第79話 図書館の怪
放課後。
用事のあるラスと別れて、僕は1人。校内にある階段を使って地下へと降りて行った。
正直、蔵書がすごいとかいっても、学校にあるレベル。
それにこの世界の採掘レベルとか考えれば、それほど大きなものなど地下には作れない。
そう思っていた。
「ふわ……」
階段を降りてまずびっくりしたのがその広さと暗さ。
左右に20メートルは広がる空間で、一本道がずっと続くが奥が(暗さもあるが)見えない。
そしてその奥にたどり着くまでに、道の左右に並ぶ本棚、本棚、本棚。
正直、舐めていた。こりゃ前の世界でもお目にかかるのは珍しいレベル。
てかパソコンとかないから、まだ紙で保存するしかないのだからそれもそうか。
それにこの地下空間。
イース国の主な産業は鉱物資源の採掘。その採掘技術がこんなところで活かされているのだと思うと、この異様な空間があることも理解できるというもの。
何より人がいない。
そのため、僕の息遣い以外は何も聞こえない、エターナルサイレンスみたいな中二病みたいな言葉も浮かんでくるわけで。
そんなちょっと場違いな感動に身を包まれていると、
「何か用ですか」
「わっ!」
暗い地の底(いや、今も地の底にいるわけだけど)から響く、おどろおどろしい声が意識の外から飛んできた。
あるいはこの耳が痛くなるほどの静寂の中でなければ、聞き逃しそうなほど低く小さな声。
けどこの空間においては、それでも十分に響き渡る音量で、その後に出た僕の悲鳴なんてものは、反響しまくって耳に痛いほど。
カウンターに座っている――のか? 白い部分が顔しかなく、この薄暗い空間の中では、全身を包む漆黒に染まった衣装は完全に溶け込んで、首だけが浮いているように思える。
けど、間違いない。
置かれているランプでなんとか見えるそれは、
「ひ、人か……」
「なんだと思ったんですか」
そう返されては、確かに不謹慎だ。
化け物とか幽霊だと思われたということだから。
いや、でも彼女も悪いぞ。いきなりの不意打ちでしゃべりかけてくるし、この暗闇で真っ黒な服を着ていれば首だけ浮いていると思われても仕方ない。
髪の毛も黒のロングだし。
しかも浮かび上がる顔が、感情がないように見えて、ちょっとロリっぽくて、可愛らしくて、どこか市松人形っぽくて怖かった。
「えっと、ここって図書館であってます、よね?」
「…………」
「あのー、入ってもいいやつです、よね?」
「…………」
「その……読んでもいいやつです、よね?」
「…………」
なんでこの人無言なの!?
じっとこちら見つめられると怖いんだけど!
そんな僕の想いをどう思ったのか、ようやく彼女は口を開く。
「ショカ」
「え、書架?」
「なにそれ。ショカ・マユラス。名前」
「あ、ああ。名前。名前、ね」
……いや、名前を聞いたんじゃないんだけど!
とはいえようやく会話が成立(?)しそうなんだ。
ここは会話の糸口をつかんだということで、自己紹介なんてしてみようか。
「あ、えっと僕は――」
「知ってる。イリス・グーイシィ。有名人」
「あ……そうなの」
「それは知ってる。トルシュの、妹で。問題児だって」
「トルシュ……?」
誰だっけ。どこかで聞いたことがある。
…………あっ!
「トルシュ、兄さん?」
そうだ。なぜか僕――というよりイリスを目の敵にするトルシュ兄さんだ。
「同じクラスだから」
「あぁ、同じ…………って年上!?」
「なんだと思ったの」
いや、なんというか見た目が。同じ年かそれ以下にしか見えないわけで。
てか図書館にいるのだから司書さんかと思ったけど、それは働いているということだから学生ではなく年上のはず。けどそれでもやはり見た目との乖離が激しくて、司書さんとも思えない感じだったのだけど。
学生だったのか。
「別に。だた暇だから、放課後とかここの管理任されてるだけ。あの理事長に」
「え……よく無事だったね」
「礼節をわきまえた立派なお人だったわ。前太守ですもの。『お主しかいないんじゃあ』とかいって抱きついてきた時には、とりあえず手元の辞典で2発くらいぶん殴ったら何も言わなくなったわ」
あのエロ爺……やっぱり手を出してたか。
てかこの子、前太守と知りながらも冷静にぶん殴るとか……怖いぞ。
「というわけで、何かお探しですか、イリス・グーイシィさん?」
パタン、と手にした本を閉じた彼女は、腰を浮かしてこちらに向き直る。
真正面から見ても、やはりどこか市松人形を思わせる――ある種の美しさがあった。
「えっと、この世界……というか他国の文献とか探してて」
「ああ……お父さんの手伝いね」
勝手に誤解されてしまったけど、結果的にはそうだから黙っておいた。
「地方文献は左の5列目のあたりにあるから探せば?」
どうやら手伝ってくれる気はなさそうだ。
けどパッとその本の場所が分かるなんて、ここを熟知しているのは間違いないらしい。
「それとここのルールだけど」
そう言って、彼女は無造作に手を挙げて、指を上げ始めた。
「その1、この書庫から持ち出ししたらひっぱたく。その2、ここでの飲食したらひっぱたく。その3、地下の暗さは自前でなんとかして。その4、うるさくしたらひっぱたく。その5、ここは16時まで。なんでって、私が帰るから。その6、私がいないときにはここ開いてないから。その時は諦めて。以上、文句ある?」
「いえ、まったくないです」
というかひっぱたくってのが多くて怖かった。
「あぁ、あと――」
チラと僕から見て右手。図書館の奥へと視線を向けたショカ先輩は、
「奥に扉があって、そこはあかないから。色々、昔の文献とか政庁の資料とかが入ってるけど、国家機密とかもあって私にも開けられない。だから間違ってもこじ開けようとしないで」
その言葉を聞いて、びりっと体に電気が走った。
それだ。それこそが求めていたもの。
「どうやったら読めるかな」
「聞いてなかったの? 開かないから読めないって。国語大丈夫?」
「まぁそれはそうなんだけど、さ。読む方法がないかと」
「さぁね。少なくとも私には無理。もし見たいなら――お父さんか、太守様に頼めば?」
なるほど、そうなるか。
けど父さんにそれを頼むのは気が引けた。
できればお父さんには知られずにいきたい。
見栄とか家族間のこととかではなく、なんというか、余計な心配をかけたくないから。
過度の干渉が来るのではと思ったのもある。
となると――気が進まないなぁ。けど仕方ない。
「分かった、それだけ聞ければ」
「帰るの?」
「灯りを持ってきてないからね。さすがに先輩の灯りを借りるわけにはいかないし」
「…………」
するとショカは何かを探るような目つきで僕を見つめること10数秒。なんかどぎまぎするな。
そしてようやく動き始めたのは、こちらの意表を突くものだった。
それは傍らにあるランプを取ると、僕に差し出し、
「貸すだけ。しばらくここにいるから、終わったら返して」
「ありがとうございます」
「別に。ただ、本好きに悪い人はいないから。誤解してた。その謝罪」
何の誤解か……あぁ、イリスのことかな。
本とは縁のない生活だったんだろうなぁ。
というわけでとりあえず、この世界の知識を手に入れよう。
カーター先生の授業もあったけど、かなり上っ面なところでの話の流れしか出てこない。
これからこの国をどう運用して、どう立て直して、どう勝っていくか。
それを決めるには、ある程度細かい数字と細かい報告と細かい分析が必要になってくる。
そういう書類を見るのは苦ではなかった。
会社でさんざんやってきたからだ。
だから知る。
それから削る。
すべては、そこからだ。
切野蓮の残り寿命218日。