第90話 裁定者カタリア
「だから! 今すぐ必要なんです!」
「そうは言われてもですねぇ。ないものは仕方ないのですよ」
「しかし今、そこにあるじゃあありませんか!」
「いえいえ。これはこちらの方の商品。あなたの商品は到着まであと7日ほどかかるのです」
「ちょっとあんた、まさかオレの商品を横取りしようってのか!?」
ざわめきはすぐそばの露店の前。
何やら3人の男が揉めているようだ。
激しく言いつのっているのは、若い庶民風の服を着た男。
それに対するのがでっぷり太った笑顔の男と、顎髭を蓄えたいかつい粗野な男だ。
「ね、イリスちゃん。いこ」
「あ、ああ」
ラスが袖を引いてその場からの退去を訴えてくる。
何やら殺気立っているから近くにいたくないのは分かる。君子危うきに近づかず、だ。
だが、それで収まらない人物がここにはいた。
「ふん、だからあなたはその程度なのです。行きますわよ、ユーン、サン!」
「何をする気だカタリア?」
「決まってます、裁定です。わたくしの庭で醜く言い争うのは許せません」
いや、ここはお前の庭じゃないけどな。
「はい、カタリア様」
「こうなるとお嬢は止まらないからねー」
だがカタリアはもう聞く耳を持たない。ユーンとサンを従えて、カタリアは颯爽と群衆をかき分け騒動の地へとまい進していく。
「あーもう! ラス、先に帰ってて」
「え、ちょっと!? 待ってよ!」
こうなったら仕方ない。何をしだすか分からないから、とりあえずカタリアを追う。あわよくば連れ戻す。
いくらカタリアでも裁定なんて無茶だ。ここは警察とか、そういう人を呼ぶべきなのに。
「な、なんだ……君は。ソフォスの生徒か?」
若い男が闖入者に戸惑ったような声を向ける。当然だ。
それをカタリアは平然と返す。
「ええ、お困りのようで。あとはこの裁定者カタリアにお任せなさい」
「は、はぁ……」
困惑の返答。そりゃそうだ。
いきなりこんなお嬢様風の子供がやってきて、裁定者とか言い始めれば誰だってそうなる。
「おやおや、お嬢さん。ここは子供の出る幕ではありませんよ」
「はっ、まだおむつの取れてねぇガキが出る幕じゃねぇんだよ!」
対する笑顔の男と粗野な男はあからさまにカタリアを見下している。これも当然。
だが、そんなことでひるむカタリアじゃない。
「野蛮な猿が何かを言っていますわね。せめて人語を話せるようになってから出直しなさい」
「なんだとぉ!?」
粗野な男がいきり立つ。
あーもう! なんで火に油を注ぐかなぁ!
「ちょっと待った!」
必死の思いで野次馬をかき分けてカタリアたちの横に出る。
そんな僕を見て、男たちも同様の反応を示した。
「な、なんだ。君も……?」
「おやおや、千客万来ですねぇ」
「はっ、こっちももっとチビじゃねぇか」
この男。確かにムカつくな。
けど今は我慢だ。
「慌てないでください。僕たちは問題を解決に来たんです」
「おやおや。可愛い仲介者ですね。しかしこれはわたしたちの問題です。邪魔しないでいただけますかな?」
商人がにこやかな笑顔のまま、そして「すっこんでろ」と言わんばかりの態度で言って来る。
「へっ、お子様の出る幕じゃねぇってことだ!」
「お子様以下の頭脳しか持たない脳筋こそ不要でしょう?」
「んだとっ!」
なんでカタリアはこうもつっかかるかなぁ!
ユーンとサンも面白そうに眺めてないで止めろよ!
「と、とにかく! 何やら揉めているみたいなんで、ここは第三者に話してみると意外と解決するって言いますし」
とりあえず落ち着かせるのが第一。
それから事情聴取して、解決案を探る。それは別に僕じゃなくても、他の大人に託してもいい。とりあえず話を整理することから始めるのだ。
「ええ、分かりました」
若い男の方が深くうなずいて同意を示す。
でっぷりとした笑顔の男と粗野な男は難しい顔をしたが、特に反論はないらしい。
「私は菓子作りの職人でして……あ、職人だなんて偉そうですけど、まだ駆け出しです。ただ、凱旋祭というチャンスの場があるので、せっかくなので出店を出してみようと思ったのですが……」
話は簡単だった。
要は取り寄せた商品が届かなかったということ。
「ええ、大変申し訳ないことをしてしまいました。しかし天候災害は人知の及ぶものではないこと。どうかご理解いただければと」
でっぷりとした笑顔の男――それがその商品を扱う商人ということ。
近くに馬車が止まっているが、それが彼の荷車なのだろう。
「しかし、その荷物をいただければ万事解決するはず!」
「そうですね、ここにあるのは発注いただいたものと同じものですが……」
「おう、それはつまり俺様の商品を横取りするってことだろ? そりゃ許せねぇよな?」
ここで出てくるが粗野な男だ。
この男が先に商人と取引をしていた。その品物がちょうどここにあるので、菓子職人の男はそれを譲ってほしいと言っているのだが、それをうんとは言わないのだ。
「ちなみにその商品というのは?」
「砂糖です。なかなか貴重なので、ここら辺では多く手に入れることができないのですよ」
砂糖が貴重?
あぁ、そうか。この時代というのはそういうものか。
事情は大体理解できた。
同時、どこかに違和感を感じた。
それは勘というか、あるいはまた軍師の直感なのか。
「すべて欲しいと言ってるわけではないのです。その半分、いや、3分の1でもいただければ……」
「だからそれもダメだっつってるだろ! こっちだって信用で動いてんだ! 品物の数が合わないとなりゃ、信用が暴落する!」
再び言い合い始めた2人。
それをにこにこと笑みを絶やさず見守る商人に、不信感を覚える。
と、そこで今まで黙っていたカタリアが口を開く。
「分かりましたわ、この問題の解決策が」
まさか、もう分かったというのか!
謎解きに負けたみたいでちょっと悔しいぞ。
「そこの野蛮な男を叩きのめして砂糖を手に入れましょう。それですべて解決ですわ」
「何が解決になったって!? やってること強盗じゃねぇか! ユーン! サン! 笑ってないでコレ止めろ!」
あの姉にしてこの妹あり、か……。発想が暴力的すぎる。
「分かりました、それではこれでどうでしょう?」
と、今まで傍観していた商人が笑みを浮かべたまま、落ち着いた声で提案する。
「値段に2割、上乗せしていただくなら、こちらの商品をあなたにお譲りしましょう」
「なっ、おい!?」
商人の提案に粗野な男が噛みついた。
当然だ。自分の荷物を、勝手に売り払われるのだから。
「その2割はもちろんあなたへのお詫び金です。遅れて商品をお渡ししますので、遅延を補填させていただきたい」
「む、むぅ……それは、本当か?」
「ええ、わたしの所属する商業ギルドの名にかけてお約束しますとも」
商業ギルドね。ゲームとかではギルドなんていう集まりになるけど、多分ここでは会社的な意味合いが大きいんだろう。
「2割、2割……か」
菓子職人の男の人は、右手を口に当てぶつぶつと何やらつぶやいている。
おそらく2割増ししたことで得られる利益を計算しているのだろう。
「…………ふん」
カタリアは自分とは無関係なところで解決案が出たことに憤然としている。もしかして厄介ごとには首を突っ込みたいタイプなのか、こないだみたいに。
またさっきみたいな暴言を吐かれても困るから、黙っていてくれるならちょうどいい。
正直、カタリアに構っている余裕は、今の僕にはなかった。
そう、気づいたのだ。
気づいてしまったのだ。
この争論がいったい何を示すのか。
誰が何をたくらんでいるのか。
「イリスちゃん……ね、帰ろう」
ラスがいつの間にか隣に来て、不安そうな表情を浮かべて見上げてくるのが、なんともぐっとくる。
すぐにでも回れ右してラスと一緒に帰りたい。
けど無理だ。
気づいてしまったのだから。
分かってしまったのだから。
見て見ぬふりは、できない。
やれやれ、頭が回りすぎるのも苦労する。
「いや、ラス。悪いけどそれは無理だ。悪徳商人はコストカットしないと、この国のためにならない」