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第75話 春よ来い

 振り向いて見れば、生徒たちをかき分け、ラスがこちらに向かって駆けよってくるのが見える。


「ラス!」


 こんな状況下。顔見知りにあっただけでもホッとした。

 そしてこの原因もきっとラスなら説明してくれるはず。


「あのね! 皆、噂してるの。イリスちゃんが対ザウス国との戦線に立ったって。それで見事、ザウス国を追い返したって!」


 興奮気味にまくし立てるラス。

 あー、その件か。


「たぶん皆、驚いてるんだよ! ここにいるのは皆、軍人か政治家志望だからね。いーなー、っていう憧れと、先を越されて悔しいっていう憤慨」


「なるほど」


 そういえばここって名門か金持ちの子弟が通ってるとか言ってたな。

 ゆくゆくは軍人か官僚。

 そんななか、大人に混じって活躍してしまった僕を見る目が変わったというのは納得できる話だ。


「でもさでもさ。噂だとただ従軍しただけじゃなくて、イリスちゃんが立てた作戦で敵を追い払ったって、本当?」


 と、ラスが声のトーンを落として、耳元でささやく。

 ラスの生暖かい吐息を耳に受けて、ちょっとゾクッとしたのは内緒だ。


 これは来たか。

 ついに僕の時代が。


 いやいや待て落ち着け。そんな自らの手柄を吹聴ふいちょうするような器の小さな男に僕は生まれたんじゃない。いや、でも今女の子だし? 少しくらいは見栄張ってもいいんじゃない? てか輝くこそ今、って感じで。まぁ確かにちょっといやらしい感じだよ? はっきりと聞かれたわけじゃないのに、自分から言い出したみたいで。ラスも気が利かないよなー、もっと大っぴらに聞いてくれたらいいのに。


「でもだったらすごいよね。イリスちゃん。この国を救ったってことなんだから!」


 はい、これ決定。そんなこと言われちゃったらさー、もう言うしかなくない? 増長してる? 増長して何が悪い! あんな死とすれすれの怖いところ行ったのを言いふらして何が悪い!

 だって、周囲の視線もより濃度を増し、皆が固唾をのんで僕の次の言葉を待っているわけだし。ここで何も言わなかったら、視聴者を裏切ることになる! うん、自分で言ってて意味が分からない。

 けど、その時の僕は少し舞い上がっていたのも確かで、


「ま、僕にかかればあれくらいちょろいもんだけど」


「わわわ、本当だったんだ~! え、でもなんで!? あ、もしかしてタヒラ様!? すごいな~、偉いな~! 本当にありがとう! イリスちゃんのおかげで、私たち、助かったんだから!」


「え、マジだったの?」「すごくない?」「うわっ、オレ今鳥肌立ったわ」「てか変わったよなー、あのイリスっての」「そーそー、ちょっと前まで超怖い感じだったのが」「ふっ、僕は前から気づいていたさ。彼女の凄さを!」


 あー、ヤバい。

 これは快感になる。人に見られることじゃなく、人に褒めたたえられることなんで、ただのいち社会人にはハードルが高すぎる。スポーツやら勉強やらで秀でていないと。

 けどここではただ、ありのままの僕が賞賛されている。全校生徒が羨望のまなざしで僕を見ている。


 確かに僕のやったこと自体は褒められたことじゃない。人殺しなんて間接的でも最悪の所業だ。

 けど、それによって救われた人がいるのも確かで、その救われた人の中に、少しくらいは僕が入ってもいいんじゃないかと思う。


 というわけで周囲からは羨望のまなざしを向けられ、横にいるラスはすごいすごいとピョンピョン跳ねる異様だけど素晴らしい光景は――


「いつまでそんなところでたむろしてますの? 羽虫か何かですか?」


 冷や水を浴びせるその一声で終わった。


 確認するまでもない。このお嬢様口調に少し癇に障る言い回し。


 カタリア・インジュインが、校門のところに佇んでいた。

 両サイドにはいつもの2人が格さん助さんのごとく控えている。


 ちょうどいいところに。

 彼女にはお礼をいいつつ、今のこの状況を盾にちょっぴりマウントでもとっちゃおうかなー。

 そんな思惑は――


「あら、そこにいるのは学校をバックれて従軍した挙句、戦場の恐怖で帰国後も引きこもり。挙句の果てにはわたくしに泣いてすがる醜態を見せたイリス・グーシィンではありませんか」


「え?」


 今、なんつった?


「あ、いえ。違いましたわね。頭では考えても全く行動ができない、頭でっかちで嘘つきで臆病者で泣き虫の方でしたわね」


「何も変わってないけど!?」


 あー、そうだ。こいつこういうやつだ。

 そして自分の影響力を認識して、それを最大限に利用するやつだ。


「え? ってことは嘘?」「ないわー」「ちょっとでも感謝したのが間違いだったわ、最低っ」「ふっ、僕は前から気づいていたさ。彼女は嘘つきだと」


 ヤバい。僕が作り上げた『僕って超すごい週間』が一瞬で落日に染まる! 三日天下ならぬ三分天下になりかねない!


「違う! 僕はちゃんと従軍したし、策も立てた! 軍も動かしたし、将軍とも知り合いになった!」


「はて? そんなこと、軍部ではまったく知りませんけど? これは、頭でっかちで嘘つきで臆病者で泣き虫に加え、虚言癖を追加しなければならないですわね」


 くっ、そういうことか。

 彼女のインジュイン家としては、敵対するグーシィン家の僕が功績を立てた、なんてことは握りつぶしたいのだ。

 僕が作戦を立てた場所は、一般の兵が入り込めない閉じた空間。そこで何が起こったかも外には漏れないし、そもそも僕が従軍したのも例外的なもので記録には残らないだろうし、実際の現場では将軍に進言していたくらいだから、僕の功績にはなりがたい。


 けどここで僕が折れたら、今日から僕は頭でっかちで嘘つきで臆病者で泣き虫で虚言癖の痛いやつだ。

 なんとしてでも誤解を解かなければ。


「僕が考えた! だから今回の作戦を一から十まですべて言える」


「それが誰に分かりますの? 軍事作戦は秘中の秘。何をもって正解とするか誰も分かりませんわ。そもそも、終わった後にそれを言ったところで、誰が信じますの? 結果をなぞるだけの言葉など、真実には一片たりとも意味をなしません」


 だからそれが真実だっての!


「ならタヒラ姉さんを呼んでくれ! 姉さんなら分かってくれる!」


「身内の証言など。いくらタヒラ様とはいえ、証言を採用するわけにはいきません」


「なら将軍、いやクラーレ! 彼女ならきっと!」


「ひと様の姉君を呼び捨てとはいかがなものかと思いますが? それに姉さまはまだ新領地に駐留しております。たかが学生の口論などのために呼び戻すなど……恥という言葉、知っています、あなた?」


「ぐっ……ぐぐ」


 まずい。形勢は完全に劣勢。

 だが証拠も何もない状況で言い募っても不信感が増すだけで何のメリットもない。

 ならここは――


「ほらー、お前らー! いつまでそこでくっちゃべってるんだ! さっさと教室に行け!」


 と、そこへカーター先生が割り込んできた。


「む、イリス・グーシィンか」


「あ、はい。お手数かけました」


「……あとで理事長室に来なさい。色々と、その、理事長が話があると」


 理事長が?

 何が、と思ったけど、それによる変化が起きた。


「理事長が?」「え、じゃあ本当?」「いや、でもカタリアが言ったことも間違ってなさそうだけど」「くっ、僕には分からない。真実は、どこだ!?」


 周囲の反応が変わっている。

 今やもう僕に対する敵意という手のひらクルーズを見せた生徒たちが、真か偽か判断がつかないところまで落ちてきている。


 カーター先生の方を見ると、ニッと笑顔を見せてきた。

 まさかわざと? 僕を助けるため?

 ヤバい、ちょっとイケメンだ。心臓がどきどきする。まさかこのトキメキ、先生に――って僕は男だっての!


 …………劣勢に立たされて余裕がなかったってことにしよう。


「命拾いしたわね」


 散っていく生徒たちの中、僕の横を通り過ぎるカタリアたち。その際に彼女が言い放った一言だ。


 こいつ……いい奴だけど苦手だ。


「まったく、久々に来たと思ったら朝っぱらから問題起こして」


 カーター先生が、まるで教師のような――あ、教師だ――ことを言う。


「すみません」


「え、じゃあイリスちゃんは本当に?」


「ま、そこらへんは色々国の事情が重なってくるからな。お前らもあまり言ってくれるなってお達しだ」


「……はい」


 無理して背伸びした結果がこれだ。

 やっぱり慣れないことはするんじゃないな。


「ちなみに理事長が呼んでるのは本当だからな。授業前にさっさと行ってこい」


「あ、はい」


「その……色々あると思うが、頑張れよ」


「?」


 苦虫を3匹くらい噛み潰したような表情のカーター先生。

 なんだろう?


「じゃあ、イリスちゃん。また後で」


 ラスが校舎へと走り去っていき、校門のところにはもう僕しか残っていない。


 はぁ……なんか朝っぱらから疲れたぞ。帰りたい。


 そんな気持ちがよぎったけど、理事長に呼ばれてるみたいだし、ここで逃げ帰ったら何を言われるか分からない。

 だから仕方なく校舎の方に歩こうとして――


「?」


 視線を感じた。

 誰もいない。いや、違う。遠くに1人。


 少し離れた木陰に男子生徒。誰だ。遠目で分からないが……あ、いや。知ってる。というか身内だ。


「トルシュ、兄さん?」


 そこにいたのはグーシィン家の次男でイリスの兄、トルシュ・グーシィンだ。

 あまり話したことがない、というか一方的に僕を嫌っているらしい彼が、なんであんな離れたところで僕を見ている?


 声をかけようか、と思った瞬間にはトルシュ兄さんは僕から視線を外して踵を返して行ってしまった。


 なんだったんだ。

 そう思うほどに、もう1人の兄は謎に包まれていた。

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