男爵令嬢ですが、なぜか突然伯爵家の養子に入ることになりました
その報せは社交界を震撼させた。
なんの変哲もない男爵令嬢であるコゼットが、ある日突然、由緒正しい伯爵家の養子に望まれたのだ。
当の本人も男爵も大層驚いて、何が何やら分からず右往左往するばかりだった。
それもそのはず、コゼットと伯爵はこの前の夜会でチラリと会っただけ。コゼットはそれなりに優秀ではあったが際立った才能や華やかさがあるわけでもなく、王立学園でも至って真面目で目立つことのないモブ生徒の一人なのだ。『娘がいないから』という至って平凡な理由で納得できるものではなかった。
「コゼット!聞いたわよ、あのハルトマン伯爵から養子縁組の話をいただいたのでしょう!?」
「あなた、伯爵様とどんな繋がりが!?」
学園に行くと早速同じクラスの友人たちが机をガタッと鳴らす勢いで詰め寄ってきた。
コゼットは「ミレーネ、グレージュ落ち着いて」と両手でなだめつつ、少し困ったように眉を下げた。
「実は私もなぜ私が選ばれたのか、全く分からないのよ。伯爵様とは一度お会いしただけで会話を交わした訳でもないから」
心底不思議といった様子で小首を傾げるコゼットを見て、友人たちは顔を見合わせ「世の中何が起こるか分からないわね……」と呆然とするしかなかった。
***
「それでねクロちゃん、お父様ったら私の将来に申し分ないからって、結局養子縁組を進めることにしてしまったのよ。伯爵様もとっても親切にしてくださるし、こんな厚遇を受けて申し訳ないくらいだわ」
『へぇ、良かったじゃないか』
夜、寝台に上がったコゼットはいつも通りクマのぬいぐるみに話しかけた。
返ってきた声は、可愛らしい見た目にそぐわない低く落ち着いた声だ。
「少しでもお役に立てるよう、これから一層勉学に励まないと」
『まあ、気負いすぎるなよ。君は君らしく、自分のペースでやればいいさ。……それじゃあそろそろ寝るぞ。おやすみ』
「おやすみなさい」
そう言うとクロちゃんは沈黙し、また次の晩まで話すことはないのだった。
コゼットがクロちゃんと話すようになってもうすぐ6年ほど経つ。
10歳の誕生日に贈られた、特別な月響石の埋め込まれているというそれは最初は物言わぬただの可愛らしいぬいぐるみだったが、二月ほど経ったある晩、コゼットが部屋で一人で替え歌を歌っていると突然話しかけてきたのだ。
『君は誰だ?なんだその歌は』
「ええ!?クロちゃんが喋った!?」
それ以来、クロちゃんは決まって夜のほんの僅かの時間話すコゼットの大切な友人になった。
「クロちゃん聞いて!今日は晩ご飯にとびきり美味しい南瓜のスープが出たのよ。お昼にマナーの先生からたくさんお小言をもらって少し落ち込んでたんだけど、一口飲んだら全部吹き飛んじゃった!あんなに甘くて温かいものが食べられるなんて、本当に生きててよかったわ」
「今日は金木犀の凄く良い匂いで満ちているでしょう?庭師のトマスさんが落ちたお花を集めていたから、少しだけ分けてもらってハンカチに包んでみたのよ。こんな素敵な秋のお裾分けがもらえるだなんて、今日はなんていい日なのかしら」
「今日ね、王立学園に入学した時からずっと使っていたインクの小瓶が、とうとう空っぽになったの!毎日勉強を頑張った証拠だと思ってなんだか嬉しくなっちゃったわ」
善良で真面目な彼女は、日々の小さな幸せをクロちゃんに話し、気持ちよく眠りにつく。そんな彼女ののんびりとした話に、クマのぬいぐるみは「君の幸せの沸点は本当に低いな」と呆れつつ、ぶっきらぼうながらも優しい合槌を返しながら耳を傾けるのだった。
***
「ハルトマン伯爵家なら、親戚筋のベルクロア公爵家ともいずれ交流があるんじゃない!?」
学園のランチの時間、突然思いついたかのようにそう言ったのはグレージュだ。
「つまりユリウス様とお知り合いになるチャンスがあるってことよ!」
「本当だわ、ハルトマン伯爵なら夜会に呼ばれるに違いないもの!」
グレージュの言葉にミレーネが乗っかり、二人はすっかり舞い上がった様子でコゼットを見つめた。
ベルクロア公爵家はこの国に置ける筆頭公爵家であり、ユリウスはその嫡男である。
公爵家由来の銀髪に深紫の瞳を宿した端正な容姿と優秀な成績、そして貴公子として完璧な立ち振る舞いから学園中の令嬢たちの憧れの的となっている。
雲の上の存在であり、根が小市民なコゼットからすれば目に入るだけでも恐れ多いお方である。
「そんな……恐れ多すぎてお会いしたとしても顔をあげられないわよ」
「もう、コゼットったら!これからは由緒ある伯爵家のお嬢様になるんだから、もっと堂々としなきゃ駄目よ!」
「男爵家ならまだしも、ハルトマン伯爵家なら十分婚約者候補になれるわ!もしユリウス様とお近づきになれたら、絶対に私たちにも紹介してよね!」
すっかり夢見がちな瞳になっている友人二人に両手を握りしめられ、コゼットは引きつった笑いを浮かべるしかなかった。
(ユリウス様だなんてとんでもないわ。私なんかが視界に入ったら、公爵家の美しい景観を損ねてしまいかねないもの)
彼女は心の中でそっと両手を合わせ、絶対にそんな恐ろしい事態にはなりませんように、と神様に祈るのだった。
***
その晩、伯爵家の自室の立派すぎる燭台の灯りを消して、ふかふかな寝台に潜り込んだコゼットは、いつものように枕元のぬいぐるみに話しかけた。
「ねえクロちゃん、聞いて」
『……なんだ。今日は随分と疲れた声をしているな。新しい屋敷でいじめられでもしたか?』
少しだけ心配そうな響きを含んだ低い声に、コゼットはふふ、と笑みをこぼす。
「ううん、違うの。伯爵様も使用人の方々も、信じられないくらい優しくて親切よ。ただ、今日ミレーネたちにすごく無茶なことを言われちゃって」
『……無茶なこと?』
「私がハルトマン伯爵家の養子になったからって、親戚筋の、あのベルクロア公爵家の、ユリウス様の婚約者候補になれるかもなんて言い出したのよ」
その瞬間、ぬいぐるみから『っ……ゲホッ、ゴホッ!!』と、ひどくむせるような音が響いた。
「ク、クロちゃん!?大丈夫!?ぬいぐるみも喉に何か詰まらせたりするの!?故障だったりしない……?」
コゼットはガバリと起き上がりクロちゃんを持ち上げ背中をトントンと叩いた。
『……っ、げほっ……いや、故障じゃない、大丈夫だから、続けてくれ』
「だ、大丈夫?無理しないでね。……ええと、とにかく、びっくりしちゃったのよ。ユリウス様だなんて雲の上すぎて、私には眩しすぎるもの。万が一お会いするようなことがあっても、絶対に壁のシミと同化して気配を消すつもりよ」
『…………そうか』
なぜかクロちゃんの声が、先ほどよりも一段低く、そしてほんの少しだけ不機嫌そうに聞こえたのは気のせいだろうか。
「ねえクロちゃん。ユリウス様はあり得ないとしても、伯爵は何らかの政略結婚のために私を養子に入れたと思っているのよ。……例え誰に嫁いだとしても、あなたのことは必ず連れていくから安心してね」
『……』
しばらくの沈黙の後、ひどく複雑そうな、それでいてどこか呆れたような深いため息が聞こえてきた。
『今日はもう遅い。壁のシミになる練習でもしながら寝るんだな。……おやすみ』
「もう、クロちゃんったら。おやすみなさい」
相変わらずぶっきらぼうな友人の声に安心しながら、コゼットは目を閉じた。
彼女はこの数日後、ベルクロア公爵家から縁談の申し込みが来るとは夢にも思っていない。
麗しき貴公子がクロちゃんと同じ声をしているともーー。
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