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挿話59 張遼(エティン国将軍)

 かつての主、丁原ていげん殿にはその武勇を見込まれた。

 そして丁原殿が死に、董卓の麾下に入った時に私の人生が変わった。


「お前は見どころがある。よりその武を伸ばせ」


 そう言ってくれたのは(呂布)奉先殿だった。


 当代一の武を誇る奉先殿に認められたのは、単純に嬉しく、何より誇りだった。

 中華の北は夷狄いてき(異民族)の侵攻に怯える日々を過ごしていた。だから北の男は、夷狄いてきから村を、家族を、民を守らなければならない。

 そのためには強くある必要があったのだ。


 若いころ。自分にとって呂奉先りょほうせんは憧れであり、尊敬の対象でしかなかった。

 自分があの領域にたどり着くことはないとずっと考えてしまっていた。


 董卓が死に、奉先殿と流浪の旅に出た。

 洛陽、長安という豪奢だがどこか狭苦しくて息苦しい世界から解き放たれた。それが嬉しかった。

 後で奉先殿に聞けば、同じように思っていたらしい。


 それからはただひたすらに戦場を駆けた。

 駆けた末に、1つの別れと、2つの出会いによって自分の人生は変わった。


 別れは奉先殿の死だ。

 まさかあの人が戦場で死ぬとは思わず、ただ一個の武では到底覆せない状況だったのは外から見て理解できた。


 呂奉先の敗北。

 それは自分の敗北と同じだった。


 常に武を競い、鍛え上げてきた。

 それを真っ向から否定された。そんな思いがあった。


 だがその想いを認め、さらに否定した男がいた。


「呂布、高順こうじゅん、そして張遼。お前たちの武はひとところに留まるものではない。今はまだ乱世である。その武。天下万民のために使わんか?」


 そう言ったのは曹(操)丞相(じょうしょう)、いや、あの時は大将軍だったか。


 あのころ。自分の武は、自分のためにしかなかった。

 かつては夷狄いてきから仲間を、家族を守るためにあったものが、いつの間にか己のためにしかなかったことに愕然とした。

 それが迷いを生んだ。


「我はただ、己の武の末路に尽くすのみ」


 そう言って同僚の高順は死んでいった。

 気にくわないやつだったが、最期の従容しょうようとした態度には感じ入った。


 自分もあの時、奉先殿や高順と共に死ぬべきだったのだろうか。

 みっともなく頭を下げ、生き恥をさらし、超えるべき目標を無残にも刈り取った相手に降伏したのは正しかったのだろうか。


 分からない。今も間違っていたと考えることもある。

 それでも曹丞相との出会いは自分の生き方を変えたのは確かだ。


 そしてもう1人。


 曹丞相の下に来たあの男。

 その義理堅さと武勇はどちらも比類なく、奉先殿亡きあとの目指すべき目標となった。


 関雲長。


 共に戦った時間は短かったが、その後も互いを意識し繋がっていたと思う。


 そんな自分の生き方を変えた3人。

 そのうち2人が、まさかこの世界に、敵として、味方として共に生きることになるとは。


「ふははっ! 楽しいな、張遼!」


 奉先殿が戟を振り回しながら笑う。

 そこから生まれるのは、まさに暴風。死の旋風。

 敵も味方も一切を近づけない。戦場にぽっかりと空いた穴、自分と奉先殿のみが存在する絶対空間。


 さすがだ。

 個の武では、さすがに奉先殿には勝てない。


 だが――


「さすがは奉先殿。だが――」


 自分には、それ以上に戦ってきた経験がある。

 数多の敵と渡り合ってきた技がある。

 天下を相手に戦ってきた自負がある。


「負けん!」


 戟を払い、槍の石突きで相手の左腕を打った。

 態勢が崩れ、ない。そのまま力任せの横なぎを放ってくる。それをのけぞってかわした。


「はっ、さすが張遼! 俺の見込んだ男だ!」


「あれからも精進したゆえ」


 淡々と返す。


 あの時、憧れていた男と互角に矛を交わす。それは1つの夢の到達点だった。


 だがどうも心が躍らない。達成感がない。


 それはきっと知ってしまったから。

 この先にも道があることを教わった。あのお方から。

 つまりここは到達点ではなく中継点。先も続く。


 だからこそ負けていられない。

 ここで終わることはない。


 その思いで、熱に浮かされることなく戦うことができる。そう感じる。


「……ふん!」


 奉先殿が戟を一閃。

 それを弾くと距離を取られた。


「なるほど。お前はあれより未来ってわけだな。年も取ってるはずだ。つまり俺は負けたのか」


 あるいは、と思っていた。

 この奉先殿は夢でなければ幻でもない。

 それでも自分にとっては過去の人間。


 死した人間が現れる。そんなはずもなく、そうであればここにいるのは生きている人間であること。

 つまり、下邳かひで敗れる前。

 負けるはずのない男が、負ける前のこと。


 それがこうも、従容しょうようと負けを認める。

 そのことにどこか悲しみと憐れみを感じさせるのは、彼にとって侮辱になるだろうか。


「で? お前は誰の下で戦った。お前は人の上に立つ部類の人間じゃない。誰かの下で力を発揮する人間だ。誰だ? 劉備か? それならまだいいが、あるいは――」


「……」


「曹操じゃあねぇだろうな?」


「……曹丞相は我が主ゆえ」


「丞相だぁ!? あの宦官の孫がいっちょ前に天下を語るな! そんな男の下など、堕ちるところまで堕ちたな、張遼!」


「たとえ奉先殿でも、その侮辱は許せん!」


「なら本気で来い! その腐れ宦官の下で戦うことがどういうものか、この飛将にぶつけてみろ!」


 ああ。

 そういうことか。


 気づいてしまった。

 そして気づかれていた。


 自分のこの戦いにどこか冷めたものがあることを。

 この人は。本当に、純粋戦士。ただ戦うことのみに囚われている。


 だが今はそれでいいのかもしれない。

 ただただ敵を殺すために戦う。そういったくだらないことの集合体でしかないいくさに、余計なことは不要。


「分かりました。我が全身全霊の武を叩き込むとしましょう」


「ああ。そうだ。それでこそだ。俺もようやく出せそうだ、本気をな」


 奉先殿――いや、“呂布奉先の本気”。

 それを見たいという自分も、それを越えたいという自分も。

 全ては自分の中で混然一体と成し、立ち向かうための一歩となる。


 その一歩を与えてくれた人物。

 そのうちの1人に。最強の武に。


「張文遠、参る!」


 全てを叩き込む。


りょうらいらい!」

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