第93話 天を衝く
姉さんが馬から落ちた。
その時、夕陽に照らされ何か水が舞った。
それは、夕陽に照らされて赤いのか。それとも元から赤いのか。
それが理解できなくて、それを理解したくなくて。頭から全てを締め出す。
いや、ただ1つ。
これだけはもう。
本当に―ー
「お前、もうマジでふざけんなよ……」
白起!
お前はどれだけ殺めてきた。
お前はどれだけ奪ってきた。
お前はどれだけ潰してきた。
なにが目的か分からず。
なにがしたいか分からず。
なにを考えてるか分からない。
「なんなんだよ、お前は!」
得体のしれない。
まったく未知の生物と思えるほどに、人間から程遠いほどに理解できないもの。
人間は根源的に理解できないことを拒む。暗闇しかり、自然現象しかり、怪異しかり。
だから人間はそれを説明するために、理論を唱え、学び、知恵をつけてきた。そうやって人間は恐怖と戦ってきた。
だがそれでも説明できないものがある。
技術を越えた何か。科学で説明できない何か。人智を越えた何か。
そして、人間には理解できない人間。
それはもう。
魔か神か。
そう人は呼ぶのであって。
「違うっ!」
そうだ。違う。
この人は。この男は。
古代中国において、数々の武功を立てた英雄ではあるけれど。
それは逆に言えば。今の僕たちのような敵側から見れば……100万規模の人間を殺した最悪の人殺しでしかないわけで。
やはりまだ僕の中に、白起という名前に対する敬慕と恐れの感情があったのだろう。
けどもうだめだ。やりすぎた。この男。一線を、踏み越えた。
そんな甘い覚悟で戦場にいたのかと思うほどだけど、それとこれとは話は別。
だから――
「認めない! 僕は、お前を認めない!」
赤煌を振る。それを白起は剣で受け止めた。姉さんの血を吸った剣で。
火花が散る。そして、血が。弾ける。
「数十万の骸の果てでしかなく、残るのは人の形をした物体。つまり全ては結果なだけだ」
「なにをっ!」
「私は王のためだけに戦い、私のためだけの戦を奏でるのみ」
「ふざけんな!」
こいつが来なければ。
こいつがしなければ。
こいつがいなければ。
こんな無駄な戦いはなかった!
――本当にそう?
ぞくり。
頭に響く一言。それは誰の言葉か。いや僕じゃない。
頭はかっかと熱くなっているのに、全てを凍らす魔の一言。
いや、構うな。
今はこの男。白起を確実に葬る術を考えろ。
赤煌をひたすらに乱打。白起があのスキルを使って来る前に勝負をつける。
激突。そして激突。
これほど強いとは思わなかった。いや、それは僕の力が足りていないのか。
それでも圧倒とまで言わないけど押している。僕が白起を押している。
だがそこで違和感。
なんだ。なぜこうも押せる? 昼は互角、いや押された。そこを謙信さんに助けられた。
いや、そうだ。あの時。あれは白起のスキル。それで僕のスキルが打ち消された。だから負けそうになった。
だが今はそうじゃない。使ってこない。使えない? なぜだ。理由は。何かあるのか。
「――そんなことはどうでもいいよなぁ!!」
そうだ。使われないならこのまま押し切る。
周囲の敵は皆が押さえている。ここでは数の上では優勢だ。
「イリス様! 敵の新手が!」
「その前に白起をやる!」
「小癪――」
「じゃねぇ!!」
白起の剣を払う。快音。折れた。白起の剣が。宙を舞う。このまま赤煌を叩きつければ僕の勝ちだ。
それでも白起の眼は死なない。
折れた剣を投げてきた。そして白起は折れた剣。その刀身を空中でつかむのが見えた。
飛来する折れた剣。それを避けるなり弾くなりすれば、その隙に白起はその折れた剣を僕の腹か首に突き立てるだろう。
全てを犠牲にしてまで最後まで勝利を目指す。
その威に体が一瞬竦む。
一瞬だけだ。
咄嗟に投げられた剣を弾かずに受け止めた。左腕に激痛。そのまま赤煌を振る。突き出された剣。それを手にした右腕を砕く。メキッともバキッとも響く音が腕に伝わる。
「っ!!」
白起は無言で左手を腰に回した。そこから短刀を取りだすつもりだろうが、その前に赤煌を返す刀で左腕を砕く。
それで白起は戦う術を失った。
あとは脳天に赤煌を振り下ろすだけ。
それでこの戦いは終わる。ゼドラも頭を失い崩壊する。勝つ。勝って、すべてが終わる。
殺す。
この男。
それで。
全てが。
「ハクキ様!!」
途端。真横からすさまじい衝撃を受けた。敵の増援がなだれ込んできたのだ。
味方に押される形で馬体が横にずれる。その分、白起の体ともずれる。いや、まだ行ける。ぶっ潰す。それで全てが――
打ち砕いた。
あの顔を。
美しく、怜悧でどこか人形のような寒気さを持った。白起の頭を――
「くっ……」
白起が下がる。
なんで。頭を叩き潰したのに。なんで動ける。
違った。どういう見間違いだ。
打ち砕いたのは白起の左肩。肩あてを砕き、その内にある皮を、肉を、骨を砕いた。
だが命は砕けない。
「将軍! 怪我を!」
「大事ない。このままあの娘を押し包み、殺せ」
「……は、はっ!!」
両腕を砕かれ、今また左肩を砕かれたというのに、どうしてそこまで感情を殺せるのだろう。まるで何事もなかったように、まるで他人事のように、まるで無感動なように、兵にそれを告げると白起は馬を返して左手、敵の増援の背後を通ろうとする。
「待て、白起!」
逃すわけにはいかない。
重傷だろうと、戦闘不能になろうと、生きている限り、かの男の脅威は揺るがない。
だから今のうちに。今、討てるうちに討つ。それができなきゃ、犠牲に見合った勝ちがない。
敵は1500弱。
それも乱れた状態で、白起を逃がすために乱れに乱れている。
それを突破して、もはや戦闘不能になった白起を討つ。それはそこまで難しいことじゃない。
「『閻魔流奥義! 軍神・V2』……」
これを使えば。
残り寿命がいくつか。もう忘れた。これを使ったらもう後戻りはできない。数日のうちに死ぬ。いや、使った途端に死ぬかもしれない。
けどここまであいつを追い詰めて、姉さんを殺されて。何もせずに帰すことなんてできない。
そう考えると、もう止まらない。
だから――
「発――」
何もかもを――
「ど――」
なげうつ――
「イリ……リ」
その刹那だった。
声。いつも聞いていたあの声。
だけどとてつもなく弱々しい。戦場の中ではかき消えそうな声。
それでも聞こえた。はっきりと聞こえた。
「ダメ、だよ」
姉さんが地面に倒れ、虚ろな目をした姉さんが。
「なんか、分かんないけど……それは、ダメ」
そう言って、僕を静かに見つめていた。
僕はその瞳から動けることはできなかったんだ。




