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スーパー・ヘパ・シティ

 小山内の自宅の焼け跡からは当然であるが小山内の死体は見つからなかった。生死が判明しないまま、小山内は焼死と報道された。布裕美から最後のメールを受け取った小山内は、そのあとすぐに世界政府から逃れてオーストリアを経由して日本へ行っていた。


(布裕美、ナオミ、すまない)


悲しんでいる場合ではなかった、次ぎにやるべきことのために日本の春美に会ってすべてを伝える必要があった。




 小山内が焼死したことで、ケインズ総裁召集の下、世界政府常任会議が開かれ肉食昆虫被害対策が検討された。しかしその結果は、あの時約束した非常事態宣言とは対照的な案の採択であった。それは、肉食昆虫の進入を遮断する機能を持つ無塵構造都市スーパー・ヘパ・シティの建設計画というものである。スーパー・ヘパ・シティを各国に建設することにより、昆虫から人類は守られることになる。これはこれで一つの解であった。しかし、問題はその販売方法にあった。二年後にできるスーパー・ヘパ・シティ構想は肉食昆虫対策という本来の目的は一切伏せられ、リゾート・マンションという名目で、世界の特権階級に向けて販売された。スーパーヘパシティは、本来の目的を裏ルートで知り得た富裕層によって常識外の高額な譲渡価格で即日完売となった。もちろん一般人にとってはバカ高いリゾート・マンションであって、命を守る砦だとは知らされていない。状況を知っている世界政府高官と一部の特権階級だけが入居権を手に入れることができたのである。さらに驚くべき政策として、世界政府は、2130年までに建築できるスーパー・ヘパ・シティを、人類全体の20パーセントに制限することを決めていたのである。これはどういうことなのか、世界政府というよりケインズとテクノクラートたちは肉食昆虫を絶滅するためのプランを恐るべき手段で実現しようとしていたのである。今やテクノクラートによって占拠された政府高官を集めた閣僚会議にて、ケインズはこう言った。


「諸君、短期間で肉食昆虫を駆除するためには、自滅させるしか方法がない。非常事態として、最後の手段を講じなくてはならない」


「総裁、今となってはいたしかたありませんな。総裁のご英断にはいたく感服いたします」


 拍手による賛成多数での可決であった。しかし、ここに出席している政府高官は全員、あのスーパー・ヘパ・シティへの入居確定者である。


「では、具体的なプランにつきまして、環境庁長官の私より説明いたします。まず、2年後に人類の20パーセントはスーパー・ヘパ・シティへ入居していただきます。そして、残り80パーセントの人類は残念ながら肉食昆虫の異常繁殖のための犠牲となってもらいます。これにより、1年間で肉食昆虫は爆発的に増加いたします。もちろんシティ外の人類は全滅。そしてその後は急激なエサ不足となり、2年後には肉食昆虫は自滅、2134年には安全な地球となるというわけです。このプランはコンピュータ・シミュレーションの結果であり、信頼性は99.999パーセントであります。」




 プロテインでは儲からないとなると次はどうやって儲けるか、スーパー・ヘパ・シティで儲けよう、というのが、テクノクラートの考えであった。シティの中にはカジノも建設する予定となっており、ラスベガスよりも規模を大きいものが完成する予定である。エアポートからはスペースシャトルの運行も計画されており、月旅行も可能となっていた。これに関与したテクノクラートの年収はざっと2兆円ほどになる計算だ。シティの中枢はテレビゲームセンターや株式市場の囲い込みなども計画されており、一般人の絶滅後はシティ周辺はグリンパークとして、公共公園とディズニーランドが提携することが決まっていた。まるで小学生の夏休みの作文のようである、人類の80パーセントの命を代償とした人類存続の為のプランがこれであった。


「みなさん、現在拒たんぱく質症の恐怖は消えつつあります。世界政府は人類が平和に幸せに生活できる場として、リゾート・マンション計画を打ち出しました、このプランは需要に応じて価格帯、内容を次々にラインナップし、皆さんの期待にこたえていくことを考えております。」


 どう考えてもケインズの考えることとはかけ離れていたが、ケインズはこれを絶賛。人類に不安を与えるようなところはすべて削除して、いいところだけを政府見解として報道してしまっていた。人類は本当にこうなるのか。




 2125年の11月、小山内は愛する妻と娘を失い、日本にいる春美の元へと向かっていた。春美は布裕美の実家の金沢で布裕美の旧姓を名乗り、高橋春美として、美術館の学芸員をしていた。25才になっていた。春美にとっては、初めて見る父親である。


「はじめまして、パパ」


「もっとゆっくりと話したかったんだがね、時間がないんだよ。職場に押しかけてしまって、すまないね。ちょっといいかな」


 二人は21世紀美術館を出ると、閉園間際の兼六園へ急いだ。とりあえず、石灯篭の前で記念写真を撮ると、玉砂利の道をゆっくりと下り、香林坊へ戻った。


「今まで、すまなかったね。どうしても、会うことができなかったんだ」


近くにある、尾山神社の和洋折衷の建築に驚きながら、小山内は、春美に再会の意図を説明した。


「え、ママとお姉さんが死んだ。本当?」


記憶にないママと姉の死、そして小山内はさらに付け加えた。


「パパもこれからなんだよ」


「え、パパも、そんな」


 春美は、ひと時の安らぎもなく、自分に起こってきた不幸の理由と、これから起こる不幸の理由を理解し受け止めなくてはならなかった。小山内は春美の背負った宿命について説明した。





「私にそれをしろって言うの。そんな、私はその使命のために生まれたの?こんな事のために今まで生きてきたなんて」


 その使命とは、春美にとって受け入れ難い内容であった。しかし、しっかりと受け止めなくてはならない事実であった。ぼうぜんと佇む春美に父親らしいことを何一つしていない、小山内は憮然とし、ひたすら謝るだけであった。


「そうじゃないの、パパを愛してるわ。謝ってほしくない、人類のために正しい事をしているパパに謝ってほしくない」


大声を出して泣いて、春美は自分を取り戻そうとしていた。


「パパ、じゃあ1年後に。大丈夫よ、私は科学者・小山内栄二の娘。ちゃんと気持ちの整理はしておくから」




 1年後の2126年の12月、クリスマスを目前に控え、春美は小山内のいるボストンに移住するための準備を終えようとしていた。父へのクリスマスプレゼントにするつもりの加賀友禅の羽織も準備できていた。そしてその頃、小山内はケインズへの最後の対抗策として、Gプロテインの製造方法をインターネットを使って世界の反政府勢力へ公開しようとしていた。アメリカでは焼死したことになっている小山内のパスポートはもちろん偽造である。小山内はパロアルトにあるスタンフォード大学の研究施設に身を寄せていた。小山内の教え子が学部長をしていたのであった。小山内はその中の今は使われていない研究施設に身を潜め、Gプロテインの製造方法を世界へ発信しようとしていたのである。


 ところで春美の決意とは、運命とは何であったのか、なぜ春美の存在を今まで隠す必要があったのか、それはこの肉食昆虫と関係あることであった。Gプロテインによる昆虫へのリスクを小山内が想定していたわけではない。Gプロテインを摂取することでプロテイン強化された細胞を分解する分解酵素を大量生産させる製造方法がどういうものかも知らなかったのである。しかし、ある事が突然起こった、布裕美から春美が生まれることを知らされたあの時、あの瞬間である。小山内は春彦の夢に出てくる春美という女性に早く会って、過去の修復を急がなくてはならないと考えていたあの時、春美という女性の名前をまさか、布裕美が口にするとは思っても見なかった。そのときの小山内の衝撃は相当なものであったが、その衝撃が彼の記憶を蘇らせたのか、突然ある記憶が浮かび上がったのである。その記憶というのが、Gプロテインによって強化された細胞を分解する酵素の製造方法だったのだ。その製造方法を解明する鍵を思い出したことで、小山内はさらに衝撃を受けることになった。なぜなら、その製造方法はなんと春美の遺伝子の中に埋め込まれているということだったからである。さかのぼること120年、奈津子の遺伝子から交配を重ねて、4世代後の春美にその情報が完成されるようになっていた。つまり、島田奈津子は春美の祖祖母にあたる。通常の人間には理解できない情報伝達の仕組みであった。


(まさか、こんな事が、すべては私が原因なのだろうか)


 小山内の苦悩はまさにここから始まったといってもよい。そしてこのことを、ケインズに打ち明けていた。ケインズは奈津子の性交には正確なDNAで構成された人工精子が必要と結論付けていた。誰ともわからない男、例えば春彦の様な男と関係を持ってしまっては、分解酵素の製造方法は正確に伝達されなくなってしまうと考えていたのである。ケインズはGプロテインの製造方法の鍵は春美に託されていることは分かったが、それを解明するのはやはり小山内しかいないことも理解していた。焼死と報道されながらも死体が発見されない今、さすがのテクノクラートたちも小山内の死が偽装ではないかと疑い始めていた。


「さて、実験装置は完成した。あとは春美の到着を待って、このサーバーからGプロテインの製造方法を発信するだけだが、その前にやることがあるな」


フレディの事故死によって、肉食昆虫は謎のウィルスに感染が原因であるという間違った見解を否定する科学者がいなくなってしまっていた。小山内はフレディに代わって、肉食昆虫は謎のウィルスが原因ではなくて、自分の開発したGプロテインを世界政府が処分を誤り昆虫へ大量投与したことが原因であると世界中に告知する必要性を感じていた。


「今のままでGプロテインの分解酵素の製造方法を公開しても意味がない、世界政府にしても大したダメージはないはずだ」


小山内は大胆にも偽名を使って、国際栄養学会の学術講演会に参加することにしたのである。もちろん小山内を知っている科学者もいるし、ケインズやテクノクラートたちも学会に参加しているかもしれないのに、である。






 テクノクラートたちは以前より増して、小山内の焼死に疑問を感じていた。世界政府は小山内のオーストリアからの足取りを調べて続けていたのである。小山内はオーストリアからアメリカへ戻るにあたり、偽造パスポートを使っていた。すぐにオーストリアに戻り、日本へ向かい、アメリカへ戻ってくるためであったが、これが小山内にとっては致命的な過ちとなった。小山内が自宅爆破の時刻に正式にアメリカに入国していたという記録がないのである。

 これでは焼死した可能性はきわめて低いということは誰にでも分かる。そして、小山内の正式なパスポートでの入国記録がないということは今だにオーストリアに潜伏しているか偽造パスポートを使って出国したかどちらかということになるわけで、いかに浅知恵のテクノクラートたちでも察しがつくところであった。ケインズはこの報告を聞いて、すぐさま日本の入国記録と出国、そしてアメリカの入国記録を照合させた。時期が一致したパスポート番号は不幸なことにほんの10名ほどで、小山内一人を除いてすべて本人照合が取れたのである。


 小山内の偽造パスポート番号が特定されたことで、世界政府は政府のセキュリティシステム「セイラ」に偽造パスポート番号の追跡を命じた。高性能コンピュータシステム「セイラ」は、膨大な量の記録からほんの数日で小山内と思われる偽造パスポートがサンノゼ空港から入国していることを突き止め、さらに、小山内の入国日の空港監視システムや街路防犯システムの情報までも検索、小山内の顔写真との照合をやってのけたのである。セイラはパロアルト近辺に潜伏していることを突き止め、とうとう、スタンフォード大学の構内図書館の防犯カメラのバックアップデータから小山内を特定してしまったのである。そうとは知らず、小山内は国際学会への発表原稿を学会へ送るためパロアルトの郵便局へ出向いた。インターネットでは研究室の足がつくと考えたのであった。郵便局へ向かう小山内をゆっくりと後をつける黒い車、信号待ちの小山内の前に急に躍り出た。これが小山内博士目撃の最後だった。享年63才、交通事故死であった。郵便局でメールの手続きに向かっていたはずであるが、小山内の遺体は、ハドソン川に自家用車ごと突っ込んでいた。高柳春美はまだ日本にいたため難を逃れていた。




 肉食化した昆虫を絶滅させるためには、この危機を世界へ公表しなくてはならない。そしてGプロテインの製造方法を公開しパニックに備えなくてはならなかった。製造方法を公表せずに肉食昆虫の危機を公表しても、逆に富裕層がGプロテインの摂取に殺到するだけである。ケインズの幾重の勝算はここにもあった。そのため小山内は肉食昆虫の危機とGプロテインの製造方法の公開を同時に行う必要があったのだ、しかしついにそれはかなわなかった。


 政府は公表を避けているが、都市の周辺部では、肉食昆虫による人体への被害が確実に拡大しつつあった。人類は最後の希望、小山内栄二、を失ってしまったのである。そして小山内の死は、春美を更なる壮絶な運命へと巻き込む事となった。


「そんなパパが、分解酵素はどうやって作ればいいの、私はどうすれば」


 自らの体を呈して分解酵素の鍵を作り出さなくてはならない春美にとって、その鍵をどうやって見つけるのか、その鍵をどう使うのか、全く分かっていなかったのである。しかし小山内亡き今、自分に託された人類の命運を一身に背負い、不可能に立ち向かっていかなくてはならなかった。


「パパ、覚悟はできています。私が今すべき事、必要な決意。大丈夫、あなたならできるわ、春美」


 自分自身を励ます春美。大繁殖期まで、あと4年。打つ手はなかった。春美は意を決して、アメリカへ渡ることにした。2127年、スーパー・ヘパ・シティ第1棟が完成し、多くの特権階級と一部の中流階級の官僚たちが入居していた。名目は、リゾート・マンションとなっていたが、昆虫を一切侵入させない、耐害虫要塞である。




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