【上】
ピアニストとバーテンの話。
シックな感じの店内に、透き通ったピアノの旋律が響きわたる。グラスを傾けていた客達も思わず耳を傾けるほど。彼の腕前は本物だと思う。カウンターの中で、グラスの水気を拭き取りながら、このバーのバーテンダー、峰岡良輔はそう思っていた。彼は少し変わっている。ピアノの腕は世界に通用すると思われるほどすばらしいものなのに、何故かこんな小さなバーで演奏するだけにとどまっている。理由を聞いても何故かはぐらかされるので、良輔はあまり深く詮索できないのだが・・・。
彼の演奏は、閉店30分前くらいまでである。開店は午後6時からだから、かれこれ6時間以上弾きっぱなしなのだ。多少休憩入れるものの、疲れはしないのだろうか・・・。まぁ、かという自分は休みなしだが・・・。
今日も何かと閉店まで30分くらいになった。今日は珍しくお客はすでにいない。ピアノの演奏を終えたピアニスト、田沢啓吾が、カウンター席に座る。
「お疲れ様です。いつもありがとうございます。」
「いえいえ、こっちの方こそ演奏させてもらって感謝してますよ。」
「敬語、やめてくださいよ。一応貴方の方が歳は上でしょう?それに今の時間からは貴方は御客様ですから。」
「そう?じゃ、いっか。なんかそれ毎日言われてる気がするなぁ。」
「そうですね。いっそもう敬語やめてもらっても良いんですけどね、開店から。」
「ん-・・・それは一応ね。けじめとしては譲れないよ。あ、いつもの。」
「はい。」
彼はいつも演奏が終わると此処でお酒を飲んでいく。料金は取らない。ここで演奏してもらった代金の代わりに、無料でお酒を提供する。それが二人での約束だった。良輔は手なれた手つきで、彼のいつものカクテルを作った。きれいなすんだライトブルーのそれを、カクテルグラスに注ぎ、彼の前に差し出した。
「いやぁ~いつ見てもほれぼれするよね。さすがマスター。」
「マスターだなんて。俺ただの代理ですから。」
此処の本当のマスターは今、病院に入院中だ。
「いっそ、マスターになっちゃいなよ。俺毎日来るから。」
「それはどうも。出来ればそうじゃなくても毎日来てほしいですけどね。」
「あはは、アル中になっちゃうよ。ねえ、ます・・・じゃなかったっけね、良ちゃんも飲もうよ?」
「誰が良ちゃんですか。せめて良輔にしてくださいよ。」
「えぇー。ま、いっか。ね、飲もう飲もう。」
「俺まだ仕事中ですから。」
「いいじゃん、もう今日は終わっちゃいなよ。俺以外にお客いないんだし。なんらな俺とデートして?」
「なんでデート?」
「なんとなくー。てか、俺前から良輔の事好きっていってるのに。」
「・・・・・冗談やめてくださいよ。啓吾さんなら良い女性見つかりますから。こんなとこいるより、あっちの大通りでナンパして来て下さい。今度来るときは彼女同伴でどうぞ。その時はおごりにしておきます。」
「ええー、それって良輔とここ来ようってこと―?」
「なんでそうなるっていうか・・・根本的になんか間違ってますから・・・。俺を口説くのは勘弁して下さい。」
「良輔俺のこと嫌い?」
「さてどうでしょう。」
「そう言うのずるいなぁ。」
笑って良輔は後ろを向いてグラスを片付け始めた。
やばいなぁ・・・またこの時間が来ちゃったよ。早く帰ってほしいけど・・・・いやでも、この時間が楽しみだったりもするんだよなぁ。やっぱり、好きな人に口説かれるのってたまんないよ・・・。でもなぁ・・・此処で俺も好きですなんて・・・言ったらどうなるんだろう。
お酒の知識0なのにね、書いてるって言うから驚きだよね。