挿話85 ラス・ハロール(ソフォス学園1年皇帝付)
イリスちゃんに離れろと言われてから10分ほど経った。
3千ほどの歩兵を率いて大きく迂回。途中で雑木林に入り込めばホッと一息入れることができた。
木々の中に入れば騎兵は追ってこない。そうイリスちゃんに教わった通りだ。
それから周囲に偵察を出して安全を確保した。
けどいつまでいればいいのか。この後にどうすればいいのかはイリスちゃんから言われていない。
それは自分の心をとても不安定にさせた。
イリスちゃんが敵を引き付けるために囮になっていることもそれには関係しているだろう。
そしてその不安は、形となって現実となる。
「敵軍が四方より集まっています!」
その偵察の報告は、私に普段あまりしない思考を回すということを強制された。
敵が集まっている。その方向を聞けば聞くほど、胸にざわめきが起きる。
はっきりとしたことは分からない。何が起きてるのかも分からない。
けどこれだけは分かる。
今、イリスちゃんは危機にいる。
あのいつも自分を犠牲にして、皆を安全にしようとする彼女のすることだ。
今、その敵が集まっている中心にイリスちゃんがいないと誰が言えるだろう。
そう思うとジッとしてられなかった。
「外に出てイリスちゃんを助けます!」
「し、しかし……我々がどうすれば……」
若い兵が声を上げて疑問を投げてきた。
どうすればかどうかじゃないのに。
イリスちゃんを助けるか助けないか。単純な二択。そしてその二択なら当然前者だ。
その男に対し、ムッとした表情を返す。
「それでイリスちゃんが死んじゃったら、どう責任取るの!?」
「そ、それは……」
「それにイリスちゃんは、森を使って迂回って言ったのよ。ここでじっとしていろなんて言ってない!」
「そ、そうです、ね、はい」
なんかわかんないけどうまくいったみたい。
イリスちゃんの言葉をそのまま伝えただけだけど、周囲の兵たちも確かにと頷いている。
「すみません、イリス様のことは何よりも大事なのに。弱気になってました」
「いいの。皆がイリスちゃんのこと好きだって知ってるから」
「は、はい!」
誰もが高揚した様子で頷く。ここにいるのはイース国のイリスちゃんが心配でついてきた人たちだ。
だから何よりもイリスちゃんを大事にしているのは間違いない。けど、
「でもイリスちゃんを一番好きなのは私だから!」
「え、あ、はぁ」
む、この人。なんでそんな不満そうな顔してるの。もしかしてイリスちゃんを私から奪おうと!? ……ううん。まさかこんなぽっと出の名前も知らない雑な人がイリスちゃんの一番になるわけない。だって、私はずっとイリスちゃんの傍にいたんだから。うふふ大好きだよイリスちゃん。だからいつまでもラスはイリスちゃんの一番でいさせてね。
「あのラス殿。すぐに出るのでは?」
「はっ、なにやってるの! 早くイリスちゃんのところに行くよ!」
「はっ!」
それから雑木林を抜けると、イリスちゃんがいるだろう方向に向けて走り出す。
隠れていたことが少し休養になったからか、誰もが懸命に走ることができた。それはとても良いことだと思った。
平地の遠く。そこに影が見えた。多分、軍勢の影だと思う。
それがこちらから遠ざかるように、反対側に駆けていく。その方角。そしてもともといた場所とかを考えると、あの先にイリスちゃんがいるに違いない。
そしてあの軍勢はきっと、イリスちゃんを襲うためにいた伏兵ってことだとも思う。
つまりイリスちゃんの敵!
それだけ分かれば十分だった。
「あの影を追うよ! イリスちゃんを傷つけようとする邪悪な奴らに天罰を与えよう!」
「うぉぉぉぉ!!」
気合満点となった兵たちが、さらに速度を上げて敵に向かう。
喚声に気づいたのか、前方にようやく形が見えだした敵に動きが起きた。
敵軍、そのすべてではないけど半分くらいがこっちに体を向けて迎撃の準備をし始めたのだ。
敵の数とこちらの数。どちらが多いのか分からない。もしかしたら同じくらいかも。
えっと、えっと。こういう時は、こういう時は……。
そうだ!
「て、鉄砲! 撃ちます!」
そう、停止して鉄砲を撃って、前列が崩れたところに突撃だ。鉄砲が相手にない場合はそれが一番だとイリスちゃんが言ってた。
相手に鉄砲隊はいない。多分。だってそんな様子が見えないから。
だからあとは教え通りにやるだけ。
「撃てぇ!」
鉄砲隊長が声を張り上げる。途端、耳を破壊するんじゃないかと思うほどの轟音が響いた。
鉄砲の一斉射撃。その効果は絶大だった。バタバタと敵の前列が倒れると、敵は怖がるように歩みを遅くした。
えっと、鉄砲を撃ったから、それで相手から反撃がなければ……。よし。
「い、行きます!」
「おぉぉぉぉ!!」
号令と共に兵たちが一気に駆けだす。
鉄砲を受けて動揺した敵だ。一気に突破できる……はず。
うぅ。怖い。本気と本気の殺し合い。
けど胸にあるのは1つのことだけ。イリスちゃん。イリスちゃんイリスちゃん。イリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃんイリスちゃん――
「イリスちゃん!!」
そうだ。彼女を助ける戦い。怖がっていられない。
むしろなんで邪魔をする。こうやって死ぬのに。無駄なことなのに。イリスちゃんが待ってるのに。
ハロール流には無手での制圧術がある。
けど元は騎士たちの甲冑剣術だとお父様は言っていた。幼少のころから、そのトレーニングはずっと続けられ、腕利きの執事にも筋がいいと褒められたから、多分なんとかなると思っていた。
そして実際になった。
鉄砲でひるんだ敵兵。その布陣はぐずぐずに崩れていて、剣を抜いていない連中もいるみたい。
だからそのまま一気に突っ込んだ。
一番前にいた敵――腕に鉄砲を受けたのか、痛みにうずくまる男の鎧から露出した肌。そこを斬った。
殺した。
そのことに心は動かない。すでに去年、イース国を狙った戦いで敵を手にかけてはいる。だから今更だった。
それにこいつらは敵だ。イリスちゃんを殺そうとした絶拒な敵だ。生きてる価値もない。だから殺した。それだけ。
それでもまだ前に立ちはだかる敵の群れ。
なんで。なんで邪魔するの。どいてよ。無駄なんだから。こんなことしても。無駄だから!
「私とイリスちゃんの、邪魔をするなぁぁぁ!!」
叫び、斬り、突き、そして進む。
敵がどうとか味方がどうとかどうでもいい。ただ邪魔するのは斬り倒す。それだけ。
「おおっ、ラス隊長に続けっ!!」
それを見た兵たちが奮い立ってさらに敵を斬りたてていく。
ほんの十数秒。人数にして3人を斬ったら抜けた。
敵の軍勢は後ろの皆が倒してくれる。
それより戦況は。ううん。イリスちゃんは!?




