座標と定位(1/3)
地下空間が、音もなく発光していた。
それは照明ではない。金属そのものが呼吸しているような光だった。
天城琉璃は白石明を抱えたまま中央に立っていた。
周囲では、ほかの者たちが彼女を取り囲むように見つめている。好奇心ではない。同調だ。まるで彼女という存在が、何かの情報として読み取られているかのようだった。
やがて銀色の光がひとつ、またひとつと現れ、空気の中をゆっくりと漂い始める。
まだ形を持たない、どこかの海のようだった。
天城琉璃は、まだかろうじて息のある白石明を金属製の台座へと横たえると、一歩脇へ退いた。
その両手には、なお彼の体温が残っている。
――絶対に助ける。
胸の内でそう誓い、彼女はそっと目を閉じた。
そして、自分の内側のどこかにある、あの不可思議な力を探る。
その感覚の中で、あの力は白石明の中にもあった。
しかも、自分のものよりなお鮮明で、なお巨大に。
「感じ取れたのね」
フィル=レグナが彼女を見る。
問いではなく、確認だった。
天城琉璃はうなずく。
彼女の体内にある何らかの構造が、白石明のそれと共鳴し、震えていた。
まだ閉じ切っていないふたつの回路が、互いを求め合っているようだった。
天城琉璃は、ふたりの力をゆっくりと重ね合わせ、そのまま、さらに遠くへと伸ばしていく。
闇の向こう。遥かな星空の、そのさらに外側へ。
何かを導くように。
何かを呼び寄せるように。
何と繋がろうとしているのか。
どこへ繋げようとしているのか。
それは銀海文明と関係があるのか。
天城琉璃には何もわからなかった。
ただ、フィル=レグナから聞かされていたことだけは知っている。
接続が完了し、通路が築かれれば、そこから溢れ出すエネルギーで白石明の傷は癒せる、と。
「いわゆる“門”は、物理構造ではないのよ」
フィル=レグナが言う。
「あなたたちの共鳴によって生じる、ひとつの概念。そして、そこに触れればいいだけ」
白石明の胸の下で、銀光がかすかに明滅した。
空間が少しずつ、薄く引き伸ばされていく。
一枚、また一枚と、現実の膜が削がれていくように。
遠く、壁面にはごく細い亀裂が浮かび上がっていた。
破壊ではない。
現実そのものに裂け目が生じているのだ。
「見てごらんなさい、坊や。身体が修復されていくわ。もうすぐ元通りになる」
フィルが低く告げた。
その声音には、抑え込まれた歓喜すら滲んでいた。
フィルは知っていた。
いまの天城琉璃には、まだ見る余裕も、考える余裕も残っている。
だからこそ、“真実”をひとつ差し出し、白石明を救いたいという一心を利用して、彼女の心を揺らがせないようにしたのだ。
途中で立ち止まらせないために。
彼女は嘘をついてはいない。
ただ、自分の本当の目的を隠しているだけだった。
天城琉璃にもわかっていた。
フィルの喜びは、白石明のためではない。
“門”がまもなく開く、そのことへの喜びだ。
それでも、白石明が助かるなら、それでいい。
そう思っていた。
けれど――心の奥底には、まだわずかなためらいが残っていた。
天城琉璃はふいに問う。
「どうして、あなたたちが直接開かないの?」
胸の中では、すでにある種の推測が形を取り始めていた。
フィルは彼女を見つめた。
その視線は、彼女の胸の内まで見透かそうとするようだった。
だが答えは、偽らなかった。
「わたしたちは、まだ規則に縛られているから」
どんな規則か、その説明はしない。
ただ、こう続けただけだった。
「門は、地球自身によって開かれなければならないの」
そのとき、白石明の指先がかすかに震えた。
彼はまた、あの銀色の空の夢を見ているのかもしれない。
見知らぬ街――
その瞬間。
鼓動のような振動音が、地下空間の扉を打った。
壁を走る銀光がわずかに揺れ、天井から塵が落ちてくる。
音もない雪でも降り始めたかのように。
一撃一撃は激しくない。
だが、妙に執拗だった。
まるで、誰かが意志だけで、この人ならざる空間を少しずつ現実へとこじ開けようとしているようだった。
外から、相沢礼香の声が響く。
冷たく、はっきりと。
「聞こえてるんでしょ! あんたたちが中にいるのはわかってる。この壁でいつまでも防げると思わないことね!」
邪魔されたというのに、フィル=レグナは腹を立てなかった。
むしろ、微笑んで扉へ向かって歩き出す。
「元気のいい子ね」
その口調は柔らかく、どこか感心すら含んでいた。
「開けなさい。そこまで感情を高ぶらせられる人間が、どんな顔をしているのか、少し見てみたいわ」
「はい、フィル様」
黒衣の一人が手を上げる。
銀色の壁面が、音もなく裂けた。
扉が開いた瞬間、数十の目がいっせいに外を向いた。
銀白。漆黒。
そして、あまりにも静かすぎる眼差し。
その場で元の位置に留まっていたのは、天城琉璃と白石明だけだった。
まるでふたりだけが、世界との接続を失ってしまったかのように。
白石明は顔面蒼白で、呼吸もかすかだった。
昏睡よりさらに深い眠りに沈んでいるようで、胸元では淡い銀光が明滅している。
天城琉璃はその傍らに立ち、睫毛を震わせ、焦点の定まらない目をしていた。
全身には銀の光紋が浮かんでは消え、見えない潮流に洗われているようだった。
もう繋がっている。
これから繋がるのではない。
すでに、繋がっている。
すべては、もう不可逆だった。
フィルは最後に一瞥だけを投げ、それで十分とばかりに視線を引いた。
その一目で、確認は済んだ。
故郷――銀海星側からの応答はすでに成立している。
座標は接続され、あとは時間の問題でしかない。
阻止できるか。
おそらく、できなくはない。
だが、それも結果を少し先送りにするだけだ。
そして彼らにとって、最も不足していないものが、ちょうどその“時間”だった。
フィルはそう思った。




