挿話68 項羽(ゼドラ国将軍)
矛を突き出す。それを相手は皮一枚でかわし、こちらに剣を振り下ろしてくる。
それを矛を回転させて石突きで弾く。本来ならそこに矛を叩きつけて終わるはずだが、相手はそれを察知してか、上手く手綱を捌き反動を逃して左へ移動する。
攻撃の剛勇。
防御の柔軟。
この女。女か。上杉謙信とか言った。
細身で小柄な体躯。長いはずの黒髪は布で覆い包んでいる。あるいは虞(美人)に似ているとも思えてしまう。いや、虞の方がもっと愛らしい。所作も素晴らしい。それなのにそう感じてしまうのは、未だに会えぬ未練か。ふん、なさけない。
だがこの女の剣捌き、手綱捌きはかわいらしさの欠片もない。
昨日戦った関羽とかいう男は、その長身と武威はすさまじいものだった。その長大な戟のようなものを枯れ枝のように扱い、こちらの攻撃を空中で受け止めて弾こうとするのだ。
後で聞けば、呂布の不俱戴天の仇とも言える男で、呂布と互角の戦いを繰り広げていたという。それも納得の武威だった。
この女は違う。
関羽のように一刀一刀が重いわけでもない。こちらの斬撃を受けるわけでもない。だが速い。切り返し、反撃に移るまでの時間が圧倒的だ。
しかもこちらの方が射程距離は長いにもかかわらず、懐に飛び込むまでが速い。それがこの女の体の小ささもあるが、手綱捌きによるものだというのははっきりしている。
並みの男なら三合で腹を割られているだろう。
あの関羽とは違う、また面白い敵だ。
ま、俺の敵じゃあないがな。
「ふっ!!」
騅に手綱で伝える。
左に移動する上杉謙信に向かって、騅が踊るように脚を運ばせる。その時に起きた回転を使って、横なぎの一撃を相手に叩きつける。
手ごたえ、なし。
上杉謙信はさらに左へと加速して俺の矛を回避した。そこからこちらに向かって一気に距離を詰めるつもりだろう。だが悪いな。俺の狙いはそこじゃない。
「力抜山気覆世(力は山を抜き、気は世を覆う)!」
振り切った矛。それは地面を狙う。叩きつけた。同時、爆発が起きた。地面を破壊するほどの衝撃が、土くれを飛翔させる。俺と逆方向。上杉謙信の方へ。
「ちっ!!」
舌打ち。同時に刀が舞う。
飛ばされた土くれを、上杉謙信が刀で切り落としていく。自分と、特に馬に致命的なものだけを選んでの防御。とんでもない目の良さと度胸の良さだと分かる。
「跳べ、騅よ」
俺の声に応えて騅が跳ぶ。
それは上杉謙信の頭上。飛来する土くれを防御するのに勢いの止まった女の上。反応が遅れ、理解が遅れ、迎撃が遅れる。合わせて三瞬。それは俺が敵をぶちのめすのに十分すぎる時間だ。
「散れっ!」
捉えた。
相手の反撃よりこちらの矛が相手を真っ二つにする。
そう感じた刹那だ。
「多聞帝釈宝鉾―夜叉―!!」
光が周囲を包んだ。
「っ! なんの光!」
それでも矛を振るった。それが何か、金属のようなものに当たる。上杉謙信の刀なら、そのまま叩き折って頭から真っ二つにするはずの斬撃。だが動かない。いや、逆に押される。なんだこの力。この圧!
「毘沙門天の業! とくとみよ!」
「舐めるな!」
強引に押し返す。手綱を握った左手を矛に添えて両手で押す。
俺が押されるだと!? こんな貧弱な女に! そんなことはあってはならない。だからここで一気にけりをつける。それだけのこと。
「ぬぉぉぉぉ!!」
「はぁぁぁぁ!!」
ギリギリ、ガリガリと金属がすれる音が響き、それが頂点に達した時――
ギィィン!!
激しい音。そして衝撃。光。すべてが爆発して俺の体を、騅ごと吹き飛ばす。
いななきをあげて、たたらを踏みながら騅が着地する。
「無事か、騅」
ぶるん、と鼻を鳴らして応える騅。どうやら無事のようだ。
目がくらむ。光を浴びたせいか。
この間にこられたら負けるな。そう思った。
ふっ。俺が弱気になるか。
それほど今の衝撃は、これまでの戦いとは違う次元に押し上げられたようで、どうも落ち着きがなくなる。
次第に目が慣れてきた。
俺の矛は半ばからなくなっていた。どこかへ斬り飛ばされた。あるいは消えてなくなったのかもしれない。
上杉謙信も無事だった。
10メートルほど離れた位置で刀身の消えた刀を眺めている。
「小豆長光が……。ふん、兄上との良き思い出、そして甲斐のクソジジイの嫌な思い出と共に休むがいい」
何を言ったか分からない。だが、刀に対するどこか愛着心といったものを感じた。
武器は道具だ。それ以外の何物でもない。折れれば次。そうなのだが、どこかこの女とは感性が違うように思える。
俺と上杉謙信の激突が終わりを告げたのを見た兵たちが、互いの敵と距離を取って2つに別れていく。
あるいは先ほどの光が戦闘を一時中断したのかもしれない。
いや、それ以上の事情もあった。
「コウ将軍、そろそろお時間です」
背後から兵が近づいてそう告げた。
ああ。そういえば陽が山にかかるまでという話だったか。この強襲を行うと決めた時、白起はそう時間制限を設けた。もう半分ほど陽は沈んでいる。
白起は今どこにいるのか。分からない。分かる必要もない。
あの男は勝手にやって勝手に戦果を挙げる化物だ。逆に俺は暴れさせてくれればいい方だから、勝手に使いたければ使えばいいというくらいだ。
俺としてはこの上杉謙信とやり合えた。それだけで今は十分だ。これ以上の
「コウ将軍、どうやらハク将軍はすでに退かれたようです」
「そうか。なら俺らも退くか」
ここで一気に突っ込んで全てを終わらすという思いはない。
これがあの腐れ亭長(劉邦)や股くぐり(韓信)の連中なら問題はない。500でも十分にかき回して奴らの首を刎ねてやる。
だがここにはこの上杉謙信や関羽といったメンツがいる。そしてあのイリスという子供。
一対一で負けるはずもないが、さすがにあれらが集まられたら厄介だ。それくらいの分別は俺にもある。負けないがな。
「お前らは先に退け。俺が殿(最後尾)をやる」
「……はっ!」
将が殿をやるなど愚劣の極みとでも言いたそうな目をしている。だが口答えは死だ。白起からそれは徹底されているから、兵たちは何も言わずに撤退にかかる。
「おい、お前の槍を貸せ」
「はっ!」
兵から槍を奪った。ふん。細くて弱いな。ローカーク門に戻ったら新調するか。
「項羽、逃げるのか」
上杉謙信が一歩、前に出て言う。
静かに、だがはっきりとした声色。悪くない。耳当たりのいい声だ。
だがそれで止まる理由にはならない。
「逃げるんじゃねぇ。見逃してやるんだよ」
「…………」
おうおう。こいつはとんだ熱視線じゃねぇか。女にそういう目を向けられるのは悪くねぇ。
それが殺意だとしてもな。
「時間切れってことだ。また遊んでやる」
そう言って相手に背を向けて、騅を走らせる。
追いかけてくるか? いや、来るだろう。そうなったら最後にもういっちょ遊んでやる。それはそれで楽しみだ。
だがその時だ。
右手に騎馬隊が見えた。
なんだ、あの騎馬隊。白起、じゃねぇよな。
こちらに向かって来る。はっきりと、敵意と殺意を持って。その先頭。小柄なやつ。女。
「おい、迎撃だ!」
だが遅い。その騎馬隊は先頭の辺りに横から突っ込み、そのまま一気に左に抜けた。
速い。食い破られた。
しかもさらに右手から歩兵の集団が見える。挟まれたのか。先頭の馬鹿が。油断しやがって。
右の歩兵と左の騎馬隊。
どっちか。当然、左だ。
突っ切った敵は弧を描いてこちらに馬首を向ける。
その先頭。先ほどの小柄な兵。いや、あの顔。金色の髪。幼い顔立ち。覚えてる。帝都で好き勝手やってくれたやつ。呂布に目をつけられ、今回も白起が殺そうと罠を張った奴。その罠を食い破ったのか。なら白起は……いや、いい。今はこの女をどうするかだ。
「項羽!!」
「イリスのガキか!」




