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挿話65 タヒラ・グーシィン(イース王国将校)

 はじめは、イリリのことが嫌いだった。

 四兄弟の末っ子。

 ましてや、母親が違うというのに、彼女ばかりがちやほやされていたからだ。


 まぁ正直、その時のころはあまり思い出したくもない。

 5歳以上も下の妹に嫉妬していたんだから。三男のトルルンじゃないんだから、いい加減にしてよって話。


 それが変わったのは彼女が1歳になる前のころ。

 パパが仕事で帰らず、ヨルにぃは学校の行事で外泊。執事たちも一時の休暇でほぼ出払ってしまった時があった。


「一晩ならタヒラならできるだろう」


 ということでまだ赤子のイリリの世話と、トルルンの世話を押し付けられた。

 といってもトルルンは大人しい子で、ずっと本を読んでたようなものだから放っておいてもよかった。


 けどイリリは違う。

 子守なんてどうすればいいかわからないままに放り出されて、とりあえず教わったオムツの代え方とミルクを飲ませることだけはやってやろうと仕方なく思っていた。

 ただ想像以上にそれはハードワークで、こんな時にいない皆を呪ったものだ。


 夜泣きをしてその対応でへとへとになったあたしは、イリリの寝台の横で疲れ果ててうたたねしていた。

 あたしが疲れてるのに、イリリはきゃっきゃと笑って楽しそうで、それが何より不快だった。

 いっそこの細い首をへし折ってやったら、皆どう思うだろうと考えもした。そのころにはすでに武道と剣については大人顔負けの実力になっていたし、それほどまでにイリリの首は小さく細かった。


 あたしのそんな心境も構わず、笑い続けるイリリ。

 それが笑顔ではなく、嘲笑のように思えて本気で殺意を覚えた。


 多分、あたしは妹を、赤子を殺した最悪の殺人鬼になっていただろう。


 ――あのことがなければ。


「あーうー」


 言葉にならない声を出して、イリリがこちらを見た。そこにあるのは純なる瞳。そこに映る自分の姿。

 それがなんとも子供心に恐ろしく思ったのはなぜだろう。とにかくあたしはイリリに見つめられて動けなくなった。恥ずかしい話、イリリに気おされていた。

 殺そうとする自分のことを見守るような……いや、1歳にならない赤ん坊にそんなことは分からないだろう。けどその時のあたしは間違いなくそう感じていた。


 それから不意にイリリが手をこちらに伸ばしてきた。空を掴むように、何度も何度もこちらに伸ばす。

 それが何を求めているのか分からず、ただ漠然とイリリのその手に、自分の手を伸ばした。


 するとイリリはあたしの手を掴んだのだ。

 掴むというにはあまりに弱々しい力。あまりに小さすぎる手。あまりに温かい熱。


 その時、あたしは初めて赤ん坊の意味を知った。

 この小さくか弱い存在は、守らなければ死んでしまう。死んでしまうということは、この熱も失われてしまう。それが本能的に分かった。


 それからあたしは彼女の手を、弱々しく握りしめて泣いた。何かわからないけど泣いた。悲しくないはずなのに。泣く必要はないのに。


 それからイリリのことはずっと見てきた。


 身長と共に心も育って……一時期、ちょっと自暴自棄な時もあったけど、軍に入ってずっと見ていられるわけにはならなかったけど。ずっと見てきた。


 守ろうと思っていた。

 軍に入ったのも、守りたかったからだ。


 それが去年。イリリが軍に入った時には嬉しく、同時に怖かった。

 彼女が死と直結する場所に身を置くなんて。あたしはそのために軍にいるのに。あなたがなぜ。


 けど彼女はすごかった。

 彼女がいなければ、今頃イース国はなく、あたしやパパ、ヨルにぃやトルルンもこの世にはいなかっただろう。


 それでも不安だった。怖かった。

 彼女の功績は誰もが疑いようがない。ただそれを成すために彼女は命を削っている。そんな風に見えたから。

 最前線に立って、自ら戦う。そんな姿に皆が憧れ、同時に恐れを抱いた。


 あたしも怖い。


 彼女がいつか。

 取り返しのつかない傷を負ってしまうのではないか。


 それが怖い。

 あの力が。手が。熱が。失われてしまうのは。


 だから決めていた。

 彼女が本当に危なくなる。その時にはあたしが先に死ぬと。

 年齢的にもそれが正しいし、死を恐れることはない。


 だって、それがあたしの生きる意味だから。

 イリリのため。パパのため。ヨルにぃとトルルンのため。家族のためなら、死ぬのも怖くない。


「狙いはお前だ、異物」


 反転した敵が迫る。

 さらに反対側からもう1千強ほどの騎兵が来るのを横目で見た。


 められた。


 敵の狙いを瞬時に理解した。


 この強襲。すべてはイリリが狙い。

 まさかという思いと、当然という思いがないまぜになって沸き上がる。

 それほどまでに、敵に命を狙うまでにイリリが成長したというのは嬉しくもあり、悲しくもある。


 思えば昨日から今日に続けて2回。敵の総大将を追い詰めた。

 いや、それはおそらくそれ以前の、帝都での攻防でもイリリは敵の邪魔をし続けた。

 相手からすれば、殺してやりたいほど憎い相手だろう。


 狙われる。イリリが。

 そして敵。イリリがハクキと呼んだ。総大将だ。


 ――なら、ちょうどいい。


 イリリの身を守り、

 敵の総大将を殺す。


 それなら、この命。

 安いものでしょう。


「ふっ!」


 前に出る。

 イリリは突然のことに思考が止まっているらしい。馬の速度も落ちた。だから抜くのは簡単だった。


 目の前。敵の総大将。ハクキ。

 この男を殺す。それで終わり。イリリも守れる。それで終わり。


「全身全霊を賭けて。あんたを殺す!」


「やってみろ」


「ダメだ、姉さん!」


 イリリの叫び。

 止まらない。止められるはずもない。


 熱が体中を駆け巡る。口が開く。熱を外に逃がすため。そして――笑うため。


 強い。これほど強い敵。初めてだ。

 だから嬉しい。英雄だなんだと祭り上げられることはどうでもいい。ただ戦う。皆を守るため。強敵を倒せば、皆を守ることにつながるから。


 だから――


 敵の剣が来た。


 こっちも剣を振るった。


「――っ!!」


 痛みが走った。

 けど思ったほど痛みはなかった。だから剣を振った。相手の首。取った。けどずれた。ずれて、相手の胸を切り裂いた。浅い。鎧を両断したものの、皮一枚だ。


 ならもう一撃。

 そう思ったからだがふらついた。


 何か体に当たった。地面だ。地面が縦に見える。

 馬から落ちた。ようやくわかった。


 痛みはない。

 痛みはないのに動かない。


 けどそれはもう。

 痛みを感じることもないほど致命的なものということかもしれなくて。


「白起!!」


 イリリの声。

 これまで聞いたことのないほど、怒りに狂っている。


 ああ、ダメだよ。

 イリリは、綺麗なんだから。

 そんな怒っちゃ……ダメ、だよ。

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