挿話89 巴御前(ゼドラ国将軍)
敵が来た。先頭。ぶかぶかな鎧を着こんだ小柄な人物。あれじゃあ鎧に着られているじゃないか。
その敵が薙刀を振り下ろす。当然こちらも薙刀で迎撃する。
金属音。
日の本の武器同士が火花を散らす。
「巴殿、どうか降ってください!」
この女。小松といったか。
確か未来の木曽に関係するとかなんとか。
未来だなんて馬鹿馬鹿しい。
……けど、白起様からすれば巴の方こそ未来なのか。そう考えると不思議な感じだ。どうでもいいけど。
「それはできない。白起様をお逃がしする。それが今の私の使命」
「巴殿!」
「くどい!」
押し返した。
弱い。いや、自分に敵う女性なんていなかった。
左。別の敵が来た。小松を押しのけて、自由になった薙刀で敵を斬った。さらにそのまま石突きで小松を馬から突き落とす。
さらに群がる敵を薙刀で斬りまくった。
ああ。義仲様。今、巴は戦っております。生意気な平氏どもを。関東の蛮族どもを。巴のこの手で。
いつか。義仲様の栄光を掴む。その日まで。
「巴っ!!」
落馬した小松が憤怒の形相で襲い掛かって来た。仲間をやられて平気な人間はいない。当然だ。
けど私に勝てはしない。しかも馬上と下馬だ。
馬を操って小松の横に出ると、そのまま馬上からの一撃を見舞う。
ガキィィン!
防がれた。けどいい。せめてこの女も連れて行くとしよう。
異能持ちを1人殺したとなれば。きっと白起様も満足されるはず。
この女の異能が何かは分からない。けど、あと2,3撃。ぶち込めば倒せる。
だから薙刀を振り上げ――
「止まれぃ!」
ピタリ、と動作が止まった。
なぜだ。ただの言葉、それに自分の動きが止まる要素などない。なのに動けない。
振り返る。そこには先に見た男の姿。関羽。
その関羽がこちらに薙刀のような巨大な刀を突きつけてゆっくりとこちらに馬を近づけてくる。
「すでに決着はついた。我らは敵の追撃を断念し、貴殿らは立派な殿軍を成した。ならばこの戦いに意味はない」
その言葉に胸のつっかえが下りた。
そうか。私はやりおおせた。白起様を守ることができた。それはとても誇らしいことで、これ以上のことがもうできないと思うと寂しいものだった。
「ならば降れ。貴殿らに勝ち目はない。無駄に命を散らすこともないだろう」
高圧的な上から目線が癇に障る。
けど彼の言うことは間違いない。
白起様は退いて、態勢を立て直すだろう。だがこちらに軍を進めるのは難しい。少なくとも今すぐは、
対するこちらはもう500ばかり。対する敵は今ここに2千ほどだが、どんどんと増えていく。
圧倒的な戦力差に加え逃げ場もないとなれば、ここにいる私たちの未来は全滅か降伏かの二択だ。
「巴様……」
部下が声を潜めて聞いてくる。その声色に若干の怯えはあれど、どこか力強さがある。それが嬉しかった。
「お前たちは降伏しろ」
「巴様は」
「当然」
そう、当然だ。決まっている。
私がやれることは、心に決めた人のために、1人でも多くの敵を倒すこと。
「1人でも多くを斬る。白起様のために」
「……お供いたします」
「馬鹿か? 死ぬしかないぞ」
「生憎、それほど頭の良い方じゃなく」
「……馬鹿が」
白起様にも馬鹿と言われた。義仲様はそんなことはおっしゃらなかったけど、「お前はそのままでいい」というのはやっぱりそういうことなんだろうか。
それでいい。それが私だ。
「関羽殿。厚遇、感謝いたす」
声を張って関羽に答える。
「しかし私はゼドラの将。そして木曾義仲がいちの家臣であり、中原兼遠が娘でもある! 命惜しくて降伏など、親兄弟は元より祖先に顔向けできない! ゆえに、白起様の障害を1つでも減らさせていただく!」
関羽の顔が歪む。ギリッ、と歯ぎしりの音が聞こえてきそうだ。
「部下も同じ考えか」
「我らは一心同体である! 私の意志は彼らの意志。彼らの意志は、すなわち白起様の意志である!」
関羽の距離はおよそ100メートル。
噂に聞く赤兎馬ならば一瞬だろう。だが一瞬でいい。
「では関羽殿、存分に死合おうか!」
言葉と同時、部下が関羽に群がる。
相手はあの武神だ。部下もいる。おそらく1人も残らないだろう。だがそれでいい。
申し訳なく思う。けどそれが最善。この場においては。
馬をひるがえした。
そこには小松と、今の隙に現れた護衛らがおよそ100。
しゃらくさい。
「俱利伽羅峠逆牛追落」
おそらくこれが最後。
力を振り絞った最後の異能。
けれどいい。あとは一撃を持って小松の首を刎ねる。それで終わりだ。
関羽には勝てない。ならば異能持ちを1人でも減らす。それが自分の役割。
「お命、頂戴!」
至近距離からの牛の出現に混乱する敵の中。小松の顔が見えた。こちらを睨みつけるようにして薙刀を構える。
それでもいける。薙刀ごと、その細い首を刈り取る。先ほどの手ごたえならそれで終わり。
薙刀を振った。
全ての力を込めた最期の一撃。
それが相手の薙刀を叩き、弾き飛ばして首を刎ね――
ガギィィ!!
なかった。
止まった。
「泰山伐鵬。我が体は動かざるごと山の如く!」
小松が叫ぶ。
何の意味かは分からない。だが結果は瞭然。
渾身の一撃を防がれた。殺せなかった。それはすなわち、全ての終了を告げる事実。
背後から気配が来た。
圧倒的な武。そして死。
馬から飛び降りた。背中に痛みが走った。
一瞬の浮遊感の後に地面に落ちる。本来ならすぐに立ち上がるはずができない。すでに体力も気力も使い果たしている。
ふっと、目の前に銀色の板が差し出された。
その持ち主が、巨体の男が頭上から悠然と、しかし僅かに怒りをにじませて告げる。
「我が娘には手を出させん」
娘? 小松は日の本だろうに。ああ、意味が分からない。けど彼の語る言葉はおそらく真実だろう。
どうでもよかった。
避けられない死が、こうして形をもって立ちはだかっている。しかも自身は動けない。
やれることは全てやった。白起様を助けた。敵を倒そうとした。
それで十分じゃないか。
あの人の死にざまを見るより先に、逝けることができるのだから。
「何がおかしいのだ?」
関羽がいぶかしげに聞いてくる。
どうやら自分は笑みを浮かべていたらしい。
「さぁ。あなたには分からないでしょう」
そう思った時。そういえばこの人には仲の良い義兄弟がいるんだっけ。と思い直した。
あるいは分かるのかもしれない。この人なら。
けどそれもまたどうでもいいこと。
「もう一度言う。降れ。女子を斬る刃は持たん」
「ふざけるな。部下を皆殺しにして、私だけおめおめと生きろと?」
こいつが自分の前にいるということはそういうことだろう。
しかしそう考えると琴は凄いと感じる。
恥も外聞もなく生き延びることを肯じたということか。イリスに会うため。イリスを守るため。それがあの結末につながった。
私はどうだ。
聞くまでもない。ここで生き延びて白起様に矛を向けるなど言語道断。仮にその場で裏切っても結末は変わらない。
なら白起様より先に。やっぱりそれが一番だ。
関羽は戸惑いと共に無言だった。
そこに後ろから声がした。
「父上。ここは私が」
「……分かった」
小松か。どうやら私の意思をくみ取ってくれたとみえる。
「巴殿」
「ああ、よろしく頼む」
「……」
小松が無言で薙刀を振り上げるのが分かった。
私は座ったまま。頭を下げる。
これでよかったのですね……義仲様。
まぶたを閉じる。その奥に、義仲様のお姿が見える。
きっと来世ではまた、義仲様と共に……。
風を切る音。
衝撃。
何も。見えなくなった。




