第9話 ~友情崩壊~
葉の言葉を最後に、あたしは駐輪場を出た。
そこには、「待ってました!」と言わんばかりの野球部員が居た。
勿論…陵もいた。
「…で、有希はどっちを選ぶんだっ!?」
目をキラキラと輝かせて、学校中に広まることになるであろう「噂」の種を欲しがっている顔を見ていると、何とも言えないくらい、寂しい気持ちになった。
少し距離を置いてこっちを見ている陵の顔を見ると、余計に。
「そ、それは…」
「…陵、だよ」
あたしが言葉を濁すと、それを遮るように、葉が言った。
葉の笑顔はいつものように明るくて、涙の欠片もないように見えた。
「有希は、陵が…好きなんだよ。俺じゃ、ねぇ」
だけど、この時だけは辛そうな顔だった。
「葉、ごめ…」
その瞬間。
あたしの体は、ぐっと引き寄せられて、何かにぎゅっと包まれた。
「え…?」
「有希…」
かすれた陵の声が、あたしの鼓膜をくすぐった。
耳元にかかる陵の息。強くなっていく腕の力。歓声を上げる周りの目。
全てが、甘くとろけるように、幸福の味へと、あたしを導いた。
「俺のこと、好き…なんだよな?これ、夢じゃ…ないよな…?」
陵の声は震えていて、何か一筋の液体が、あたしの髪を伝った。
それが涙であることは、あたしにもすぐわかった。
「…夢、なんかじゃ、ないよ…」
あたしは、少し高い陵の目線に合わせるように、背伸びをすると、
「あたし、陵のことが好き…っ!」
そのまま、陵の唇を塞いだ。
「…っ…!」
顔を真っ赤にして、恥ずかしがる陵の顔を見ていると、たまらなく嬉しくなった。
「陵、ずっとあたしのそばに居てよ?」
らしくないけど、今まで強がって言えなかった言葉を並べた。
「…俺、有希の為なら命だって惜しくない。有希がそばに居てくれるなら、俺なんでもできるよ。…有希、俺ずっとお前のそばに居る。」
「陵…」
陵と想いを通じ合わせることができたことがたまらなく嬉しくて。
あたしの心は幸せで満ち溢れていた。
だけど、あたしはまた気づかない。
これから、さらに、陵は追い詰められていくことを。
陵と付き合い始めて数ヵ月。
美香の事があるから、あたしは陵と付き合っていることを隠すことにした。
野球部も、事情を説明すると、一応は納得してくれているようだった。
「陵っ!おつかれ!」
「おっす!」
駐輪場にはいつものように、陵が待っていた。
ドロドロのユニホームに掲げられる背番号は、エースの証だった。
「俺、今度の新人戦で投げさせてもらえるんだよ!」
帰り道、陵はそんなことを嬉しそうに話していた。
「はぁ?それって先輩がいないからでしょ。試合じゃ勝てないって。」
「はぁ!?有希、俺の事ナメてんだろ!」
「はいはい、その努力をぜひとも勉強に向けてくださいねー」
あたしは陵の話に関心も持たず、ヘラヘラと受け流した。
「…よし、分かった!じゃあ今度俺の試合見に来い!」
「ふ~ん、やけに自信満々じゃん。いいよ、行ってあげる!」
「うわ、上から目線…」
陵との帰りはすごく楽しくて、あたしはついつい過去のことを忘れていた。
結衣とのキスも、美香の束縛も、顔の見えない「ストーカー」も。
「試合…有希、見に来るんだぁ…頑張らなきゃなぁ。ナァ、リョウ?」
あたしたちの様子をうかがう為に、毎日影を追ってくる、あの存在に、あたしはまた気づけないで居た。
あたしはどれだけ鈍感で、周りをどれだけ傷つければ、気づけるのだろう。
あたしの言葉に何度傷ついても、あたしだけを想ってくれる、決して結ばれてはいけない存在が
心のうちに秘めている「本当の想い」。
陵に憎悪の炎を燃やし、あたしたちを引き裂くために常に監視続ける、「あの存在」。
「友達」と偽り、あたしに友達以上の関係を心のどこかで求め続け、陵を突き落そうとする「友達」。
その存在にすら想いを抱く、ずっと永い間そばに居てくれた「心友の価値」。
遠くに居ながらも、あの存在に気付き、密かに地獄へ追い込もうとする、あの子の「計画」。
友達を奪われた友達の、あたしに対する「復讐」。
どれか一つにでも気づけていたら、未来は変わっていたのだろうか?
陵が苦しむことはなかったのだろうか。
…ううん、あたしは、「陵」のことにすら気づけていなかったのかもしれない。
「おはようっ!」
翌朝、あたしはいつものように教室へと向かった。
クラスでは、ほとんどのクラスメイトが集まっていて、その中でも、一際大人数で固まっているところに、あたしは顔を突っ込んだ。
「なぁ、何やってんのー?」
そういいながら見た、和奈の顔は「面白い」という、何かにワクワクしている顔だった。
ところが、あたしの顔を見た瞬間、その表情は一気に消し飛ばされた。
さっきとは真逆の、どこか焦って見える視線。
「…和奈?どうしたんだよ」
「あ、いや…」
和奈は視線を落として、何かを隠している様にも見えた。
「…?」
ぱっと目線を上げると、そこには意味有り気な面子がそろいもそろっていた。
噂好きの和奈は勿論の事、いつもはクラスでおとなしくしているはずの稔。
皆からハブられているはずの美香、そして葉を含めた野球部。
…その野球部の中に、陵の姿がないことも、すぐに気づいた。
「…ねぇ、皆何隠してんの?」
「……」
誰一人と口を開かず、ただ沈黙の中に、焦りを混ぜ合わせているだけだった。
視界の隅に、一緒に登校してきた咲の姿が映る。
その咲の顔も、何かにショックを受けたと同時に、動揺の表情を見せた。
「……あたしには言えない事なんだ?」
あたしは、そんな皆にイラついて、和奈の肩を無理矢理、押した。
その瞬間、視界に映ったものは残酷で。
耳にやけに残る、咲の声がクラス中に響いた。
「有希は見ちゃ駄目!!」
机の上に散乱された生ゴミ。
ズタズタにされたスクールバック。
水浸しになっている机のまわり。
暴言が並べられたノート。
その机の中央で、ずぶぬれの髪を垂れ流して、腰を下ろす誰かの姿。
頭からは、大量の生卵が落とされていた。
「誰か」なんて、すぐに分かった。
分かったからこそ、涙が止まらなくて。
「…陵…?」
あたしの呼ぶ声すらも届かないほど、陵の精神はボロボロだった。
「陵……りょうっ!!」
すると、やっと気づいたかのように、陵の顔はぱっとあがり、あたしの方を向いた。
「陵…」
「わ、わりっ!なっさけねーよな、俺…」
陵は立ちあがって、頭に手を乗せて、どろっとした白身を落とそうとした。
「大丈夫だからさ、心配しなくていいからな!」
…こんな時まで、強がろうとしないでよ。
もし、あたしが陵の立場だったら、辛くて辛くてたまらない。
どうして、そんな風に、笑っていられるの?
陵は逃げるように教室を出ていった。
すると、野球部と和奈、そして美香が、あたしの正面に立って口々に言った。
「有希、なんで陵がいじめに遭うか分かってる?」
和奈が、辛そうな、怒りを表しているかのような、そんな複雑な表情で訊いてきた。
「和奈!やめ…」
「咲は黙ってて!!」
咲のことすらも、黙らせるような大きな声で、和奈は続ける。
「有希はさ、なんにも分かってないんやって。折角、ウチが葉とくっつけようと仕向けたのに。」
「え…、どういうこと?」
稔は、罪悪感にあふれた顔をしながら俯いている。
「有希と葉がくっつけば、全ては上手くいくはずだったんよ。」
和奈は、だんだん怒り狂う様に声を荒げはじめた。
「有希は、結構人気があるんや。元々、友達も多かったけど…男子からもな。」
すると今度は野球部が口々に言いだした。
「しかも、陵ってさ、馬鹿なくせに野球だけ上手いしさ…」
「現に…さ…」
野球部は、ちらりと葉と稔を見た。
「…何?稔と葉が、どうかしたのかよ?」
あたしは野球部に聞き返した。
その瞬間、和奈はカッと眉を吊り上げ、稔に言った。
「…稔っ!もう言えばいいんや!」
「むっ、無理だよ、和奈ちゃん…」
「じゃあ、ウチが言う!いいか、有希!ちゃんと聞いとくんやっ!」
和奈が、大声で叫んだ言葉。
それは、あたしの心を一気に破壊し、「友情」という希望を失わせるほどだった。
「…稔は…稔は…有希が好きなんや!友達という線を越えて!」
「…え……?」
和奈がはぁはぁ息を切らしていると、稔が前に出て言った。
「あの、有希。私の話も…聞いてくれる?」
小さな声でぼそぼそと話す稔は、昔と変わっていない。
…無理だよ。
今まで、友達だと思ってた人を。今さら、想いを伝えられても。
応えられるわけないのに、どうして、今、この状況で。
「私は…最初から、有希が好きで、友達って嘘ついてた。助けてくれた時から、ずっと好きで。有希は、『友達』を大事にする子だから、友達だったら、絶対離れていかないと思ってて。」
その瞬間、稔の瞳からは一筋の涙がこぼれた。
「だけど…有希は、友達より「陵」を選んだ。だから、陵がいなくなれば、有希は戻ってくると思った。
有希は、優しいから…彼氏が自分のせいで苦しむことになれば、絶対別れると思った。だから…」
稔の言葉は、残酷なもので。
あたしは、ますます、「友達」を信じられなくなった。
「だから…有希に「陵が苦しんでいるのは、有希のせい」っていうことを伝えるために、私、私の想いを伝えたの。」
…あたしのせい。
あたしのせいで、陵をまた苦しめている。
結衣の時も、美香の時も…なのに、また。
「…ねぇ、ちょっと待ってよ。稔のことを横目で見たのは分かるけど…」
…葉は、何で?
「そ、それはさ…」
野球部が、急に顔を曇らせて口ごもった。
その瞬間に視界に映った葉の顔。
何かが、あたしの記憶を過った。
「ま、まさか…」
「そう、そのまさか。」
葉の声は、そう、あたしがずっち探し求めていた「あの存在」の声。
「…俺、有希のストーカーだよ?」
葉はふっと笑って、咲の方をちらりと見た。
「まぁ、咲に関しては、俺の存在を知ってたけどなぁ?」
「え…?」
「…ごめんね、有希…」
あたしは咲の顔をまっすぐに見ることが出来なかった。
だって、どうして咲が、あたしに黙ってたのか、痛いほどわかるから。
…咲は葉が好きだから。
「私と葉なの。陵のことをこんな風にしたのは。」
稔が、稔らしくない声で、そんなことを呟いた。
「でもな、この行為に加担した奴らはいっぱい居るんだぜ?なぁ、オマエラ?」
野球部だけじゃない、咲までもが、顔を俯けていた。
その中でも、和奈は堂々とした面構えで、あたしを見つめている。
「み、みんな、どうして…?」
すると、その質問に答えるように、野球部が言った。
「さっきも言っただろ?いじられキャラで、俺らより格下のはずなのに、エースってのがウザいんだよ」
「テストの点数だって、全然取れてねぇし。」
その返事を聞いた和奈はフンと鼻で笑って、こう言った。
「なんでウチがこのゲームに加担したか、分かる?」
吊り上がった気の強そうな目。いつもは面白くて笑えた方言。
だけど、あたしに対する目線だけは、いつもと違った。
「有希のその強すぎる正義感。友達思いで、みんなに好かれて。愛されて。…友達だという感情までを奪う、その魅力!」
「和奈…」
「ウチの大事な友達の感情を次々と奪って行きながら、傷つけたくないって綺麗ゴト言って、自分だけ幸せになろうとする!想いから逃れるくらいなら、最初から優しくなんかしなきゃいいのに!」
「稔が…美香が…結衣が…どんな気持ちでアンタを好きか、本当に分かってんの…?」
考えたことなかった。
あたしの行動が、誰かの感情を奪い、傷つけていたなんて。
だとすれば、和奈の言っていることは正しい。
あたしは結局、誰かを助けるふりをして、綺麗ごとを並べていただけ。
だったら、あたしは今まで何のために生きてきたの?
誰よりも大切で、護りたい人を、傷つける為に生きてるの?
あたしには、幸せになる資格なんてない。
…陵と同じ時間を過ごす権利なんて、ない。
陵を苦しめるだけなら、あたしは陵から離れた方が良いのかな?
それが、唯一、陵を護れる術だからー…