第一話 運命の入れ替わり
僕の名前は加城陸斗。羽代高校に通う高校二年生だ。サッカー部に所属していて、先輩たちに毎日しごかれながらも、まあ楽しくやっている。
目を開けると、朝の涼しい風が部屋のカーテンを揺れ動かすのが見えた。陽の光はベッドを優しく照らし、僕の頭上にはアラームまで残り5分のスマホがある。アラームが鳴る少し前に起きてしまうのは僕の日課だ。
憂鬱な気持ちを抱きながらも、朝食をすまして制服に着替え、いつものように家を出た。
代り映えのない通学路、街の姿、登校する生徒たち。そんな風景に飽き飽きしている僕にも、至福のひと時がある。
「おはよう。加城くん。」
後ろから聞こえたその優しい声に、僕は心の中でこの上なく高揚した。彼女は檜山美穂先輩。サッカー部のマネージャーだ。歩くたびにポニーテールの髪が揺れ、ラベンダーの香りが周囲を包む。可憐で、圧倒的存在感を放つサッカー部のマドンナだ。
「最近さ、サッカー部の三年生元気なくない?地区大会も近いのに練習に身が入ってないし。ずっと、ぼーっとしてるっていうか。」
「確かにそうですね。どうしちゃったんでしょうか。」
「加城くんは真面目に練習してるのにね。本当、私加城くんには期待してるからね。次の代のエースは君だよ。」
「あっ、ありがとうございます!!」
檜山先輩はこうやって、いつも僕らのモチベーションを高めてくれる。本当に、根っからのマネージャー気質なのだろう。
僕は...そんな先輩のことが...
その時、カーブミラーを通して僕の視界に女性の人影がうつった。羽代高校の制服を着ている。俯いて歩いているためはっきりと彼女の顔は見えないが、どこかで見覚えがある。彼女は確か...僕の頭の中で、夕日に照らされながら、サッカー部の練習を校庭の隅から見つめている、彼女の姿が浮かんできた。
「ああ、四組の相原雛妃だろ。」
太郎はガタイの良さに相反した、たこさんウインナーをほおばりながら言った。
「そう!!多分その人!!最近ずっとサッカー部の練習を見ててさ、全くしゃべらないから何がしたいかわかんないんだよ。」
人に相原さんの話をするのは初めてだったから、思わず声が大きくなった。けれど、昼休みの教室に僕の声は小さかったみたいで、太郎もほかのクラスメイトも何も気にしていない。
「相原さんの声を聞いたら、幸福が訪れるって噂だしな。」
そんなツチノコみたいな噂があるのかと、僕は謎に感心した。すると太郎が話を続ける。
「でもよ、陸斗は転校してきたから知らないけど、相原さんって去年はもっと活発で、クラスでは一軍女子だったんだぜ。彼氏もいたしよ。」
「一軍女子?相原さんが?」
太郎の言う相原さんを脳内でシミュレーションしようとしたが、どうにも想像がつかない。無口で、おとなしくて、何を考えているのかわからない。僕の中での相原さんはそんな人だ。
放課後になって、今日も部活が始まった。
「最近味薄いんだよな。これ。」
檜山先輩は部長の村上先輩にいちゃもんを付けられながらも、笑顔で清涼菓子を選手に配っている。村上先輩は檜山先輩の彼氏だ。今日も相変わらず、二人は仲がいい。村上先輩の軽いジョークに檜山先輩が呆れて可愛らしいチョップを繰り出している。僕は少し胸を締め付けられ、とっさに二人から目を離した。アップにうつって、この胸の靄を払うように、股関節を外側に広げながら歩く。一歩、また一歩、しっかりと地面を踏みしめる。何も考えないようにしながら、そうやって全身していると、目線の先に彼女の姿が映り込んだ。
ー相原雛妃。
今日もサッカー部の練習風景を見に来ている。遠くなのではっきりとは見えないが、眉間にしわを寄せて、少し険しい顔をしている気がする。村上先輩と檜山先輩のことを考えていた僕は、気をそらそうと相原さんに近づく。そして思い切って話しかけてみた。
「こんにちは。相原雛妃さんだよね?もしかしてサッカー部に興味あんの?」
相原さんはこちらを向くが、表情を変えない。しばらくの沈黙が僕たちの間に流れた。
「私に関わらないで。」
あまりにもあさっりとしていた。そう吐き捨てて相原さんはその場を去っていった。本当にこれで幸福になれるのだろうか。そう、疑問に思いながらも、僕は相原さんから何も聞き出せなかったことがだんだんと悔しく思えてきた。せっかく話せたのだから、相原さんの目的を聞き出したい。そんな無駄な好奇心が僕の中で膨らんでいった。
それからというもの、僕は毎日、相原さんに話しかけ続けた。相原さんはいつも変わらずに、
「私に関わらないで。」
と吐き捨てて去っていくが、それでも相原さんはサッカー部の練習を見に来続けた。ここまでしても来るのをやめないのだから、実は相原さんも僕のことが気になっているんじゃないか。そんな根拠のない楽観的な考えが僕の中をめぐる。
「おはよう相原さん。」
「私に関わらないで。」
「相原さん髪型変えた?」
「変えてない。私に関わらないで。」
「また明日ね。相原さん。」
「関わらないで。」
そんなこんなで二週間が過ぎた。
「起立、気をつけ、礼。」
「ありがとうございました。」
午前の授業が終わって昼休みになった。午後は体育と美術の実技教科しかないため、思いのほか気が楽だ。太郎がさっそく僕のもとへ机を運んできて弁当を広げはじめた。お前もさっさと食べろよと言いたげな顔で僕を見ながら、タコさんウインナーを一口食べる。僕も早いところ食べはじめようと、机の横にかけてあるリュックに片手を突っ込んだ。ガサゴソと音を立てながらリュックの中を探る。
「どうしたよ陸斗?」
「...弁当忘れたかも。」
弁当を家のポストの上において靴ひもを結ぶ、今朝の自分の姿が思い浮かんだ。
「はあ?まじかよ。どうすんだ?」
「...学食で何か買ってくるわ。」
100円玉六枚を右手に握りしめながら教室を出た。
学食へ向かうために二階の外廊下を歩いている。今日の天気は少し曇っていて、六月にしては風が涼しい。昼休みもはじまったばっかりなので、校庭で遊んでいる生徒はまだいない。そうやって外の景色を眺めながら歩いていると、一階の学校像の隣に座っている人影が見えた。真下なのですぐには気づかなかったが、確かにそこには人がいる。あれは...相原さんだ!!
今日も部活の時に話しかけようと思っていた相原さんに昼休みに遭遇するなんて。なんだかんだ昼休みに相原さんを見かけるのははじめてだ。いや、僕がいつも教室で昼休みを過ごしているからだろうか。
「相原さーーん!!そこで何してんのーー?」
相原さんはすぐに僕の声に反応し周りを見渡した。そしてようやく頭上にいる僕に気がついた。相原さんでも少し戸惑うことがあるのかと、何か豆知識を得たような喜びがあった。
「....」
相原さんは何も言わない。この距離で私に関わらないでと言うのはさすがに気が引けたのだろうか。
「私に関わらないで。」
相原さんはプイッと後ろ向きに方向を変え、その場を去ろうとする。
「ちょっとまってよーー」
僕は外廊下の手すりからのり出した。
「相原さっ」
次の瞬間、下半身が宙に引っ張られるような感覚になった。視界から急に空が消え、地面が目の前をうつり、外廊下の手すりも、衝撃に耐えられず手を離してしまった。
学校像の向こう側に相原さんが見える。相原さんは何かに気づき再びこちらを振り向く。僕を見てとても驚いた顔をしている。そりゃそうだ。頭真っ逆さまに落下している同級生を見たらいくら相原さんでも驚くに決まっている。学校像の後ろ姿が重なり、相原さんの顔が見えなくなった。二階といってもそれほど高いところでもないので、落下しても死にはしないだろうが、絶対に痛い。僕は目をつむった。
ガキーーン
しばらくの沈黙が続いた。...あれ?不思議なことに痛みを感じない。もしや、死んでしまったのではないか?最悪の結果を考えつつ、恐る恐る目を開ける。目の前には片手をあげた学校像が堂々と立っている。いつもの景色だ。とりあえず死んではいないことがわかり、ひとまず安心した。
いや、まて。何か妙だ。そう、学校像が正面を向いている。さっきは学校像の後ろ姿を見ていたというのに。
「いったああああ!!!」
その時、聞いたことのある声が聞こえた。聞こえたのは学校像の向こう側。その先にいるのは...
僕だ。
僕がいる。視線の先に、僕がいる!?一体どういうことだ!?光の速さで思考が錯綜して脳内を大渋滞におとしいれる。そして気づいた。さっきから胸に何か重力がのしかかっている感覚があることを。恐る恐る視線を下にやる。...胸がある。
「なんで...目の前に私がいる?」
目の前の自分が、加城陸斗がそう言った。僕の中で一つの答えが導き出された。
「もしかして...俺たち入れ替わってる?」
学校像の隣に二人並んで座っている。相原雛妃になった僕と、加城陸斗になった相原さん。
「最悪よ。なんであんたなんかと入れ替わるのよ。」
「なんか...ごめん。気の毒です。」
「他人事じゃないからね。」
自分から怒られるのは変な感じがする。いい気持ちはしない。ラブコメでよくある入れ替わり展開は、こんなにもつらいものなのかと、ラブコメのキャラ達を尊敬した。
「...こうなったら仕方ない。戻る方法がわかるまではお互いがお互いを演じるしかない。」
「えっ!?マジ!?」
「はあ何よ。」
「いや、意外とあっさり受け入れるんだって。」
「だってそれ以外方法ないでしょ。そろそろ昼休みも終わるわよ。」
そう言って相原さんはゆっくりと教室のほうへ歩き出した。今日の相原さんはいつものイメージとは違った。本来彼女は思ったよりも口が強くて、あっさりと割り切れるような、合理的な性格の持ち主なのかもしれない。私に関わらないでとしか言われてこなかった身からすれば、今日の会話は大進歩だ。まあ、まさかこんな形で会話するとは思わなかったけど。って、そうだ!!
「相原さん!!」
相原さんはゆっくりとこちらを振り返った。
「周りに悟られるから、加城くんって呼んで。」
僕がうっかりしていた。
「あっ、加城くん、今日、サッカー部の練習来てほしい!!」
「はあ?サッカー部?」
「だって、お互いを演じるんでしょ。部活もちゃんといかないと。」
「ええ、けどさ。」
「お願い!!先輩方の最後の大会が近いんだ!!今休んだらチームに迷惑かける!!」
先輩方って言いながら、僕の頭に思い浮かんだのは檜山先輩だった。本当に僕はどうしようもない奴だ。
「それに...相原さっ加城くん、ずっと校庭の隅から練習風景見てたじゃん。サッカー部気になってるんでしょ?」
「...」
加城陸斗の姿をした相原さんを見つめる。やっぱりまだ慣れない。
「わかった。行ってあげるわよ。じゃあ、私教室戻るから。」
ひとまずこれで安心だ。檜山先輩たちに迷惑をかけずに済むし、僕はサッカー部を休んだことにはならない。けど...僕自身はサッカー部の練習に行けないじゃないか...
「どうも。マネージャーの体験にきました。二年の相原雛妃です。よろしくお願いします。」
マネージャーが檜山先輩一人だけだったサッカー部に歓喜が走った。
「私三年の檜山美穂。よろしくね。雛妃ちゃん。」
檜山先輩が右手を差し出してきた。
「はい!!」
檜山先輩と握手を交わせた。ヤバい。嬉しすぎる。今僕はどんな顔をしているだろうか?気持ち悪い顔をしているかもしれない。いや、今は相原さんの顔なのだからそんな心配もしなくていいのだ。そう浮かれながらサッカー部員を見渡すと、一人物凄い殺気をはなつ人がいる...加城陸斗。
「檜山先輩、ちょっと相原さん借りますね。」
「ちょっと、聞いてないんだけどこんなこと。」
「いや、だってさ、自分自身でもサッカー部の練習見とかないと復帰したとき困るからさ...」
「だとしても相談くらいしなさいよ。」
「だってすぐに教室戻っちゃったし。」
「加城くん、はやく練習行こうか。」
言い争う僕たち二人の後ろから檜山先輩が声をかけてきた。
「ほら、行きなよ。加城くん★」
「あんた覚えときなさいよ。」
そう吐き捨てて相原さんは走っていった。何だかんだ付き合ってくれるのだからいい人なんだろう。
「面白いでしょ。加城くん。」
「え、いや、まあ。」
未だに檜山先輩に話しかけられるとドキッとしてしまう。同性だからだろうか、いつもより距離も近い。
「雛妃ちゃんはもしかして加城くん目当てでマネージャー体験しにきたの?」
「いや!!そんなわけないじゃないですか!!」
だって僕加城くんですもん。
「そっか。加城くん、いい子なんだよ。お調子者だけど頑張り屋さんで、優しくて、先輩からしたらめっちゃ可愛い後輩。けど、そうやってサッカー部の中でも一番ってくらい、ガムシャラに頑張るところ、たまにかっこよくも見える。」
そんな風に...思ってくれてるんだ。思わず僕は微笑んでた。
「多分、加城くん、私のこと好きなんだよね。」
唐突なセリフに吹き出しそうになったが、咄嗟に口を右手でおさえた。
「加城くんもいい子なんだけどね~。私、彼氏いるから付き合えなくて。あんないい子なのに、私ばっか見ててもったいないよ。」
心が...締め付けられる。やっぱり所詮僕は可愛い後輩なんだろう。檜山先輩からしても、僕よりも村上先輩と付き合う方が都合がいい。けど、それでも、
「私も、檜山先輩のこと好きです。」
しまった。
「もう、急に何よ。」
「へへへへ。」
思った形とは違ったけれど、檜山先輩に告白ができた。これを告白と呼んでいいのかどうかはわからないが、これでいいのだ。僕は相原雛妃として顔を赤らめていた。
「...雛妃ちゃん、最近元気?」
思いがけない一言だった。この言い方だと、相原さんと檜山先輩は前々からの知り合いだったのだろうか?とりあえず、それらしく反応してみよう。
「はい。元気です。」
「よかった。半年前のあのことは、気にしないほうがいいよ。雛妃ちゃんは悪くない。自分を責めないで。」
さっきまで明るく、声が弾ませていた檜山先輩の雰囲気が変わった。やけに深刻な顔をして不自然に優しい。
「あっ、ありがとうございます。」
そんな会話をしていると、加城陸斗の姿をした相原さんが帰ってきた。
「お帰り加城くん。こんなすぐに戻ってきて、なんか体調悪いの?」
「いえ、先輩方みんな部室帰っちゃったので。」
「ええ?はやくない?私呼び行ってくるよ。」
「いや、僕と一緒に来てください。相原さんも。」
相原さんはやけに深刻な表情をしている。
「少し話したいことがあります。」
部室は校庭を挟んで校舎の反対側に位置している。周りに木々が生い茂っていることもあって、人目は少ない。僕と相原さんがは先頭を進む檜山先輩の後をついていく。
「ねえ、相原さっ加城くん、私さ、やっぱりサッカー部好きだな。」
「そう。」
「だから、代わりに練習参加してくれて本当ありがとう。」
今年の春に転校してきてから約三カ月、不安だった新しい学校に逃げることなく向き合えたのは、サッカー部の先輩方、檜山先輩がいたからだ。そんな先輩方の最後の地区大会が一週間後に控えている。絶対に勝ちたい。先輩に、サッカー部に恩返ししたい。そんな強い気持ちが今の僕にはある。
「じゃあ、悪く思わないでほしい。私がサッカー部の練習をずっと見ていたのは、これを確かめるためなの。」
「ええ?何々?」
「あなたにとっては残酷な話かもしれない。」
誇らしい気持ちで満ちていた僕の心の中に、相原さんの冷たい声が、一滴の水が作る波紋のように広がっていった。その先に続く言葉がどれだけ恐ろしい姿をしているのかと考え、僕は急に不安になってきた。
「まってよ、一体何を言うつもり?」
「来たら分かる。」
部室の前についた。檜山先輩はさっきの相原さんの話を聞いていなかったから、楽観的ないつもの雰囲気のままだ。けれど、僕は怖かった。それほどに、相原さんの、加城陸斗の表情は深刻だった。
「失礼します!!」
バタンという衝撃音とともに、相原さんは思いっきり部室のドアを開けた。僕らも続いて部室へ入った。男子部員の先輩たちが休憩をしている。いつもの部室の姿だ。僕は安堵した。この部室の中には何か恐ろしい空間が広がっているのではないかと考えていたが、そんなことはなかった。
「何もおかしいとこなんかないよ。」
そう言って相原さんのほうへ一歩踏み出したその時、クシャという音が聞こえた。
「?」
お菓子の包装袋のようだ。僕はしゃがんでそれを拾い上げる。だが、その包装袋は異常に小さく、市販のお菓子でこんなものは見たことない。錠剤を入れるくらいの小ささだ。その時、錠剤という言葉が僕の頭の中に残った。
よく見ると、何人かの先輩が小さな錠剤のようなものをつまんでいる。それは円柱の形をしていて、底面に鳥の羽のような形の刻印が入れられている。先輩方は不必要にそわそわしている。
「これって...」
檜山先輩の顔色が真っ青になった。何かに気づいたのだ。
「それは通称ウイング。覚醒剤などの薬物を極限まで薄めて、安価で販売されている薬。けど、服用を続けたら死に至るほどの危険性を持つ、死を呼ぶ翼。」
また相原さんの、いや加城陸斗の冷たい声が僕の心をえぐっていく。その一言一言が僕の顔から色と表情を抜き取っていく。やっと理解した。最悪の結末だ。
「この部活に違法ドラッグが出回っていたんですよ。」
僕の中にはもう何もなかった。ただ下を向いて、使い捨てられた包装袋を見つめているしかできなかった。
僕と相原さんの入れ替わりが、世間を揺るがす大事態へと発展することを、この時の僕らはまだ知らなかった。




