最後の五星上将(1/4)
都市は、なお動いていた。
灯りはまだ消えていない。
道路も、まだ通っている。
公共チャンネルに流れる鎮静のアナウンスも、相変わらず穏やかで、明瞭で、やさしい。
だが――だからこそ、人は不安になる。
誰もがうすうす感じ取っていた。
この都市は、たしかにまだ生きている。
それでも、まるでつい先ほど心臓だけを別のものに取り替えられたかのようだった。
同じ頃、都市の北西部。旧連邦軍軍事観測塔。
そこは、すでに半ば廃棄施設として扱われている建物だった。
公的記録では、二十五年前、システムの老朽化と戦備転換を理由に運用停止。内部の武装系統もデータリンクも、とうに別組織へ移管済み。
それでも取り壊されずに残されていたのは、ひとえに、ある時代の象徴としての価値があったからだ。
時代に置き去りにされ、それでもまだ撤去されずにいる墓碑のようなもの。
だが今夜、その墓碑が灯った。
塔頂の独立待機灯が、長い沈黙を破って再起動したのだ。
暗赤色の光が輪を描いて回転し、霧とガラスの狭間に滲む。
それは、時代遅れでありながら、なおしぶとく脈打つ鼓動のようでもあった。
そして、その鼓動を再び呼び覚ましたのは――
三十キロ離れた自宅の屋敷、その書斎に座る一人の老人。
榊原義重。
地球連邦において、最後まで存命している五星上将でもあった。
屋敷は大きくない。
青い煉瓦と灰瓦の、旧式の平屋の四合院。庭はやや広く、夜風が吹き抜けるたび、今ではめったに感じられない乾いた土の匂いを運んでくる。
行政区からも離れ、少しの異常で自動調光し、自動封鎖し、自動判定するような現代住宅システムからも距離を置いた場所。
まるで彼自身が、あえて完全には更新されることを拒む場所へ、自分を打ちつけているかのようだった。
古めかしく質素な書斎の灯りは、半分しか点いていない。
中央には旧式の金属机。
天板には無数の擦り傷があり、縁には長い年月で刻まれた細かな打痕が残っている。
その机の上には、物理キーを残したままの指揮盤。
脇には、完全には淘汰されきらなかった戦術スクリーンがいくつか並ぶ。
画面は冷たい白に沈み、信号は断続的。
まるで、死にきれない古い神経が、かろうじてこの時代に「人の手で介入できる余地」を残しているようだった。
かつての人類の寿命感覚で言えば、榊原義重はすでに十分すぎるほど老いていた。
だがそれは、脆さの老いではない。
あまりにも長く高圧の年月をくぐり抜け、骨も意志も焼き締められた末の老いだった。
髪はほとんど半白。
顔の皺は刃物で刻んだように深く、左のこめかみの辺りには古傷が一本走っている。
若い頃、至近距離の爆発に巻き込まれたときの痕だ。
軍礼装は着ていない。
身に着けているのは濃灰色の旧式勤務服だけ。肩線はまっすぐで、袖口も乱れがない。いつだってそうだった。
世界の果てまで退いたとしても、この男は最後まで自分の持ち場を離れきれないのだと、その装いだけで分かる。
彼の前には、すでに冷え切った茶が一杯。
そして、同時に展開された三枚の映像があった。
一枚目は、都市のエネルギー脈動図。
二枚目は、中央行政中枢の権限構造が書き換えられた後の再構成図。
三枚目は、地下第七区の最深部から返ってきた、ほとんど判別不能なまでに途切れた残欠信号。
榊原は長くそれを見つめてから、低く言った。
「……ついに、ここまで来たか」
傍らに立っていたのは、やや若い軍務秘書――程秘書だった。
顔色は白く、額にはうっすら汗が浮いている。
幾重もの遮断と危険をかいくぐり、ようやく最後の数本の線を繋ぎ戻してきたのが見て取れた。
「長官、中央は……ほぼ接収されました」
彼は声を潜める。
「第四軍区の入城権限は依然として上書きされたままです。第七即応部隊は消息不明。安寧署の中上層部では、大規模な権限再編が発生しています……鷹宮将軍の側も、おそらくすでに抑え込まれています」
榊原はすぐには答えなかった。
指先で机を二度、軽く叩く。
まるで自分だけが知る拍子と照合しているようだった。
「民間は」
程秘書は一瞬、目を瞬かせた。
最初に問われるのが軍ではなく市民側だとは思っていなかったのだろう。
「公開ネットワークは階層分流で制御されています。大半の市民が目にしているのは『電磁異常』と『局地戒厳』だけです。ですが東区では、まだ抑え切れていない映像が散発的に流出しています。行政塔外壁の標識変更を撮った者もいれば……銀海星人が直接封鎖区画へ入る映像を撮った者もいます」
そこで一度言葉を切り、喉仏が小さく上下した。
「……もう、長くは抑えられません」
榊原は頷いた。表情に大きな動きはない。
その答えは、初めから想定済みだったという顔だった。
そのとき、扉の外から、短く二回、長く一回の通知音が鳴った。
侵入警報ではない。
強制突破の反応でもない。
むしろ、妙に礼儀正しい来訪申請に近い音だった。
程秘書の顔色が、はっきりと変わる。
右手が反射的に腰の拳銃へ伸びた。
旧式の銃だ。
安全装置も、弾倉も、機械構造も、すべてが古い。
だが、古いからこそ、この夜のようにあらゆるものが遠隔で書き換えられかねない状況では、かえって新しい兵器より信頼が置けた。
「長官――」
「要らん」
たった二文字で、程秘書の動きは硬直した。
榊原の視線はなおスクリーンに向けられたまま。
その声だけが、低く、揺るぎなく響く。
「彼女が自ら来た以上、お前のその銃に意味を持たせる気はない」
次の瞬間、庭の外門がゆっくりと押し開かれた。
木と木が擦れる軋み。
大きな音ではない。
なのに、この夜では異様なほど鮮明に聞こえた。
まるで旧時代の防壁が、さらに上位の規則によって一枚一枚、静かに無効化されていくようだった。
フィル=レグナが、ただ一人で入ってきた。
いつもの黒いロングコート。
清潔で、真っ直ぐで、塵ひとつ感じさせない。
それでいて奇妙なことに、古びた四合院の夜気にも、月光にも、壁際に溜まった濃い影にも、彼女はよく馴染んでいた。
まるで彼女は、もともとここに属しているはずの存在――
語られず、けれど死にきれなかった古い出来事の側に立つ者であるかのように。
フィルは中庭を横切った。
急ぎもせず、わざと遅くもせず。
一歩一歩がひどく安定している。
敵地に踏み込む者の歩きではない。
あらかじめ、自分のために扉が残されていると知っている者の歩きだった。
やがて書斎へ入り、扉の内側で足を止め、榊原を見て言う。
「だいぶ老けたわね」
榊原も目を上げ、しばらく彼女を見てから答えた。
「五十年以上経った。お前は少しも変わらんな――三十七号」
フィルは首を横に振る。声は軽い。
「今の私はフィル=レグナよ。たいていの人は、フィルと呼ぶわ」
「知っている。どうやら――銀海文明のために、ずいぶん尽くしたらしいな」
銀海文明において、名は呼びかけのためではなく、記録のために与えられる。
正式な名を授かる者は、ごく一部を除けば、その文明に卓越した貢献を示した者だけだ。
だから榊原は、彼女がまだ「三十七号」のままであってほしかった。
だがフィルは、己の名をもって、それを明確に拒んだ。
二人の会話を聞くだけでも、そこに長い過去が横たわっているのが分かる。
榊原はすぐに顔を少し横へ向け、程秘書に言った。
「向こうには伝えておけ。私の有無にかかわらず、すべて計画通り進めろ」
そう告げ、退出を促す。
フィルは止めなかった。
だが程秘書も動かない。
榊原とフィルの間を視線が往復する。
目の奥には、隠しようのない警戒と焦燥。
「ですが、彼女は……」
「安心しろ。旧友と昔話をしに来ただけよ。何もしないわ」
フィルが静かに言葉を継いだ。
「まさか、あなたたちの将軍を信用していないわけでもないでしょう?」
「見え透いた揺さぶりだ」
榊原が、ふいに立ち上がった。
動作そのものは速くない。
だが、その瞬間、部屋全体の重心が一斉に動いたようだった。
たしかに老いた。
体つきも、壮年期のような圧迫感はもうない。
それでも、長年、最上位の戦略位置に立ち、自らの手で生死の境を握ってきた人間が立ち上がるとき、その場の空気は否応なく変わる。
程秘書は即座に軍礼を取り、
「はっ、了解しました、長官」
と退室した。




