第2話 ~出会い~
…また、あの日のこと、思い出してしまった。
あたしは、この思い出を封印しようとしていた。
だけど、「結衣」と書かれた画面を見るたび、どうしても思い出してしまう。
…怖い。
ただの自意識過剰かもしれない。
だけど、すぐそばに結衣がいる気がして、怖い。
いつ、どこで、また何をされるかわからない。
あたしは、脅えるほど恐ろしい気持ちを皆に分からない様に隠し、
震える指で、メールを開けた。
『おはよう♪今日は入学式なんだって?おめでとう。…私も行きたいなぁ、有希のところに。』
卒業式の日から、毎日のように送られてくるメール。
1時間おきには「何してるの?」というメールが来る。
あたしを束縛するようなメールは、毎日届いていた。
「どうしたん?早く行こうや。うちら1組やよ!」
和奈の独特の方言が、あたしの耳に響く。
…あたしがこんな目に遭ったのは、少なからずとも和奈のせいでもあるんだけど。
それ、分かってんの、この人。
でも、そんなこと言えるはずもない。
「あー!ごめんごめん!行こうか!」
あたしたちは、足並みそろえて、玄関へと向かって行った。
「12:30から、入学式です。それまで、班で自己紹介を進めてください。」
教室へと着くと、あたしの席は左から4列目の、前から3番目。
前の席は美香で、後ろの席は和奈だった。
斜め前は稔で、一人挟んで隣が咲。
新しいクラスの席は、あたし的に上々だった。
「おい、男子共、早く座れ―。」
先生は廊下でざわついている男子に向かって、大声で言った。
男子たちは、いそいそと自分の席を確認して、座り始めた。
斜め後ろのヤツは、見た事のない顔だったから、多分違う小学校の奴だ。
隣はー…葉、だった。
「よ…う…。」
無意識のうちに、ポロリと声が出てしまった。
ハッとなって、あたしは右手で自分の口を押えた。その瞬間、
「…久しぶりだな、有希。」
「…うん、久しぶりだな、葉。」
…好きだよ、葉。
今でも、あたし、葉のこと好きだよ。
あんなに傷つけられたけど、今更嫌いになんてなれないよ。
「なぁ、自己紹介始めようや!じゃあ、そっちから順番にな!」
和奈が早速リーダーシップを取って、あたしたちに指示をする。
指を差された美香は急におろおろしながら、「え…と…」とだけ言った。
「美香、大丈夫。落ち着いて言いなよ。」
あたしは、美香を落ち着かせるために、微笑みながら言った。
すると、右斜め前の見知らぬ男子が大声で笑って言った。
「お前、デブでブスだなー!しかも暗いとか、最悪ー!」
うん、勿論、このあたしが黙っているわけがない。
「ちょっと、お前!何言って…」
「おい、そういうこと言うの、やめろよ。人それぞれだろ?」
あたしが言う前に、聞いたことのない、男子にしては高めの声が聞こえた。
「え…っ?」
「誰かお手本やってやれや。えーっと…有希、だっけ?」
その声の主はあたしの斜め後ろの席のヤツ。
「はぁ?じゃあお前がお手本、すればいいだろーが。」
「うっわ、マジ怖えー…。」
「…何か言った?」
「い、言ってません!何も言ってませんよ、僕は!」
…なんかこいつと話すと、調子狂うな。
あたしは、名前も知らないヤツのことを、そんな風に考えながら自己紹介を始めた。
「初めまして。まぁ、ほぼ知り合いだけどさ。あたしは有希。1年間、よろしく!」
そういうと、和奈は「ヒュー!男前!」と冷やかしを入れる。
…まったく、調子の良い奴だ。
そして、それを聞いた美香が再チャレンジした後、和奈、葉、と自己紹介が終わった。
「…初めまして。陵といいます。将来の夢は……「陵」という名を歴史に残すことです。」
…陵。
これが、君との出会いだった。
それから、しばらくもしないうちに、あたしと陵は仲良くなった。
陵は、正直言って、地味でパッとしない。
授業に積極的に参加するわけでもなく、密かに陰で支えている様な感じだ。
顔だって、そんなにかっこいいわけでもない。
ただ、結構身長があって、必要以上に細いというのは、一つの特徴とも言えるかもしれない。
「俺、ロックバンド好きなんだ。」
「ロックバンドォ?何それ、今時はJ-POPだろ。」
「お前ってやつは…ロックの良さを分かってないな。」
「分かるわけねーだろ、バカ。この時代遅れが!」
「時代遅れ!?世界中のロックファンに謝れ!」
「だって、実際、時代遅れじゃん!!」
あたしは、和奈と喋るついでに、後ろを向いていた。
でも、和奈と喋る時間より、陵と喋る時間の方が、明らかに長かった。
何でかは、自分でもよくわからない。
だけど…何だか、安心できる心地よさというものを感じられる一時だった。
でも、その時陵は気づいていたのかもしれない。
…美香が、恐ろしい眼で、あたしたちを見ていたことに。
「なぁなぁ、テスト何点やったぁ?」
新入生テストが終わり、その結果が返ってくる時期になった。
もうすぐ、6月。
雨が降る度、あたしはあの日を思い出すのだろう。
先生に呼ばれて、あたしはテストを受け取りに行った。
和奈は、自分の点数に満足しているのか、誇らしげな顔をしている。
「えーっと、あたしは…98点!」
あたしは、自分で言うのもなんだけど、元々成績も良い。
特に英語なんかは、3歳から英才教育を受けているおかげで、帰国子女並みの英語力だ。
「えぇぇっ!?うそや~…ウチ、絶対勝てると思ったんにぃ!」
和奈は残念そうに肩を落としている。
「え!でも和奈も92だ!すごいな!俺、87だぞ!」
葉は、和奈の手に握られていたテストをのぞき見しながら言った。
「ねぇ陵!お前、何点だった!?」
あたしの予想では、あたしと張り合えるぐらいの点数。
「人それぞれ」なんていう、心の広い、大人な感覚を持っているくらいだ。
勿論、頭だって、きっと良いに決まっている。
「えぇっ!無理無理無理!」
「な、何で!?」
「だって、俺、頭悪いし…!」
そういって、陵はテストを自分の後ろに隠した。
だけど、本当にそんなことで、あたしからテストを守れるとでも思ったのだろうか。
速攻で、陵の左手から、テストを奪い去る。
「あぁぁぁぁあぁぁっ!」
「よっしゃ!ゲット~!」
パラ...とテストを開いてみると、驚きの点数が赤色で記されている。
「プッ!30点~!?」
「こっ、声がデカいんだよ!」
ヤバイ、笑いが止まらない。
陵といると、何もかもが面白くて、目に映る世界が輝いて見える。
大袈裟かもしれないけど…でも、少なくとも結衣のことを考えることは無くなった。
それだけで、あたしは十分だった。
いつの間にか、失恋の傷…、葉への想いが、あたしの心から消えていた。
「なぁ、美香は何点やったんやぁ?」
和奈が美香に明るい口調で、話しかけている。
いつも、孤独だった美香も、あたしたちと打ち解けてから、少しずつ明るくなっていった。
「あの…私…22…点、だった…。」
「あ……。」
和奈は気まずそうに、目を泳がせて、返事に困っていた。
あたしは、それに助け船を出すように「じゃあ、今度勉強教えてあげるな!」と言った。
すると、美香は「家に来るの?」と、当たり前のことを聞いてきた。
「うん。何言ってんの、そうに決まってんじゃん。」
「え、あ、うん…。楽しみにしてるね?絶対…来てくれるんだよね?」
耳まで真っ赤にした美香は、少ししつこいくらいに、あたしに何度も聞いてきた。
あたしは、それを少しも疑問に感じず、「うん、絶対!」と言った。
この約束が、のちのち悲劇をもたらすとも、知らずにー…。
先生が、出張だからということで、テスト返しの後は自習となった。
その瞬間に、またあのバイブ音が鳴る。
さぁっと、血の気が引いた。
…また…結衣だ。
ケータイを皆には見えない様に、そっと取り出し、画面を見た。
やっぱり、思った通りだった。
画面には「メール一件」と表示されていて、差出人は「結衣」だった。
『ねぇ、今何してるの?授業中?…まさか、好きな人ができてたりしないよね?そういえば、最近、有希ったら、メール冷たいよね。これからは絶対に、5分以内に返して。』
遠くにいるはずなのに、結衣がやけに近くにいる気がする。
…怖い。怖いよ。
あたしのこと、束縛しないでよ。
あたしは、好きな人ができることさえも許されないの?
『ごめーん>< 今、授業中なんだ!だから、また後でね!』
さっと、適当に返事をして、ケータイをパタンと閉じた。
そのケータイを、またスカートの隠しポケットに入れようとしたとき、誰かがケータイを奪った。
「…どうした、肩震えてる。」
「りょ、陵…?」
すると、陵はあたしのケータイの電源を落とし、そのまま自分のポケットに突っ込んだ。
「ちょっ、陵!?」
「何があったか知らねーけど、そんな辛そうな顔されて、黙ってられるわけねーだろ。」
陵は、そういって、くるりとあたしに背を向けると同時に、口をまた開いた。
「せめて、俺が近くに居る時くらい、嫌な事、忘れればいいだろ。」
そう言われたとき、あたしの心はふいに軽くなった。
地味で消極的な陵だけど、たまに、人の心をじんとさせる言葉を言う。
陵にとっては、当たり前の事かもしれないけど…
…あたしにとっては、とてつもなく大きな心の支えになっていた。
「そういえばさ、有希って葉の事好きなんだよなぁ?」
同じ小学校出身の男子グループが、そういってからかってきた。
「ちっ…違うって!そんなの昔の話じゃん!」
「おいおい…有希、お前喜べよ!葉も有希の事好きなんだぞ!」
「お前らって、両想いだよなぁ~。」
あたしは、一瞬だけ、ぱあっと心が明るくなった気がした。
…届かなかった想いが、やっと届いた。
結衣は今、遠くにいるんだ。あたしを束縛するものは何もない。
…あたしは、この初恋を叶えられることができ…
そう考えていた瞬間に、ふと、目の端に陵の姿が映った。
「…有希、葉の事…好きなのか?」
陵の顔は、どこが寂しげで、あたしは見ていられなくなった。
それは、陵を傷つけたことに対して、後ろめたさを感じてたわけじゃない。
陵に対して芽生えていた気持ちが急に咲き誇って、嫉妬してる陵を愛おしく感じたからだ。
…陵。
出会ってから、まだ数週間。
葉との思い出の方が遥かに多くて、一緒に居た時間だって長い。
だけど、一緒に居た時間なんて関係ない。
それ以上に、これから思い出を作っていけばいい。
まるで、何かの運命のように。
たとえ、それが神様のほんの気まぐれで起こったことだったとしても、
あたしは、君に出会えたことを感謝する。
…神様、あたしと陵を出会わせてくれてありがとう。
でも、この気持ちが、これからどんな風に変わっていくのか。
この気持ちのせいで、皆が傷つき、あたしは大切なものを失っていく。
…そのことに気が付いたのは、3ヶ月後のことだった。