挿話86 ラス・ハロール(ソフォス学園1年皇帝付)
敵の部隊を突き抜けた先。平地には部隊らしい影がいくつか見える。まっすぐに100メートルほど先、たぶん今撃破した連中と同じ部隊だろう。
その奥に砂煙が見えるから、そこにも同じくらいの敵がいるみたい。
そして左手。そこに奥へと去っていく敵と、それを追いかけるように動く部隊がいる。その追いかける部隊の旗を見る感じ、味方だと分かった。
その敵と味方が混在する戦場。そのどこかにイリスちゃんがいる。
どこにいく。
分からない。
いや、それを分かる必要はない。
私が分かる必要あるのは、イリスちゃんの居場所。それだけ。他はどうでもいい。
一旦落ち付こう。
敵は撃破した。そして別の敵はまだ手の届くところにはない。
だからここで焦って敵に突っ込んでも意味はない。そこにイリスちゃんがいる可能性は低いから。
ならどこに。
はじめ。イリスちゃんと別れたのは2時の方向。そのずっと先。そこから私はぐるっと回り込んで雑木林を抜けてここに来た。対するイリスちゃんは敵を引き付けるように、今私がいる少し先をまっすぐに右から左へと駆け抜けようとした。
けどそこには敵が待ち構えていたみたい。それが左手の方で奥へと去っていく一団。そしてここにいる兵と向こう側にわずか土煙が見える敵を考えると……。
どこだろう。
分からない。
分からないけど、なんとなくわかった。
あっちだ。10時の方向。
「あっちに行く」
「ラス隊長、敵を追わないので?」
「敵を倒すよりイリスちゃんの安全が先」
「な、なるほど。確かに彼女の武威と軍略を失う方が痛いですな」
そういうことじゃないのに。私にはイリスちゃんが必要なのに。なんでそれを分からないの。
それがとてつもなく不快で、腹立たしくて私は馬を走らせた。慌てたように後続が続く。
そのまま駆ける。歩兵との距離は徐々に開いていくけど構わない。今は一刻も早くイリスちゃんを見つけるだけだ。
けどいない。
どこにもいない。
ううん。まだ。まだ探しきれていない。
「ラス隊長、あそこに敵が!」
と、背後で馬をせめる部下が叫ぶ。
敵がいようが関係ない。そんなことも分からないの。
と言おうとして、その口が止まった。
敵の数は50もいない。騎乗の人は5人。それ以外は歩兵だ。
ただ、そんな敵よりもまず目に入ったのは馬の影。そしてその傍に倒れる人のような形のもの。
その姿、まず判別したのは馬。それはイリスちゃんが最近乗っているもので、それがいるということは近くにイリスちゃんがいるはず。
けどいない。
いるなら100メートル離れていても臭いで分かる。けどここは無理。血の臭いが充満してイリスちゃんの臭いが判別できない。ううん。イリスちゃんの匂いなら、血や油にまみれても、それを浄化して清らかにするはず。なのに嗅ぎ取れないとは、ラス。あなたの信仰心はこの程度なの!
……違う。そうじゃない。
イリスちゃんはそこにいる。
けど。嫌だ。認めたくない。
地面に転がり、倒れる人影。見覚えのあるえんじ色の制服。その姿。今まで何度も目にしてきた人物とよく似ている。似ているだけ。本人じゃない。だって、そうじゃなきゃ、そうじゃなきゃ。
倒れたままピクリとも動かないその体。
「いやぁぁぁぁぁぁぁ!!」
倒れたイリスちゃん。その周囲に群がる敵。それがイリスちゃんと私の間を邪魔するもの。イリスちゃんを私のもとから連れ去ろうとする障害。
ならその障害は――蹴り壊してやらないと。
「どけっ!!」
一番近くにいた邪魔者を横なぎで切り払う。驚愕に見開かれた男。それを蹴り飛ばして次へ。さらに次の敵の頭を左の手で掴むと同時右足で跳躍。左の膝を顔面に入れて、そのままぐいっと頭を下げさせる。そこを右足で踏みつぶしてさらに跳躍を得る。
そのまま敵の頭を何回か蹴飛ばして、そのたびに何かの割れる音が響いたけど気にならない、敵の最中に降り立った。着地と同時に目の前にいた敵を斬った。
ようやく敵がこちらに注意を向ける。その間に2人斬った。敵が剣で斬りかかって来る。たった今斬った敵兵を掴むと、思いきりそちらにぶん投げた。味方に邪魔されたたらを踏む敵。それを投げた敵ごと貫いた。そこで自分の失敗を悟った。貫いた剣は肉で締まって抜けなくなっていた。
そこを好機と見たか、他の敵が向かって来る。突き出された剣。落ち付いて見る。イリスちゃんだって、これくらいのことはずっと潜り抜けてきた。
来た剣を一歩横に移動することで避ける。そのままその腕を取り、足を思いきり蹴り上げる。つんのめった敵のわき腹を、左の掌底で思いきり打った。それで逆方向から来た敵にぶつかって数人が倒れた。
ハロール流秘儀『二段落とし』の変形、『二枚崩し』。
お父様に教え込まれた技。あの時は辛かったけど、こうやって実際に役に立って、イリスちゃんの役に立つと思えば辛い思い出も良い思い出に変わる。
「邪魔するな!!」
叫び、また前に出る。今度はハロール流烈技『受け反豪・改』をお見舞いしたところで、後方から衝撃が来た。敵が揺れる。
「ラス隊長ぉ!!」
味方が突っ込んできたみたいだ。
イリスちゃん風に言えば、私に気を取られている間に味方の奇襲になったということか。もともとそれほど多い人数じゃない。すぐに味方が押せ押せの展開になって敵が崩れていく。
それだけ感じ取ったらもう駆けだしていた。
倒れる2つの人影。その1つは一瞬誰か分からない。それより今はもう1つの方。同じ制服姿でも、すでにところどころが切り裂かれてボロボロ。血もにじんでいるし、何より吐血したのか、顔の周囲が赤に濡れていた。
「イリスちゃんイリスちゃんイリスちゃん!!」
倒れたイリスちゃんの横に膝をついて、必死に呼びかける。
まさか。本当に。ありえない。ありえちゃいけない。こんなこと。イリスちゃんのいない世界なんて、1ミクロンの価値もないというのに。
だからお願い神様。イリスちゃんを。イリスちゃんを救ってあげて……。
その願いが聞き届けられたのかどうか。
揺り動かすイリスちゃんの体が僅かに動いた気がした。
そして瞳がゆっくりと開き、
「う……ラス……?」
「あ、ああああああ! よかった! よかった! 本当に……」
生きていた。それだけでもう胸がいっぱいで卒倒しそうだ。
神様、ありがとうございます。もしイリスちゃんを失ってたら……あなたも殺していた。
「ここは……」
イリスちゃんが左右を見回す。
そこでイリスちゃんは何かに目を止めた。その視線の先。私もようやく気づいた。いや、最初からあったことは気づいていた。それでもイリスちゃんの方が優先で、それが何かを脳がシャットアウトしていた。
「あ…………」
「……コトさん……」
倒れたまま動かない琴さんの亡骸。
また1人。知っている人の命が失われた。
「う……」
イリスちゃんがしゃくりあげる。
そして、その後に響く。
「うあああああああああああ!!」
心の底からの絶叫。
あのイリスちゃんが。格好いいでおなじみのイリスちゃんが。公衆の面前で、恥も外聞もなく泣き崩れる。
一瞬、コトさんに殺意を覚えた。それほどのイリスちゃんの信頼を得ているなんて許せなかった。何より、イリスちゃんを悲しませたことが許せなかった。
けど彼女とはもう二度と話せない。それは確かで。
私の中にもぽっかりと穴があいたようで、すぐには言葉が出てこない。油断すれば、私も涙を流して取り乱すくらいのことをしていたかもしれない。
それでもそうしなかったのはイリスちゃんが、わき目もふらずに泣きわめいているからで、それを落ち着かせるのが自分の仕事だとそう感じ取ったからだ。
「いいんだよ。イリスちゃんは頑張ったんだから。そしてコトさんも……」
「う……でも……」
「悲しいなら泣いていいよ。それが、亡くなった人に対する、お礼みたいなものだから」
「…………」
わずかな沈黙。
けどやがてイリスちゃんは再び大声を出して泣き出した。
私にしがみつくようにして。喉を枯らして泣きわめく。
そんなイリスちゃんが愛おしくて愛おしくてたまらない。しがみついてくるイリスちゃんの小さな体。それを私は、そっと腰に手を回して抱きしめた。
二度と放さない。
その意志を胸に抱いて。




