プロローグ
いきなりでなんだが皆は『道理』という言葉を知っているだろうか?
それは、「あるべくしてある」「そうであるもの」といった感じに「こうである」と定義されているものに使われている言葉だ。
普通に学業にいそしんでいれば、或いは書物を読んだりしていたら必ず知っているであろう言葉だ。
地球は回っている。
光を浴びれば必ず影が出来る。
時間は止まることを知らずに刻み続ける。
水に形なんてない。
全ての事が数字で表現できるのであれば逆に言葉だけで表現することも出来る。
こんな風に道理について軽く例を挙げてみたが、すなわち道理とは『そうあるべきもの』だとこの僕は思う。
『そうあるべきもの』がそうでなければ、それもう道理とはいわない。
それは『不条理』で卑屈で、言い換えれば道理から遠く離れた『偽者』といえるのではないだろうか。
『道理』の反対語は『不条理』だが、僕はそうではなく『道理』の反対語は『偽者』であると思う。
これだけでこの作品はつまらないな。と思った人は本当にすまない。
だけど僕のこの物語を語るにあたって、このことはとても大切なことなんだ。
あとほんの少しだけこの僕の価値観の話に付き合って欲しい。
僕は『道理』の反対語は『偽者』であると言ったが、それは『例外』という概念について目を逸らした時の話だ。
どんなものにも『例外』は存在していると思う。
簡単な例で説明しよう。
道理にそぐわなければ偽者と言う事だけなら。
学び舎などで出された宿題。それはやってくるのが『道理』で、忘れれば『偽者』という説明になるが、この時『偽者』は怠け者と罵られたり、怠惰だというだけであるのだが、この場合。
「どうしても外せない用事があって」、宿題を出せる状態に無かったとしよう。
県外、または国外にいてと想定してもいい。とにかくどうしても出せない状態。
この場合は『例外』という形になるのではないだろうか。
ちゃんと存在している。
別にこの例に限ったことではない。
『例外』。例から外れたもの、異例とも言い換えられるし、異端とまではいかないかな。
言葉はいくらでもある。
この例では少しスケールが小さいかも知れないがこれで僕の物語を語るための下準備は終わった。
理解なんてしてくれなくてもいい。ただ受け入れて欲しい。
これが僕の価値観であるというだけだ。
ただ、こうであるってだけの話。
これは、『例外』の物語だから。
人間という『道理』から生まれた、『偽者』じゃない『例外』の物語。
これは、僕の失敗談かも知れない。でも、語らなくちゃいけない真実だ。
此処まで長ったらしい前振りを読んでくれてありがとう。
そして出来れば最後までお付き合いください。
それじゃあ。僕の物語を始めよう。