挿話64 巴御前(ゼドラ国将軍)
「お待ちを! お待ちください、白起様!」
必死に前を行く白起様を追いかける。
だが打ち砕かれた右肩が痛んで走りづらい。包帯で吊っているが、それを見た白起様は、
「……そうか」
とだけそれ以上の反応はなかった。
忌々しい。あの小松と言ったか。よくも私に恥を……。
いや、私の恥はどうでもいい。今は白起様。
ローカーク門に全軍を戻したのはいい。ただ、夕陽が傾きだしたころ。私たちが怪我の治療と、兵たちの管理に構っていると、白起様が奥から出てきてそのまま部下を率いて外に出ようとしたのを発見した。
「白起様、一体どこへ?」
「決まっている。敵は殺す。それが戦場だ」
「む、無茶です! そもそも白起様は昨日のお怪我が……」
あの蛮族の王とかいう敵に噛みちぎられたという右肩。半日で治るはずもない。
その状態でよく敵の本陣を攻め、それで敵将2人をいなしてきたというのだから、やはりこのお人は凄い。
凄いけど、だからこそ心配だった。
「関係ない」
「か、関係ないことは……」
なんだ。おかしい。どうも今の白起様は何かを急いでいるように見える。
おそらく昨夜。あの河井を斬った時に何かを言われた。それからどこか白起様の様子がおかしい気がしていた。
それでも今朝、起きた後の白起様は特に問題は内容に見えた。いつものように落ち着いていて、朝食の後の軍の動かし方も綺麗だった。
ただ、実はその時点で少しおかしかったのでは。今振り返ればそう思う。
いつもより顔色がわずかに悪く、どこか思いつめたようなこのお方を。いつも通りと思ってしまった目はどれだけ節穴か。
くっ。しっかりしなさい、巴!
とにかく今は白起様を抑えなければ。この時点での夜襲は危険すぎる。いや、夜襲にもならない時間帯だ。昨夜の夜襲も含めて、ほぼ休む間もなくずっと戦い続けているのは、兵だけでなく白起様の体調にも大きな影響を与えるだろう。
だから私は白起様の前に回りこみ、両手を広げて白起様の進路を妨害した。
「白起様」
「……どけ」
「何を焦っておられるのです?」
「焦る?」
「はい。今の白起様はどこかおかしい。何かを焦っているように見えます」
「私は冷静だ。焦ってなどいない。どけ」
「しかし――」
「どけ」
その言葉に咄嗟に飛びずさる。
あと半瞬、遅れていたら斬られていた。まさかとは思うが、おそらく本気だった。本気で私を殺そうとした。
「…………」
白起様の射抜くような視線。
そこには何もない。愛情も関心も憐憫も共愛も。なにも。ただ無の視線をこちらに向けてくる。まるで、道端の石ころを――見もしないような。そんな無感動な視線。
止められない。
私には白起様を。
そう思った時だ。
「なに騒いでやがる」
「項羽殿……」
ホッとした。
きっと白起様の暴走を止めてくれる。そう思ったから。
「夜襲、いや、奇襲か」
「関係ない。あれは殺す。それだけだ」
やはり白起様はどこかおかしい。
ここまであの敵に固執するのは何故だ。それほどまでに癇に障った相手がいるのか。いや、たとえそうだとしてもこれはやりすぎだ。
だから項羽殿がそれを止めてくれると。そう思ったが、
「俺も行こう」
「ちょ!」
「なんだ?」
「いや、ここは止めてくれるかと」
「ふん。あの敵2人くらいだと戦いたりなかったからな。憂さ晴らしにもう一戦やるなら付き合うさ」
……ダメだ。この人に期待したのが。
こうなってはもう止められない。
一体誰が止められようか。白起様と項羽という2人の進撃を。
「なんだ、出るのか」
いや、いた。もう1人。
呂布殿が騒ぎを聞きつけてやってきた。腹部に傷を負ったというが、それを感じさせることのない足取りだ。
「ふん、呂布。情けないお前のために、俺が全て終わらせてやるよ」
「勝手にしろ、項羽。俺は今日の戦いは満足した。あの髭との決着は次の楽しみにしておこう」
「はっ。傷を負って丸くなっちまったか? これで終わりだ。髭との再戦などねぇな」
「なんとでも言え」
一瞬、呂布殿がキレて項羽殿と殺し合いになるのかとビクビクした。
けど呂布殿は項羽殿の暴言を軽く受け流す。これがあの講談に聞く呂布なのか、と思ってしまうほどに冷静だった。
だから少し声を潜めて聞いてみることにした。
「呂布殿、止められませんか」
「無理だな。それに勝手にやらせておけばいい」
「けど……」
「あの白起がやるというんだ。何か目的があるんだろう。勝手にやらせればいい」
「…………はい」
それでも、嫌な予感は付きまとう。
小松といい、帝都で戦った奴らといい。あそこにいるのは嫌な連中だ。
これ以上の戦いは無駄なのではないか。そう思ってしまうほどに。だけどそれは言葉に出せず、ただ黙って出撃していく白起様の無事を願うしか、私にはできなかった。




