第87話 琴、再会ス
「殺すな!」
叫んだのは、琴さんが引き抜いた日本刀。それを両手で突き出すようにしたからだ。
別に動物愛護の精神とか、可愛そうだからとかそういう理由ではない。
ただラスの前で、むごいことをしてほしくない。その想いで叫んだ。
だがその叫びもむなしく、琴さんは、まだ状況を把握しきれていなかったライオンのその額に刀を突き出した。
その刹那に、僕はラスの両目両耳を腕で隠す。せめて断末魔の叫びが聞こえないように。
「なんて……ことを」
歯ぎしりする。
確かに逃亡した猛獣は射殺もやむなしという風潮はある。けど、これをこうも簡単に行われると……。
「不殺を叫ぶか、君は」
琴さんが、刀を突きだしたままの少女がそう僕に問いかける。
「だがそれが守るべき民に刃を向けた時。それでも君は不殺を叫ぶのか? 殺さなければ、守れない時もあるというのに」
それは先日の僕のことを言っているようで、深く心に突き刺さった言葉だ。
分かってる。相手を倒さなければ守れないということも。
「それでも――」
「ふっ、戯言だ。安心するがいい。この黄金暗黒獅子王丸は誅していない。我が邪剣は世界を壊す悪を斬るためのもの。“さあかす”の一員である獅子王丸をなんで殺すものか」
「え?」
見れば、ライオンを突き刺したはずの刀。
それはライオンの額を貫くことはなく、ぎりぎりその横顔を通過していただけだった。
はらり、とその毛が落ちる。
琴さんの剣は、ライオンのたてがみを斬り裂くに終わったらしい。その行為に怯えたのかライオンは喉を小さく鳴らすと、その場にへたりこんだ。
琴さんが流ちょうな動きで刀を収める。
とんでもない神業だ。それでライオンの闘志をへし折ったのだから。
と、そこへ数人の男たちが駆け寄って来た。
「やぁ、遅かったね、らうさん。獅子王丸は安然なる鎮静に誘われてしまったよ」
「ああ、助かりましたコトさん。そちらの方々も申し訳ない。怖い思いをさせてしまって」
代表した男の人が、僕たちに謝ってくる。
その後ろではライオンが数人の男たちに囲まれ、檻へと戻されているところだった。調教師なのだろう。
とりあえずこれでほっと一安心か。
そんなことを思っていると、地面から声が聞こえた。
「イリスちゃん、いつまでこうしていればいいのかな? ……はっ、もしかして新手のプレイかな!? 目隠しして耳をおおって……はぁはぁ、イリスちゃんは何をしてくれるのかな!?」
「あ、ああ! ごめん、ラス!」
「うふふ、イリスちゃんに守ってもらった……密着しちゃった……」
今までラスの上に乗っかり、しかも耳と目を腕で隠していた状態だったことに気づき、慌てて解放した。
てゆうかラス、僕のことをなんだと思ってるんだ? 思ったより危ない子だった。てかもっと危機を感じなさいよ。
「大事なかったかな、お二人さん?」
調教師の人たちは平謝りで動物たちを落ち着かせるために戻ってしまい、残った琴さんがこちらに振り返る。
ピンクの羽織に紺の袴にブーツ。髪の毛は後ろに縛っているが、腰には大小(刀と脇差)を差した佇まいはどこか男性的でもあり、その長身も手伝って思わず見惚れるほどだ。
たぶんタヒラ姉さんより身長は高い。ただ、姉さんみたく猛々しい印象はなく、クラーレのような残忍なイメージもない。
男性的というのも相まって、言うなれば宝塚の男役というか。男性だけじゃなく、女性にもモテるんじゃないか?
「ふっ、しかし君たちは運がいい。我が瞳に刻まれし法神の刻印が迫りくる受難の発芽を看過したのだから」
うん、相変わらず意味は分からないけど。
いいや。とりあえずお礼をいいつつ、せっかくだから当初の目的を果たそう。
「えっと助けてくれてありがとうございます、琴さん」
「うん……おや、君はどこか別の次元で邂逅を果たしたような……」
「先日、トーコさんの店で」
「あぁ! あの無謀なる意志を昇華させた魂の牢人の少女か」
彼女の中で、僕はどういう風に見られていたんだろうか。
「えっと、実は琴さんに用がありまして」
気を取り直して僕は本題を切り出す。
「琴さん、日本という国にいませんでした?」
「あぁ。日出ずる国たる日本。その上野国利根郡に生を受け誕生したのさ」
上野国っていうと……今の群馬県あたりか。
「ただ、刹那の合間にこの世界に召喚されたらしい。五里霧中のごとき混迷の闇夜の中、ボクを救ったのはこの“さあかす”の皆さ」
これで確信した。
彼女はこの世界に出てきたイレギュラーだ。
そしてこの風貌を見る限りは幕末から明治・大正時代。
いや、確か新選組にいたって言ってたよな。つまり幕末。
けど新選組に女性隊士なんていたっけ?
「琴さん、所属する組織があったと聞きましたけど。確か新選組」
「違う違う。新選組は土方殿ら京残留組が会津公のお預かりとして覚醒せし猛者たちだ。ボクたちは新徴組。庄内藩の直属で、しかもあのお江戸を警備する。あぁ、ちなみに真なる力に覚醒し、新徴組を組織したボクらの方が先だから、そこのところ惑うことないように」
「土方殿……会津公……庄内藩、江戸……やっぱり、そうか」
「……その問いに、何か浮揚する真実があるのかな?」
「え、いや。えっと……」
うぅん、どういったものか。
素直に言えればいいのかもしれないけど、率直に言うと警戒される。そんな気がしたから。
ただ、結論から言うと、そこで言葉に詰まってしまったのは大いなる失敗だった。
琴さんの目がキラリと光る。
「その金に光る瞳。怪しい。もしやその反応――まさか薩摩か!?」
「は!?」
急に敵意むき出しの顔色になった琴さんは、おもむろに抜刀すると刀を八双に構える。
おお、これが八双の構え……じゃなく!?
「え!? ちょ、ちょ――」
「薩摩、誅すべし! 覚悟っ!」