第88話 VS中沢琴
「くらえ、疾風煉獄破山暗黒剣!」
むき出しの日本刀を振り上げ、琴さんがこちらに一歩踏み込む。
まさか、とは思っても、その鈍く光る刀身は僕の体を凍り付かせる。
だがそれ以上に、彼女の殺気というか怒気が僕の中の軍神を呼び起こした。
「ラスっ!」
「きゃっ!」
咄嗟にラスを突き飛ばした。そうでもしなければ間に合わない。
同時に斬撃に備える。
大丈夫。剣相手に無手の戦いは、初日に経験済みだ。
だから今も刀の腹を叩いて――
「っ!?」
そこで違和感。
この刀には触れてはいけない。むしろそれ以前に回避も間に合わない。
そう直感が告げた。
体をひねり、刃をぎりぎりかわす。風が僕の顔を打った。
「っ!」
痛み。頬を何かが流れる。斬られた。そう感じた。馬鹿な。当たってないのに。
「かわす! ならっ!」
琴さんの目がぎらりと光る。同時、刀が返る。
「疾風れん……なんとか・改!」
技名を忘れるな! とツッコミたかったけど、それどころじゃない。
振り下ろされた刃がくるりと上向きに回転し、そのまま下から襲い来る。
必死に一歩飛びずさる。剣筋が空を切った。
避けれた。
だが安堵も一瞬。
僕の体を衝撃が襲った。
ぱさり、と何かが落ちた。
それは僕の制服の上着の一部で、見れば僕の服が斜めに斬り裂かれて、白い肌が見えてしまっていた。
完全に回避したと思った一撃目と同様。確かに避けたのにこの切り傷。
これは、まさか……。
「逃げるな、蒙昧なる破滅の蛮族・薩摩が!」
琴さんが激昂する。
いや、逃げるでしょ。
てかこの人、さっきまでの宝塚みたいな雰囲気はどこへやら。鬼気迫るその気迫は恐ろしいほど。
てかその豹変が分からない。
てか薩摩ってなに? 薩摩? 薩摩藩?
「ちょ、ちょっと聞いてください。僕は薩摩なんかじゃなく――」
「黙れ! 無辜の民を傷つけ恐れさせた薩摩の暴虐非道天外魔境悪鬼羅刹の言葉など、ボクの耳には防音の彼方だ!! 我が正義の宝剣にて、その罪を贖うがいい!」
さっき暗黒とか邪剣とか言ってなかった?
いや、しかし困った。完全に勘違いなわけだけど、相手は聞く耳持たず、ラスがいるから逃げるに逃げられない。
さらに仲間に引き入れたい相手である以上、相手を傷つけることもためらわれる。
なら――
ちらと目をやる。
「隙ありぃぃ!」
渾身の一太刀が来る。
それを身を投げてかわすと、そのまま転がり、そして半身を起こした。そこにあるものをつかむ。それは――
「借りますよ」
地面に突き刺さった薙刀を手にして言う。
きっと彼女のものだろうから。
「何の真似?」
薙刀を抜き、構える僕に対して彼女は困惑したように、怒ったように眉間にしわを寄せる。
それもそうだろう。僕の構えは穂先を前にする従来の構えとは逆。石突き部分を前にして、穂先を後ろに回した形だから。
「舐められたものだね。法神流は武器を選ばず。けど、その中でボクが一番得意とする薙刀で対抗しようなど」
え、そうなの? 知らなかった、とはいえ後には退けない。
「薩奸め……新徴組士のボクの前に出たことを、後悔し散華するがいい……」
すると相手は刀を頭上に上げる。大上段の構え、ではなく手首を曲げて刀身を地面と水平にする。
なんの構えだ。といっても、それほど剣術に詳しいわけじゃない。ならやることは1つ。
「受けよ、我が法神暗黒流秘技、絶空暗黒断罪閃光剣っ!!」
一歩、踏み込む。同時に来た。
上段からの打ち込み。だが――速い! 来るのは右上からの袈裟斬り。おそらくそれを手首の返しによって加速させている。柔らかい女性の関節ならではの絶技か。
一歩下がる。大丈夫。避けられる。
そう思った途端、寒気がした。
まだ、何か来る!
咄嗟に薙刀を前にかざした。それが僕の命を救う。
金属音。
次いで衝撃。
「あっ……」
「イリスちゃん!」
ラスの叫び。そして見る。僕の手にした薙刀。その柄が、真っ二つに斬られているのを。
いや、相手の刀身は当たっていない。なのに斬られた。
先ほどまでと同じ。
間違いない。これで確信した。
琴さんの剣撃のリーチは通常より長い。それは真空波とかかまいたちとかそういったもの。つまりぎりぎりで避けると当たってしまう。遠当ての斬撃版ということか。
いや、めちゃくちゃだ。
いくら剣を修行しようにも、そんな領域に立つのなんて漫画の中だけで十分だ。
けどそれを現実に可能にするものを僕は知っている。
僕自身も持っている、そうスキルだ。
あるいは、この世界に来たイレギュラーが、僕と同じようになにがしかスキルを使えるとしたら。
この琴さんのでたらめな剣技も、納得いくようなものだ。
それが分かったところで、勝ち目が出たわけじゃないけど!
「よくも……」
琴さんは刀を振り切った姿勢で、地の底から湧き出るような暗い声を吐き出す。
「え?」
「よくも、ボク愛用の薙刀・虎狼弥勒朧を……!」
いやいや! 斬ったのはそっちだよね!? 完全な逆恨みですが!?
「万死に値する!! 我が法神暗黒流秘技で、散れっ!」
くっ、どうする!?
けどおそらく次は防げない。今の僕に身を守るものはないからだ。
なら一目散に逃げるか、と考えてもそれはできない。僕の後ろにはラスがいる。つまり僕が逃げればラスが斬られる。
そんなことは、到底容認できない。
ならやることは1つ。
取るべき方策は1つ。
守れない、逃げれない。
ならば――前に出ろ。
「絶空暗黒断罪閃光剣っ!!」
斬撃が来る。その刹那、左手を振った。
もちろん無手じゃない。切断された、薙刀の石突きの方を投げたのだ。
どのような剣の達人だろうと、目の前に飛来したものを無視できない。いや、達人だからこそ、無視はできない。
「っ!」
琴さんの刹那の逡巡。その隙に僕はさらに前に出た。
そのままの勢いで、相手の振り上げられた腕、その肘に下から右肩で体当たりする。
「ぐっ!」
相手は上段から振り下ろしの形で刀を振ろうとしていた。それが脇の下から抑えられれば、刀は振れない。
「邪魔、だっ!」
となれば相手は距離を取るために行動する。そう、足を使った膝蹴りだ。
もちろんそれは想定内。だから体を回して、膝蹴りを避けると同時、相手の背後に回り込み軸足の裏を払う。態勢を崩した相手は、その場で膝をつくも、すぐに立ち上がろうとして――
「ここまで、でいいですよね?」
止まった。
それはもちろん、僕の薙刀の刃の部分が、彼女の首筋に当てられているからだ。
「くっ……殺すがいい! だが我が肉体が滅しびようとも、貴様ら薩奸は無間地獄にて永劫の苦痛を味あわせてやる!」
おお、これが噂の“くっ殺”か! いや、今はどうでもいい、本気で。
「あの、というか話を聞いてもらえますか? そもそも僕、薩摩じゃないですし」
「え?」
「だって、方言も違うでしょう? ごわすとか、おいどんとか言ったことないし」
「あ」
あ、って……。そんなことも気づかなかったのか。
「で、でも! さっきは土方殿や会津公のことを……」
「いや、知ってる名前が出たからちょっとびっくりして」
「あるいは長州が薩摩に魂の協定を結んでいる可能性も」
「いや、違いますから。てかどれだけ薩摩が嫌いなんですか」
「それはもちろん、江戸の民を業炎の彼方に…………あれ? そんなこと、あった、か?」
「もしかして、訳も分からず?」
「そ、そんなことはない! ご府内を騒がす不逞浪士、それが薩摩が手引きしていると……いや、でも江戸は平和……? いやいや、でも家茂公が」
「待った、家茂って徳川の? 将軍の?」
「もちろん大樹(将軍)様に決まってる……はずだけど?」
なんかすっきりしない回答だった。
てっきり幕府が薩摩に倒されたからと思ったけど、そうなると将軍が家茂というのはおかしい。徳川最後の将軍は慶喜だからだ。
「ううむ、ボクの記憶も混迷の深淵を彷徨う旅人となったのか」
うん、訳がわからないけど、要は思い出せないってことだろう。
とりあえず落ち着いてくれたみたいで何よりだ。
だから僕が突きつけた薙刀を外して一歩下がると、相手もようやく刀を降ろし、鞘に戻すとこちらに振り返り頭を下げた。
「申し訳ない。我が邪眼は卑劣にて義心なき薩摩の名を聞くと、真の姿を表すのだ。薩摩誅すべし、と」
「はぁ……」
てか暗黒とか邪眼とかいちいち厨二だよな。あの頃も流行ってたのか?
「ま、いいですよ。一応、無事でしたし」
「そうか。しかし、君は強いな。あるいは君なのかもしれない。ボクの婿となるのは」
「え?」
今、なんかとんでもないこと言わなかったか、この人。
「イ、イリスちゃん! 大丈夫!?」
と、そこへラスが慌てたように駆け寄って来た。
「ああ、大丈夫だよ、ラス。こっちこそ突き飛ばしてごめん」
「ううん、いいの。というかもっと強くてもよかったって言うか、もっとぶっても良かったんだよ?」
なんか聞いてはいけない言葉を聞いてしまった気がする……。あぁ、ラスがどんどんと明後日の道へ……。
「それよりイリスちゃん、強いんだねぇ。何が起きたかよく分からなかったけど、こうびゅ! びゅ! って!」
「そ、そう……」
なんというか、一気にほんわかするよな、ラスが来ると。
「そちらのお嬢さんも、迷惑をおかけして申し訳ない」
琴さんはラスにも丁寧に頭を下げる。
「あ、いえ。私は別に。その……かっこよかったですし!」
かっこいい、か。
確かにこの長身と美貌で剣士でもやってれば、女の子が憧れるのも無理はない。
「今度、その剣術? 教えてくれませんか?」
「……ええ、我が暗黒法神流の基礎程度なら教えるとも。ボクはこの“さあかす”にいる。いつでも来てもらって構わない」
「わぁ、やったね、イリスちゃん!」
いや、僕は習うって言った覚えないけど。まぁいいや。
「ああ、そうだ。もうすぐ狂乱に身を焦がす大祭があるという。ボクらの“さあかす”も出し物をするというから、ボクの紹介として晩餐への翼を授けよう。今回の赤心なるお詫びのしるしだよ。我が邪悪なる僕の獅子王丸たちも歓迎するよ」
「いいんですか!」
ラスが目を輝かせる。
どうやら今回のお詫びとしてサーカスに招待してくれるということだ。それにしてもラス、よく一瞬で分かったな。
「ありがとうございます、えっと……コン、さん?」
「中沢琴だ。琴でいい」
「私はラスっていいます! それでこっちはイリスちゃん!」
ラスが嬉々として話す。なんだかんだコミュ力高いんだな。
そりゃあのカタリアに近づこうというのだから、コミュ力と度胸がないと無理か。
やれやれ。どうやら今日はこれ以上の話は無理そうだ。
何より疲れたし。
とりあえず琴さんが悪感情をこちらに持っていないということが分かれば、機会はいつでもあるはずだ。
時間はないけど、ここまでの関係を築いて性急にことを勧めるのはよろしくなさそうだ。少し慎重に徐々にやっていこう。
「…………」
と、ラスの視線が僕の方にくぎ付けになっていることに気づいた。
その視線、というか顔色が尋常じゃなく、真っ赤とうか、呼吸が荒い。
どうした? 大丈夫か、ラス?
「イリス、ちゃん……その格好……はぁ。抱き着いていい?」
「は? ……あっ!」
そういえばさっき、斬り裂かれた僕の上着。それは肌が見えるほどで、それは胸部に値するから、つまりそういうことで。
ブラジャーというものは存在していたが、どうもそれをするのはとてつもなく抵抗があったから、今日はしていなかったわけで。
……うん、つまりなんというか丸出しだった。
「ごめんなさい、いただきます!」
「いただきますじゃない!」
飛びかかって来たラスから必死に肌を隠して逃げる僕。
それを眺める琴さんが、
「なるほど、これは愉快な灯を煌々と輝かせる人だ。あるいは本当に悠久の時を経て現れた、ボクの運命の人なのかもしれない」
そんなつぶやきをしているとは、つゆとも知らなかった。