵のことが好きだから。」
あたしは、すっと顔を上げて、結衣を見つめて、はっきりとした口調で言い切った。
「あたし…誰よりも陵が好きで、陵が大切だから、護りたいの。…ごめんね、結衣」
その瞬間、結衣は、膝を曲げて崩れ落ちた。
「…陵?…何で?…なんでよぉぉおぉぉぉぉおぉぉぉ!!!」
結衣の高い声が、さらに高くなって、暗い街に木霊した。
きぃんと響く音に、あたしは心を震わせて、ただその光景を見つめていた。
力なくぶら下がっていた鉄パイプは、大きな音を立てて、結衣の手から滑り落ちた。
結衣は、ただ泣きながら、届くことのない想いに、終止符を打つことのできない恋に。
…きっと、辛さからの涙を流したのだろう。
「…有希……」
結衣の声は、あたしの耳を突き抜けて、夜空に響いた。
そして、彼女は、これからもずっと続いていくのであろう、異常なほどの恋を、愛を。
あたしに向けて、泣き叫んだ。
「有希…有希の「初めて」は全部、私がしてあげる。「初めて」まで、陵に渡すわけにはいかないの」
結衣が立ち上がって、あたしの腕をぐっと引っ張り、陵から遠ざけた。
お互いの間に生まれていたはずの温もりが、一気に奪われて、あたしはふいに声を漏らした。
「りょ…」
その瞬間、陵は顔を上げた。
そこに広がっていた光景を目にした陵は、止まりかけていた涙が、また溢れだしたことに動揺していた。
あたしの唇に、結衣の唇が重なっていた。
生々しい感触。
柔らかくて、忘れることのできない、気持ち悪い感触。
あたしは、咄嗟に結衣から離れて、口を拭った。
「マジかよ…」
あたしは、そんな言葉を漏らした。
だけど、本当は「マジ」なんかで済むような問題じゃなかった。
…嫌だった。
「初めて」だったのに。
「初めて」のキスぐらい、好きな人としたかった。
…陵と、したかった。
そんな気持ちが、顔に出てしまったのか。
いつもだったら、絶対に人前では泣かないのに。
ポロポロと涙があふれて、止まらなかった。
次から次へと零れ落ちる涙を拭おうとするけれど、拭いきれなかった。
「有希、だいじょ…」
結衣が近づいて、あたしの頬を右手で包もうとした。
結衣の手が、あたしの頬に触れる直前で、あたしは逆方向に、引っ張られた。
そして、くっと顔を上にあげられると、唇には、またも温かい感触が感じられた。
突然すぎて、目を閉じるのも忘れて。
目いっぱいに広がるのは、陵の顔。
陵の唇と、あたしの唇は重なって、離れた後、また腕に包まれた。
「りょ…う…?」
「有希、俺のこと…好き…なのか?」
心臓がバクバクと音を立てて、鼓動が陵に聴こえるんじゃないかってくらい大きく鳴った。
声が出なくて「うん」の一言も言えず、ただ喉だけを震わせた。
「…なぁ…もう1回、キスしていい?」
あたしが返事をする前に、陵は強引にキスを交わした。
驚いたけど、嬉しくて。ちょっと苦しいけど、幸せで。
唇から伝わってくる陵の体温が、いつもより、より愛おしく思えた。
「うぁぁぁああぁぁぁあぁぁあぁぁぁあぁ!!!」
結衣が、言葉にならないような声で、叫び、泣き、頭を抱え込んだ。
終わらない無限のループ。
誰かを護るために誰かを傷つけて。傷ついた誰かを護るために、また誰かを傷つける。
そうして、次々と傷ついていく人が増えていく。
…結局、誰も護れない。
傷つかない人は…誰一人と…いない。
神様はなんて過酷な試練を、あたしたちに与えたのだろう。
「…おはよう、有希」
翌朝、あたしはいつものように咲と登校し、クラスへとたどり着いた。
自分の席に腰を下ろした瞬間に、稔が顔を俯けて、そう言った。
…そういえば、最近、結衣やら美香に構い過ぎて、稔のこと放って置いちゃってたな…。
「おっはよ、稔!」
あたしは、明るく稔に笑いかけた。
だけど、稔の顔色は良くなることもなく、ただ俯いたまま、暗い表情だった。
「何だよ、どーした…」
あたしは、暗い表情のままの稔の顔を下から覗こうとした。
すると、稔は急に顔を上げて、言った。
「…あれ…どういうこと?」
クラスの隅の方で見えたのは、陵が野球部に囲まれてからかわれているところ。
内容は、聞かなくても分かっていた。
「おい陵~、有希に告れよぉ」
「ほらほらぁ、早くしろよっ!」
思った通り、陵はあたしのことでからかわれていた。
それを少しだけ嬉しく思ったり、複雑だったり…あたしの心も、揺れ動いていた。
「有希、前言ったよね。「ずっと一緒」って。あんな汚れた男なんかよりも、私を大切にしてくれるって。友達を大切にするって、言ったよね?」
稔の冷たい声。
おどおどしていて、おとなしい稔とは思えないほど、はっきりと重く、冷たく言った。
冷ややかな稔の声を聴いただけで、一気に現実に引き戻された。
「稔…?」
「あー!!おったぁ!有希、今日ウチら日直やん!早よ先生のとこ行かな!」
和奈の方言丸出しの言葉を聞いて、フッと笑ってしまう。
「うん!分かった、先行ってて!」
あたしは、早々と教科書を机に仕舞い込んで、廊下へと繰り出した。
「…有希の…ウソつき」
稔の凍りつくぐらい冷たい言葉に、あたしは気づけていなかった。
「いやぁ、有希はモテモテやなぁ」
職員室へと続く廊下で、あたしは和奈とそんな話をしていた。
「はぁ?まっさか、そんなはずないって。」
「それがなぁ、陵もそうやけど、葉も!!なんやってなぁ」
「そんなの、噂でしょ」
あたしは、大して気にせずに和奈の言葉を聞き流していた。
…今思えば、葉があたしを好きになることなんて、ありえないんだ。
自惚れてたんだ、どうせ。
あんなに酷いこと言われたのに、今更好きになったなんて言われても信じられない。
それに…今はもう、葉のこと好きじゃないし。
「今日こそ…有希に…」
そんなことを考えていた時、後ろに居た人影にあたしは勿論、気づかなかった。
クラスへと戻ると、隣の葉が話しかけてきた。
「なぁ、有希。今日の放課後、チャリ置きで待っててくんねぇ?」
「え、いいけど…何で?」
「あ、ちょっと言いたいことあってさ。」
葉の表情に変わった様子はなくて、そのかわり、咲が遠くで悲しそうな顔をしていたのだけが見えた。
…そうだった、咲は葉のこと…
「うん、わかった」
あたしは咲に嫉妬させない様に、葉との会話を早々と終らせ、席へと着いた。
部活が終わると、あたしは足早に駐輪場に向かった。
部活終わりの生徒達が自転車を走らせて、それぞれの自宅へと向かって行く。
あたしは、駐輪場の屋根下に身を潜めている葉の姿を見つけると、そのまま早い足を進めた。
すると、駐輪場の入り口には陵が居た。
周りの野球部の男子は、複雑そうな表情で陵と葉を交互に見ている。
「…?」
あたしは、すこし変に思いながらも、なんとなく予想がついていた。
それは…葉があたしに好意を持っているとすれば…野球部員の行動にも説明がついた。
だけど、もしそうだったとしても、答えは決まっていた。
…『陵が好き』という答えが。
入り口を抜けると、手を伸ばせば届く距離に葉が居た。
「よ…」
あたしは葉を呼びかけようと口を開いた。
その瞬間、右腕に力強い衝撃が走った。
「……よ」
「え?」
俯いて、あたしの腕を悲しそうに握る陵が、あたしの目の前に立っていた。
「…行くなよ…」
悲しそうな陵の俯いた顔を見ると、もうどうしようもないくらい胸が締め付けられた。
『応えなんか必要ない。』
そう神様に言われている気がした。
あたしに今求められているのは、葉への応えなんかじゃなくて、陵に渡すための想いなんじゃないのかな。
…だけど、初恋の人を裏切れるほど、あたしは人間出来てない。
ごめん。今だけあたしを許して、陵。
この初恋を完全な想い出に変えるためにも、葉の言葉に応えなくちゃいけない。
「…バーカ。あたしはどこにもいかねぇっつーの」
陵の黒い短い髪をくしゃくしゃ撫でて、あたしは笑った。
いつもの自分でいないと、陵が変な心配するから。
…変なの。付き合ってるわけでもないのに。
いつの間にか、陵のことを優先するようになっていた。
「…葉?」
「あ、有希!」
葉はあの雨の日みたいな無邪気な笑顔を見せて、振り向いた。
この笑顔を見るたび、切ない思い出や悪夢が甦る。
その度、初恋に引き戻されそうになってしまう。
…陵を裏切る行為に走ってしまいそうになる。
「用って何?」
「…あ、あのさぁ…いきなりで、びっくりするかもしれないけど…」
葉の顔が赤く染まっていくのが、あたしでも分かった。
この瞬間、あたしは確信した。
…あたしが応えるべき言葉、それは『陵が好き』だということを。
「お、俺、有希の事、好…きなんだ。誰よりも、有希のこと知ってる。…誰よりも有希のこと好きな自信あるよ。…も、もしよかったら、俺と付き合ってくんねぇ?」
葉は耳まで真っ赤にして、恥ずかしそうに言った。
それを少しだけ愛しく感じた。
あたしの心には、未だに叶えられなかった、辛すぎる初恋が苦々しく残っているみたいだ。
…だけど、もう迷わない。
あたしは『陵が好き』だから。
「ごめん。あたしさ、好きな人いるから」
できるだけ、葉の瞳を見て、できるだけ、まっすぐに葉を見つめて。
この初恋に、終止符を打つために。
「…そう、か。…ソレッテ、ダレ?」
どうして、あたしはいつも肝心な時に気付けないんだろう。
「あの…あ、いや、恥ずいしさ…」
自分の一挙一動が、相手を傷つけ、自らをさらに悪い方向へと進ませていることを。
「…いいじゃん。俺は言ったぜ?自分の気持ち…」
何で、葉のこの言葉の意味を、理解できなかったんだろう。
『有希の事、誰よりも知ってる』の意味を。
「…えっと…その…あたし、陵、のこと、好、き…なんだ。」
この言葉が、さらに自分の未来を壊すこととも知らずに。
「…へぇ~…そうなんだ。……ガンバレヨ?」
…陵の未来を、壊すとも知らずに。