『隣国の大商人、とんかつの独占販売権を買いに来て三時間で人生を見つめ直す』 ~銀貨三枚の意味を理解した男が、金貨千枚を置いて帰った話~ ep-9
数ある作品の中から見つけてくださりありがとうございます!
本作は【異世界定食】〜とんかつ屋「揚太郎」に集う、ワケありな人々〜シリーズ読み切りです。
「大陸中の物価を動かしてきた俺が、銀貨三枚の前で完全に敗北した」
資産は王国一つ分。動かす商品の総量は、港町三つを養える規模。
グスタフ・メルヒオール。黄金天秤商会の総帥。この男が動けば、大陸の物価が揺れる。
その男が今朝、馬車を三台連ねて王都に乗り込んできた。
目的は一つだ。
「とんかつの独占販売権を買う」
先月、取引先の貴族から話を聞いた。路地裏の怪しい店が、王都中の話題をさらっている。食べた者が全員泣く。貴族も平民も関係なく、銀貨三枚で魂を取り戻す料理がある、と。
グスタフは即座に計算した。
この料理を独占できれば、大陸全土に展開できる。一皿の値段を金貨一枚に設定して、王侯貴族専用にすれば——。
だが、敗北した。
銀貨三枚に。
その理由を、これから話す。
◇
「馬車を止めろ」
路地裏の入口で、グスタフは降り立った。
従者が三人、後に続く。
暖簾が一枚、風に揺れていた。
グスタフは暖簾を見た。
煤けている。字が汚い。看板が小さい。
(……こんな店が、大陸を変える料理を出しているのか)
信じがたい。
だが鼻が、言っている。
本物だ、と。
グスタフは暖簾をくぐった。
◇
カウンターの奥で、男が振り向かずに言った。
「いらっしゃい。ロースかつ定食だけです」
グスタフは店内を見回した。
狭い。カウンターが六席。テーブルなし。厨房は一人で回している。従者三人が入ったら、もう満員だ。
「貴方が店主か」
「そうだ」
「グスタフ・メルヒオールだ。黄金天秤商会の総帥として、折り入って話がある」
「定食を食うか食わないか、どちらだ」
グスタフは一瞬止まった。
二十年間、自分の名前を言って会話が止まらなかったことはない。
「……食う。だが話も——」
「食ってから話せ」
グスタフは席に着いた。
従者が続こうとしたとき、揚太郎が言った。
「三人は外で待て。席が埋まる」
従者が顔を見合わせた。
グスタフが手を振った。
「外で待て」
従者が出ていった。
◇
皿が出てきた。
グスタフは商人の目で、まず皿を見た。
食器は普通だ。盛り付けに装飾がない。添え物の野菜が細く刻まれているだけで、見た目は地味だ。
金貨一枚の料理に見えない。
(……やはり過大評価か)
だが鼻が、また言った。
本物だ、と。
グスタフは箸を持った。
この国の料理はナイフとフォークで食べる。箸は初めてだ。うまく持てない。
揚太郎が振り向きもせずに言った。
「こう持つ」
見もせずに、箸の持ち方を言葉だけで説明した。
グスタフは三回試して、なんとか持てた。
一口、食べた。
ザクゥゥゥッ。
グスタフの思考が、止まった。
二十年間、世界中の料理を食べてきた。
王侯貴族の晩餐会。秘境の珍味。幻の食材。金貨百枚の一皿。
全部食べた。
全部「美味しい」と思った。
だが今、「美味しい」という言葉が出てこない。
別の何かが、胃の底から直接湧き上がってくる。
商会を起こす前、まだ何者でもなかった頃。市場の端の屋台で、父親と二人で食べた、安くて温かいあの飯。
あの頃はまだ、食べ物を「商品」として見ていなかった。
ただ、腹が満たされた。
それだけで十分だった。
「……ッ」
グスタフは箸を置いた。
目の奥が、じわりと熱くなった。
二十年間、人前で感情を見せたことがなかった。
だが今、従者がいなくて、本当によかったと思った。
揚太郎が、振り向かずに言った。
「どうだ」
「……うまい」
「そうか」
それだけだった。
グスタフはしばらく黙って、残りを食べた。
皿が空になった。
グスタフは背筋を伸ばして、口を開いた。
「折り入って話がある」
「聞く」
「この料理の独占販売権を買いたい。金貨千枚を用意している」
沈黙。
揚太郎が振り向いた。
「独占販売権?」
「そうだ。大陸全土に展開する。一皿金貨一枚で、王侯貴族専用の料理として——」
「断る」
即答だった。
グスタフは止まった。
「……理由を聞かせてもらえるか」
揚太郎は布巾で手を拭いた。
「金貨一枚の料理にしたら、誰が食える」
「王侯貴族が——」
「ハンスが食えるか」
「……誰だ」
「十歳の孤児だ。先週銀貨三枚分働いて、ここで飯を食った」
グスタフは黙った。
「カトリーヌが食えるか。不当解雇されて銀貨三枚しか持っていなかった騎士だ。リーネが食えるか。追放されて路地裏に来た聖女だ」
揚太郎は鍋に向き直った。
「銀貨三枚で来られる奴が、この幸せを手に入れられる。それが俺の店だ。金貨千枚あっても、それは変わらない」
グスタフは長い間、黙っていた。
店内に、油の音だけが響いている。
ジュワァァァ……バチバチバチッ。
次の客のための、一枚が揚がっている。
グスタフは懐から財布を取り出した。
銀貨を三枚、カウンターに置いた。
「……もう一杯、食えるか」
「食える」
「では頼む」
二杯目の皿が出てきた。
グスタフは今度は箸の持ち方を間違えなかった。
黙って、全部食べた。
皿が空になった。
グスタフは立ち上がり、深々と頭を下げた。
「……失礼した。的外れな話を持ち込んだ」
「別にいい」
グスタフは出口に向かいかけて、止まった。
「一つだけ聞いていいか」
「なんだ」
「貴方は、なぜ銀貨三枚なんだ」
揚太郎は少し間を置いた。
「日本にいた頃、千円のとんかつを食うために三時間残業した夜がある」
「……千円?」
「銀貨三枚くらいの値段だ」
「その値段で、三時間残業したのか」
「した。それが正解だったから」
グスタフはしばらく揚太郎を見た。
それから、もう一度頭を下げた。
今度は商人としてではなく、ただの客として。
店を出ると、従者三人が飛んできた。
「総帥、交渉の結果は!?」
「断られた」
従者が顔を見合わせた。
「で、では次の手を——」
「要らない」
グスタフは馬車に乗り込んだ。
「帰るぞ」
「え? それだけですか!?」
「それだけだ」
馬車が動き出した。
窓の外に、路地裏の暖簾が見えた。
風に揺れている。
煤けて、字が汚くて、小さい看板。
だがその向こうから、あの匂いがする。
グスタフは窓から顔を引っ込めた。
手帳を開いて、一行書いた。
「銀貨三枚の意味、理解した。商売にならない理由、理解した」
少し考えて、もう一行書いた。
「来週また来る。今度は一人で」
手帳を閉じた。
◇
翌週。
グスタフは一人で路地裏に来た。
従者なし。馬車なし。
懐に銀貨三枚だけ持って。
暖簾をくぐると、揚太郎が振り向かずに言った。
「来たか」
「来た」
「定食か」
「定食だ」
グスタフはカウンターに座った。
隣の席では、アル爺が蒸籠を磨いていた。
「客か?」
「そうだ」
「初めて来たか?」
「二回目だ」
「そうか。ここの飯は、何度食っても飽きんぞ」
グスタフは少し笑った。
「そのようだ」
ジュワァァァ……バチバチバチッ。
今日も、銀貨三枚の革命が始まる。
(完)
この物語が少しでも気に入っていただけたら、【☆☆☆☆☆】から評価【★★★★★】またはブックマークをしてお待ちいただけると嬉しいです。
感想やレビューも大歓迎ですので、ぜひお気軽に書き込んでください!




