第92話 反転
上杉謙信の500騎ほどが一直線に、敵軍の先頭目指して突き進む。
誰かが来るとは思ってたけど、まさかの相手すぎた。てかなんでここに? 謙信のいるエティン軍は僕らのエリアとはほぼ反対だったのに……。あるいはかぎ取ったのか。圧倒的な武の化身の気配を。
まぁなんにせよありがたいからいいけど。
僕1人で白起と項羽の2人を相手にするのはさすがに無理がある。ここでの軍神の助太刀はありがたい。
突如現れた上杉謙信、それに反応したのは敵の半分。たった500。
ただそれが項羽によって率いられる500ならば話は変わる。
軍神・上杉謙信と覇王・項羽の一騎討ち。
これほどの好カードはないだろうと、ただの観客ならばその成り行きを見守りたいものだけど、今の僕にとっては生きるか死ぬかの戦場。
のんびり観戦している場合じゃないし、敗北イコール死というこの場では見ているだけなんてことはできない。
ただ、そうもしている場合でもない。
切り離した半分。ということはもう半分はどこだ? 残り半分。つまり白起の率いる500。
いない。そんな馬鹿な。
今の一瞬で、視界から消えるなんて。まずい。陽が沈み始めて視界が悪くなる中。精鋭500騎を見逃すのは圧倒的にヤバすぎる。つまり鎖を放たれた猛獣がそこらに放し飼いされているようなもの。
一瞬の隙を突かれれば、首が文字通り飛んでるなんてこともある。
いや、それ以上にヤバいのは――
「イリリ!」
姉さんの声に意識を呼び起こされる。
その視界の方向。
あるのは陽の光。いや、火の光。炎だ。燃えている。陣が。
その方向へ駆ける馬群。白起。間違いない。
突如現れた上杉謙信に対し、真正面から受け止める動きを見せた。その激突を隠れ蓑にして一気に離脱したのだ。線対称に動いていたから部隊の激突がちょうど視界を遮るようになったのを見越してのことだろう。
「くっ! 追う!」
「当然!」
馬を走らせる。駆け足から一気に疾駆へ。
距離は遠い。こちらが迷った分だけ離されている。何より相手も疾駆だ。縮まらない。むしろ相手の方が馬がいいのか、引き離される。歩兵の900はさらに遅れる。
完全にやられた。
上杉謙信との激突を隠れ蓑にした動きだけど、それがなくても僕を釘付けにして陣に突入しようというのは決めていたことだろう。それによって起きるこの時間差。その間は1分にも満たないが、それでできることは多い。
戦っている場所に後ろから奇襲。
陣幕に火をかける。あるいは兵糧を焼く。
そして――一気にこちらの心臓を射抜く。
そう、皇帝の暗殺だ。
いや、軍による襲撃だから暗殺というのはニュアンスが違って来るのかもしれない。
それでも1分あれば事足りる。
さっきは間に合ったけど、今回も間に合うかどうか。外側への警戒を強めているところから、内側から襲われればもうどうしようもないだろう。
さっきは護衛の犠牲と敵から逃げるという抵抗の時間があったが今回はそれもない。
だからこの失策。
白起を見失った僕の失策。
それを取り戻すためにひたすら駆ける。
これで馬がつぶれてもいい。それほどにこの1分が重要。
「イリリ、このままじゃ馬が……」
「それで皇帝が無事ならいい!」
「……分かった」
姉さんも事態の深刻さを感じたらしい。必死に馬を駆けさせる。
その願いと必死さがあってか。
徐々に白起の部隊との距離が縮まっているように見えた。
あと少し。
追いつく。
行かせない。
やらせない。
さらに距離が縮まる。
行ける。
だがここで僕は気づくべきだった。
本当に追いつけているのか。
なんで追いつきそうなのか。
乗り手の気合や根性が、馬の速度に作用する。そんな非科学的なこと。そうあるはずないのに。
だからおかしかった。
それに気づいた時にはもう遅かった。
白起に追いつく。
――その敵の騎馬隊が、急に反転した。
「は?」
何が起きたか分からない。
気づいた時には一番遠く、先頭を走っていた白起がこちらに顔を向け、先頭にいて向かって来るのだ。
まるで手品を見せられたように。
まるで幻影でも映されたように。
現実感がないフェイク。姿のない虚構。
白起が剣を抜くのが分かる。
それでもどうすればいいのか分からない。いや、現実なのかとまだ疑っている。
「イリリ!!」
タヒラ姉さんの叫び。
それでようやく動く。ただ衝撃からは立ち直れず、ただ馬上で赤煌を片手に構えただけだ。
「かかったな」
白起の声が風に流れてくる。
それほどに近づいている。圧倒的な加速度で近づいてくる。
「狙いはお前だ、異物」
「っ!!」
白起の銀色の剣が煌き――




