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挿話91 白起(ゼドラ国大将軍)

「大将軍! 敵が逃げました!」


 傍にいた兵がわめく。


「見ればわかる」


「も、申し訳、ありません……」


 兵はこの世の終わりのような怯えた顔をして跪く。

 何をこの男は震えているのだろうか。怖がることなど何もない。ただ自分は思ったことを言っただけだ。

 あるいは自分が気にくわないとこの男を処断すると思われているのか。ありえない。そんなことをして何になるのか。それが兵というものの不思議さなのか。


 そういえば巴に言われた。


『白起様はもう少し、その、柔らかさといいますか、物腰の優雅さを考えてみてはいかがでしょうか』


 その時は、そんなことは非効率で無意味だと思っていたから取り合わなかった。だが、やはりそれは少しでも考えてみた方がよかったのだろうか。

 そうすればあるいはこうも不愉快な思いに囚われることもなかったのだろうか。


「いい。それより奴らを捕まえるぞ」


「は、はは! しかし奴らはどこ――」


 ああ、なるほど。そんなことも分からない男だから、こうも苛立つのか。手が出てしまうのも考えものだ。


「捨てておけ」


「は、はっ!」


 打ち捨てられた兵だったものを一瞥いちべつして剣を払う。それを見た兵たちに緊張が戻った。

 自らの一挙手一投足に視線が集まる。それは悪くない。緊張感を失った軍は、それだけでもろい。


 敵はほんの4騎とはいえ、あのイリスがなんの勝算もなくここにいるはずがない。何らかの手はずを整えているに違いない。そしてあの4騎の連中は一騎当千の猛者だろう。

 そうでなければアカシャ国の皇帝がこんなところにいるはずがない。


「全軍で宮殿へ引く。100はお前が率いて、念のため奴らの後を追え。だが決して交戦はするな。もし敵が宮殿に来なければ、私に連絡を入れろ」


「はっ!」


 これでいい。

 皇帝はゼドラの太守、いや、皇帝に用があると言った。ならば宮殿を目指すに違いない。ただ道を塞がれたために回り道をするだけだろう。

 ならばこちらの方が直線距離で有利だ。先に宮殿の出入り口を抑えれば敵は立ち往生する。


 あるいは敵の知る抜け道があるのかもしれない。元は敵の本拠地だった。対してこちらはまだ数か月。自分はほぼここにはいなかったから勝手も知らない。

 だがそれでもこちらの優位は変わらない。

 敵が抜け道で入るとしても宮殿の中。ならば宮殿の周囲を囲んで兵を繰り出せば、相手に逃げ道はない。一騎当千の猛者がいるとしても数人。こちらがひたすらに兵を繰り出せば、いずれは疲労して倒れる。


 それくらいのこと、あの聡明なイリスならば分かっているだろうに。

 あるいは他に狙いがあるのか。


『ゼドラ国太守ゴーヨ・クダールとの面会を求める。これ以上の戦いは無意味だ。我が民が死ぬのはもういいであろう。だからその話をしたい』


 ……何をいまさら。

 これまでひたすらに戦い続け、そしてこれからも戦い続けるだけの相手が何を。冗談もほどほどにしろ。

 ここまでしかばねを積み上げ、天を争ってきた相手だ。今更手を取り合って仲良しこよしなどちゃんちゃらおかしい。


 ここまで状況が煮えついたなら、全ては行くところまで行くしかない。

 つまり国が完全に滅び、統一される。そのところまで。


 そして天に二日がないように、皇帝というものも2つあってはならない。

 ならばどちらかが消え、どちらかが残るのだ。


 それをあの少年は分かっているのか。

 あの少女も分かっているのか。


 ……愚問、か。


 それだからこそ、彼らはここに来た。

 そして今。それを実行に移そうとしている。


 くだらない。

 そんなことどうでもいい。大将軍といえど、そんなことを考えるのは愚かに過ぎる。


 自分はただ与えられた職務を行うのみ。邪魔者が来たならば排除し、天下を相手に戦うのであれば戦う。

 ただそれだけ。それだけのことで、何人殺そうが、何百人屠ろうが、何万人埋めようが、何十万人消し去ろうが、そんなことは些末さまつなこと。なんら関係のないこと。


 なのに。


 なのになぜ。


 こうも苦しみを感じるのか。


『白起! もう終わらせよう! これ以上、この戦いに意味はない! そっちだって分かるだろう! 失うものの辛さ、悲しさを!』


 知ったことか。


 誰が死のうが、誰が生きようが自分には関係ない。戦場にはただ勝者と敗者があるだけ。そしてその勝者になるからこそ生きていられる。それだけだ。

 なのにあの少女はそこに意味を持たせようとしている。

 それがどうも癇に障り、そしてどこか羨ましいと感じる自分がいた。


 羨ましいなどと。

 自分とは無縁の言葉だと思っていた。


 なのに……。


「大将軍! すでに敵が!」


「なに」


 みれば宮殿の正門。その左手から100メートルほど先に、数頭の馬がいて、そこから飛び降りた人影。間違いない。イリスだ。その連中がそこにあったらしい小さな扉から宮殿内部に入っていく。

 間一髪、それには間に合わない。


「イリス、無駄だぞ。正門は我らの手にある。兵を送り込めばそれで袋のネズミだ!」


 叫び、同時指示を出す。


「正門を開け宮殿に突入。そのまま賊を討ち取る」


「……は、はっ!!」


 躊躇ためらいの声色。宮殿に乱入するなどおこがましいとでも思ったのか。たかが建物だ。そこに誰がいようが、ぞくがいるならば滅ぼす。それだけのこと。

 それを難しく考えるから囚われる。


 敵はすでに宮殿の庭に入った。宮殿は5メートル強の壁に覆われている。入り口は正門と今の扉だけだろう。もちろん他にも隠し通路もあるのかもしれないが、奴らの目的がゼドラ皇帝ならばそちらには行くまい。

 すでに袋のネズミ。あとは窮鼠きゅうそとならないよう気を付けて討ち取るのみ。

 イリスと皇帝。その2人の首を並べれば、それだけで敵軍は崩壊する。それで勝ちだ。それで終わりだ。


 だから全てを終わらせようとして、


 ドォォン!!


 何かが爆発した。いや、何かが飛び出してきた。

 宮殿の門。それをどこから現れたのか、巨大な岩石が塞いでいた。


 いや、どこから現れるとかそんなことはあり得ない。これは異能だ。岩を作る。いや、地面を隆起させた果ての障害物。


 そう、その10メートル弱の巨岩は宮殿に入る隙間を全て塞いでしまっている。

 敵はすでに籠の中の鳥。だがそこの入り口には巨大な無機質な門番が壁となって塞いでいる。


 なんということだ。これではゼドラ皇帝への道が開けたようなもの。

 自分の異能で消し去りたいが、これは異能によるものとはいえ異能そのものではない。異能の結果にできた物質だ。だから『我罪天通わがつみはてんにつうず』でも消せない。


 ギリッ。


 何かがこすれる音。

 それが自分の歯噛みの音だと気づくのにわずか遅れた。


 どこまでも小賢しい。

 だがその小賢しさが心地よくもある。


「ふっ」


 笑みを浮かべていた。

 このようなこと。最近はなかった。


 まぁいい。逃げ場がないなら、殺すことは変わらない。

 だがやつらがここまでして。ここまで危険を冒してそうするのであれば。その結果も見届けてやろう。そう思わないでもなかった。

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