どうか胸を張って
「ごめんなさい。ルネスの想い人の事を勝手に話してしまって・・・ルネスが困るような事をお父さまが言うかもしれないと思って、慌ててしまったの」
アリウスの執務室を出てすぐに、エリーゼはルネスに自分の軽挙を謝罪した。
エリーゼは十六の時、ある噂を耳にして、ルネスに恋人の有無を尋ねた事があった。
その時に聞いたのだ。
ルネスに想い人がいること。
その人には婚約者がいること。
伯爵家の嫡男として、想いの整理がついたら、父親に縁談を見繕ってもらい、結婚するつもりでいることなどを。
『そもそも片思いなのですよ。好きだと気づいた時には、既にその方には婚約者がいたので』
寂しげに微笑むルネスからその人への想いの強さをひしひしと感じて、エリーゼは密かに彼の叶わぬ恋を応援する事に決めたのだ。
応援と言っても、ルネスの恋が何かの拍子で実ったらいいな、とこっそり願う程度だけれど。
それでも、エリーゼのせいでルネスの恋を強制的に終わらせるような事態になるのは嫌で、焦ってつい口走ってしまったのだ。
「あ~・・・まあ、だいぶ動揺しましたが、迷惑ではありません。だから、気にしないでください」
「でも・・・」
「俺の事よりお嬢さまです。無理をされてはいませんか?」
「え?」
急に話が変わって、エリーゼは首を傾げた。
「無理って・・・婚約解消の事を言っているの?」
「異議がある訳ではありません。あの男はいつも求めるばかりで、お嬢さまに何も返そうとしない奴でしたから。
でも、それでも一途にあの男を想って頑張っていたお嬢さまが急に婚約解消を口にされたら、心配にはなりますよ。しかも今日の夜会に出席された後、突然に」
「それは・・・」
居た堪れず、エリーゼはルネスから視線を逸らした。
「・・・言ったでしょう? 目が覚めたの、現実に気がついただけよ」
「俺は、お嬢さまがあまりにお辛そうなので心配になっただけです。本意ではないのに、婚約解消を口にしたのではと」
「だから無理をしてるのかと聞いたの?」
思い詰めた顔のルネスに、エリーゼは申し訳なさを感じた。
(そうね。ルネスは昔から私の心配ばかりしてたものね)
五歳の時に側に付いてからずっと、エリーゼが無理をするたび、心配して止めるのはいつもルネスだった。
エリーゼを止めて休みを取らせ、止めて気晴らしを提案し、止めて食事をさせ、止めて眠らせる。
今もきっと、心配で聞いてくれたのだ。
(それもそうよね)
エリーゼはこれまでずっと、オズワルドの為に払う努力の中に自分の価値を見つけようとしていた。
それを誰よりも近くで見ていたのがルネスなのだ。
(・・・でも、今回は本当に無理していないの)
いっそ夜会での事をルネスに話してしまおうか。エリーゼはふと、そんな事を思った。証拠のない、ただ偶然立ち聞きしただけの話だけれどルネスなら、と。
「少し庭を歩きましょう」
夜の公爵邸の庭は、あちこちに吊るされた小さな灯りが幻想的な光景を作り出している。
昼間の華やかさとは打って変わった静けさの中、エリーゼは足を止め、ゆっくりルネスの方を振り向いた。
「オズワルドは、私の事がとても嫌いみたいなの。笑いかけるのももう限界だって言っているのを、夜会の会場で聞いてしまったわ」
それからエリーゼは、なるべく感情的にならないように、とつとつと夜会での出来事をルネスに語って聞かせた。
「・・・この事をお父さまに言わなかったのは、証拠がないからよ。
でも、確かに声はオズワルドの声だったし、一緒にいた人も彼をオズワルドと呼んでいたわ。
だから私は、その『オズワルド』が私の婚約者のオズワルド・ゴーガンだと思っているの」
ルネスにこれ以上心配をかけたくなくて、エリーゼは話の合間に、ふふ、と笑ってみせた。
「正直、オズワルドのお願いは年々増えていくばかりで、疲れていたの。それに、窮屈だとも思ってた。
ずっと、愛し愛されていると信じる気持ちが私を支えていたの。馬鹿みたいよね、本当は嫌がられていたのに・・・」
「お嬢さま・・・」
灯りに照らされたルネスの顔は、苦しげに歪んでいた。
どうやらエリーゼの微笑みは失敗したようだ。こんなにルネスに心配をかけてしまった。
自分が辛いからとペラペラ話して、ルネスに辛い顔をさせてしまうなんてと、エリーゼは余計に悲しくなった。
「変な話を聞かせてごめんなさいね、そろそろ部屋に・・・」
戻りましょうと続く言葉は、そこで途切れた。
ルネスが突然、エリーゼの前で跪いたからだ。
「お嬢さま」
ルネスはエリーゼを真っすぐに見上げ、続けた。
「馬鹿みたいだなどと、ご自分を卑下なさらないでください」
「ルネス・・・?」
「お嬢さまがあの男の願いに応えていたのは、それだけ真剣に相手を想っていた証拠です。だから、お嬢さまの努力を卑下も否定もなさらないで。むしろ、胸を張ってください」
「胸を、張って・・・?」
「ええ」
「そんな・・・だって」
恥ずかしいと、情けないと思っていた。
アリウスに相談に行く前も、そして行った後も、エリーゼの中にあったのは、少しの解放感と安堵と失恋の痛み、そして自分の不甲斐なさを責めるたくさんの声。
どうして気づかなかった。もっとちゃんとやれたのではないか。我慢だって結局はただの自己満足だろう。六年前の約束をずっと信じていたなんて愚かな事を。
そんな声ばかり。
(でも、ルネスは違うと言ってくれるのね)
―――胸を張ってください―――
―――それだけ真剣に相手を想っていた証拠です―――
(私なんかが胸を張っていいの・・・? 地味でパッとしない、つまらない女の私が・・・?)
ルネスは、まるでエリーゼの心を読んだかのように言葉を続けた。
「お嬢さまは頑張りました」
「・・・」
「我慢して、ずっと頑張っておられました。このルネスが保証します」
「・・・本当に?」
「本当ですとも。ルネスが信じられませんか?」
エリーゼが無言で首を横に振る。
そして、ずっと我慢していた涙が、ついに眼からぽろりと溢れ落ちた。
ルネスは立ち上がり、エリーゼの頭を撫でる。そんな事をされては、エリーゼの涙はいよいよ止まらない。
「う・・・ふぇ・・・っ」
ぽろぽろぽろぽろ、綺麗な透明の雫はエリーゼの服を濡らしていく。
夜会でオズワルドの本音を偶然に耳にした時から、エリーゼはずっと悲しかった。こんな風に思いきり泣きたかった。
だって。
婚約してからの六年が全く意味のない時間だったと、その時間を捧げた相手に突きつけられてしまったのだから。




