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第81話 コト

「……日本、日の本……久遠くおんの彼方より聞こえる懐かしい響きだ」


 コトさんはそうつぶやく。

 やっぱり。彼女はイレギュラーだ。


 だからこそ、さらに問い詰めようとしたところで、


「やぁやぁ、おまたせ。あれ? 何か話してた?」


 トーコが戻って来た。

 お盆にグラスを3つと、ポテトフライを乗せたものを持って。


「ん? もしかして何か話してた? あはは、ごめんね。なんか変なタイミングでさ」


 快活に笑うトーコ。

 さっきはレディースみたいで怖いと思ったけど、なんだかとっつきやすい人なのかも。そう感じた。


「はい、じゃあこれ。果実を絞ったジュースね。それからご要望のフライ。適当につまんで」


「あ、いただきます」


「コトはこれね」


「あぁ、抹茶の豊潤な香りを思い起こすこの真紅に染まる大河の一滴。これこそ、1日の疲れを癒す天神の一滴さ」


「あはは、コトの言ってること、意味わかんないでしょ? あたしもよくわかんないんだよねー」


 いいのか、あんたら。それで。


「あ、自己紹介まだだったね。てかなんか不思議な感じだね。別にそのために知り合ったわけじゃないのに。ま、いっか。あたしはトーコ・ジューイ。この店で働いてる。16歳。で、こっちの変なこと言ってる面白女子はコト。サーカスの団員なんだよね」


「ああ……もぐもぐ。“さあかす”の団長にはよくしてもらったよ……ばくばく。ただ悠久ゆうきゅうたる流浪の旅は辛かったね……がふがふ。そして落ち着いたところでトウコに出会った……もぎゅもぎゅ。これも古より続く大いなる永劫えいごう運命さだめが宿すところなのだろうね……ごくり。ふぅ」


 なんかいろいろ厨二っぽい感じのコトさんだったけど、食べるのか喋るのかどっちかにしてほしかった。

 てかせっかく美しい男装の麗人って感じなのに、残念過ぎる。


「1週間前にこのイース国に来て、それでこの凱旋祭でしょ。んで、どうせだからそこで開演しようかってことになって、コトがここに来たのが出会いの始まりだったなぁ。最初見たときはびっくりしたよ。こんな綺麗な人が、こんなヘンテコな服着てるなんて、って」


「ふっ、我が珍妙なる絶技。俗世に広めるべきではないが、背に腹は代えられぬということかな」


「へぇ、そりゃすごい」


 相槌をうったものの、サーカスがすごいということじゃない。

 この2人。まったく会話が成り立ってないのに、どうして友達付き合いができているのか、ということだ。


 というかサーカス、か。

 拾われたってことだろうけど、そこをとってみても、やはりイレギュラーにしか思えない。


「てかもっと食べなよ。ここの店、何を隠そうあたしの父さんの家でね。もとは父さんと母さんと家族でやってたんだけど……まぁ色々あって。今は叔父さんが後を継いでるんだ。それでも味は保証するから。ほら、食べた食べた」


 まいったな。

 コトさんに色々聞きたいことがあるんだけど、トーコが止まらない。


「あ、てかそういえば名前。自己紹介しておいて聞いてなかったね。君、なんて名前? 何歳? どこから来たの?」


 なんか迷子への質問みたいになってるぞ。

 仕方ない。さっさと答えて、コトさんへの問いに移ろう。


「えっと僕は――」


 と、口を開いて自己紹介しようとしたところに、


「ぎゃっははははは!」


 これがまともな人間から発せられる笑声なのか、と思うほど下品で耳障りで野蛮な笑い声が響いた。


「あいつら……」


 トーコがそちらのテーブルを振り返り睨みつける。


 こちらとは反対側のテーブル席で、3人の屈強な男たちが談笑しながら立ち上がるところだった。


「見ない方がいいよ、目が腐る」


「ひどい言い様だね」


「一番安い定食で永遠と粘られたら、それであんな下品な態度で一般客の足が遠ざかれば、そりゃ嫌にもなる。あの貧乏兵士どもめ。どっかいっちまえ」


 地上げ屋の手法かな、と思ったけどどうやら違ったようだ。

 なるほど、兵士か。ならあのガタイのよさも分かるというもの。それにしては下品すぎて山賊かそこらかと思ったけど。


「下が下なら、上も上さ。あんなのを率いているこの国のトップだって腐ってる。本当に、やってられないよ」


「トウコ。そうは言うけど、世の中にはそう捨てたものじゃないのもいるぞ。尽忠報国じんちゅうほうこくの志を胸に、立ち上がった男の中のおとこというべき者たちも」


「そんなのがどこにいるのさ。どいつもこいつも、民草を都合のいい家畜だと思ってるのさ」


 コトさんの弁護にも、トウコは切って捨てる。

 そこにははっきりとした、為政者いせいしゃ層に対する憎悪が見て取れた。


 ひょっとして彼女って……。


「あのー」


「なに!」


「あ、いや。その。トウコさんって軍人とか政治家とか、貴族とかって嫌い?」


「トウコでいいって。うん? そうだね。嫌いだよ。父さんからこの店を奪おうとした汚い奴らだ。あんなやつら、客じゃなかったら叩き出してる」


 これは。危ない。

 これって自分のフルネームでもぽろりと言えば、今、あの野蛮な兵たちに注がれる軽蔑と憎悪の視線がこっちに向く流れじゃないか?


「……ま、いいや。うん、ごめんね。なんかなんか吐き出してすっきりしちゃった。せっかく素敵な出会いがあったんだ。こういう日はあんなの忘れてしまうのが一番だね」


 うわぁ、胸が痛い。

 何より今までひっくり返って死んだウジ虫を見るような視線から、目を輝かせて期待と希望を膨らませる彼女に対し、無意識に裏切りを働いているようで。


「で、名前は?」


 これは、どうする?

 はっきり言うか、それともごまかすか。


 はっきり言えば……うん、やっぱりさっきのウジ虫を見るような視線にさらされるしかない。

 ごまかす。けどどうやって? 適当な名前を言ってもいいけど、どこに地雷があるのか、この世界はまったくわからない。家のことも適当なことを言ってどこかで詰まるような気がしてならない。


 どっちだ。どっちを選ぶ!?

 彼女の期待に満ちた視線は今にも破裂しそうで、このままだと僕はきっと――


「てめぇ、オレたちがなにしたってんだ!」


 はっと、目が覚めたような気分であたりを見回す。

 一瞬、そんな怒声がトーコから聞こえたと思ったけど、そんなわけない。


 彼女の天使が歌うような澄んだ美声ではなく、泥中を這いずり回るカエルのようなだみ声。


 振り向いて見れば、その発信源はお店の出入り口。

 そこにたむろす例の3人の兵たちが、1人の男を囲っている。


「叔父さん!?」


「お、おお。トーコ。この方たちがな……」


 トーコに叔父さんと呼ばれた40代のひ弱そうな男性が、トーコに弱り切った顔を見せた。


「おう、オレたちは日々、この国を守るために戦ってきた! それなのに金を払えってのはどういう了見だ? あぁ!?」


 あからさますぎる踏み倒しの構図を説明するリーダー格の男。

 どうやら代金を払う払わないでもめているらしい。


「ったく!」


 トーコはそんな男たちにも屈せずに立ち上がると、つかつかとそちらに詰め寄る。


「ちょ、ちょっと!」


 あぁ、もう。

 とはいえここで僕がどこまで介入すべきか。出会って早々、変なもめ事引き起こすのも嫌だし、だけど素敵な出会いと称してくれた彼女を放っておくのも嫌だ。


「あのコトさ――」


 トーコの友人ともいえる彼女に助けを求めようとして振り向く。


「がふっ……ん? どうした、少女? 不塞開口、開いた口が塞がらないという様子だが?」


 いや、格好良く決めてるところすみませんが。ポテトフライをがっつく和服美女という構図が残念過ぎて……はぁ。


「えと、あれ……」


「ああ。ちょっとボクは忙しい。この昼夜にも関わらず煌々(こうこう)と光を放つ暗夜の三日月を駆逐するという仕事が」


 つまりポテトフライ食べてるから邪魔するなってことか。色々最低の返事をいただきました。


 そんな僕の軽蔑の視線を受けてか、コトさんはカップの飲み物をごくりとしてホッと一息。

 目をきりっと輝かせて答えた。


「それに、トウコはこれくらいでは負けないよ。あれでも彼女は一流だ。あの程度の辺境の砦を守る門番程度の雑魚ならば、鎧袖一触がいしゅういっしょく、電光石火、百鬼夜行に火樹銀花かじゅぎんか。敗北を知りたいものだよ」


「はぁ……」


 やっぱりよく分からない。てか使い方あってるのか、その四字熟語?


 ただ、僕のいぶかし気な視線に、コトさんはふぅっとため息1つ。

 そして脇に立てかけていた日本刀を手にすると立ち上がり、


「だが……そうだね。彼女に何かあれば、それこそボクの毎日の娯楽がなくなる。それに、府内ふないの治安を乱す狼藉者をのさばらせるわけにはいかない。法神流ほうしんりゅうに目覚めし漆黒の邪炎をその瞳に宿す暗黒の剣士、ご府内取り締まり役、庄内しょうない藩(現在の山形県)新徴組(しんちょうぐみ)士・中沢琴なかざわことが成敗する」


「……え?」


 今、何か大事なことを言った。

 それを問い返す、その一瞬に彼女――中沢琴と名乗った女性は一足飛びにその場から飛び出した。

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