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ウィルスの正体

 ところで、桜も過ぎ、八重も葉桜となってきた2021年の4月。春彦は2128年の春美と、夢のイメージと短波通信を使ってお互いの気持ちを伝え合っていた。奈津子を助けるための、自動手術がプログラミングされたナノマシンは完成しており、そしてそのナノマシンはフラーレンで転送可能なものとなっていた。問題は、フラーレンが到達する場所、つまり、光が発生する場所は2021年の奈津子の鼻腔の奥である必要があった。ここからナノマシンが脳へ進入するのである。鼻腔から脳まで血管の中を移動し、脳内の出血部位まで移動し、脳に広がった血液を分解廃棄させ、フラーレンの爆発により焼けた神経細胞を切除する。新しい神経細胞はDNAレベルから再生し元通りに結合させる。寸断された神経回路のシナプス結合はすべて復元し、ド-パミンの分泌を正常に戻す。これらのことを4機のナノマシンが分担して行うのであるが、もちろん2021年では不可能な事であって、植物状態を維持するのがやっとの事である。小山内博士が15年の歳月をかけて開発した奈津子専用の手術マシンと追尾システムが、不可能とも思える超高度の脳外科手術を、しかもマシンで自動的に行うという奇跡を可能とするのであった。


 このナノマシンを上手く動作させるためには、2021年のナノマシンの存在位置を追尾システムへ知らせるしくみが必要であり、つまりナノマシンを探査する、フラーレンファインダという装置が必要となるのである。ナノマシンで転送することはできない大きさのこの装置は、設計図だけをイメージで春彦へ送られていた。すぐに春彦は、自宅近くにある松蔭神社の隣の大学へ、ニセ学生証で入り込んだ。工作室には必要な機材は全てそろっていた。わけの分からない回路図と、言われるがままに買い揃えた多くの部品を前にして、春彦は魚群探知機からフラーレンファイダへの改造に入った。


「さすがに難しいな、こんな回路は見たことがないな」


小山内と通信するために作り上げた短波発信装置とはケタ違いの難しさである。通常9ギガヘルツのXバンドが用いられる探知機にたいして、ナノマシンを探査するためにはVバンドと呼ばれる通信衛星に使われる70ギガヘルツ帯が必要なのであった。しかも低ノイズで高出力としなくれはナノマシンを補足してレーダに表示することができないため、回路も極めて複雑となってくる。なにしろプリント基板から自分で作らなくてはならない。小山内の時代では簡単かもしれないが、2021年では、13層のプリント基板なんて素人では作れない。秋葉原で普通に手に入るものは2層のプリント板であるから7枚を張り合わせて作らなくてはならないのだ。工作精度もそこそこ必要であるが、なによりその大きさである。2128年ではマッチ箱程度のフラーレンファインダなのかもしれないが、2021年の魚群探知機の改造でしかも春彦という素人の作品となるとスポーツバッグにやっと入るくらいの大きさとなった。もちろん重量も20キロを軽く超えている。このフラーレンファインダというより大型精密魚群探知機といったほうがいいような機械を何とか完成させると、春彦はまっすぐ病院へ向かった。




 奈津子のいるICU、その控え室には、看護婦と家族が付き添っていた。


「簡単に中には入れてくれそうにないな」


 そう思うと、春彦はナースステーションに忍び込み、インターホンに向かってしゃべり始めた。院内放送という手を使ったのである。


「奈津子さんの容態に変化。ドクターは第2診察室へ。血液投与準備のため担当看護婦はセンターへ、ご家族の方は血液検査のため、第2診察室へ至急お越し下さい」


 驚く家族とナースは、ICUを飛び出していった。そして、誰もいなくなった奈津子のそばには、春彦がフラーレンファインダを抱えて立っていた。


「奈津子、約束だ。必ず助ける。愛してるよ、奈津子」


 春彦は眠っている奈津子の耳元でささやくと、フラーレンファインダに頭蓋骨の正確な座標を入力していった。奈津子の鼻の座標を入力し、伝送し終わると、まもなく鼻腔が光った。


「奈津子、もうすぐだ。また一緒にカレー食べような」


 春彦にとってはあのカレー屋の前から時間は止まったままであった、あの時の衝撃を春彦は忘れていない、全てはあの日始まった。春彦はそう思っていた、奈津子を、元の元気な奈津子を、ただそれだけのために今の春彦は存在していた。全ては奈津子のために。


 看護婦に見つかる前に、ICUを飛び出して6時間後、春彦は自宅で夢を見ていた。手術が成功して奈津子が目覚めるイメージだった。イメージのまま、奈津子は数日後には目を覚ますはずである。


「目を覚ました奈津子に何を話そうかな」


春彦は、二人の将来の希望に思いを馳せていた。




 さて、ゴールデンウィークの人ごみの中、春彦は下北沢の街で光を追いかけていた。


「なぜ奈津子があんなことになったんだろう。小山内博士の考えは間違ってはいない。人類を救うためにはたしかに最良の手段だったし、設計も正しかった。あんな事故が起こるはずがない」


春彦は、奈津子の事故がなぜ起こったのかを知りたかったのである。そこで春彦はフラーレンファインダをもって街中をうろついていたのであった。フラーレンファインダで、出現するフラーレンを観察すると、フラーレンが到着したときに発する光は一度ではなくて、10秒間隔でつぎつぎに発生していた。


「どうやら、フラーレンを一度に複数転送することはできないようだ」


春彦の疑問は、どうやって未来にたんぱく質を転送しているかだった。


「ある地点にナノマシンを送り込む。次に、タンパク分子を摘出したナノマシンを未来へ送り返すフラーレンが必要なはずだ。だとすると、奈津子の手術の時のように座標データが必要で、ナノマシンはある瞬間その座標に留まっている必要があるはずだ」


 奈津子のいた喫茶店を出て、わき道を左に折れて下っていくと、角にイタリアンレストランがある。店のメニューの下で日向ぼっこをしていた猫が、ピクッとして逃げ出した。


「あ、あった」


 フラーレンファインダにはナノマシンの影がくっきりと映っていた。そして、ほんの10秒ほど後にピカっと光り、影は消えた。フラーレンがナノマシンを捕捉し、未来へ戻った瞬間であった。


「動物性たんぱく質って猫でもOKなのか?未来の人間はこんなものを食っていたのか」


 春彦はなんだか情けなくなってきた。そのまま商店街の通りへ戻るとドーナツ店の前でまた光を見た。しかし、そこには猫も動物らしき物体もない。フラーレンファインダにも、フラーレンは補足しているものの、回収すべきナノマシンの影は映っていなかった。


「あれ、失敗したのかな」


 なんとなく気になるので、春彦は猫を追っかけてそこらじゅうを歩き回ってみた。下北沢の街は意外と猫が多い。今度は北口を越えて、コドモショップを通り過ぎて、科学教材店の前あたりにくると、ピクッと動いた猫を見つけた。フラーレンファインダにもくっきりと写っていた。


「世界中の人類へのたんぱく質の提供であるから、相当な量が必要なはずだ。分子レベルではひっきりなしにやっていないとらちがあかないんだな」


 こんどは、マシンの位置めがけて、自分の靴を手で持って、ひっぱたいてみた。マシンはどこかにいったか壊れたようで、探知しなくなくなった。


「俺の考えが正しければ、この場所へフラーレンがナノマシンを捕獲にくるはずだ」


 その場所へ靴をおいていると、10秒後には、光とともにブチっという音。靴に穴でも開いたのかもしれないが肉眼では見えない。ちょっとにおうので、多分そうなのだろう。


「やっぱり、奈津子の場合はこの状態だったのか。」


そうなると、さっきのドーナツ店の前でみた光は、何故、、ふと疑問が浮かび上がった。


「あれが、フラーレンだとしたら」


ナノマシンが待機していない空間で光った光、


「ナノマシンを完全に補足するわけではないんだな。あまり座標データは正確ではないのかな、いや、そんなことはない、だったらあんなに正確に奈津子の鼻の中に4機ものナノマシンを送り込むことなんかできないはずだ」


 これは、奈津子以外にもナノマシンの事故が発生していることを意味していた。しかし、小山内博士を信じている春彦は、それはおかしいと感じていた。「はじめから確率的な事故を想定してこんなことを考えるような小山内博士ではないはずだ。そうじゃないと、過去のたった一人の女のために15年も無駄にしたりしないはずだ。フラーレンは何か別のものを捕捉して未来へ帰っていったに違いないな」


そう信じて、春彦はフラーレンファインダでフラーレンを探し回った。




 2021年5月、春彦は奈津子の意識が回復したのを確認した。ICUからは出ていないが一般病棟への移動は時間の問題であった。病院では理由はわからないだろうが、検査すればもっとわからないことになるだろう。


「ははは、これから病院はパニックになるんじゃないかな」


 なにしろ、現在の医学では回復不可能と宣言されたのに奈津子は寝ているだけで完治したのである、現代医学の奇跡というしか表現のしようがない。ICUの外から遠目に泣きながら手を握っているおばさんの姿を見た。奈津子の頭が動いていた。


「奈津子、良かったな」


 


 ケインズのフラーレンは何を持ち帰っているのか。ケインズへの疑惑を明らかにするために、最重要なこととなった。しかし、短波送信装置で送ったメッセージはどうも春美には届いていない、だから別の方法を考える必要があった。


(あの短波送信装置はたぶん小山内博士には届くが春美には届かないようだ。場所が離れているのか、時代が異なっているのか、とにかく別の方法が必要だ。まずはフラーレンファインダで空中のフラーレンの位置がわかれば、その座標を春美へ送信してみよう。もしこの意味を春美が理解できれば、春美はたぶんその時間より少し前の時間を狙ってフラーレンを打ち込みケインズより先に採取するはずだ。そうなれば、ケインズが何を持ち帰っていたのかが判明する)


 そう考えた春彦は下北沢の街で空中の光を探し歩いた。ナノマシンを補足するわけではなく、単独で空中で光ったフラーレンの座標と時間を春美に送信しようというのだ。ところがその気になって探してみると、ナノマシンを持たない単独フラーレンはそこらじゅうにありすぐに見つかった。座標データを打ち込むと春美へ転送した。春彦の狙い通りにフラーレンファインダには春美から回収用の大型フラーレンが映っており、すぐにケインズのフラーレンをまるごと捕捉し2128年に持ち帰っていった。


「やった、成功だ。やはり春美は分かってくれた」


春彦は続けていくつかのサンプルを送った。夢に出てくる春美の分析結果は意外なものであった。


 それは、大気中のウィルスであった。2021年あたりにはそこらじゅうにウヨウヨしているあのインフルエンザウィルスである。抗ウィルス剤の開発よりも先に、気象状況が変化したことで2100年にはインフルエンザウィルスは存在できなくなっていたのである。この2100年には存在しないインフルエンザウィルスを何に使うのであろうか。春美の時代にはインフルエンザは存在していない、つまり人間に抗体がないということであって、ここでインフルエンザウィルスを蔓延させればいきなりパンデミックとなり人類のほとんどは死滅してしまう。


「春彦さんこれは大変なことだわ。インフルエンザウィルスを撒き散らして人類を死滅させようとしているなんて、ケインズはきっとおかしくなってしまったんだわ。どうやってインフルエンザウィルスを撒き散らそうとしているのか、まずはインフルエンザウィルスの培養をどこでやっているのかつきとめるわ」


春彦は心配であった。


(春美の行動はひょっとしてとても危険なことではないのか、そんなことは小山内博士がやるはずなのに。春美は博士と連絡がとれていないようだな、春美はいったいどこにいるんだろう)


 実はこの時、春美は世界政府の研究施設にいた。小山内とは一緒ではなかったのである。そして、春美は研究室のチーフのデスクのパソコンからはどんなデータでものぞくことができた、もちろん無許可である。ここからインフルエンザウィルスの培養と散布の計画を調べようとしていた、しかし、そんな痕跡はどこにも見当たらない。インフルエンザウィルスの消費記録だけがデータとしてわずかに残っていただけであった。


(このデータはまだ新しい、削除される期限まであと2時間の設定だわ。使ったらすぐに自動的に削除されるようになっているなんて怪しいわねこのデータ。でもただの消費記録がそんなに重要なのかしら)


 春美は消費記録がどこから発信されたものかを突き止めた。ところがここでもおかしな事実しかなかったのである。


「バイオハザードレベル3害虫駆除薬品部、これってあのZ-PDRの開発に失敗した部署じゃない、こんどはインフルエンザを使って害虫を駆除しようとしているのかしら」


 新しい害虫駆除薬品の開発、人類が絶滅するかもしれないという地球規模の危機、この切羽詰った環境でこんな悠長な開発なんかやっていられるわけがない。何故今害虫薬品なのか、春美はZ -PDRのことを詳しく調べだした。そして、わかったことはやはりおかしな結果だけであった。


「インスフルエンザウィルスを培地とすると、Z - PDRウィルスは急激に繁殖する。インフルエンザの培地が必要なのは、Z-PDRウィルスを大量に繁殖させるためとしか考えられない」


分かった事はこれだけであったので春彦も春美も混乱していた。


「役に立たずに、開発が中止されたウィルスを、なぜ今頃培養までして増やしつづけているのか」




 春美と春彦の疑問がいきつくところは同じであった。謎のウィルスにより動物へ感染し慢性化したと考えられていた拒たんぱく質症は最初から猛威を振るっていたわけではない、元は発症後数日で回復するアレルギー症のようなものから始まり次第に変異していったと衛生局は発表していたはずである。


「拒たんぱく質症を引き起こしているのがZ-PDRウィルスだとすると」


ここから導かれる春美の答えはこうであった


「Z - PDRウィルスは感染力が絶大のウィルスなの。人間には抗体がないから何度でも繰り返して感染してしまうわ、何度でも感染すれば慢性化したように見せかけることができるじゃない。謎のウィルスの正体はきっとこれよ。新型ウィルスだからケインズ以外は構造を知らないんだわ、だから謎のウィルスだったのよ。Z-PDRが謎のウィルスの正体ならたいした事はないわ、放っとけばすぐに回復してしまう」


 夢で、春美は春彦に必死で説明していた。


「人類が常に、拒たんぱく質症に感染しているようにするためには、地球にZ-PDRウィルスが蔓延していればいいの。そのためには、培地となる大量のインフルエンザウィルスが必要だったのよ。」


 目覚めた春彦は、春美の言葉を思い出していた。


「確かに春美の言っていることは筋が通るが、実際にはウィルスを世界中にばらまくことは不可能だ。しかも人類を絶滅の危機にさらして世界政府にどんなメリットがあるというのか。それにZ-PDRで拒たんぱく質症を発症するかどうかは立証されていない」


 


 春彦は世界政府への疑惑、ケインズの野望を感じながらも、春美の考えは極端なように思えた。



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