表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

ロックロック

作者: マドル

「私達の時間は止まっているの」

 と、AKをぶらさげた少女は語り始めた。



かつて、植民地として存在した国は独立を宣言し、今では焦土の地となり果て、各地で銃声が鳴り響き、怒声が飛び交う血みどろの戦場となった。

 国民は独立を支持して、解放戦線を設立し、男達を戦場へと駆り立てていった。私のお父さんも兵士になって、国のために戦いへと赴いていった。その頃の私は事 の重大さに気付いていなかったし、お父さんも出かけてくるような何気ないそぶり私に手を振って出て行ったものだったから、私もいつものように顔も見ずに手を振った。その時、お母さんは泣いてたっけ。

 戦火が私達の住む村まで侵食してきて、私と母さんと弟は別の村へと逃げた。約村一つ分の人数がそこへ押し寄せてきたものだから、食料等の問題とかが起こって大人たちが村長宅で言い合いをしていた、そんなさなかだった。


 村を囲む木々の間から、彼女はAKを抱え、後ろに四人ほどの少年兵をひきつれて私の前に現れた。私は唖然としてその姿を見ていた。擦り切れた衣服はところどころ破られていて、今にも肌が露出しそう。華奢な体、土に汚れた肌、乱れた黒髪、射抜くような視線、その全てが異様であり、魅力的であり、威圧的であり、感動的だった。背の高い少年兵がこちらへと向かってきて、食料と水を求めてきた。私はそれについて、大人の人達が話しあっている最中だと説明した。

 目的の物が得られないと分かると、舌打ちを一つして忌々しそうに空を見上げて彼女たちのもとへと戻っていく。

 少年兵たちは何か言葉を交わしながら村を通り過ぎようとしていた。村の中心をとおるような事をせず、隠れる様にしてわき道を通って行こうとしていく。

「なんで付いてくるんだ?」

 ちびの少年が私に聞いてきた。

「なんでそんなの持ってるの?」

 私は彼に訊いてみた。彼はさも当然のように「殺すため」と一言。おもむろに持ち上げ、私の額へとぴたりと照準を合わせた。バン、と発砲音を真似た声、反動を再現して腕を上げるしぐさがやけに幼く見えて、私は笑ってしまった。彼は怪訝そうな顔をしている。それはそうかもしれない。撃たれる恐怖を見せつけたはずの私が笑っているのだから。

「ねぇ、どこに行くの?」

 と私は訊いた。

「あっち」

 と彼は応えた。その指をさす方は、私の村がある方角だった。

「やめときなよ」

「どうして」

「あぶないよ」

 と私が言うと、彼は目を細め、呆れたように首を振った。次に目を開けた瞬間、私は背中に異様な寒気を覚えた。彼の中にある負の感情というものが表情に現れたかのように思えたから。

「どこにいても一緒だ」

 吐き捨てる様に、確かめる様に、言い聞かせるように、彼は俯き加減で言った。そんな彼の肩にノッポが手をかけてやり、静かに引き寄せて頭を撫でる。

 まだ十代にもなっていなさそうな少年が吐きだした言葉にはあまりにも大きすぎる意味が込められていた。私はそれを一瞬で理解した。彼はきっと、大切なものを失くしたのだと。逃げても逃げても、彼から大切なものを奪おうとする魔の手から逃れられなかったのだと。

 私達の村は今、暴力を振るわれているだろう。その暴力はその場所でとどまる事はなく、次へと向けられる事となる。際限なく繰り返される暴力が、さらなる暴力を生み出し、私達をのみ込んでいく。そうだ、この場所も、次に逃れる場所も、いずれは戦火に呑み込まれてしまうのだ。

 漠然とした恐怖が私の体を凍らせた。瞬間的に、お父さんの姿が浮かんだ。

 お父さんは今、どこで何をしているのだろうか、という思考が強調されるように反復される。心の奥底で冷え切った、血に濡れて錆びたナイフのような言葉を浮かび上がらせないために、私はその言葉を何度も繰り返した。生きているという考えに至る事が怖かった。その瞬間に私の心がナイフを突き出してきそうで怖かった。

 それとともに、判然としない、向けられる場所の分からない憤りが体を支配した。どうしてこうなってしまったのか、何故失わなければならないのか、何故恐怖しなければならないのか、私が何をしたというのか、お父さんが何故戦わなければならないのか。行き先の無い憤りは私の中を駆け回り、唯一のはけ口が目から流れる涙だった。

 頬が濡れ、自分が涙を流したのだと気付いた時、体を抱きしめられた。

「泣いていいのよ。もっと、沢山、泣いていいの」

 耳に囁かれる優しい言葉。柔らかい声音。暖かい体温。彼女の吐息、鼓動が感じられて、私の中に突きつけられていた錆びたナイフの刃が静かに溶けていくのが分かった。私は彼女の体を抱きしめて、嗚咽を漏らした。



 無関心ではなかった。どうして私達は『独立』というものを求めるのかという事を。大人たちは言う。苦しみから逃れるためだと。私にはそれが理解できなかった。私達は今幸せかと問われれば、それは否定せざるを得ない。なんせこのありさま。戦火から逃れては食糧問題へとぶち当たり、寝泊まりする土地問題まで浮き上がってきて、最終的に行きつく問題と言えば私達の命なのだから。それでも、大人の皆は大丈夫だとか、必ず勝てるとか言っている。疑いは膨れていく。私はまだ子供だから、何が起こっていて、どういう意味があって、戦いの先に何があるのかとか本当の事は分からない。私の中にある確信的な言葉は、今、苦しいという事に他ならなかった。その証拠に私は今、名も知れぬ、殺傷武器を持った私と同い年ぐらいの女の子に抱きかかえられ、心が穏やかになるのを待っている。自分の中の苦しさをぶつける場所をやっと見つけられたような気がした。自然と心が穏やかになっていく。お母さんに抱きかかえられるとは違う、肉つきもよくない、胸の弾力もない、少し硬い体だったけれども、甘えられるという事だけで落ち着けた。私には妹がいて、彼女のために強いお姉さんでなければと言い聞かせてきた。それも、彼女のためだとはいえ辛い事だった。自分の苦しさを抑えて誰かを慰め、支えるという行為は心を重圧で押しつぶしていく。それが他の誰かを支えても、自分はつぶれていく。それが愛なのか、なんなのかよく分からなくなっていて、とにかくがむしゃらに言い聞かせてきたのだ。その重圧が今消えて、乾いた心に潤いが戻り、ゆっくりと浮上していくようだった。

「……ありがとう」

 そう言って私は少し名残惜しかったけれど彼女から離れる。彼女はかすかな笑みを浮かべて、どういたまして、と答えた。

 既に陽が落ちていた。空にはいくつかの星が瞬き始めていて、冷やかに光る月が昇っていた。木々の向こう、エメラルドグリーンの空の端っこを、私たち全員が見上げていた。どれくらいの時間、そうしていただろう。空虚ではなく、満たされた時間だったのは間違いない。久しぶりに空を見たのだ。それまで、周りの生活の変化に追いつけなかったり、追いつこうと必死になって空を見る余裕なんてなかったから。空の壮大さに、私は密かに息をのんだ。この同じ空の下、きっと色んな人が生きている。私の知らないどこかの人が私とは違う人生を歩んでいる。私の住んでいた村には戦って死んでいく人がいて、ここでは私達は巻き込まれるのを恐れて逃げてきて、もっと向こうでは話を聞いて荷造りをしている人達がいて、そのまた向こうではその戦いの行く末を気にしながら生活している人達がいる。空の色合いが移り行くように、私達の生活も移り行く。暗い影を落としながら。

ふと、彼女の事が気になった。彼女も同じ空を見上げていた。その横顔は、私と同い年ぐらいのはずなのに、どこか大人びていた。言いかえれば、私とは違う生き方をしている、と感じた。生まれ育った環境とか、関わった人達、教えを与えてくれた自然が違えばそれも当然なのかもしれないけれど、それ以上に彼女には形容できない感情がわき上がるのだ。そして、その華奢な体に似合わない、AK。名前だけはお父さんから教えられていた。もちろん、危ないからという理由で触らせてもらってはいなかったけれど。そんな危ないものを、彼女と少年たちは服を着ているかのようにごく自然にぶら下げている。そこにどんな意味があるのか、その時の私には分からなかった。

「今日はここで休もう」

 とノッポは言った。私がこの村はもう住める家はないと告げると、彼は分かってるよと優しげに頷いて、林の先、暗闇へと目を向けた。

 そうして少年兵たちは林の中、暗闇へと身を乗り出していく。銃を携えながら先の見えない道無き道を進んでいく。その後ろ姿が酷く遠くに感じられた。

「来る?」

 と彼女は私に聞いてくる。私はいちいち胸がドキドキするのを疑問に思いながら、答える。

「家族が……心配するから」

「そっか。……じゃ」

 そう言って、彼女も少年たちを追いかけて暗闇へとゆっくり身を沈めていくようにして見えなくなっていく。

 私はしばらくその場から動けないでいた。今、そこにいた人が、男の子が、女の子が、まるで幻のように感じられたから。私は本当にここで彼らと目を合わせ、彼女と言葉を交わしたのかとさえ疑問に思い始めた。ちびが銃を私に向けた事も、彼女の横顔も、ノッポの頬笑みも、左手に包帯を巻いた子も、私の方を向いたまま、口を開かなかった子も、すべて夢だったのではないかと。

 風が吹いた。木々が靡いた。私はまだ、そこに立っていた。



 それから、私はお母さんに連れられて家に戻った。夜に一人で出歩いてはダメと耳にタコが出来そうなくらい、その日は言われ続けた。子供が外を出歩いてはいけない。私は彼女たちの事を思い出した。彼女たちは今も林の向こう、暗闇の中に身を潜めて身体を休めているのだろうか。それとも、もう先へ進んでしまっているのではないか。野犬とかに襲われていないだろうか。次々と湧き上がる様にして浮かぶ疑問が、私の表情を曇らせていたのか、妹が大丈夫、と訊いてきた。私はもちろん、心配させまいと大丈夫と答えた。

 彼女たちの事を話すべきだろうか。迷ったりもしたが、結局私は話さない事に決めた。どことなく、悪い事をしているという気分にとらわれたから。それが、彼女と秘密を共有しているように思えたのだ。私の勝手な思い込みであるのは分かっていても、周りの誰も知らない彼女たちの存在を知っている、というだけで何故かドキドキした。

 狭い家に三世帯ほどの家族が押し込まれ、そんな中で晩食を済ませた。寝る時、互いに位置を譲り合い、取り合いもしながらやがて寝静まる。私の家族は入口の近くだった。布一枚で仕切られたその向こうでは柔らかな夜風が吹き、布をふわりと舞い上がらせる。

私はなかなか寝付けなかった。寝苦しい場所というのも要因の一つだったけれど、何より、彼女たちの事が気がかりで仕方がなかった。空を見上げていた時の彼女の横が今でも鮮明に思い出せる。抱きかかえられた時の、土の臭いが思い出せる。そうだ、何をしていても、彼女の事が気になって仕方がないのだ。

 何度も寝返りを打っては隣りの妹とぶつかりそうになって、元の位置に戻る。夜風は気持ち行けれど、運んでくる砂が鬱蒼しくて、服で口と鼻を覆いながら眠ろうとする。眠ろうとするほど目が冴えてきて、いつの間にか舞い上がった布の向こうに広がる夜空の星の数を数えようとしていた。

(何してるんだろうな……私)

 眠れない理由は既に分かっているはずだった。後は、決めるだけだった。

 私は物音を立てないようにしながら立ち上がり、家を抜け出した。家の近くから離れる時は音を立てないように忍び足、別の家の蔭に隠れた後は、大急ぎで彼女と別れた場所へと向かった。走っていると、自然に不安が大きくなっていく。彼女たちはもういないのではないだろうか。もし、野犬に襲われてしまっていたら。そんな不安が私の足を急がせた。遠くもない道のりがやけに遠く感じられて、彼女たちと自分の居場所が、手の届かないくらいに遠い場所のように思えた。

 そして、私は彼女たちと別れた場所にたどり着いた。木々のざわめきが静寂を際立たせる。地面の冷たさが、足を伝って前進に染み込んでいくよう。私の中で、緊張が走る。その先はただの林だというのに、別の世界のような気がしてならなかったから。踏み込む事で私はもう、この世界に帰ってこれないんじゃないかと思えるほどの強烈な不安と、彼女に会いたいという強い願いが混同され、ぐちゃぐちゃになって私の中で這いずりまわるのだ。彼女の温もり、彼女の頬笑み、華奢でありなら真の強い瞳。ボロボロな衣服の上に纏う強い存在感。ぶら下げたAK。弾のたっぷりと込められた弾倉。腰だめにして抱え、トリガーに指を置き、ゆっくりと引いていく。

 ――どうして。

 唐突にして芽生えた言葉。咲くようにして、弾け散る様にして生まれた疑問。彼女へと通じる道としての懐疑。

 ――どうして、そんなものを持つ必要があるのか。

 悲しみにも、怒りにも似た、感情が不安を撃ちぬいた。不安は霧散し、疑問という弾丸は心深くに痕を残し、私の足を動かした。

 暗闇は思った以上に深かった。進んでいくにつれ、地面から伝わる硬さが変わっていくことが分かった。木にぶつからないように気をつけながら、足元を確かめながら枯れ葉の散りばめられた道の無い道を進んでいく。目が慣れてきたのか、暗闇の中に木々の姿が微かに見てとれた。その中に人影のようなものは見えない。彼女たちはもっとどこか別の場所に言ってしまったのかと不安が再び芽生えてくる。声にして叫びたい衝動を抑え、ぎゅっと身を抱いて不安に押しつぶされないように歩き続ける。

 問わないといけない気がする。きっと、彼女たちなりの理由があるはず。ちびは言った。『殺すため』だと。でも、私にはどうしても納得がいかなかったのだ。私なりの、ただの甘えでしかない考えかもしれないけれど、『殺すため』しか考えずに武器を持っているのなら、あんな風に芯の通った目をしないと思う。昔、私の見た殺す人の目はそんな風に、芯の通った目なんかじゃなくて、濁りきっていて、虚ろで、何も映し出さない悪の塊だった。けれど、彼女たちの目はどうだった? 透き通っていて、意志がこもっていて、何もかも映し出す。私でさえ映し出す湖のような目だった。

 彼女たちの目に、何が映し出されているのかを知りたい。私と同じ目でありながら、映し出す世界が違う世界。住む世界が同じでありながら進む世界が違う世界。同じ体でありながら、感じる事が違う世界。

彼女たちの隔たりが大きくなる様に思えた。彼女たちとの繋がりがなくなるような気がした。進むべき方向が違うなら、彼女たちと離れる事は明白だ。理解しているからこそ、辛い。同じ場所を目指そうにも、今の私は彼女たちの何も知らない。目指すべき場所がどんな場所なのか、私はまるっきり知らないのだ。追いかけても追いかけても追いつけない、真っ暗闇をがむしゃらなままに走る。手を伸ばしても、彼女たちには届かないし、手を伸ばしていることにもきっと気付かない。どうしてここまでする必要があるのと別の自分が問いかける。もういいじゃない、と。私には関係のない話じゃない、と。

それじゃ、ダメだと首を振った。私は問いたいんだ。彼女に問いたいんだ。彼女との繋がりを見つけたいんだ。彼女と話したいんだ。彼女と一緒にいたいんだ。彼女の見る世界を見たいんだ。私は、私は――。

いつの間にか、頬が濡れているのが分かった。息も上がり、がむしゃらに走りまわったおかげで自分が何処にいるのかも分からなくなっていた。大声を出す事さえできず、私はその場所にへたり込んだ。声を押し殺した嗚咽と、木々のざわめきだけがそこに木霊する。ここには誰もいない、そんな言葉が木々のざわめきの中に込められているようで、私はますます不安に駆られて泣いてしまった。

 こぼれる涙が暖かい。彼女に言われた事を思い出す。泣いても良い、と。あの優しげな声が今にも還ってくるんじゃないかという期待が湧いてはすぐに消える。繰り返す感情の起伏と断裂。次第に私は泣く事にも疲れて、涙を流さなくなった。涙の流れた場所が、風に吹かれてひんやりとした。

 そこで、私は静かに近づいてくる足音に気づいた。一瞬にして身体は凍りつき、振り返る事も出来ずにそこで動けないでいた。彼女なのか、少年なのか、それとも別の何かなのか。彼女であるという期待以上の恐怖が身に広がって、上手に息もできなくなってしまった。歯がかみ合わずガチガチとなって、近づいてくる音が鮮烈に響いて聞こえてくる。

 後頭部に細い、円筒みたいな何かを突き付けられた。それが銃だと分かると私は身を縮こませた。瞬間、私は肩をつかまれて引き寄せられた。

「いやっ!!」

 私は固まってしまった身体を叱咤するようにして、その手を払いのけた。そして、私の目の前にいる存在へと目を向けた。

「こんなところで何しているの?」

 と、聞き覚えのある声がした。目の前にある人影を前に、私の理解が追いつくまで数秒かかった。そして、そこにいるのは彼女だと理解した瞬間、私は彼女の胸へと飛び込んだ。



「無茶するね。でも、そういうの好きだよ」

 好き、という言葉にびくっとなる。顔がほてるのを感じて私はとっさに俯いた。そして、さっきの事を思い出しては恥ずかしくなってしまう。無意識のうちに彼女へと抱きついていたのだから。感情が爆発したように何も考えられなくなって気づけば彼女の腕の中。恐怖から解放され故の行動と考えれば別におかしくもなんともないんだけれど、何故か凄く恥ずかしい。

 俯き加減なまま私は彼女にどうして私がいる事が分かったの、と訊いてみた。すると、さも当然のように音がしたから、という事だった。今思えば、そりゃもう大きな音を出して駆けていたに違いなかった。彼女は見張り番だったから、様子を見に来たらしい。

「そしたらアンタだった。敵兵を見つけるよりも驚いたよ」

 と言いながら笑って見せる。どうして敵兵よりも私を見つけた時の方が驚きなのか、という事は訊かないでいた。それよりも、彼女が初めて私に笑いかけてくれたのだ。その事に感動して、どうしてのども出てはこなかった。

「でも、どうしてこんな所まで来たの? 女の子一人で夜道を歩くなんて、危険な事だよ?」

 私は答えに詰まった。ここに来た理由はもちろんある。けれど、咄嗟に口をつぐんでしまった。ここにきて、彼女に『どうして』、と訊くことで私達の関係が壊れてしまうのではないかと不安になってしまったのだ。出会いは奇妙で、ただ外にいたところに彼女たちが偶然私の目の前に現れた。そこで、少しだけ話しただけだというのに、私にはその繋がりが凄く愛おしく思えた。この服の糸一本くらいの細くて短くて強度の無い繋がりが、とても大切に思えて仕方がないのだ。

「答えたくなかったら答えなくてもいいよ。アンタにも色々あるだろうから」

 私は慌てた。彼女の言い草が、見切られているような気がして怖くなったのだ。私は彼女を見て、違うの、と言った。彼女は眉を釣りあげて、そう、と答えた。それから、沈黙が降りた。彼女はAKを手に持って、色んな部位をチェックしている。彼女は何を思ってAKを手にしているのだろう、という疑問が再び私の中で強く息づいた。彼女の手にするAKに取り付けられた弾倉にはたっぷりの弾丸が詰め込まれているだろう。トリガーに指をかけて、引いてしまえば殺傷能力の高い弾丸が人間の身体を粘土のようにしひしゃげつつ、貫通してどこともつかない場所へと突き抜けて行く。

「珍しい?」

 と彼女が訊いてきた。私がAKをずっと見続けていたからだろう。私は素直に頷いた。

「だよね。だって、私達が『生きていた時』にはこんな物なかったし、必要もなかったんだから」

 私は彼女の言う、『生きていた時』という言葉に違和感を持った。

「生きてるじゃない」

 私がそういうと、彼女は頬笑みながら首を横に振るのだ。まるで母親が子供にやさしく諭す時のような、柔らかな表情を携えながら、

「私達の時間は止まっているの」

 と、AKをぶら下げた彼女は言った。

「昔の私達は、私達たらしめる思考を持っていたの。私達が私達らしくいられるのは、私達が『何の目的もなく、自由に物事を選択』出来ていたからなの。私が遊びたいと思えば遊べたし、私が家に帰りたければ帰れたし、私が眠りたいと思えば眠れた。喧嘩を吹っ掛けられたなら喧嘩するかしないかを選べたし、好きだって言われたらそれを受け入れるか受け入れないかの選択もできた。私達は選択することが出来ていたから、私達だった。そして、文化も文明も、自由な思想も、自由な選択が出来ていたから私達は成長していくことが出来た。けれど、今はどう? 私達は今、自由に選択出来てると思う?」

「私は……少し不自由だけど、選択出来てると思う。だって、こうして貴女と……話せてる。話したいと思って、話してる」

「そうね。ある程度の自由はある。それが個人的な内容なら、ね。けど、貴女がある組織を創って、何かを始めようとするとして、今の状況で出来ると思う?」

 私は話が難しくなってしまう予感がして、気を引き締めた。

「その組織の内容が、解放戦線を支援するような組織ならきっと可能。でも、その他の組織は全て駄目なのよ。規制なんてものはないのにどうしてなのか。それは、今の状況では必要が無いからなの」

「どうして?」

「戦いに勝つためよ」

 その言葉を彼女が発した時、彼女の目に意志がはっきりと見てとれた。

「何かを作り上げても、最終的に行きつく思考は戦いが有利になる事しかないのよ。経済支援団体や、外国の奴らと協力という選択をしたとしても、それは何のため? 『戦いに勝つため』に他ならないわ」

「でも……支援してもらうとか、外国の人に助けてもらう選択は自由じゃ、ないの?」

「一見、そう思えるだけ。選択する自由はあるけれど、選択儀が自由からもたらされた物じゃないでしょう? 戦況下に置かれている人々の考えは大半、『戦いに勝つため』という理由へと帰属する。それは、人間がもつある一つの感情から来ていると思うの」

 私が何、と問うと彼女は私の方へと向いて静かに呟いた。

「恐怖よ。全ての根底は、恐怖という感情が私達の思考を抑圧しているのよ。何気ない顔をしていても、いつも通りの人間でも、異常のあるような状況下では無意識のうちにそれを意識して思考が制限されてしまう。それが、思考停止へと結びつく。私達は、独立戦争を意識し、この土地が戦場になる事を理解した瞬間に、何時何処で、自分が目標になってしまうのかという恐怖で、私達の中の時間は停止してしまった。進んでも進んでもいきつく場所は戦火の中。戦争という大きな枠組みからは逃れられない。だから私達は、時間を動かそうとしているのよ」

 確信の去来。それこそが、私の疑問の答えへと繋がる言葉だった。

「その……AKで」

「うん。これが、私のお守り。これが、私達の盾で、鍵なの」

「でも……分からないよ。時間を動かすって……一体どうやって? 何をどうすれば貴女の言う時間を動かせるというの?」

「私達の存在が、時間を動かすの。子供が、時間を動かすのよ」

 私は、黙り込んだ。彼女の言葉の真意が掴めなかったからだ。

「知ってる? ……戦争をする人達って、子供の姿を見ると驚くの。ましてや、銃を持っていたら尚更ね。向こうは銃を構えるけど、撃つことに抵抗を覚えるのよ。おかしいわよね、戦争をしているはずなのに、子供を見て驚くなんて。人間を相手取っているのに、どうして私達が現れて驚くのって。良心、もとい、子供には危険な目には合わせないという、何時何処で決められたかもわからない定義みたいなのが彼らには根付いているの。……おかしいと思わない? だって、戦いに来てるのに。戦うってどういう事? 話し合いとは訳が違う、殺して、奪って、犯して、蹂躙して、突き付ける事なのに。……ねぇ、私を、見て」

 そう言って、彼女はするり、と素肌を晒した。私は急に恐ろしくなって目に涙を浮かべた。彼女の華奢な身体には無数の傷跡が酷く残っていた。鋭く、短い一本線が引かれ、内出血を起こして蒼くなって痛々しい。けれど、私は目を背ける事が出来なかった。背ける事が彼女を傷つけてしまうのではないかと思えたから。そっと手を伸ばして、彼女の表情を窺いながら傷へと触れてみる。くすぐったい、と彼女は笑った。でも、私は笑い返す事が出来ないでいた。手の先から感じる、肉体の起伏、でこぼこ。本来、なだらかだったはずの彼女の身体は、ボロボロだった。

「私の住んでた村はもう無いんだ。焼かれちゃった」

 そう言って、彼女は私を抱き寄せた。優しく招き寄せてくれる彼女の腕。私は抵抗もなく彼女に寄り添う。膝枕をしてくれて、私は彼女の顔を見上げる形で彼女の話を聞いていた。

「その時にね、大人は女子供を生け捕ったの。そして、私達は犯されたわ。でも、私は生きてる。こうして、生きてるの。男の欲望の捌け口にされても、私はこうして貴方と話せてる」

 彼女がそっと、私の頬を撫でた。その時、私は初めて彼女の土に汚れた手が冷たい事に気付いた。

「貴方に、私の在り方を伝える事が出来る。それが、私は嬉しいの。私という存在が、誰かの中に残る事が。それが私にとっての遺言になるから。ありがとう……これで私」

「言わないで」

 私は彼女の言葉を遮る様にして、静かに叫んだ。溜まった涙を零すまいとして必死にこらえながら、彼女の目だけを見た。ひたすら見た。

「言わないで。そんな、当然みたいな顔して言わないでよ、お願いだから。生きてるんでしょ? 生きてたから、私達、会えたんでしょ? 彼らだってそう、貴方が生きてたから、お互い生きてたから、会えたんでしょ?」

「うん。生きてたから、私達はここにいるんだ」

「お母さんがよく言ってるの。神様が救ってくれるって。でも、私はそんなの信じてない。だって、今だってどこかの誰かが死んじゃってるかもしれないのに、なんにも起きないんだもの。村から追い出されたし、お父さんは帰ってこない。どこに救いがあるって言うの?」

 私の胸が締め付けられるように痛んだ。私だって本当は信じたい。全部を終わらせてくれる神を。けれど、そんなものは結局人の想いであって、具体的なものなんて何一つなく、事態は悪化していき、沢山の命が脅かされ、消えていく。

「神はここにいるよ」

 と彼女は自分の胸を指した。

「だってそうでしょう? 私達の信じられるものは、結局自分なんだもの。自分こそが自分を統率する神様なんだよ。この身体はほかでもない、自分自身の物。私はね、今凄く充実してるって思ってるの。私は、自分の意志で生きて、戦っているんだって。何かを動かそうとして生きているんだって。生かされてるんじゃなくて、生きてるんだって」

「戦ったら、その銃で撃ち合ったら死んじゃうかもしれないじゃない! なんで? なんで逃げないの? なんで生きようとしないの!?」

 私には理解できなかった。どうして今ある命を大切にしないのか、戦場じゃない場所にいて、どうしてその幸福を保とうとしないのか、どうして自ら戦場に飛び込もうとするのか。

 一体何を動かせるというのだろう。子供の私達に、一体何が出来るというのだろう。

「生きるって、たぶん、そういう事じゃないんじゃないかな」

「……え?」

「私達は確かに、物としては生きてるかもしれない。けれど、自分の意志に反して生きる事を、私は生きる事とは思えない。私は私の思うがままに生きてやりたいの。アンタが私に、違う生き方を強要したいという意志と同じようにね」

「私……そんなつもりで」

「良いのよ。私の事を思ってくれてる事くらい、分かってる。ありがと」

 彼女はそういって、笑った。顔が月と重なって暗かったけど、儚げで、触れれば消えてしまいそうなほどに。彼女は、きっといつもこうだったんだと思う。光に照らされることなく陰に潜み、影のように暗く、陰鬱とした人生を歩んできたに違いない。それが悲しいわけじゃなくて、そういった人生を歩ませる、この世界がいけないんだ。その世界を、変えようとしてる。私達に本来与えられたはずの時間、未来への時間を、華奢な身体で、大人になりきれてない心で、動かそうとしているんだ。



 別れの時はすぐに来た。あれから彼女は私を立たせ、村へと送り返してくれた。彼女の腰にぶら下げられたAKが、こつこつと私の腰を打っていた。AKがまるで別れの挨拶をしているみたいで、少しおかしかった。あれから、彼女との会話は一切なかった。彼女は私に、話したい事を全部話したんだと思う。彼女の言いたい事、何故、AKなんかを持っているのかという疑問を解決できたから、私も話す事が何もなかった。結局、無言のまま、静謐に沈んだ村へと着いた。彼女は、私の背中を優しく押した。私のいるべき場所はここだとでも言うように。

 私は、村の中へと帰る。振り向く事もなく、現実へと帰って行く。彼女はこれから、夜明けまで休んで、戦場へと向かっていくのだろう。彼女の向かう場所、そこに未来へのネジがあるのかはわからないけれど、それでも彼女は自分の意志で、理想を掲げ、進んでいくのだろう。

 葉の擦れる音。彼女が、帰って行く。もう二度と会う事のないだろう私達。けれど、もう何も寂しくも、心残りもない。彼女は彼女の道を、私は私の道を進むだけ。

 私は、彼女の様には生きない。彼女のように、強くなれない。彼女のように、立ち向かう事なんて出来やしない。

 だって、呪われているんだもの。どう足掻いたって、私達はその呪いからは逃げられない事が分かっちゃったんだもの。彼女は、時間が止まっていると言った。全てが戦いに勝つという、強制にも感じられる思考を余儀なくされると。それを打開しに行くと彼女は言った。きっと、彼女の仲間の男の達も同じ志なんだろう。けれど、彼女たちの目的は結局、彼女たちが否定したがっている思考へと回帰していたんだ。時間を動かすためには『勝つしかない』って。

 私は家にそっと入り込んで、皆の寝ている体を通り越して、自分のいた場所に落ち着いた。そしてさっきの事が夢だったかのように、おぼろげに思い出されるまま眠る事にした。あの儚げな彼女の横顔はもう、思い出せなかった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ