挿話62 呂布(ゼドラ国将軍)
「呂布殿、傷は」
琴が馬を寄せ聞いてくる。心配そうにしているのは、真心からか、あるいはざまをみろと考えているのか。
どちらでもいい。
「かすり傷だ」
「しかし……」
「俺がかすり傷と言えばそうなる」
「……分かった」
それきり琴は黙りこくってしまった。
それでいい。
今は戦いの余韻に浸らせてほしい。それ以外は邪魔だった。
張遼。
強くなっていた。
次に相まみえる時は、本気でどちらかが死ぬまで戦うことになるだろう。
次か。
「次は……あればな」
「? ……あ!」
前方。人の群れがこちらに近づいてくる。
明確な意思を持った軍。敵だ。数は3千ほど。
対してこちらは1万はいないが、兵数的には圧倒的に上回っている。
だがこちらはさっきまで戦い続けて疲弊している。
俺自身は特に問題ないが、兵たちの連戦への疲弊は隠せない。兵数差を差し引いても、やや有利と言えるか。あとは俺がどれだけ叩き潰せるか。
……いや、そうはならないか。
敵の先頭。
そこに立つのは赤い肌をした巨馬。赤兎と同じくらい……いや、あれは同じ。
そしてそれに乗る人物。目障りなほどに長い髭、地面につくほど長い偃月刀。あの頃と変わらない。いや、こいつも少し歳がいってるか。張遼と同じように。
赤兎を止めた。背後の全軍が止まる。
相手も同じく馬を、軍を止めた。
「関羽」
「呂布か……」
まさかこいつともここで出会うとは。
運命というものがあるというなら、どこまでもこの俺を惑わそうとする。
最悪だ。
こいつがいるなら、完全に兵力差はないといってもいい。この傷を差し引けばそうなる。
……最悪?
はっ。戦いを前にそんなことを思うなんざ、呂奉先が落ちたものだ。
「全軍、俺の合図と共に各個に駆け抜けてローカーク門へと駆けろ。ただあの髭の男は無視しろ、いいな」
「呂布殿」
「お前は黙ってろ」
琴を黙らせて赤兎を数歩前に出す。すると、相手も同じだけ赤兎を歩かせた。
「かつて傷ついた曹操を見逃したが、あれは恩を返しただけのこと。お前には兄者が受けた恨みはあれど恩はない」
「はっ、またあの男か。しかも恩だと? お前も降伏した口か?」
「私はあの男に降伏したつもりはない。漢王朝に降伏したのだ」
「帝を囲ったあの男が漢王朝そのものだ。哀れだな、関羽」
「お前にそれを言われる筋合いはない」
「それほどに俺の最期は悲惨だったか関羽? 死は悲惨か? 戦場で死ぬこと、寝台の上で死ぬこと、どちらも同じ死だ。そこに善悪も優劣もあるわけではない。あるのは負けた。その結果だけだ」
「ここは問答の場ではない。その傷は文遠によるものだろう。だが憐れみはかけん」
来るか。
戟を構える。相手も偃月刀を構えた。
「全軍、俺に続け!」
「迎撃せよ!」
馬鹿が。この勝負。馬を止めた時点でお前の負けだ。
あのまま突っ込んできたなら勝負は分からなかっただろう。だが馬を止めたお前は、その最大の攻撃力を捨てた。
ならあとは突破するだけのこと。
「琴、お前は突破した部隊を率いて門に兵を戻せ!」
「しかし、呂布殿は!」
「忘れ物を取ってくる! 援護などすれば殺す」
「……承知!」
忘れ物。
目の前にいる男との決着。それ以外に何もない。
「死ねっ!!」
「ふっ!!」
関羽に戟を叩きつけた。関羽はそれを偃月刀で迎撃する。
金属音。火花が散った。
受け止められた。
だがそれで終わらない。戟を次々に繰り出し、上から右から左から下から斜めから関羽に必殺の一撃を叩き込む。
それを関羽はこともなげに捌いていく。この。忌々しいほどの男だ。
「ふっ」
息継ぎの合間を縫って関羽が反撃に転じてきた。
基本は左右の横なぎ。だが時に変化して頭上からの、と見せかけてやはり横なぎを狙って来る。馬上では横が一番避けづらい。小癪な。その合理主義が鼻に突いていたんだ。
当然、そのような奴に負けるわけもなく、ことごとくをはじき返した。
関羽の息切れを待って、今度はこちらが反撃に転ずる。それをしのがれると、再び相手の番になる。
「うぉぉぉぉ!!」
「ぬぅぅぅぅ!!」
いつ終わるかも判別しない死闘。
張遼の時にあった高揚感はない。おそらく互いに心底憎み合って、何故殺せないという怒りとわだかまりが渦巻いているだけだ。
「っ、関将軍! 敵に突破されました!」
「手出し無用!」
部下が突破したか。だがこの男の今の言葉。手出し無用だと。その律義さが、その自分で勝てるという傲慢さが、
「イラつくんだよ!」
「舐めるな!」
ふたたび剣戟が舞う世界に突入する。
「てめぇ、いつになったらくたばる!」
「兄者が天を駆ける。その時まで我が命は兄者の敵を滅するのみ!」
「兄者、兄者、兄者、兄者! 男色か、てめぇは!」
「否! 父を、母を、兄を慕う。それすなわち中華の心!」
「ほざくな! 父だろうと兄だろうと、俺を殺そうとすれば殺す。俺の邪魔をするなら殺す。それが正義だろうが」
「貴様が正義を語るな!」
「てめぇこそ! くだらねぇ義を語るな髭野郎!」
いつとも知れぬ戦い。終わりはなく、永遠にこの男と面を合わせ続けるのかと思うと吐き気がする。
だが均衡はすぐに破れた。
「っ!」
右のわき腹。激痛だ。
張遼によってついた傷。それがこの髭野郎との均衡を崩した。
「勝機!」
関羽がかさにかかって攻めてくる。
くそ。負けるのか。俺が。
張遼に負けるのはいい。曹操に負けるのも、よくはない負けた気がしないからいい。
だがこの男にだけは。
俺と武を張るこの男にだけは。絶対に負けるわけにはいかない。
だがこの痛み。これはこの男の前では致命的。
ああ。くそ。
この男との打ちあいに付き合わず、さっさと切り抜ければよかったものを。
俺は死ぬ。
だがタダでは死なない。
ならせめて奴の馬でも……。
――違う。
ダメだ。
この男の馬は赤兎。なぜこの男が乗っているのか分からんが、俺の赤兎の生き写し。まさか同じではないだろうが、完全に見た目も何もかも同じだ。
そんな赤兎を俺が殺せるわけがない。
負けか。
完全な。敗北。
関羽の偃月刀が、真横に、俺の首に迫る。
その刹那。
「呂布殿!」
突風が吹いた。
その風にあおられ、赤兎が姿勢を崩す。俺と関羽。両方共だ。
それによって生まれた隙。
関羽の横なぎを体を横にずらすことでギリギリ避けた。死ぬだなんだ言っても、完全に無意識に動いていた。
そこへ聞き覚えのある声が響く。
「関羽!!」
女のくせに男らしい声を出すやつ。
琴だ。
「馬鹿、来るな!」
「ぬぅ!!」
関羽が馬上で体を駒のように回して、背後から迫る琴を迎撃する。
琴は反応できない。遅い。
その体が宙に跳んだ。
斬られた。
胴体を真っ二つにされ、飛び散った――わけではなかった。
「法神流……新・神心真空烈風撃!!」
琴は空中で一回転すると、関羽の持つ偃月刀に似た刀を縦に振るう。
次の瞬間、血が舞った。
「ぐっ!!」
関羽。肩が斬られている。
何が起こったか分からない。
ただ好機であることは確か。そしてその好機は2つ。
関羽を斬るか。
ここから離れるか。
いや、もう1つ――
「呂布殿!」
琴の叫び。
あの馬鹿。
くるくると宙を舞う彼女は、そのまま着地すれば敵のど真ん中。次の瞬間にはなます切りにされる。
「赤兎!」
赤兎が声に応えて走る。
雑兵が阻もうと赤兎の前に出てくる。
「よせ! お前らでは!」
関羽の忠告の声も遅い。
突き出した戟で数人を血祭にすると、琴の落下地点にたどり着く。
「来い!!」
「っ!」
琴がこちらを睨みつけるように、その視線をまっすぐに向けてくる。
ああ。その目。
『奉先様。私の命を、あなたに預けます』
貂蝉。
董卓を討つと決めた時と同じ。あの目に俺は惹かれたんだ。
それと同じ瞳を持つこの女。
琴の手を掴む。その小さな手。これがあの関羽を斬った者の手かというくらいにか細い。それを一気に引き戻し、彼女の体を抱きしめる。
「ほっ、呂布殿の黎明たる助力に感謝を」
「この馬鹿野郎! なんで来た!」
赤兎を走らせ、戟で進行の邪魔をする雑兵を斬り捨てながら怒鳴る。
だが琴はケロリとして、
「ボクの生死の境はキミに預けた。その虚無の向こうにある煌く星がボクを救った。だからこれはその恩返しさ」
「わけのわからんことを……」
恩返しだと。
あの髭と同じことを言いやがって。
だがそれをそのまま糾弾するのは、なんとなく格好がつかない気がした。
「赤兎に乗せる女は1人と決めていた」
「それは魂魄にかけて申し訳ない。だがそれは気にしなくていい。ボクは男だ。だから赤火隆々、疾神行の赤兎馬には女性は乗せていない。そうだろう?」
そう言って小さく笑う。その表情が、なんとなく緊張を解く。
貂蝉の代わりとか言ったら突き落としてやるところだった。
くそ、調子が狂う。なんだこいつは。
数か月一緒にいるが、まったくわからない。
ただあの髭に一発かましてやった。
そのことがなんとなく愉快ではあった。




