第82話 激昂の風
それは、一枚の絵画のように見えた。
それほど一瞬の描写を美しく切り取った光景。
着物の袂をたなびかせ大きく跳躍した彼女――中沢琴は、左手に日本刀らしき刀をひっさげ、着地と同時に走り出す。
目的地はもちろん、言い合いをしているトーコと狼藉者の3人の兵。
何をするのか、そう考えている間にも距離は近づき――そして減速することもなかった。
「てめぇ、オレたちが何物か知って――ぎゃぁ!!」
威勢よく啖呵をきった男の声が悲鳴に代わる。
コトさん、もとい琴さんは減速せずに両手を広げると、そのまま男たちを薙ぎ払うように突撃。男たちは人形のように店の外へと弾き飛ばされた。
いったぁ! コトラリアットぉぉぉ!
……じゃなく!
「ちょ、何やってるのさ!」
慌てて席を飛び出し、トーコ、そして琴さんの元へと駆け寄る。
だが琴さんはすまし顔で、
「他のお客様の迷惑になりますので、さっさとその場で腹を切って詫びてください。もちろん介錯はなしで」
さらっと怖いことを言った。
「ちょ、コト! なんで」
「仕方ないだろう。奴らは府内の秩序を混沌の坩堝に頽廃させた悪だ。ならば成敗するのが世の常だろう?」
トーコの抗議に対しても、さも当然のように受け流す琴さん。
えっと、さっき言ってたよな。しんちょうぐみ? 新選組の間違いか?
いや、でももし似たような組織があるとしたら……不逞浪士に対するものとしてこの行為は当然、いや、生易しいまである。あの幕末は色々無茶だったからなぁ。
とはいえ、もちろんそんなことで収まるわけがないのも世の常。
「ぐっ、てめぇやりやがったな!」
往来に吹き飛ばされて、周囲の注目を浴びながらも悪態をつき立ち上がる狼藉者の兵3人。
その3人がそれぞれ腰に差した大きな剣に手が伸びる。
だがそれより先に刀に手をかざしたのは琴さんの方。
左手で鯉口をきって、即座に抜き打ちの一撃を放てる体勢だ。
「抜くのか? 抜けばもはや我が正義の刃は、貴様らの終焉を彩る猛き閃光となるぞ? 法神流は得物を選ばず。薙刀はなくても、刀で男に遅れは取らん。我が瞳に刻まれし法神の刻印が業に呑まれるのを見るがいい」
彼女の背中に感じる、闘気というか殺気というか。そのすさまじさは、背後にいる僕にも感じられたほど。
それに相対する男たちは、3人がかりという状況でもひるんでしまっている。
状況は――悪い。
周囲には野次馬がかけつけてきて、遠巻きに僕らのことを眺めはじめた。
このままだと人傷沙汰になって大変なことになる。
「待った、琴さん」
僕は彼女の背中に声をかける。反応はない。それが逆に了承の証と感じて、一歩、そしてもう一歩前に出る。
彼女の広い背中。そこに向かって、小声で、
「これ以上の騒ぎはまずい。トーコさんの店に迷惑がかかる」
ぴくり、と琴さんの背中が揺れた。
客同士のトラブル、そして刃傷沙汰。
もし捕吏――警察にこちらに罪はないとされたとしても、それですまない可能性は高い。
客商売にこういったいざこざがどう影響するか、少なくともいい方向には向かないだろう。そうなった時、トーコは店を失うのだ。彼女の父がはじめ、必死に守って来た店が。
だからここまでだ。
そう願って、大きな背中に向かって話しかける。
「こいつらを捕吏に突き出そう。僕が証人になる。それでこれは解決だ」
そうなる、いや、そうさせてみせる。
たとえどんな手を使ってでも。
その覚悟が、想いが伝わったのか、琴さんは構えを解くと、首だけで振り向き、
「ふっ……そうだな。ボクはもう、新徴組ではなかった。それに、その麗しの瞳に見つめられれば、もはやボクに断罪の鎮魂歌を奏でる資格はなさそうだ」
そう、笑った。
可憐とか可愛いとか綺麗とか美しいとか、そういった単語がちゃちに見える。
それほどその笑顔はふわりとしたさわやかさで、胸に透き通る心地よさを持っていた。
だが、事はこれで終わらなかった。
「ふ、ふへへ……なんだぁ? やろうってんじゃないのか? あ?」
男たち3人が、こちらの勢いが衰えたのを見て挑発するように声を荒げる。
「飛び回るだけの蠅は斬るに値しない。大人しく白洲にて裁きを待て」
だが、琴さんの当然ともいえる通告は、男たちには通じなかったようだ。
「へ、へへへ。なんだぁ、威勢がいいのは最初だけか。いや、そうだなぁ。知っちまったってことだな、オレたちが誰なのか」
「そう! オレたちはあの大将軍様の直属の兵だぞ!」
「だ、大将軍……様」
トーコがその言葉にうろたえる。
ちらと見るその顔は蒼白。
あの戦いを知らない雑魚に何を怖がることがあるだろう。けどこれが国民の現実なのかもしれない。
姿を見ることもない殿上人はすべからく有能で偉い。
そう無意識に刷り込まされているのかもしれない。
もちろんその実態を知っている僕と、そもそもこの世界の住人でない琴さんには通じないが。
やれやれ、あのおっさんの部下か。
上が上なら下も下だ。仕方ないから、これも教育と割り切って、お帰り願おう。
そう、穏便な方針での解決方法に頭を動かし始めた――が、
「先ほどのザウスとの戦いで、国を救った英雄様だ! 今度の凱旋祭はその英雄様を称える祭りだろう? ならオレたちが金を払う道理はないってわけよ!」
一瞬、脳裏が空白になった。
その論理はどうなんだ、と色々ツッコミたかったけど、本題はそこじゃない。
引っかかったのはその前。
大将軍直属の兵。
国を救った英雄。
英雄を称える祭。
一体だれのことだ?
これは何の茶番だ?
「そう、ゆえにオレたちはこれを寄付だと受け取ったわけだ。兵隊さん、いつも守ってくれてありがとう、ってな!」
「だからオレたちは何も悪いことはしてない。むしろ被害者だ。そこの男女にいきなり襲い掛かられて。あぁ、怖い!」
「…………」
「嘘を言うな! お前たちは、ただ踏み倒しただけだ! それをコトは――」
「おぉ!? なんだそれは!? それはオレたち、いや、この国の大将軍様に逆らうということか!? インジュイン家に反逆するということか?」
「いけねぇな、いけねぇな。そんなことをすれば、こんなちっぽけな店、一瞬で消えちまうだろ」
その言葉に、琴さん、そして何よりトーコがひるんだ。
「そ、それだけはやめてくれ!」
「やめてください、だろう? ほら、女なんだからもっとしおらしく、媚びるように」
「……やめて……ください」
トーコがうつむき、懇願する。ギュッとエプロンの裾を握った両手。その手は震えていた。
「くっ、くははははは! 聞いたか? これが正義というものだ! オレたちの正義の行いが、天に認められた証なのだ!」
「あー、てかやば。ちょっとムカついたから、この店、ボコっちゃおうぜ? 大将軍様に逆らった店ってことで」
「おー! いいじゃねぇか。じゃあ仲間でも呼んでくるか。みんなでボコれば楽しいなってよ!」
何かが切れた音がした。
それは物理的なものではなく、僕の頭。そこにあった、なにか――堪忍袋というストッパーが切れる音だ。
「おい!」
琴さんの制止。それをすり抜け前へ。
男3人。能天気にアホ面ぶら下げて、汚い大口を開けて笑っている。
目の前に、怒り心頭の軍神がいるのにも関わらず。
「んじゃあ、とりあえずぶち壊して火を――ぐぅっ!」
その喉を掴んだ。
口を掴みたかったけど、身長が足りなかったし、何より汚いから嫌だ。それでもざらざらとした髭と、ごつごつした喉の肌触りが癇に障る。
「て、てめぇ! なにしやがる!」
両脇にいた男たちが一斉に緊張を高める。
「お前らが、戦いを語るな」
「放せっつってんだよ!」
右側の男が、こぶしを振り上げる。
狙いは僕の顔面。それほど素早くもない。あとはタイミングがあえば、
「がっ!」
喉を押さえつけられた男。目が飛び出るんじゃないかという衝撃にうめきをもらす。
僕が男の喉を掴んだまま動かしたので、その後頭部にパンチが激突したのだ。頭蓋骨なんて硬い部分を殴った男は拳を痛めたのか、若干ひるんだ。
「あぁ、てめぇ!」
今度は左。残念ながら盾は間に合わない。なら。
喉を掴んだ男の足を払う。同時に右手を下へ。すると掴まれた男は上下逆さまに回転。その足が左の男の顎を襲った。
そのまま僕は喉を話して男を地面に転がした。
「げほっ、げほっ!」
喉を傷めた男と、こぶしを痛めた男。そして蹴りを顎にもろにくらって昏倒している男。
その3人に、決然と、もう一度言い放つ。
「もう一度言う。お前らが、戦を語るな。そう言ったんだよ」